5.森の最奥
マヤの1日はその日の気分と仕事の依頼内容によって変わる。早起きは苦手なため、外が明るくなってから起きている。
だが、今日は日の出前に起きて、いつものように身支度を整えている。今日はこの森で長老と呼ばれる人物に会うからだ。
仕事の依頼が立て込んでいるのと、長老の都合もあり、お互いに時間を取れるのが朝の早い時間帯しかなかったのだ。
少しでも早く家を出られるようにと、前日の夜から準備を進めていた。なにせ長老が住む家はこの森の最奥にあり、徒歩ではかなり時間がかかる。
午後には2件の依頼が控えているのを考えると、長老と話す時間を少しでも長く確保するために出発時間を早くする必要があったのだ。
たすき掛けにした麻のバッグには、朝食用に衝撃吸収の魔法がかけられているガラス製の水筒とサンドイッチ、ドライフルーツ、そして手土産の焼き菓子を入れた。水筒にはアイスティーが入っている。
「これで準備は万全ね」
マヤは首にかけた翡翠を手に持ち、長老の家まで連れてってと心の中で願う。翡翠はピカッと光を放つと、一筋の光となってマヤに進むべき方向を示す。
「さぁ、出発よ!」
マヤは翡翠が差し示す光を頼りに、歩みを進めていく。
長老の家まで片道1時間程度。とはいえ、マグスたちに「時間」という概念がないため、この森には時計が存在しない。マグスたちの活動の目安となっているのが太陽の位置だ。
この森の住人たちは日の出と共に起床し、太陽が真上に来る正午には誰もが手を止めて同僚や家族と昼食を取る。日の入り前に自宅へ帰り、家族や親しい者と食事をして和やかな時間を過ごしてから就寝するのが日課となっている。
マヤは、元の世界ではいつも時間に追われる生活を送っていた。それが突然時間という概念のない世界に飛ばされ、戸惑いを隠せなかった。ふと今何時だろうか、と無意識に時計を探すこともしばしばあった。
だが、近所の住人たちの話し声や訪問してくる時間、太陽の位置などを観察していると、何となくではあるが「そろそろお昼の時間かな?」「日が暮れそうだから帰ろう」と1日の活動時間を把握できるようになった。
長老の家を訪れるにあたって1つの問題が発生した。元の世界であれば、所要時間は30分程度、と分かる道のりも、こちらでは目安となる時間が分からないため、何時に家を出発すればいいのか判断しかねていた。
近所の住人の話では、日の出と共に出発すれば昼食の時間までに3往復はできるという。これは、何かのなぞなぞだろうか?
計算は苦手なのだが、仕方なく片道の所要時間を計算することにした。
この森の昼食時間は正午が一般的だ。日の出を6時とした場合、その間6時間となる。3往復できるなら、一往復で2時間。つまり片道1時間という計算だ。
片道1時間となれば、かなりの距離である。午後には依頼主が来るため、長老が昼食の準備をし始める頃を目安に帰宅すれば、午後からの仕事に差し支えることもないだろう。
ただ1つ心配なのは、隣人たちが歩く速度が不明確であること。マヤの歩く速度で目的地まで片道1時間で着くのかが謎である。
そんな心配もあってか、マヤは苦手な早起きをして日の出と共に家を出発することにしたのだ。たとえ、早く長老の家に着いたとしても、近くで休憩すれば問題ない、と考えた。
森の中は木が密集しており、日の出後も薄暗さは変わらない。
日中でも夕暮れの森を歩いているような感覚だが、首元の翡翠が足元の先を照らしてくれるため、足元が見えず何かに躓く心配はない。
どれくらい歩いただろうか、体感として30分は歩いたのではないかと思う。恐らく中間地点は過ぎただろう。
マヤの額には汗が滲んでいる。足取りは重く、疲労の予兆が見える。
「……これはさすがに、堪えるわね……。ウォーキングでも始めた方がいいのかも……」、己の体力のなさに最もらしい指摘を呟くと、少し開けた場所に出た。
ここなら道を通る人の邪魔にならず休憩を取れそうだ、と辺りを見回して腰を下ろせそうな場所を探した。だが、よく見ると少し離れた場所に先客を見つけた。
見えるのは後ろ姿だけで誰なのかは分からないが、一心不乱に剣の素振りをしている。
こんな早朝から稽古とは熱心な人もいるものだ、と感心しつつ、稽古の邪魔にならないよう端に寄って通り過ぎることにした。
