23.森の図書館
マヤはセリンの案内で、妖精の森にある図書館を訪れている。セリンは館内を簡単に案内してくれた後、マヤがじっくり本を読めるように気を遣って1人にしてくれた。
図書館は大きな木の根元にある木製の扉から入ることができた。大きな木ではあるものの、外からはどのような構造になっているのかさっぱり分からなかった。
大木の内部に入ると、異なる空間に足を踏み入れた感じがした。中はマヤが知っている図書館そのものの光景が広がっていたからだ。
壁だけでなく、せり立つ壁のように背の高い本棚が設置されている。図書館は吹き抜けになっていて上を見渡すだけで首が痛くなり、何階まであるのかを数えるのを途中で止めた。
壁際には螺旋階段があり、そこから上階に行けるようになっていた。1階の奥に進むと、丁度中央辺りに大きな木製のテーブルと椅子が置かれていて、調べものや情報をメモするのに便利そうだと思った。
セリンが図書館を出て行く際に「給仕の妖精を1人置いていくから、高い場所の本を取って欲しい時やお代わりの飲み物が欲しい時は声をかけて」と言われている。
給仕の妖精はマヤよりも背が低い少年だった。特にあちらから話しかけてくる様子はないようだ。
妖精王から図書館の出入りを許可してもらったが、見てはいけないものはないのかと気になった。妖精の秘密情報を誤って読んでしまったら大変失礼になるし、下手すると罰せられてしまうかもしれない。ここは事前に注意点を聞いておくべきだと考えた。マヤは給仕の妖精に視線を向けて、話しかけてみた。
「あの、1つお聞きしてもいいでしょうか?」
「はい、私でお答えできることは何でもお話いたします」
給仕の妖精は少年のような見た目をしているが、受け答えがすでに立派な成人のようだ。もしや自分よりも年上かもしれないと構える。
「えっと、この図書館で私が入ってはいけない場所や見てはいけない本があれば事前に教えていただきたいです」
「はっ?」
少年の妖精はマヤの言葉の真意を読みかねていた。マヤは少年の妖精の反応を見て、自分の言葉が誤解を招いているかもしれないと思い、改めて言い直すことにした。
「あの、そうではなくて! 私が誤って見てはいけない本を手に取ったり、入ってはいけないエリアに足を踏み入れたりしないように、この図書館を利用するにあたって注意点をお聞きしたくて!」
「……あぁ、そういうことですか。それでしたら御心配には及びません。この図書館に所蔵している本は王の許可を受けた者は全て閲覧できますので。それに秘匿すべき情報は王が保管する習わしですので、万が一にもマヤ様がおっしゃられたようなことは起こらないかと思います」
マヤは少年の妖精の言葉を聞いてホッとした。妖精王のご厚意で本を読ませていただく以上、この森での滞在中は失礼がないようにしなければ、と常々考えていた。
図書館内にトラブルの元になりそうなエリアや本がないのなら安心だ。少年の妖精にお礼をして、端からどのような本があるのかを確認していく。
1つの本棚には百科事典の大きさ、厚みのある本を縦に並べられる棚が7段ある。1段に数十冊の本が収納されており、一つひとつの棚にある本のタイトルを確認するだけでも時間がかかった。
マヤは元の世界でも図書館や本屋など多くの本がある場所がすきで、何より本に囲まれていることに心が落ち着いた。
もちろん、「本の虫」と言われるほど本が好きな人を前に、読書が趣味とは口が裂けても言えないが、本を読むことは幼い頃から好きだった。
幼い頃は絵本が好きで、文字が読めなくても柔らかなタッチの絵を見ているだけでも楽しめた。
漢字が読める頃には、父が若い頃に集めたという数十冊にも及ぶ本格的な百科事典を1人パラパラとページを捲っていたものだ。
全く意味が分からなかったが、この世の中のことが文字で説明されていると知り、百科事典の内容を網羅すれば立派な人になれるのではないか、と子ども心に思い込んでいた。実際は世の中そう甘いものではなかったのだが――。
森の図書館ではジャンル別に棚が設けられており、読みたいジャンルが決まっていれば該当する本を探しやすくなるよう工夫されている。ここは元の世界の図書館とも似ている。
ただマヤが不思議に思ったのは、背表紙の上下に埋め込まれている色の付いた石だった。棚を一つひとつ見ていく中でようやく石の存在に気付いた。本は棚ごとにジャンル別に分けられているし、その中でも著者の名前に分けて並べられていた。
