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婚約破棄された転生令嬢ですが、真夜中の逢瀬を許す舞踏会で正体を隠して踊ったら、私を捨てた王太子が私を口説き始めたので、仮面の下で笑っています ~前世の知識で薬草を売り捌いて自立します~【短編・ざまぁあ

作者: uta
掲載日:2026/07/09

「リーゼロッテ、お前との婚約を破棄する」


大広間がざわめいた。


シャンデリアの光が、王太子ジークハルトの整った顔を照らしている。碧眼には、悲劇の主人公を気取った陶酔だけが浮かんでいた。


(ああ、やっと言ってくれた)


私は前世で――現代日本の製薬会社を、過労で辞めた日のことを思い出していた。


いや、正確には辞めさせられる前に、命のほうが先に尽きたのだけれど。


退職届は、もう懐にある。今世でいうなら、それは。


「愛のない政略などもう沙汰やみだ。私は真実の愛を選ぶ」


ジークハルトが芝居がかった仕草で、傍らの少女の腰を抱いた。


栗色の髪に、潤んだ瞳。可憐で庇護欲をそそる――聖女候補、アメリア・リント。


「リーゼロッテ様……ごめんなさい。わたし、こんなことになるなんて」


アメリアが、いかにも心を痛めた風に目を伏せる。


(へえ。上手いこと言うのね)


私はその顔を、鑑定するように眺めた。


聖女の力。癒やしの奇跡。会場の誰もが信じている、彼女の神聖なる才能。


それが――私が調合し、王城へひそかに卸していた解毒ポーションと消毒薬の効能であることを、この場で知っているのは、私ひとり。


材料を横流ししていたのも、私。


功績を丸ごと奪われていたのも、私。


「何か申し開きはあるか、リーゼロッテ」


申し開き。


その言葉に、周囲の貴族たちが固唾を呑んだ。泣き崩れるか、喚くか、縋りつくか。彼らはそういう見世物を期待している。


私は、スカートの裾をつまんだ。


そして、静かに礼をした。


「――かしこまりました。殿下のご意志、承りました」


それだけ。


「な……」


ジークハルトの顔が、間の抜けた表情に崩れる。想定していた反応と違ったのだろう。


私は顔を上げ、淡々と続けた。


「では、失礼いたします。皆様、良い夜を」


背を向けて歩き出す。ヒールの音だけが、静まり返った大広間に響く。


誰も、声をかけられなかった。


喚かない令嬢。抗議しない令嬢。その沈黙が、なぜか背筋に冷たいものを走らせる――そんな空気が、確かに広間に残ったのを、私は背中で感じていた。


(さて。ここからは、私のターンです)



