1.マグスの王
理由も分からず異世界に飛ばされてしまった物石茉耶――マヤ――。
初めて見た光景は美しい自然でもなく、異世界転生ものでは定番のイケメン王子様が現れるのでもなく、青い肌を持つ大男だった。
最初こそ絶体絶命の危機だと思っていたが、今思い返すととんだ笑い話である。
なぜか分からないが、マヤにはマグスとコミュニケーションを取れる能力が備わっていた。
マグスというのは魔物を総称する言葉で、人種があるようにマグスにもさまざまな種族が存在する。ファンタジーものに不可欠なキャラクターとして描かれることの多い妖精や小人、動物の姿をした獣族の他、人間とマグスのハイブリッドのような種族もいる。
マグスの中でもマーモーのように青い肌と大柄な体躯の種族は一線を画す存在のようだ。マーモーは所謂「魔王」と呼ばれる高貴な血筋の者であった。
マグスの中には人間の言葉を話せる者もいるが、大半は人間と意思疎通を図れない。マヤはこの森で暮らし始めてから、日常会話はもちろんのこと彼らの心の奥深くを読み取れる能力があることに気付いたのだ。その能力を活かして、今は彼らの悩み相談や問題解決に役立てている。
相談内容は生活の利便性を高める相談事もあれば、恋の悩みやアイデア出しまで幅広い。マヤは元いた世界での経験や知識を生かし、この森に暮らすマグスたちの良き相談相手になっているのだ。
異世界転生ものでは、魔物といえば人間の世界を滅ぼそうとする悪の存在で、殲滅すべき敵と描かれることが多い。
しかし、彼らと数カ月間一緒に暮らしたマヤは異議を唱えたい気持ちで一杯になっていた。彼らと一緒に過ごした時間は僅かかもしれないが、彼らは温厚で良心的だ。自分の方が見習うべきことが多いと日々感じていた。
マヤを温かく迎え入れてくれた青い肌のマグスの王――スノボマーモー――は見た目こそ厳ついが、やさしく人望に厚い。マヤは名前が長くて言いづらいからと、親しみを込めて「マーモー」と呼んでいる。畏れ多いマグスの王を愛称で呼ぶのはマヤくらいだろう。
とはいえ、マグスの王は恐怖心を煽ったり脅迫したりして皆を操っている訳ではない。それどころか多くの者たちから慕われている。妻や子どもを大切にし、共に暮らす者たちも家族として受け入れ、困った時は必ず手を差し伸べている。
先日は異種族同士の夫婦喧嘩の仲裁に入ったと隣人から聞いた。マグスの王が夫婦喧嘩の仲裁だなんて、未だかつてそんな人のいいマグスがいただろうか、とマヤは思う。
マグスはこちらの世界でも人間の敵と認識されているようだ。外見にこそ違いはあるが、中身はマグスも人間も大きな違いはない。マグスもまた人間と同じように愛する家族と暮らし、平和であることを願っているのだ。
彼らが深い森の中で息を潜めるように暮らしているのは、生きているという理由だけで討伐の対象にされてしまうのだ。
この森で暮らすようになってから、しばしば「他の森でまた同胞が亡くなった」という噂を幾度も耳にした。その度に、人間はなぜ無辜の命を平気で奪うことができるのだろう、とマヤは心を痛めていた。
同時に、平和主義的な人は大勢いると思うが、なぜ異なる種族というだけで対立してしまうのだろうか、と結論が出ないことを考えるようにもなっていた。
ある日も同じように悲しい噂がマヤの耳に入り、取り留めのない疑問の答えを思案していた。
ふと視線を感じて横を見ると、いつの間にかマーモーが隣に座り、こちらを心配そうにじっと見つめている。
「眉間にシワが寄っているぞ。小難しい顔をして何を考えていたのだ?」
「マーモー、丁度良いところに来てくれたわ。聞きたいことがあるの。気を悪くしないでほしいのだけど……」
「俺が分かることなら答えよう。話してみろ」
「ありがとう……それなら単刀直入に質問するわね」
「あぁ」
「……その……、マグスと人間が仲良く暮らしていた時代はなかったのかな、と……」
マーモーの眉間に深い皺が浮かび上がった。
マヤはマーモーの表情から、自分の言葉で気分を害し、激怒するのでは、と一瞬焦った。だが、次の瞬間マーモーは悲しそうな表情になった。
「マーモー……ごめんなさい……こんな話をして……」
「いや、すまない。昔のことを思い出していたのだ。随分昔のことだ……」
マーモーは澄み切った青空を仰ぎ、暫くの間、遠くを眺め、視線を戻した。
いつになく真剣な表情のマーモーに、マヤは固唾を飲んで待つ。
そして、マーモーは深い溜息を1度吐いてから静かに語り出した。
「今から随分昔のことだ。まだ俺がリビアと出会う前、私の先祖がこの世界の全てを統制していた。種族の垣根もなく皆、平和に暮らしていた。
マグスの数は圧倒的に多く、人間の数は僅かだった。魔力もなく臆病だったため、身を隠してひっそりと暮らす者が多かったが……。だが、マグスと人間は手を取り合い暮らしていたのだ」
「……マグスと人間が一緒に……」
