7.旅立ち
いつもならベッドの中で眠っているはずの早朝、マヤはすでに身支度を整えて大きなバッグに詰め込んだ中身を再度確認している。
「下着や替えの服、携帯食。それと、念のため護身用のナイフも」
マーモーは人間の姿に変身させた護衛をつけてくれると言っていたが、正体が人間にバレる、という万が一のこともあるため、マヤは断った。旅とはいえ、身一つで出かけるのだから自分の身は自分で守らなきゃいけない。
マヤが旅に出ると宣言してから数年が経った。すぐにでも旅に出ようとしていたが、何の備えもなく旅立つのは危険だ、とマーモーに言われ断念した。ようやくマーモーから旅に出る許可を得たのが1週間ほど前だった。
この世界では、親もしくは保護者の許可を得なければ1人で旅をすることができないルールがあるようだ。マヤの実際の年齢は不明だが、女性特有の生理的な現象や体の丸みから推定するに18歳くらいだろう。
元の世界でも18歳になると1人前の大人として認められるようになる。こちらの世界でも似たようなものだと、違和感なく受け入れることができた。
この世界に来たばかりの頃は幼さが残っていたが、今や誰が見ても立派なレディだ。やせ細った腕や腰回りも肉がつき、丸みを帯びた体つきになった。元の世界の姿とは縁遠かった、そこそこ豊満な胸にも満足している。
リビアからは「マヤちゃんはスタイルがいいから、何を着せても可愛いわ~」と言われ、度々ファッションショーのような謎のイベントがマーモー家で行われた。仕事があると言っても、依頼主たちは口を揃えて「リビアの用事を優先すべきだ」と簡単に引き下がる始末。
定期的に何かしらの口実を作って働き詰めのマヤを休ませようとしていたのだと、後になって気付くのだが。
この数年間はマーモーやリビア、長老たちから備えておくべき知識や技術を学んでいた。特にこの世界の人間についてだ。話を聞く限り、元いた世界の人間と大きな違いはなさそうだ。
他にも、この森の他に姿を隠して暮らすマグスたちがどこにいるのかも教えてもらった。「各地で困ったことがあれば彼らを頼るといい。彼らがお前を助けてくれるだろう」とマーモーから心強い言葉ももらえた。
会ったことも顔も知らないが、身近にサポートしてくれる人がいると思ったら、旅の不安も少し和らいだ気がした。
バッグを玄関の床に置き、借り住まいの家の中をぐるっと見回す。今となっては愛着が残る我が家である。
マーモーからは家の中の物は自由に使っていいし、新しい物に替えてもいいと言われていたが、アイツの居場所を奪ってしまうようでそれができなかった。結局、模様替えもしないまま暮らしていた。
「ここを出て行かなきゃならないなんて、少し寂しいわね。きっと味方を増やして、また戻ってくるからね」
誰もいない家に向かって決意を口にし、床に置いたバッグを肩にかけて外へ出た。そこには誰もおらず、なぜか胸の奥がキュッと締め付けられる。
旅立ちを前にナーバスになっているのだろうと思い、深呼吸をして気持ちを落ち着かせることにした。そして玄関扉をそっと閉じ、もう一度仮住まいの家や周りの景色をその瞳に焼き付けてから、マーモーたちが待つ森の入口近くに向かった。
森の出口手前にある広場には大勢のマグスたちが集まっていた。そのうちの1人がマヤに気付くと辺りは急に静まり返った。皆の視線はマヤへと向けられていた。
突然注目を浴びたマヤは何事かと驚く。民衆の先頭にマーモーやリビアの姿を見つけて、足早に近づいていった。
「マヤ、来たか」
「うん。それにしても皆集まって、何かあったの?」
「分からないか? 皆、お前の旅立ちを見送りに集まったのだ」
「えっ? 私のために?」
「そうだ」
マーモーが民衆の方へと振り返ると声高らかにスピーチを始めた。
「私はこれまで保護者としてマヤの成長を見守ってきた。そして、これをもってマヤを1人前と認める。よってマヤの意志を尊重し、この森から巣立つことを許可する。
