25.紅茶と甘味
マヤは今日も朝から森の図書館で気になる本を読んでいる。いつもと違うのは図書館の中でマヤを待っていた妖精が見知らぬ顔であったことだった。
昨日までは寡黙な少年の妖精がマヤの給仕を担当していたが、今日いたのは少女の妖精だった。
彼女は給仕係の1人で、自分のことをサーティスと呼んでほしいと自己紹介してくれた。自己紹介を受け、自分も簡単に挨拶する。
少年の妖精が風邪でも引いたのだろうかと心配になり、その少女に話を聞くと、どうやら彼は以前から希望していた護衛部隊に配属されたとのことだった。
そういえば、昨日までいた彼の名前を聞いていなかったことに今頃気付いた。
僅かな時間だったが、彼はマヤが図書館で過ごしやすいようにいろいろと気を回してくれていた。彼に感謝の気持ちを伝えられれば良かったのにと思う。
だが、希望の配属先になったのなら本人も当然喜んでいるだろう。最後に挨拶できなかったのは残念だが、またどこかで会うことがあれば感謝を伝えようと思い、それ以上彼について聞くことは止めておいた。
図書館1階の中央にあるいつもの席につくと、サーティスが香り高い紅茶をすぐに入れてくれた。ティーカップはガラス製で、側面と底には草花のイラストがやさしいタッチで描かれている。
ティーカップを口元に持っていくと、柑橘系の爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。思わず口元が綻んだ。
すかさず、サーティスは控えめに笑んで、紅茶の産地や特徴を説明してくれた。
「こちらの紅茶はファルサス南東部にある『フォリアの森』で収穫された茶葉を発酵したものです。仕上げに乾燥させた果実の皮と合わせることで、後味が爽やかな風味となっています」
「果実の皮が入っているから、爽やかな香りと味がするんですね。この紅茶、とても美味しいです」
マヤが率直な感想を伝えると、サーティスの表情は戸惑いが見られたが、すぐに柔らかな表情に変わった。
続けて「他にもおすすめの紅茶があれば飲みたい」と伝えると、彼女の表情はパァっと明るくなる。
「承知いたしました! マヤ様に味わっていただきたい紅茶がたくさんございますので、お茶の時間には他の紅茶をご用意いたしますね! あの、マヤ様はどのような甘味がお好きでいらっしゃいますか?」
「甘いものはどれも好きですが、しいて言うなら焼き菓子でしょうか。乾燥した果実がたっぷり入っているとうれしいです!」
「承知いたしました! では午後のティータイムには紅茶と合う焼き菓子をご用意させていただきます」
「本当ですか? うれしいです!」
暫くの間、サーティスと紅茶やお菓子の話で盛り上がった。話に区切りがついたところで、サーティスはポケットから1枚の紙を出して広げ、テーブルの上にそっと置いた。
「マヤ様、うっかりしておりました。ジオウ殿下からこちらをマヤ様に渡すよう申し付けられておりました」
「ジオウ様から?」
「はい、ジオウ殿下から『明日から講義を始めることをお伝えするように』との言伝を承っております」
サーティスの説明を聞き、マヤは視線を目の前のテーブルに向けた。テーブルには1枚の紙が置かれている。
紙を手に取ると、表面は滑らかで上質な紙だと分かる。その紙には黒インクのペンで書かれたであろう美しい文字が並んでいた。
誰が書いた字なのだろうと考えていると、意思が通じたように絶妙なタイミングでサーティスが「ジオウ殿下が自らお書きになられました」と答えた。
ジオウが自分で書いたとは驚いた。さすが王子である。王子はこんなにも美しい字を書けるのだろうか。
自分が知っている男性が書く文字は大きくて力強く、荒々しさがあった。元の世界で出会った同級生や同僚、上司の多くは荒々しい文字だったと記憶している。
中には文字が雑過ぎて何度も確認しにいくと嫌がられたものだ。自分の字の汚さを棚に上げて、こちらを非難してきた男もいた。
ついつい思い出したくもない記憶を呼び覚ましてしまった。思い浮かんだ記憶を頭の中から消し去るように思考を手放す。そして、目の前の紙と対峙した。
紙の最上部には太字で『マヤとジオウ先生の時間割』と書かれていた。
自分のことを「先生」と書くところが、なぜかジオウらしいとも思う。