素振りをする人物から数メートルほどの距離まで近づいた。マヤの気配にも気付かないほど熱心に剣を振り下ろすのはどんな人なのか、と興味をくすぐられた。
素振りをする人物の横顔が見える位置にさしかかった時、その横顔に見覚えがあるような気がした。
足を止めずに歩みを進めていくと、素振りをする人物の輪郭が次第にはっきりしていく。どこかで見たことがあるような気がする。もう1度、その横顔をじっくり見る。
マヤの思い過ごしではなかった。その顔に見覚えがあると確信した時、思わずその人物の名前が口からこぼれた。
「……リビト?」
声をかけられた人物は声のする方へと視線を移動させた。自分の名を呼ぶのがマヤだと確認すると、いつもの不愛想な表情のまま抑揚のないトーンで言葉を返してきた。
「……マヤか……ここで何してる」
「わ、私は長老の家まで行くところ。そっちこそ、こんな朝早くから何してるのよ」
「見ての通り、剣の稽古だ」
リビトの愛想の悪さはいつも通りである。先日、海に連れて行ってくれた時はいつもと違う新しい一面をたくさん見れたようでうれしかった。それから、リビトの態度は少し軟化したように思っていたのだが。
「それは分かるけど、何でこんなところにいるのよ」
「……どこで稽古をしようが、俺の勝手だろう」
「そ、そうだけど……」
リビトの表情はいつになく硬い。思わず緊張感が走った。続く沈黙から逃れたくなり、マヤから会話を切り上げようとした時だった。
「じゃあ、先を急ぐから……」
「そっちこそ、長老の家に何しにいくつもりだ?」
「……そ、それは……ただ、ちょっと長老に聞きたいことがあるだけ……」
「聞きたいことって?」
「…………」
リビトはいつになく真剣な眼差しでマヤに問い詰めてくる。矢継ぎ早に飛び出す問いに、マヤは返す言葉が浮かばず、黙り続けていた。すると、一段と低いトーンの声が聞こえてきた。
「……俺に言えない話なのか?」
長老の家に行く理由を説明するには、先日マーモーに提案した話をしなければならない。
マヤはあの日マーモーから言われた一言が、今も脳裏を離れない。
――我が同胞の命が脅かされることになってもか?
その一言で、自分がいかに愚かな人間だと思い知らされた。
1度は夢見た理想の世界を諦めようとも考えたが、思いの外自分は諦めの悪い性格だったようだ。そう時間がかからず他に手はないかと模索し始めた。
だが、マーモーの言葉も重く受け止めている。マヤもこの森の住人たちを危険な目に遭わせたいとは思っていない。
自分がこれからどうすべきなのか、誰かから客観的なアドバイスが欲しい。そう思った時に浮かんだのが長老だった。
この森に長く住み、この世界のことを知っている長老の意見を聞きたいと思ったのだ。
リビトに素直に話せば、理解を得られるのだろうか? リビトが味方をしてくれたら、心強いだろう。だが、リビトの性格上、この森を危険にしかねない提案に、きっと怒るだろうことは容易に想像できた。
リビトに正直に話すべきか、マヤは考え倦ねていた。
マヤにとって同世代で気負わずに話ができる人はリビト以外にいない。そんな唯一の友を失うかもしれないと思うと、喉まで出かかる言葉を飲み込まずにはいられなかった。
だが、リビトはマヤの想定を超えた反応を見せた。
「俺も同行する」
「えっ?」
「お前が話したくないなら、俺も長老の家に付いて行く」
「は?」
驚きのあまり、気が抜けた返事が口から出た。
リビトは地面にある鞘を拾い上げて剣を収め、帰り支度を始めていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 何でリビトが私の用事に付いてくるのよ」
「お前が何も言わないからだ」
「そんなの、リビトには関係ないじゃない」
「本当に、俺には関係ないのか?」
「……それは……」
「もう決めた。諦めろ」
「そんな……」
マヤの抵抗も空しく、リビトは長老の家に行く、の1点張りだ。長老の家に行けばリビトに全てを知られてしまう。
リビトに隠し通そうと考えていたが、リビトも同行するとなると話は変わってくる。長老との話を聞かれてリビトに変な誤解を与えるくらいなら、今自分の口から話した方がいいかもしれない。
マヤは覚悟を決めてリビトに話を切り出すことにした。
「リビト。実は私、マグスと人間が仲良く暮らせる世界を作りたいと考えているの」
「…………」