マーモーは言葉を区切ってマヤの言葉を聞いていたが、特に反応することはなかった。だが、それとなく言葉を選びながら話をしているのがマヤにも分かった。
「だが、数世代後に彼らだけで集落を作るようになり、急激に人数が増えていった。次第に反抗的な者が現れるようになり、群衆を味方につけて我等に敵意を向けてくるようになったのだ。
それからはマグスと人間の争いは尽きなかった……。多くの同胞たちが無残にも目の前で……散っていった……」
「…………」
人間というのは愚かな生き物だと、つくづく思う。元の世界でも人間同士の醜い争いを見てきたマヤだからこそ、そう思えた。人間同士で争うのだから、当然、こちらの世界でも同じことが起こるのは当然だろう。
マーモーが言ったように、人間は脆く、臆病だ。恐怖心の塊でできていると言っても過言ではない。己の弱さや醜さから目を逸らすために、他人を疑い、傷付け、陥れることすらあるのだから……。
そんな社会に嫌気が差したから、茉弥は傷付いた心を癒してくれた動物に恩返しするつもりで、アニマルコミュニケーターという仕事に就いたのだ。この森での暮らし初めて僅か数カ月程度だが、すでに遠い昔の記憶のように感じる。
沈黙するマヤを心配したのか、マーモーは大きな体躯を曲げてマヤの顔を覗き込んでいる姿がマヤの視界に入った。そして、再び正面を向くと、マヤに詫びの言葉を告げた。
「悪かった。こんな話、お前に話すべきではなかったな……」
今隣で地面に座っているのは、かつてこの世界を統制する者として頂点に君臨していたマグスの王だ。その王が愚かな種族である人間の自分に詫びをしている。彼らの心の清らかさに深く感心するばかりだ。
マヤが一言も発しないせいか、マーモーが隣でソワソワしているのが目に入った。その姿がなぜかおかしくて、マヤは不謹慎にも笑ってしまった。
「うふふふ……ごめんなさい……つい……うふふふ」
マーモーは小さく笑う少女の表情が明るくなったからか、ホッとした表情をしていた。そして、マヤも率直な思いを告げた。
「私が知りたくて聞いたのだから、謝らないで。……それに辛い話を教えてくれてありがとう。人間がしてきたことは間違っていると思うし、正すべきだと思う。それに希望はあると確信できたから……」
マーモーの目は大きく見開いており、明らかに動揺している様が見て取れた。眉間にはさらに深い皺が浮かんでいる。
「マヤ、希望とは一体何を考えているのだ?」
マーモーは全く意味が分からないとでも言いたげな表情だ。
「だってマグスと人間は昔、共生していたのよね?」
「あぁ、だがそれはもう遥か昔の話だ」
「うん、もちろん分かってる。マグスと人間は反目し合っているけど、本質は変わらないはずよね? だから、誰かが仲裁に入れば対立せずにまた昔のように皆が仲良く暮らせるかもしれない……」
マーモーはマヤの言葉を静かに聞いていた。怒りもせず、否定もせずに。マヤは、その表情からマーモーが今何を考えているのかを知ることができなかった。
マヤの特殊な能力を持ってすればマーモーが今心の奥で何を感じ、何を思っているのかは手に取るように分かる。だが、それはしないと決めている。
能力を使うと体力が激しく消耗するという理由もあるが、何よりも相手の了解なく心の中を覗くのは倫理に反すると考えているからだ。
マヤの相手の心を読む力はオンオフが可能で、能力を発揮するには精神統一のような静けさと集中力が求められる。必要に迫られなければ能力を使う必要はない。今もそのタイミングではないと思っていた。
沈黙していたマーモーが意外な言葉をマヤに問いかけた。
「マヤ、お前の言いたいことは分かるが、具体的な策でもあるのか?」
マーモーはマヤの意見を否定も肯定もせず、いつものように客観的な視点で意見を言う。これこそがマーモーに最大の信頼を置いている理由だ。
彼はマグスの王でありながら驕ることも、相手を見下すこともない。誰に対しても公正に、誠実であろうとする姿勢が言葉や行動に滲み出ている。だからこそマヤはこんな大それた提案を彼にしてみようと思えたのだ。
「私がその仲裁役になれればと考えていたの。私はマグスの皆とも仲良く暮らしているし、人間との仲を取り持つことができる唯一の存在だと思う。
もちろん私なんかにそんな大それたことができるのかは分からないんだけど……。でも、私がこの世界に来たのはこの為なんじゃないかって思うの!」
「…………」
マーモーは黙り続けている。
マヤは、マーモーがマグスと人間の仲裁をするのは無理だと思っているのではないか、というネガティブな思考に捉われ始めていた。
実際、マヤ自身も実行に移すには、到底自分だけの力ではどうにもできないと分かっているからだ。当然、仲裁をするには彼らの協力が不可欠だ。