その下にはジオウの早朝鍛錬や次期王になるための座学レッスンなどが羅列されている。
・早朝:ジオウ 剣の鍛錬
・午前のティータイム後:ジオウ レッスン
・昼食後:ジオウ 執務
・午後のティータイム:中庭温室にてマヤ、ジオウ
・午後のティータイム後:図書館にてジオウ先生による講義
・夕食後:ジオウ 執務
なぜ時間割にジオウの予定が事細かに書かれているのだろうか。王子のスケジュールを把握しておけということだろうか。それに、王子がどこで何をしているのかを第三者の自分に知られてもセキュリティ的に問題ないのだろうか。
気になることは多々あったが、指摘せずに先を読み進めていく。どうやらジオウによる講義は午後のティータイム後となったらしい。
マヤは、セリンから誘いがあるときは中庭や温室で2人だけの女子会に参加しているが、それ以外は宿の自室か図書館で過ごしている。リビトも鍛錬や妖精王との訓練で忙しくゆっくり会えるのは夕食の時くらいだ。
他に特別な予定があるわけではないし、鍛錬や執務で多忙のジオウの予定に合わせて講義の時間が決められるのは当たり前のこと。
だが、なぜか午後のティータイムは中庭にある温室でお茶をするのが時間割に入っている。そこにはマヤとジオウの2人の名前だけで、リビトはもちろんセリンの名もない。
講義はティータイム後とあるが、ティータイムも何かしらマヤに教えてくれるつもりなのだろうか? 後で本人に確認してみるとして、次に時間割の下に書かれた講義で取り上げる内容に目を通す。
・ルーディス大陸の歴史
・種族の特徴、注意点
・ヴェルテックス王国の歴史、文化、習慣
・魔力について
・魔製具について
ルーディスはヴェルテックス王国やポルカ王国を含む大陸の呼名だ。この世界のマグスや人間はルーディスで生まれた。その歴史は人間の歴史とは比較できないほど長いという。
魔製具とは所謂、魔導具のことである。特殊な設計が施されており、魔素を溜めて道具を起動させると使用できるものだ。魔製具にはさまざまな種類があるらしい。
実際にどんなものがあるのか教えてもらえるのが楽しみだ。
紙の最下部には、「この他に知りたいことがあれば伝えられる範囲で教える」と書かれていた。
つまり、秘匿情報を除けば何でも教えるということを意味している。
マヤは、聞いてはいけない内容がどんなことなのか見当もつかないが、それは質問しながら追々確認していけばいいだろう、と考える。
それに、必要以上の知識や情報を知らされるのは責が重すぎる。
自分はこの世界を旅する上で最小限の知識や情報を得られればいいと思っているだけ。それ以上のトップシークレットなど知る必要も探る必要もないのだから。
マヤが一通り目を通し終わったと同時に、サーティスが口を開いた。
「マヤ様、こちらの時間割はあくまでも予定ということで、ジオウ殿下の執務状況によって変わることもあるとのことです」
「分かりました。お忙しいジオウ様のお時間を頂く上に、こちらがお願いする立場です。ジオウ様のご負担にならない程度にお願いできればと」
「承知いたしました。ジオウ殿下の従者へそのように伝えておきます」
「サーティスさん、ありがとうございます」
マヤがサーティスに感謝の言葉を伝えると、サーティスの表情が少し曇った気がして気になった。その表情から自分に何か言いづらいことを話そうとしている気がしたので、彼女の次の言葉を待つことにする。
「あの、マヤ様。マヤ様は王の客人でいらっしゃいますので、私共には敬語は必要ございません。名前も呼び捨てで構いません」
マヤは突然のことで驚いたが、自分こそ大した人間ではないため、特別扱いはしてもらわなくても良いと思っていた。
だが、彼女も妖精王に仕える身として、職務を果たそうと思ってのことだと考える。
「あっ、えっと。ごめんなさい。私はこの世界の礼儀とか分からなくて。その、教えて欲しいんですが、私の立場では王族以外の方と話す際に敬語だと無礼な態度として取られてしまうんでしょうか?」
「いえ! 無礼などとは、そんなことはございません。王の客人がこの森にご滞在中、担当の給仕や護衛は自分の従者として扱うことが許されております」