皆も知っている通り、マヤは我等とは異なる種族である。だが、我等と同じようにこの森で暮らし、時には助け合い、寝食を共にしてきた。ここにいる者の中にもマヤの世話になった者も多いだろう。もちろん私もそのうちの1人だ。
マヤは今日この森を旅立つが、種族は違えどマヤは我等の家族である。これから楽しいことも幸せを感じることも増えるだろう。それと同時に、誰かに傷つけられることや辛く苦しむことも増えると思う。
もしもマヤがこの森に帰りたいと思うようなことがあれば、私はいつでも温かく受け入れたいと思っている。我等は家族なのだからな。この森から巣立っても、この森の一員であることはこれからもずっと変わらない。皆も同じ意見で相違ないか?」
マーモーの問いかけにどこからか声が上がった。
「もちろんだ! 俺はマヤさんのおかげでこうして皆と仲良く暮らせるようになったんだ。いつ戻ってきても大歓迎さ」
「そうだわ。マヤさんがいなくなるのは寂しいけれど、どこにいても私たちは家族だわ。寂しくなったり辛いことがあったりしたら、いつでも帰って来てちょうだいよ」
「マヤ、あなたに幸運が訪れることを祈っているわ」
「マヤさん! 俺はあちこちで商売してて顔も聞くから、困った時は仲間を頼るといい」
「そんな格好いいこと言って、お前友達少ないじゃないか」
「な、何だよ。そんなことないぞ――」
そのやりとりに観衆にどっと笑いが広がった。
すると観衆を割って前へ歩いてくる者がいた。マヤのご近所の1人だった。
「マヤさん、体には気を付けるんだよ。これ、持っていきな。急いで編んだから出来はそんなに良くはないんだけど、寒くなったら首に巻くと温かいよ」
「ありがとう、イサシヤさん。大事に使わせてもらうね」
住人たちは次々とマヤへの労いと餞別の言葉を告げていく。マヤはそれだけで目頭が熱くなる。零れそうになる涙を堪え、とびきりの笑顔で皆に応えた。
「皆、ありがとう! ここでの暮らしや皆さんとの想い出は私にとって大切な宝物です。私はこの森を出て旅に出ます。この広い世界のことをもっと知るために。次に皆さんと会う時にはもっともっと成長した自分を見せられるように頑張ります。だから皆さんもどうかお元気で!」
「「おぉ!」」
「マヤちゃんも元気でね!」
「マヤさん別嬪さんだから、悪い男に引っかかるなよ!」
「マヤ、この森で帰りを待ってるいるわね!」
再び辺りは賑わいを取り戻したように、住人たちは隣同士の者と話を始めた。マーモー一家と長老たち以外はここでの別れとなった。
マヤはマーモーたちと共に森の外にある川辺まで無言で歩いた。最初に口を開いたのはマーモーだった。
「マヤ、俺たちが見送れるのはここまでだ。道中くれぐれも気を付けるのだぞ」
「うん、そうする」
「念のため、これを持って行け」
マーモーが差し出したのは虹色に光を放つ黒曜石の腕輪だった。差し出された腕を見て、マーモーの腕輪の数が減っていることに気付く。
「マーモー、これってもしかしてご先祖様から受け継いでいる黒曜石でしょう? こんな大切なもの、私なんかが受け取れないわ」
「さっきも言っただろう。マヤは我等の家族の一員だと。その家族が独り立ちするのだ。祝いの品として受け取ってくれ。いや、俺たちを家族と思うなら、受け取るべきだ」
マーモーからそう言われてはマヤも流石に断る訳にもいかない。受け取るのを拒絶すれば、マーモーたちを家族ではないと言うことに親しいのだから。ここは素直に受け取っておくべきだろうと考え直し、遠慮なく受け取ることにした。
「分かった。有難く受け取らせてもらうね。大切にするね」
「あぁ、それでいい」
マーモーから希少な黒曜石の腕輪を受け取ると、マーモーの横に控えていたリビアが手を差し出した。その手にはマヤの掌に収まる大きさの巾着が乗っていた。その巾着は高級な帯を思わせる金銀の糸を使用して織られている。この世界では見たことがないほど美しい織物だった。