出発の準備をするリビトの手がぴたりと止まった。だが、リビトはマヤに背を向けたままで、こちらを見ようとはしない。まるで次の言葉を待っているようだった。
マヤは沈黙に胃がキュッとする感じを覚えたが、一先ず話を止める素振りは見られないため、話を続けることにした。
「数日前に、マーモーにこの話をしてみたの。昔はマグスも人間も仲良く暮らしていた時があったと聞いたから。
でもマーモーに言われて初めて、自分が楽観的に考えすぎていたと気付いたの。私の思い付きで、皆を危険に晒してしまうところだった。
マーモーから言われるまで気付かないなんて、本当にバカだよね……」
「…………」
「でもね、やっぱり諦めたくないの。もちろん、皆のことも守りたい。だから、この森を、この世界を長く生きている長老から助言をもらえないかと思って……。
皆の安全を守りながら、理想の世界を作る、そんな両方を叶えられる方法を見つけたいの」
「……」
リビトはマヤが話し終わると、背を向けたまま止めた手を動かし、帰り支度を続けた。
リビトもやはり、自分に愛想を尽かしてしまったのだろうか、リビトから怒鳴られるかと思っていたから、妙に静かすぎるとかえって怖さが増すなぁ、と思った時だった。
リビトは地面に広げた荷物を朝の袋にしまい込み、紐で口を絞った袋を肩に担ぐと、マヤの方を振り向いた。リビトの顔を見れずに俯いていると。
「長老のとこに行くのだろう? この後の予定はどうなっているんだ?」
「えっ? えっと、午後から依頼が2件入ってるからお昼前には長老の家を出発するつもり、なんだけど……」
リビトがいつもの口調で話しかけてきたため、俯いた顔をリビトに向けた。すると空を仰ぎ、何かを考えているようだった。少しの間空を見てからマヤの方に向き直ると、口を開いた。
「それなら急いだ方がいい。長老は昼前にボスと会う約束をしていたから」
「うん、分かった。……その……リビトは私の話を聞いてどう思った? やっぱり、無理だと思う? それとも私に、失望した?」
「……」
リビトは無言のままマヤの目をじっと見つめる。マヤを見つめる瞳は揺らぎのない真っ直ぐなものだった。そして穏やかな口調で話し始めた。
「俺は賛成も反対もしない。お前が決めたことなら、思う通りにやってみればいいと思ってる」
「リビト……!」
マヤの瞳から大粒の涙がポロポロと頬を伝っていく。
そんなマヤを見て、リビトの表情が大きく崩れた。慌てふためいた声をかけてきた。
「おい、何で泣くんだよ。俺は別にお前を責めたりしてないぞ。ただ、お前の意見を尊重したいと思って言っただけだ。だから、もう泣くな……」
リビトはぶっきらぼうな言い方だったが、自分を慰めようとしていることだけは分かった。そんなリビトのやさしさに触れて、視界は大粒の涙で見えなくなっていった。
「……参ったな……」
リビトは泣き止まないマヤに困惑している。ポケットに手を突っ込んで何かを探しているようだが、結局見当たらなかったのか諦めてマヤの目の前まで近づいてきた。
リビトは袖の端を指で引っ張るように摘まむと、マヤの目元に自分の袖を押し付け、涙を拭いた。
拭いても拭いてもマヤの涙は止まらない。リビトは涙を拭くのを諦め、マヤが泣き止むのを静かに待つことにした。
マヤはようやく泣き止むと、リビトにお礼を告げ、「長老の家まで一緒に行ってほしい」と誘った。
リビトは「当然だ」と言わんばかりの表情で答えたのだった。
暫く歩き続けた後、ようやく森の最奥にある長老の家に辿り着いた。首元の翡翠はパカパカと何度か点滅し、光がすぅっと内部へ引き込まれるように消えていった。
「長老の家はここね」
マヤたちの目の前には樹齢数千年を優に超えるだろう大木がそびえている。木の根元をよく見ると、扉のようなものが見えた。
扉に近づき、じっと観察しているとベルが吊るされていることに気付いた。ベルの紐を揺らして鳴らすと、どこからか声が聞こえてきた。
「おぉ、マヤ殿か。よくぞおいでくださった。おや、リビトも一緒だったのか。さぁ、2人とも入りなさい」
「長老さんですか? お邪魔します」
長老の姿はどこにも見当たらないが、中に入る許可を得たので遠慮なく扉を開けて中に入ることにした。
大木の中に入ると扉は2人の後ろでパタリと閉じた。そこは石造りの城の内部のような空間が広がっていた。壁に備え付けられているランプの明かりは、日の光が全く入らない大木の内部も昼間のように明るく照らしている。