「そうなんですね。もしも私がサーティスさんに敬語を使い続けると、私やサーティスさんに罰のようなものがあるのでしょうか?」
「まさかっ! そんな掟やルールはございません! 私ども給仕係はお客様に無礼がないようお仕えするように指導されております」
「それなら、お互いに話しやすい話し方にしましょう! サーティスさんが敬語の方が話しやすいなら、その話し方で。私も話しやすい話し方で話すので。それでもいいでしょうか?」
「はい、もちろんです! マヤ様が話しやすい話し方をしていただければ」
「じゃあ、改めて。サーティスさん、これからよろしく!」
「はい、マヤ様。こちらこそよろしくお願いいたします」
いつものように昼食を図書館でとっていると、1人の従者がサーティスを呼んだ。
マヤが昼食中であるのに気付くと、一礼をしてサーティスと入口の方へ歩いて行った。サーティスはすぐにマヤのそばへ戻ってきた。
昼食を終えると、サーティスがすぐに膳を下げてくれる。代わりにテーブルの上に置かれたのは食後の紅茶である。紅茶といっても、目の前にあるのは紅茶よりも薄い色をしている。
湯気の立つティーカップに顔を近づけると、その茶は林檎のように甘い香りが漂う。紅茶にしては色が薄い、ハーブティーの一種だろうかと考えた時だった。
「マヤ様、こちらは『シャマエメロン』という薬草のお茶です。胃の調子を整えることから、食後に良いとされています」
「林檎のように甘い香りがする。とってもいい香りですね。食後にいいお茶なんて考えたこともなかった」
「薬草は数千種類あり、それぞれ異なる効能があると言われています」
「数千種類も? それぞれの効能を網羅できたら、病気になる心配はなさそうですね」
「えぇ、そうかもしれません。ですが、私の師は薬草の知識に長けておりますが、とても健康そうには見えませんので、必ずしも病気にならないとは言えないかもしれません」
サーティスは口元を手で隠しながら、ふふふと楽しそうに笑っている。マヤもサーティスの笑みに釣られるように小さく笑った。
「サーティスさんは薬草について学んでいるんですか?」
「はい、この森には世界中の薬草が栽培されていると言われています。稀少な薬草は温室で管理されています」
「温室? あぁ、この間セリンとお茶を飲んだ温室のことね」
「はい、この森には温室がいくつもあり、薬草の外、希少な植物も栽培されています。セリンプス王女とお茶をされた温室の一部にも薬草が育てられています。
ただ、中には毒を含むものもあるので、お手を触れないよう注意されますように」
「そんな危険な薬草もあるんですか?」
「はい、お客様の目に入りやすい場所に危険なものは置いていませんが、中には少量でも触れると痺れや気を失うこともございます。最悪、息が止まることもございますので、お気を付けください」
「そうなんですね。勝手に触らないように気を付けます」
その後もサーティスの話が楽しく、昼食後は本を手にすることなく、ずっと会話を楽しんでいた。
会話を楽しんでいると、先ほど来た従者が現れた。マヤと目が合い一礼をすると、サーティスが従者の方へと歩みを進めた。従者はサーティスに耳打ちをしてからすぐに図書館を後にした。
サーティスはマヤのそばに戻ると、従者から聞いたであろう内容を説明しだした。
「マヤ様、ジオウ殿下は会議が長引いており、本日の午後のティータイムは参加できないとのことです。ティータイム後の講義は時間通り行えるそうです」
「ジオウ様は本当にお忙しいのですね。講義をしてくださるとおっしゃられていましたが、ご自身のことを一番に考えてほしいです。講師の件はお断りした方がいいのかもしれ――」
「いえ! そのようなことは! ジオウ殿下もマヤ様の講師となられることを大変喜んでおられたので、マヤ様がお断りになることがあればがっかりなさるかと――」
「そう、なんですね。ご無理をしていなければ良いのですが……」
「はい、そこは大丈夫かと思います」
「そう、でしょうか?」
「はい! 断言できますので、ご心配なさらずに!」
マヤは自分としては午後のティータイム後の講義だけ時間を作ってくれればいいと思っていた。多忙な王子の午後の貴重な時間を自分1人に割いてくれるとは思いもしなかった。