「これは私の母が祖母から受け継いだ織物で作った物よ。中にはこれから必要になりそうな衣類が何着か入っているわ。人間の目には作物の種にしか見えないけれど、手に取って『あなた』の名前を呼べば魔法が発動して元の衣類の姿に戻るわ。
不要な時は『縮小』と唱えれば種に戻るから、この巾着に入れて保管しておくと便利よ。それに断ろうとしても無駄よ。この種はマヤちゃんの声にしか反応しないし、衣類もマヤちゃんのサイズにして他の誰にも着こなせないから」
リビアはマヤが巾着を受け取るのを断ろうとするのを先読みして、あえて断れないような言い方をした。マヤは困惑しつつも、リビアのやさしさに感謝して受け取ることにした。
「リビアさん、ありがとうございます。私には勿体ないですが、有難く受け取らせてもらいます」
次にマーモーとリビアの間に立つチコがマヤの前に現れた。
「マヤ。本当は行かないでほしいけど、パパがマヤにとって大事なことだって言ってたから、僕泣かないよ。マヤが帰ってくるまで、僕もいっぱいお勉強して大きくなってマヤを守れるようになるから。だから絶対帰って来てね!!」
「うん! もちろんだよ。必ずこの森に帰ってくるから、いい子にしていてね」
泣かないと宣言したそばからチコはその大きな瞳に涙を溜め、自分の顔をリビアの足に押し付けるように隠した。マヤはその小さな頭に自分の手を置き、やさしく撫でる。
すると次はしわがれた声が聞こえ、隣に視線を移す。
「マヤ殿、儂からの餞別はこれじゃ」
マヤに贈り物を差し出したのは長老だった。長老は紐で口を絞り止めている青い布袋を差し出してきた。その袋からはガラス同士がぶつかるような小さな音が聞こえた。
「長老様、これは?」
「この中にはガラス玉が入っておる。きっとこれから先、マヤ殿の助けとなるだろう。詳しい使い方は一緒に入れてある説明書きを見なさい」
ここまでくると受け取りを断るのが失礼な気がしてきた。マヤは素直に受け取ることにした。
あっという間にマヤの腕はたくさんの餞別の品で埋め尽くされていた。
1人旅でこの荷物をどうしたらいいものか、と思い悩んでいると、今朝から一度も姿を見せなかった人物が荷馬車と共にようやく姿を現した。
「リビト、来たか。問題はなかったか?」
マーモーが馬車から下りてきたリビトへ話しかけた。リビトはこくりと頷いた。
「マヤ、この馬車に乗っていくといい」
「あの、でも私馬車を運転したことがないのだけれど……」
「マヤちゃん、それなら心配いらないわ。リビトが御者を務めるのだから」
「――リビトが?」
リビアの言葉に驚いたが、すぐに近くの村か街までリビトが馬車で送ってくれるのだろうと納得した。
「リビト、ありがとう。すぐ近くの村か街の手前で降ろしてくれればいいからね」
リビトは無言でマヤの顔を見ている。そんなリビトに違和感を抱いていると、マーモーが言葉を続けた。
「マヤ、お前に護衛を付けると言ったことを覚えているか?」
「うん、でも人間の姿になったとしてもリスクのある旅だから、無理強いはしたくない、と断ったよね?」
マヤはマーモーの口調からして、自分のために何とか護衛を付ける、と言い出すのだろうと思い、すでに護衛の件は断ったと強調して言った。
もちろん女性の1人旅にはさまざまなリスクが伴う。マヤは魔力がなく、身を守ることも襲って来た者を遠ざける魔法も使えない。その点不安は大きかったが、今日まで何もせずに過ごした訳ではない。
武芸に秀でた女性のマグスから護身術を教わったり、商人として国内を行き来している者から人間に騙されないためのコツや注意点を聞いたりもしていた。
そうして自衛の策を身に付けていると伝えれば、マーモーも安心して護衛を付けることを諦めてくれるだろうと思ったのだ。
「実はな、マヤの護衛を募集したところ、1人だけ立候補した者がいたんだ」
「えっ? ダメよ! 危なすぎるわ。私なら1人でも大丈夫……」
マヤの言葉を遮るように、1人の青年がマヤの前に出て言葉を発した。