侯爵家に戻ると、侍女のハンナが玄関先で待っていた。


そばかすの散った顔が、今にも泣き出しそうに歪んでいる。


「お嬢様……! あんな、あんな仕打ち……!」


「ハンナ。落ち着いて。私は元気よ」


「元気って、そんな……! わたし、悔しくて悔しくて!」


代わりに怒ってくれる人がいる。それだけで、今世は前世より少しマシだと思えた。


私は手袋を外しながら、静かに言った。


「ハンナ。もう我慢するのはやめにします」


「え?」


「今まで私は、王城に薬を卸しても名を伏せていました。侯爵令嬢が薬師まがいのことをしていると知れれば、外聞が悪いから。……でも、もういい」


窓の外。建国祭を数日後に控えた王都の灯りが、遠くに揺れている。


「評価されないなら、価値ごと引き上げるまでです」


「お嬢様……それは、怒っていらっしゃるのですか、それとも……?」


ハンナが素直に首をかしげる。


私は少しだけ、口の端を上げた。


「さあ。どちらでしょうね」


――翌日から、私は動いた。


冒険者ギルドへ、匿名の薬師として登録。『鑑定』ギフト持ち。証明のために調合した高純度ポーションを一本差し出すと、鑑定台に載せた職員が目を剥いた。


「じゅ、純度九割八分……!? こんなもの、王城お抱えの調合師でも……」


「毎日、卸せます」


「毎日!?」


前世の知識がある。抽出温度、溶媒の配合比、不純物の除去工程――この世界の錬金術が『魔力頼みの職人芸』でやっていることを、私は化学として再現できる。


量産できて、品質が安定する。それが何を意味するか。


瞬く間に、私の薬は王都一の供給量を誇るようになった。


そして――王城への薬の供給元が、ぱたりと『消えた』。


ハンナが、こっそり運んできた噂を耳打ちする。


「お嬢様。城で、聖女様の癒やしの力が……最近、効かなくなってきたと」


「あら」


私は調合台に向かったまま、微笑んだ。


「材料が尽きれば、力も尽きる。当然のことです。偽物の聖女に、種はない。種は――ずっと、私の手の中にあったのだから」


「建国祭の夜。仮面舞踏会に出ます、ハンナ」


「ええ!? お嬢様が、あの……真夜中の逢瀬を許す舞踏会に?」


「ええ。零時まで、身分も婚約も問われない一夜。あの偽りの城に、最後の始末をつけに行くには、ちょうどいい」


そっと、調合記録帳を撫でる。前世からの癖で、私はいつもこれを手放せない。


「――退職届は、あの夜に叩きつけます」



建国祭の夜。


王城の大広間は、色とりどりの仮面で埋め尽くされていた。


〈真夜中の逢瀬を許す舞踏会〉。零時までは、誰と踊り、誰と語らってもいい。仮面を外すことは禁忌。この一夜だけは、公爵令嬢も平民も対等になる。


私は銀灰色の髪を結い上げ、蒼い仮面をつけていた。誰も、この女がアーデンフェルト侯爵令嬢だとは気づかない。


(さて。零時まで、あと二時間ほど)


壁際でグラスを傾けていると、ふいに影が差した。


「一人でいるには、少々もったいない夜だと思うのですが」


漆黒の髪。深い紫紺の瞳が、黒い仮面の奥で笑っている。長身に洗練された物腰。声には、皮肉の効いた甘さがあった。


「私は、賑わいを眺めているのが好きなんです」


「観察者、というわけですか。……その手のグラス、口をつけていませんね。毒を警戒する癖のある方だ」


私は、わずかに眉を上げた。


「よく見ていらっしゃること」


「職業病です。――一曲、いかがですか」


差し出された手を、私は取った。


音楽が流れ、私たちは踊り出す。


「あなた、薬にお詳しいのね」


「毒に、と言うべきでしょうか。世間ではそちらのほうが通りがいい」


「毒と薬は、量が違うだけの同じもの。トリカブトも、微量なら強心の効能がある」


男の手が、ぴくりと止まった。


仮面の奥で、紫紺の瞳が見開かれる。


「……アコニチンを、そう理解している貴女は何者です」


「あら。その名を知っているあなたこそ」


名も知らぬはずの物質の名を、彼も知っている。前世の化合物の名を。


私は、久しく感じていなかった高揚を覚えた。


対等に語れる相手。搾取されるでも、見下されるでもなく――知識をぶつけ合える相手。


「解毒薬の設計は、毒の構造を理解して初めて成る。だから僕は、毒を学びました。人を殺すためではなく――救うために」


男の声に、ふと、皮肉の膜が剥がれた。


「毒に苦しむ民を、一人でも減らしたい。それだけなんです。……なのに世間は、僕を毒殺者のように扱う」


弱音のような、静かな告白。


私は、なぜかその言葉が嘘ではないと分かった。仮面越しでも、瞳は雄弁だ。


「あなた、案外――甘えん坊なのね」


「っ……! な、なぜそれを」


本気で動揺している男に、私は思わず小さく笑ってしまった。


「冗談です」


「……ひどい人だ。少し、泣きそうになりました」


「本当に涙もろいのね」


くるり、と回るステップ。仮面の下で、私は久しぶりに心が緩むのを感じていた。


この人が、何者なのかは知らない。


でも――零時が来なければ、と。


そう思ってしまう自分に、少しだけ驚いていた。



曲が終わり、仮面の男が別の給仕に呼ばれて場を離れた、その隙だった。


「――そこの、蒼い仮面のご令嬢」


聞き覚えのある声。振り返らずとも分かる。


ジークハルトだった。


金の仮面をつけていても、あの自信過剰な声色と芝居がかった仕草は隠しきれない。


「先ほどから、貴女が気になって仕方がない。その凛とした佇まい……他の令嬢とは、格が違う」


(へえ)