ジャンルも著者名も並びで分かるようになっていたが、どの本の背表紙にも色の付いた石が埋め込まれていたため、きっと何か目印になっているのだろうと思った。
石の意味を少年の妖精に聞いてみようと思った時だった。その少年の妖精はマヤの隣、数歩下がった位置に立っていた。
「……! びっくりしたぁ……。足音に気付きませんでした」
「驚かせてしまい、大変申し訳ございません。給仕の者は足音を立てないのがマナーでして」
「えっ! でもさっきから歩いているじゃないですか?」
「歩いていると言えばそうなのですが、実際は宙に浮いているのです」
「宙に?」
「えぇ、私の足元をご覧ください」
「本当だっ! 少しだけ宙に浮いてる!」
「私ども給仕の者は客人を観察し、言葉をかけられる前に何をなさりたいのかを見極めるよう指導を受けております。今マヤ様を観察させていただいたところ、何か私に質問があるのではないかと思い、近くで待機しておりました」
「そうなんですね。妖精さんは優秀な方が多いんですね」
「……!」
少年の妖精はこれまで表情ひとつ変えなかったが、ここにきて初めて目を見開き驚いている表情をした。すぐに表情を整え直したが、コホンと咳払いをしてから口を開いた。
「――私など優秀な者のうちには入りません。私よりも優れた者は山のようにおります。私などまだまだです」
マヤは「そんなことはないですよ」という言葉が喉から出かけたが、言葉にはせず、微笑んでそれ以上話を広げないようにした。その方がどちらにとってもいいことだろうと。
このまま話を広げればきっと収拾がつかなくなると考えた。話題を変えるため、本の背表紙の上下にある色付きの石について質問することにした。
「色付き石は入手先が一目で分かるように埋め込んでいます。色付き石は全部で10種類以上あります」
「10種類以上も、ですか?」
「はい。例えば青い石ははじまりの森、黄色の石はプエリの森、緑の石は妖精の森です。赤い石は巨人族の森」
「巨人族ですか? この世界に巨人が存在するんですか?」
「いえ、巨人族はすでに絶滅しています……」
少年の妖精が微妙な表情をしたため、マヤは慌てて手近にあった本の背表紙を指差し、色付き石の説明を促した。
「こ、この紫色はどこですか?」
つまり、図書館に所蔵されている本の入手先と色付き石の種類は次の通りだ。
・青:はじまりの森(マグスの王族)
・黄色:プエリの森(小人族)
・緑:妖精の森(妖精族)
・赤:巨人族(絶滅種)
・黄緑:ベスティア族(獣族)
・紫:ドラコニスの森(ドラゴン族)
・ピンク:女神の森(デア族)
・白:エルフの森(デライヤダリス族)
・オレンジ:ヴェルテックス王国
・ネイビー:ポルカ王国
・水色:アクアベーナ王国
・黒:ラピス王国
・茶:パリウム王国
・グレー:精霊の森
・虹色:神話
・透明:不明
・黒:禁忌の魔術書
少年の妖精は色付き石に関する一通りの説明をし終えると、マヤをじっと見て口を開いた。
「マヤ様が危惧されているトラブルの元を避けるなら、黒の石と色のない石が付いている本を手にしないことですね」
「黒の石は確か、禁忌の魔術書……。色のない石が付いていない本もあるの?」
「ここにはございません。石の付いていない本は全て王が1冊残らず管理しておりますので」
「あぁ、なるほど……。どちらも私の興味の範囲ではないから問題はないと思うわ……」
「えぇ、私もそのように思います」
マヤは少年の妖精の目がやや鋭さを増したように感じたのは自分の気のせいだろうとそれ以上考えないことにした。
本棚を見ているのが途中だったことを思い出し、棚に視線を向けた。そういえば少年の妖精はまだそばにいるのだろうか、と気になり振り返るとマヤの視界に入る場所にはいなかった。
特に今は質問することもない。自分が振り返っても少年の妖精はそばに寄ってくる気配も感じられなかった。本当によく観察しているのだと感心しつつも、悪いことはできないな、と背筋がピンと伸びた。もちろん、悪さをするつもりは毛頭ないのだが。
セリンには「夕食は4人で食べるつもりだから、遅れずに来てね」と言われている。恐らく自分が本に夢中だとしても、あの優秀な給仕の妖精なら、早めに教えてくれるだろうと思う。自分でも気を付けてみるつもりだが、これほど多くの本を前に好奇心が勝ってしまうのは本好きの短所と言えるかもしれない。
すると、ふいに後から声をかけられた。
「マヤ様、お昼食はこちらにお持ちしますか? お部屋で召し上がりますか?」
「えっ! あぁ、えっと、ここで食べてもいいんですか?」