「お前の護衛に立候補したのは俺だ」
「えっ? リビトが? 何で? 危険すぎる! 絶対にダメよ!!」
「若い女が1人で旅する方がよっぽど危険だろ! 俺なら魔法で自衛もできるし、お前1人くらい簡単に守れる」
マヤは視線をリビトからマーモーへと移し、無言で「リビトを説得して欲しい」と訴えるが、マーモーから出た言葉はマヤの意に反したものだった。
「リビトならお前の護衛として適任だ。心置きなく話せる友が側にいれば、お前も心強いだろう」
「マーモー!? 何を言ってるの? リビトは確かに見た目は人間に見えるけど、もしも半魔人だとバレたら危険な目に遭うかもしれないのよ!」
マーモーもリビアも困惑した表情になる。その時、目の前にいるリビトが口を開いた。
「俺の父親は人間だと話したことがあるだろう」
リビトは突然自分の出自の話をし始めた。マヤはそれと自分の旅と何の関わりがあるのだと疑問に思ったが、いつになく真剣に話すリビトから目が離せなくなっていた。
「母は常日頃から父親のことを悪く言うことは1度もなかった。詳しいことは教えてくれなかったから今も生きているのか分からない。
だが、自分の目で、耳で、確かめたい。なぜ俺たちを捨てたのか? そのためにはこの森を出る必要があるんだ」
「リビト……」
「俺がお前の護衛をするのは自分の為でもある。お前と一緒に旅をしながら自分の父親の生死を明らかにしたい。もし生きているなら、どこにいるのかを突き止めて知りたいことを質問する。だからお前が反対しようと、俺はお前と一緒にこの森を出る」
リビトが父親捜しを考えていたなんて初耳だった。これまで「父親に会いたい」などと一言も聞いたことはなかった。リビトの決意に驚いていると、マーモーがやさしい声色で話しかけてきた。
「マヤ、そういうことだ。リビトの決心は固い。誰もリビトを縛ることはできないのだ」
「それに、2人で旅をするなら私たちも安心してマヤちゃんを見送ることができるわ。リビトは子どもみたいなところがあるけれど、この数年間で随分立派な青年に成長したと思わない? 今のリビトならマヤちゃんをしっかり守ってくれると思うわ。
それに、お互い困った時や落ち込んだ時に支え合うことができるでしょう? 見知らぬ土地を1人で生き抜くのはとても大変なことよ。
幸いなことにあなたたちは幼い頃からこの森で一緒に過ごしてきた。家族同然の関係だもの。マヤちゃん、これ以上信頼できる仲間はいないと思わない?」
リビアの言うことは最もだ、反論の余地もないほどに。この驚きの展開もストンと肚に落ちてきた。
「分かりました。私はリビトの支えとなれるよう努力します」
リビアの説得を受け、マヤはリビトと共に旅することを受け入れた。
「リビト、突然のことで驚いたけれど、正直1人では不安だったから一緒に旅してくれたら私も安心できる。お荷物になるかもしれないけど、これからもよろしくね」
マヤが浮かべた穏やかな笑顔を見るや、リビトとマーモー、リビアは胸を撫で下ろした。
再び短い別れの挨拶を交わし、リビトとマヤは馬車の御者台に乗った。
マヤの胸の奥に感じた違和感は本人も気づかぬうちに消え去っていた。心なしかワクワクした気分になっていた。それも頼もしい仲間が隣にいるからだろう。
独り立ちした2人は旅のパートナーとして、新たな人生の幕を開く旅へ歩み出すことになったのだ。
若い2人を乗せた馬車が見えなくなると、長老はチコを連れてその場を後にした。
馬車が見えなくなってもその場に立ちつくしている王の頬には一筋の涙が零れていた。誰にも気付かれまいと「目にゴミが入った」と誤魔化していたが、それが嘘だと見抜く者がいた。
やさしく王の背にすらりと細長い手を置くと、振り返る王に微笑みを向けた。
「リビトがいるんだもの、あの子たちは大丈夫よ」
王へ言い聞かせるように小さな声で呟く。それでいて自分自身にも言い聞かせるように……。