私は仮面の下で、目を細めた。


自分が捨てた女だと、まるで気づいていない。


「殿下は、大切な方がいらっしゃるのでは? 聖女様と、真実の愛を選ばれたと聞きましたが」


「……それは」


ジークハルトの声が、わずかに詰まった。


「アメリアは……最近、少し、様子がおかしいのだ。以前のような輝きがない。癒やしの力も、思うように使えぬようで……」


(当然です。種が尽きたのだから)


「それに引き換え、貴女は……いや、実は先日、婚約者と別れてな。今は自由の身だ。だからこそ、貴女のような素性の知れぬ女性にも、心惹かれる」


素性の知れぬ女性。


私は、笑いを噛み殺すのに苦労した。


捨てた本人が、正体も知らず、捨てた相手を口説いている。これほど滑稽な光景があるだろうか。


「殿下は、その別れた婚約者を、後悔していらっしゃらないの?」


「後悔? まさか。あれは氷のように冷たい女だった。愛想もなければ、可愛げもない。私に何一つ、価値あるものを与えなかった」


(――そう)


私が城に何を与えていたか、この人は最後まで知らないままだ。


王城を支えていた薬も、聖女の名声の正体も。全部、私の手の中にあったことを。


「殿下。価値というものは、失って初めて見えるものだそうですよ。私の前世――いえ、知り合いが、そう申しておりました」


「前世?」


「独り言です。お気になさらず」


そのとき。


かぁん、と。


大広間の高い天井に、鐘の音が響き渡った。


一つ、二つ――零時を告げる、鐘。


ざわり、と会場が沸き立つ。仮面舞踏会の終わり。禁忌が解かれ、皆が仮面を外す瞬間。


「では殿下。仮面を外す時間のようです」


私は、仮面の縁に手をかけた。


「私が誰か――ご覧に入れましょう」



十二の鐘が鳴り終わる。


私は、蒼い仮面を外した。


銀灰色の髪。感情を映さない、アイスブルーの瞳。


ジークハルトの顔が、金の仮面の下で凍りついた。


「り……リーゼロッテ……!?」


「ご機嫌よう、殿下。素性の知れぬ女に惹かれた、とおっしゃいましたね」


静まり返った広間の中央で、私は一歩も動じず立っていた。


ざわめきが、波紋のように広がっていく。


人垣の向こうから、栗色の髪の少女が青ざめた顔で歩み出てきた。アメリアだ。彼女の仮面は、既に手の中で握りしめられている。


「なんで……あなたが、ここに……」


「アメリア様。ちょうどよかった。あなたにも聞いていただきたいお話があります」


私は、懐から一冊の帳面を取り出した。


前世から愛用の癖で持ち歩く、調合記録帳。


「皆様。聖女アメリア様が披露してこられた『癒やしの力』――解毒と、傷の治癒。あれの正体を、今宵ここで明らかにいたします」


「な、何を根拠に――!」ジークハルトが叫ぶ。


「根拠なら、ここに」


私はもう一枚、証書を掲げた。冒険者ギルドの登録証。


「私は匿名で、ギルドに薬師登録をしております。王城へ卸されていた解毒ポーションと消毒薬――そのすべての調合記録が、この帳面に。日付、成分、純度、納入経路。すべて記されています」