実際に会議が長引いているほど、多忙極まる毎日を過ごしているのだと分かった。ジオウから願い出た形で講義を受けることになったが、無理に時間を作って欲しいとまでは思わない。
それで体調不良や執務に影響が出れば、元も子もない。こちらから断るのが礼儀だと思い、言った言葉だった。
だが、サーティスはジオウに伝えるどころか、断ればがっかりするとか、無理をしていないと断言できるとか言ってきた。なぜそこまで言い切れるのかが謎だ。
もしかしたら王子自ら約束してくれたことを受けた側から断りを入れるのは不敬に当たるのかもしれない。サーティスがそう言うなら、ここは一先ず引き下がることにしよう。
「そう、ですか。サーティスさんがそう言ってくれるなら大丈夫なんでしょうね」
「あっ、はい……」
サーティスとの間に妙な空気が流れ、2人とも黙り込んでしまった。空気を変えようとしたのか、サーティスが慌てたように口を開いた。
「あっ、では午後のティータイムはこちらで済まされますか? ご希望の場所があれば、そちらにご用意させていただきます」
「えぇ、そうですね。ここでお願いします」
「では、乾燥した果実がたっぷり入った焼き菓子をご用意いたしますね」
「はい! ぜひ、お願いしたいです!」
サーティスはティータイムの準備のため、図書館を後にした。マヤは午後のティータイムまで読み途中の本を開くことにした。
午後のティータイム。図書館1階の中央にあるテーブルの上には、サーティスおすすめの紅茶と、テーブルを占領するほど、たくさんの焼き菓子が並べられた。
手前にはマヤの要望通り、ドライフルーツたっぷりの焼き菓子が食べやすい大きさにスライスされていた。
隣の焼き菓子は、生地にたっぷりの茶葉が練り込まれている。こちらも食べやすい大きさにカットされている。
その奥には角切りのチーズが生地に練り込まれている焼き菓子やチョコレート生地の焼き菓子もあった。
どれも美味しそうだが、とても1人では食べきれない量だ。これは1人分なのだろうか、残したら処分されるのだろうか、と考えていると。
「マヤ様、お好きなものをお好きなだけお食べください。残ったものは給仕や従者に分け与えられるので、お気になさらずに」
「分かりました。じゃあ、遠慮なく頂きますね」
まず紅茶を一口啜ると、やや強い香りと共にしっかりとした渋味が感じられた。後味はすっきりしている。
サーティスの説明によると、標高の高い場所で栽培された茶葉から作られた紅茶であるらしい。
甘みのある焼き菓子を美味しく味わうには渋味の強い紅茶が合うとのこと。さっそく焼き菓子も一緒に味わってみようとテーブルに手を伸ばした。
最初にマヤが手に取ったのは手前の焼き菓子。ドライフルーツたっぷりで、マヤの好物である。
1口齧ると、レーズンやオレンジピールに似た食感と甘みが口の中に広がった。ほんのり洋酒が効いているのも大満足だった。
再び紅茶を一口啜ると、口内に広がった焼き菓子の甘みが紅茶の渋味でほど良く中和された。
紅茶の後に焼き菓子、そして紅茶を啜る。綻ぶ口元と共にその動作が繰り返される。
それぞれの焼き菓子を1切れずつ食べ終えたところで、もう1度ドライフルーツたっぷりの焼き菓子をお代わりした。
紅茶が無くなりそうになったところで、サーティスがすかさずお代わりの紅茶をティーカップに注ぎ入れてくれた。
食べる前にはこんなに食べ切れるかと思っていたが、結局パウンドケーキ1本分の焼き菓子をペロリと1人で平らげてしまっていた。
間食にしては食べ過ぎたと反省したが、サーティスの喜ぶ笑顔を見て、遠慮せずに食べて良かったと思ってしまった。
2杯目の紅茶を飲み終える頃、ウエスト回りがややきつく感じられた。
サーティスがティーカップと残った焼き菓子の皿を片付けるために図書館から出て行ったのを確認してから、背もたれに体を預けるように姿勢を崩した。
ワンピースのウエストを指で引っ張ってはきつくなったウエストを開放する。
こんなティータイムが毎日続けば、あっという間に出荷前の家畜のように丸々とした体型になってしまうだろう。再び姿勢を正し、明日からはお菓子の量を少なくしようと誓った。
だが、その誓いが守られるのはまだ先になると、この時のマヤは知る由もなかった。