目の前には部屋らしき空間は見当たらず、奥に地下へと続く階段と上階へ上る階段があった。とても木の中にいるとは思えない見事な造りだ、と感心した。
マヤがどちらへ行くべきかと迷っていると、再び長老の声が聞こえてきて「上へ進みなさい」という指示があった。
上下に続く階段はどちらも螺旋状に伸びていて、どこまで続いているのか分からない。
階段の先は真っ暗だったが、マヤが階段の1段目に足をかけた瞬間、近くの壁にはめ込まれたランプが点灯した。数段登るとすぐ上のランプが点灯し、下を振り返るとすぐ下のランプが消えていた。実に効率的で面白い仕組みだ。
「このランプ凄いね! どんな仕組みなんだろう?」
「全て長老の魔法だよ」
「そうなの? 長老さんって凄い魔法使いなのね!」
「別に、これくらい普通だろ」
「リビトもできるの?」
「当たり前だ」
「本当に?」
「何だその疑いの目は? 俺にできないとでも思ってるのか?」
「さぁね」
「今度見せてやる! オレの実力をな」
「へぇ、じゃあ楽しみにしてるね」
「お前、疑っているだろう?」
リビトはマヤの横を通り過ぎてずんずんと階段を上っていく。後ろを振り返っては私の方を見て言葉を返してくる。マヤはここへ向かう途中でリビトに洗いざらい考えていることを話したせいか、すっきりとした気分だった。
2人がいつものように痴話喧嘩を始めた頃、エントランスと同じくランプで照らされた小さな空間に辿り着いた。そこには色の違う3つの扉があり、扉の前に立つと長老の声が再び聞こえてきて、開ける扉を教えてくれる。
指定された色の扉を開くと、そこに広がっていたのは十数人が入ってもゆったりと過ごせる大広間が広がっていた。
そこにも長老の姿はなく、「奥にある階段を登りなさい」との次の指示が下る。
指示通りに進んでいるが、なかなか長老のいる場所に辿り着かない。マヤはまるで謎解きの世界に迷い込んだ気分になる。緊張はなく、胸の内は躍っている。
「何だかワクワクするね!」
「ちっとも」
リビトに話しかけるも、いつものぶっきらぼうな答えが返ってくるが、気にはならなかった。
大広間の奥にある螺旋階段は木造だが、体重をかけてもみしりとも音がしないほどガッチリとした造りだった。
階段を登り終えると、目の前に大広間の半分ほどの空間が広がっていた。その奥にはこの大木の城主である長老が一人掛けのソファに座っていた。
その部屋には一人掛けのソファの他に、部屋の左右に三人掛けのソファが2脚ずつ壁沿いに並べられている。壁は無垢の板が張り付けられていて、ログハウスの中にでもいるような気分になる。
マヤたちに気付いた長老はソファに座ったまま、マヤたちの訪問を歓迎する言葉をかけてきた。
「マヤ殿、遠くまでよく足を運んでくださった。お疲れであろう。さぁさぁ、こちらへ座りなされ。リビトはこちらへ」
「はい。長老様、本日はお招きいただきまして、ありがとうございます」
マヤは長老に丁寧に挨拶をして、長老に勧められたソファに腰を下ろした。マヤの席はちょうど長老の右手側に位置する。
リビトは「俺は立会人として来ただけです」と一言言うと、マヤと向かい合わせで長老の左手側の席に座った。
「さぁ、喉が渇いただろう。冷やした紅茶でも飲みなさい」
長老はアイスティーを勧めてきたが、この部屋を見た時にはソファだけでテーブルもティーセットすらも置かれていなかったはずだ。
マヤが視線を正面に戻した時、目の前には小さな丸テーブルがあり、その上にはアイスティーが注がれたガラス製のグラスが置かれていた。
「さっきまで目の前に何もなかったのに。もしかして、これも長老の魔法ですか?」
「あぁ、そうじゃ。最近は何事も面倒になってしまってな、ついつい魔法に頼り切りになってしまうことが多くなった。つくづく年を取ったのだと思い知らされる」
長老はしみじみと自分が老いを感じていると話し出した。
マヤはこの話は長くなるのだろうかと心配になった時、向かいに座るリビトが助け舟を出してくれた。
「長老、マヤは昼前にここを発たなければならないんだ。前置きはなしで頼みます」
「おぉ、そうじゃったわい。すまないね、マヤ殿」
「いえ! お気になさらずに」
「マヤ殿、今日の用件は何かな? こんな老いぼれでも良ければ話を聞きますぞ」