記録帳を開き、私はページを示した。


「聖女様が『力を使った』とされる日と、私が薬を納めた日。照合してみてください。一日の狂いもなく、一致します」


「そ、それは……」アメリアの唇が震える。「偶然、よ……」


「では、なぜ最近『力が使えなくなった』のです? ――私が、供給を止めたからです。種のない花は、咲きません」


アメリアが、その場にへたり込んだ。


可憐な仮面が剥がれ落ち、追い詰められた素顔が晒される。


「わ、わたしは、ただ……材料をもらって、それを……」


「認めるのね。他人の功績を、自分の力と偽ったと」


沈黙が、何よりの答えだった。


貴族たちのざわめきが、一斉にジークハルトへ向かう。


偽の聖女を選び、真の功労者を公衆の面前で捨てた王太子。その事実の重さが、彼の肩にのしかかっていく。


「リーゼロッテ……ちが、私は、知らなかったのだ……! 知っていれば……!」


「知らなかった。ええ、それが殿下の罪です」


私は、静かに告げた。


「価値を見抜けなかった。功績を評価できなかった。それが、あなたが私を失った理由です。――どうぞ、ごゆっくり後悔なさってください」


王家の重臣たちが、青い顔で駆け寄ってくるのが見えた。婚約破棄の非がどちらにあったか、もはや誰の目にも明らかだった。


謝罪も、賠償も、これから彼らがやることだ。


私にはもう、関係のないこと。



崩れ落ちた王太子と、泣き崩れる偽聖女を背に、私は静かに広間を後にしようとした。


振り返らない。もう、この場所に用はない。


――そのとき。


「見事でした」


背後から、聞き慣れた声。


漆黒の髪の、あの仮面の男。だが今、彼も仮面を外していた。


深い紫紺の瞳。整った、けれどどこか少年めいた甘さの残る顔立ち。


「あなたは……」


「申し遅れました。レオンハルト・フォン・ヴァイスリヒト。隣国ヴァイスリヒトの宰相を務めています」


周囲がどよめいた。


「毒の……宰相……!?」


政敵を毒で葬るという冷酷な噂。〈毒の宰相〉の名は、この国にも轟いている。


だが、私はもう知っていた。あの舞踏会の会話で。


この人は、毒を使う人ではない。毒に苦しむ人を救うために、毒を学んだ人だ。


「トリカブトの令嬢が、まさかあの噂の氷の令嬢だったとは。……いや、僕はどうやら、貴女の中身に先に惚れていたようです」


レオンハルトが、ふっと表情を緩めた。皮肉屋の仮面の下から、あの甘えん坊の素顔が覗く。


「実を言うと、僕の国も困っているんです。毒に苦しむ民が多く、解毒薬の供給が追いつかない。優秀な薬師が、喉から手が出るほど欲しい」


「……それは、勧誘ですか?」


「ええ」


彼は、私の前に片手を差し出した。


「僕の国へ来ないか。君の知識を、君ごと正当に評価する国がある」


君ごと。


その一言に、胸の奥が、じわりと熱くなった。


前世でも。今世でも。私は、成果だけを吸い上げられ、私自身は誰にも見られてこなかった。


でも、この人は。


「――僕は、涙もろいのが玉に瑕でして。もし断られたら、たぶん今夜は泣いて眠れません」


「まだ何も言っていませんよ」


「あっ。す、すみません、つい先回りして……」


慌てる宰相閣下に、私は思わず声を立てて笑った。


氷の令嬢が、笑った。


広間の誰もが、その光景に息を呑んだ。


背後で、ジークハルトが呆然と、その笑顔を見つめていた。彼が最後まで一度も引き出せなかった表情を。


私は、差し出された手に、自分の手を重ねた。


「よろしくお願いします、レオンハルト様。――ただし、涙は自分のハンカチで拭いてくださいね」


「善処します」


背後で、侍女のハンナが涙をぬぐいながら、迷いなく叫んだ。


「お嬢様! わたしも、どこへでもお供します!」


「ええ。頼りにしているわ、ハンナ」


扉の外は、建国祭の夜空。


零時を過ぎた王都に、無数の灯りが瞬いている。


前世でも、今世でも報われなかった私が、初めて手にした――対等に評価される居場所。


私は、もう振り返らなかった。


(退職届は、たった今、受理されました)


新しい国の、新しい朝が。すぐそこまで、来ている気がした。

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