「もちろんでございます。すぐにご用意してきます」
「あの! 皆さんにご迷惑ではないでしょうか?」
「……」
この沈黙は何だろうか? 文句でも何でもいいから早く言葉にして欲しい。少年の妖精は少しの間考え、何か思い当たったのか、その言葉をようやく口に出してくれた。
「ジオウ様も、セリン様も、皆様お好きな場所で召し上がっていらっしゃいます。マヤ様は王の客人です。私共のことを気にかけてくださらなくてもよろしいかと」
「あぁ、そう、なのかな? そう、ね。そう、よね」
自分の中でも消化しきれていない言葉がふいに出る。これ以上へりくだるのも相手の仕事の邪魔になりそうだから、無理やりにでも納得しているような返事をすることにした。少年の妖精は何か言いたげだったが、何も言わずに図書館を出て行った。
「ふぅ~。客としてもてなされるのが慣れてないせいか、凄く疲れた。ひとまずテーブルに座って食事が来るのを待っていようかな。あっ、でもテーブルで待ち構えていたら、気を遣わせてしまうかな……」
椅子に座って待つのを諦め、テーブルのそばの棚の本を見ながら、少年の妖精が食事を運んできたところを見計らって椅子に座ればいいや、という結論に至った。
昼食を終え、本棚を一つひとつ確認していく作業をひたすら続ける。昼食後に少年の妖精にメモ用紙とペンを用意してもらい、後で目を通したい本の棚の位置とタイトルを記載していく。メモは、無駄に本棚を行き来する時間を省けると考えてのことだ。
マヤは時間を忘れ、手元のメモ用紙は本のタイトルで一杯になっている。朝のうちに来て、昼食を挟んで本棚を確認しているが、1階の3分の1も確認できていない。ここへ来て、自分が全ての本棚に目を通そうなど、欲張りにもほどがあると思ったその時。
「マヤ様、ヴェルテックス王国の建国前と建国後の歴史に関する本が必要でしたら、数冊見繕って持ってくることも可能ですが」
「えっ! あぁ、その手があった……。えっと、よろしくお願いします」
「では、あちらの椅子に座ってお待ちください」
少年の妖精は1階の奥へと消えて行った。戻ってきたのはそれから数分後のことだ。
「マヤ様、まずはこちらの2冊から読み始めると、他の本も読みやすくなるかと」
マヤは少年の妖精が持ってきてくれた本をパラパラと捲っていく。どちらも文字は適度に隙間があり、挿絵も入っていて実に分かりやすい本だった。
「ありがとう! 最初からお願いしていれば良かったわね」
マヤは肩の力が抜けたのか、微笑みながら隣に立つ妖精に言った。
妖精はマヤの笑顔に一瞬ドキッとしたが、表情を崩すことはなかった。その後もマヤが楽しそうな笑顔を浮かべながら本を読んでいる様子を少し離れたところで観察している。
マヤを見ていて体の奥が温かくなる感覚を覚えるのは初めてのことだった。いや実際には初めてではない。それはまるで今は亡き母に抱きしめられている時のような感覚だった。
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いつも無表情でいることが給仕の者として優れていると先輩から教わってきた。だが今は自分と同じく厳しい修行を積み重ねてきた友の顔が大きく崩れている姿に驚いていた。友は真面目という言葉通りの男だ。
自分の視界に入る友にいつもの面影はなく、目尻は下がり、口角は上がっている。顔を作り直す意思も感じられない。
自分は夕食の準備が始まったことを友へ伝えに図書館へ来たのだが、あろうことか自他共に厳しいはずの友が笑んでいる姿を目撃してしまった。
こっそりと近づいて注意すべきか、静かに見守り、頃合いを見て知らぬふりをして声をかけるべきなのか迷うところだ。
すると、友はようやく自分の表情が崩れていたことに気付いたようだ。今度はそんな自分に暫く気付いてすらいなかったことに驚いているようだった。頃合いだろう。そう思い、友の元へと近づいた。
気配に敏感な友はすぐにこちらの気配を感じ取り、自分が近づいた時にはすでに顔を出していた棚を背にするようにこちらに向き直って立っている。
「グラビス、夕食の準備が始まったぞ」
「――あぁ、分かった。本を片付けてから行く」
友は後を振り返り、声のトーンを一段下げて手短に話を切った。すでにこちらに背を向けており、もう話をする気はないようだ。
まぁ、客人をもてなす役を王から仰せつかったのだ。来客対応は久しぶりで少し緊張しているのかもしれない。それ以上深く考えぬようにし、図書館を後にした。