マーモーはこの世界の均衡は崩れてしまった、それぞれの種族は世界中に散ってしまった、と言っていたが、それでもマーモーはマグスの王であることに変わりはなかった。この森に暮らすマグスたちだけでなく、遠い森から訪れる他のマグスたちからも尊敬と厚い信頼を得ていることを、マヤはすでに知っていた。
マーモーが反対すれば、誰1人としてマグスは自分に協力してくれないだろう。そうなればマヤが夢見る理想の世界はただの妄想に終わってしまう。
すると突然マーモーは草の上を転がるように、地面にその大きな体躯を預けた。その大きな瞳には風で流れる雲が映り込んでいた。心なしかその表情は穏やかなようにも感じる。
「マヤ、それは実現できるのだろうか?」
マーモーは、マヤの提案に対して疑問を呈するというよりも、実行可能なことなのかを見定めているような言い方に聞こえた。
「俺は長く生きてきた。マグスの寿命は人間よりも遥かに長い。確かに、マグスと人間が共に手を取り合って暮らしていた時もあった。
だが、人間たちは変わってしまった……この世界の全てが己のものだと勘違いしている。マヤ、……この世界は誰のものでもない……。川も山も木々も、この石ころ一つとして誰も所有することはできないのだよ。それがこの世界の定めなのだ」
マーモーは穏やかな口調で、諭すよう丁寧に言葉を紡いでいく。
「そういえば、アイツもお前と同じことを言っていたことがある……」
「アイツ? アイツさんは、何て?」
「アイツはいつも言っていた。『マグスと人間が仲良く暮らせたらいいのに。きっと話せば分かるはずだ』と」
「……!」
マヤはこの世界に飛ばされて初めてマーモーと出会った時に、恐怖でパニックになっていて苦し紛れに『きっと話せば分かり合えると思うの!』と、口走っていたことを思い出した。
マヤは自分がアイツと同じことを言ったから、自分はマーモーに受け入れられたのだと今になって合点がいった。もちろん、マーモーは端からマヤの命を奪おうとは考えていなかったのだが。
アイツというのは、マヤと同じく別の世界からこっちの世界へ飛ばされた人のことだ。どうやら、アイツというのが名前らしい。
マヤが今住んでいる仮住まいはアイツが暮らしていた家だとマーモーから聞いている。アイツの情報を詳しく知りたいが、マーモーはアイツのことを話したがらない。
以前1度だけマーモーに質問をしたが、あまりにも悲しそうな表情をするのでそれ以降聞く気になれなかったのだ。
森で暮らすマグスたちから情報を得ようとも思ったが、彼らはマーモーの魔法でマグスの姿に変身したアイツしか知らないため、人間としてのアイツの情報を調べることはできなかった。こればっかりはマーモーから話してくれるのを待つしかない、と諦めていたところだった。
マヤは、マーモーが自分から「アイツ」の話を出したことに、期待が膨らんだ。アイツがマヤと同じことを考えていたのなら、マーモーもマヤの提案に協力してくれるかもしれない、と。
マヤの期待心が膨らむのをよそに、マーモーは話を続ける。
「マヤ、お前は本当にマグスと人間が再び手を取り合って暮らしていけると思うか?」
「できる! って自信持っていいたいところだけど、正直なところ、このままでは難しいとは思う。でも、行動しなければ何も変わらないでしょ。小さな一歩かもしれないけれど、踏み出せば何かが変わるかもしれない」
「……それは、我等同胞の命が脅かされることになってもか?」
「……それ、は……」
マヤはマーモーの反応から見て、案外手応えがありそうだ、と楽観視していた。だが、マーモーの鋭くも刺すような言葉がマヤを現実に引きずり出した。頭の中は真っ白。何も言葉が出るはずもなかった。
「俺も昔のようにマグスと人間が対等に共生できる世界になったら良いとは思う。
だが、俺はマグスの王として同胞たちを守る責任がある。思いつきだけで同胞たちの命を脅かす訳にはいかぬ。お前は我等を人間たちからどうやって守るつもりでいるのだ?」
「…………」
マヤはマーモーの問いかけに何も答えられなかった。
マヤはただ、マグスと人間が仲良く暮らせたらいいのに、と考えを述べただけだ。そんな理想の世界にするまでにどんな問題やリスクがあるのかなんて、考えもしなかったのだ。
マーモーに言われて初めて、自分の思いつきが隣人たちの命を脅かす危険があったのだと今になって気付いた、いや気付かされた。
改めて、自分がいかに浅はかで自分勝手な考えをし、自分がまるで救世主であるかのようにいたことを恥ずかしく思ったのだった。
落ち込む様子を見かねたのか、マーモーはマヤにやさしい声色で声をかける。
「今日はここまでとしよう。お前も家に帰って休むといい」
「……うん……」
マーモーは深い森の奥へと消えて行った。
近くで聞こえる川のせせらぎの音はいつもと違って、どこか冷たく重々しい音のように聞こえ、まるで自分を責め立てているように感じた。
実際は川の水がただそこに流れている音にすぎないのだが、自己嫌悪に陥っているマヤには森が悲しんでいるように感じたのだった。




