15.勇者の裏の顔
プエリの森を出発し、いくつかの森で野宿してとある町に辿り着いたマヤとリビト。マテリアは冒険者の最大の宿場町と称されるヴェネートルと遜色のない大きな町だった。ヴェネートルと違うのは冒険者の姿は少なく、その代わり商人や旅人が多いことだ。
マテリアは頑丈な城壁が築かれており、中央には領地を治める城主の拠点マテリア城がある。城下町や市民の憩いの場である広場もあり、多くの人で賑わっていた。町を行き交う人の暮らしは、衣服に使われている布地の質の良さからも豊かであることが分かる。
マヤは数日前にはじまりの森を出たばかりで、この世界の豊かさの指標は持ち合わせていない。首都クレアシオン――マグスたちはファルサスと呼ぶ――にでも行けば、地方都市との比較ができただろうが、あいにく首都を訪れたことがない。当然マヤの指標となるのは元の世界で目にした異世界系アニメやラノベ小説の設定だ。
マヤが考えるに、地方都市となれば男女それなりに地味な格好をしているだろうと予想していた。だが、マテリアは首都に近いことと商人が頻繁に出入りすることもあり、庶民にしてはそこそこ質の高い服を着ている。
マヤは洋服に対して興味がないため詳しい分析はできない。だが、町娘たちは光沢のある生地にフリルやリボンなどで装飾した華やかなワンピースを着ている。
マヤの服選びの基準は、素材やデザインなどのおしゃれかどうかではない。重要なのは気候に応じた温かさや涼しさ、動きやすさが備わっているかどうかなのである。着心地がいい服なら何でも構わないというのがマヤの考えだった。
若い娘なのに地味な服ばかり着ているマヤを哀れに思ったのかは分からないが、はじまりの森で暮らし始めて間もない頃、マヤが両手に抱えきれないほどのワンピースや室内着などを手渡されたことがあった。
リビアから「今が一番おしゃれを楽しめる時期なのよ」と説得され、マヤは渋々着慣れないワンピースを着ることになったのだった。
それに旅では防犯上、少年の格好をしているため、女性らしい服装をする機会はほとんどない。マテリアに着いて、可愛いワンピースやドレスを着こなす少女たちに目を奪われたが、ウエストが極端に細く、ドレスの下はコルセットできつく締め付けられるのだと思い、同情したくなった。
カフェから出てきた娘たちが視界に入り、観察しているとそのうちの1人が後ろ髪を引かれるように店内へ視線を向けていた。きっと食べたいものを食べることも許されず耐えていたのだろう。
リビトは馬車を馬小屋の見張りに預け、チップを手渡す。マヤはリビトの後を着いて行き、すぐ隣の建物に入る。
「マヤ、ここで待ってろよ」
マヤはコクリと頷き、案内所の入口を入った所で大人しく待っている。リビトはカウンターで待つおじいさんに話しかけている。ヴェネートルの時よりも長く話し込んでいるようだ。おじいさんの表情が険しくなったかと思うと、急に大笑いする声がマヤの元まで聞こえてきた。
案内所にはマヤとリビトの他に数人おり、彼らの視線はおじいさんへと集まった。おじいさんの笑い声と共に会話が途切れたようで、彼らはすぐに手元の書類に視線を戻している。
マヤは手持ち無沙汰で視線を外へ向けた。そこには忙しそうに何台もの馬車が行き交う。荷物を運び入れる馬車があれば、荷を下ろして町を出て行く馬車もあった。その中には屈強な体格の男を連れている商人らしき人物もいた。恐らく男たちは護衛で、商人は重要な荷物を運んでいるのだろう。
以前リビトから聞いたことがある。生鮮食品や生花、反物などを売る商人は1人で馬車に乗ることが多いが、武器や魔道具、鉱石など高価な物は山賊に狙われやすいため、護衛を付ける商人が多いのだと。
マヤは護衛を付けている馬車の荷物がどこへ、何のために使用されるのかが気になった。思わず本音が口からこぼれ出た。
「この世から争いがなくなれば、武器なんて必要なくなるのに――」
「マヤ?」
「もう手続きは終わったの?」
「あぁ、どうかしたのか?」
「ううん、マテリアはどんな町だろうと考えてたの――。それより話が長かったけど何かあったの?」
「いや、大したことは話してない。念には念を入れておいただけだ……」
「念には何て?」
「いや、何でもない。日が暮れる前に宿を見つけよう」
マヤとリビトは町の大通りに出て今夜の宿探しを始めた。通り沿いには隙間なく屋台が出ており、地ビールや腸詰肉、甘味などの飲食を扱う店もあれば、布や生活必需品を売る屋台も多数並ぶ。宿に着いた後に食事をすることになっているため、食欲を誘う匂いを断ち切るように今は我慢することにした。
日が傾いてきて、ちらほらと店先にランプの火が灯り始める。マテリアの町は大通りを中心に碁盤の目のように道が張り巡らされている。
リビトは案内所でいくつかの宿を紹介されたそうだが、珍しくリビトが左右前後をキョロキョロとしている姿に一抹の不安を覚えた。
「ねぇ、リビト? もしかして私たち迷子になってる?」
「……」
リビトはマヤの視線を避けるようにあらぬ方向に目をやった。
マヤは迷子を確信し、周囲を見渡して道を教えてくれそうな人を探した。その時に目に入ったのは集団の中でも凛とした立ち姿が美しい女剣士だった。
「リビト、あの人に道を聞こうよ!」
マヤはそう言って咄嗟に掴んだリビトの手を引き、女剣士のいる集団に近づいた。女剣士の前に立ったマヤはヴェネートルでの失敗は二度と繰り返すまいと固い決意の上で、その女剣士に宿への行き方を訪ねた。
「あの、すみません。『バルバートムの宿』への行き方を知りませんか?」
女剣士の前に立つと、意外にも背が高く周囲にいる屈強な体躯の男たちと変わらない身長であることが分かる。顔は彫が深く、くっきり二重の大きな目とぷっくりとした厚い唇が特徴的だ。女剣士は黙ったまま、背の低いマヤを見下ろしている。
何を言う訳でもなく、じっとマヤを見つめているだけだった。
すると、女剣士ではなく取り巻きの男が代わりに口を開いた。
「何だコイツ? 姉さんの前に立ちはだかるなんて無礼なガキめ! 姉さん、どうしやすか?」
「ただのガキだ。放っておけ」
「へい……」
威勢の良かった取り巻きの男は女剣士の一言で黙った。
マヤは声をかける人物を見誤ったかと後悔したが、話しかけた以上宿を知る手がかりを集めようと、言葉を続けることにした。
「あの、僕たち迷子に……」
「私が知っていたとして、お前に教える義理はない。他へ当たれ」
その女性剣士は自分の前に立つマヤの肩を押して、無理やり道を開けさせた。マヤは押された勢いでバランスを崩し、後に倒れかかったが、すぐ後ろに控えていたリビトに支えられて尻もちは免れた。
女剣士の一行は笑いながら、その場を去って行った。
「酷い、道を尋ねただけなのに……」
「大丈夫か、マヤ」
「うん、大丈夫。どうやら聞く相手を間違えたみたいね」
リビトは黙ったまま、女剣士の一行が去って行った方へ視線を向けていた。いつもならマヤを突き飛ばした女剣士に食って掛かりそうなところだが、様子を見るところ怒りというよりも警戒しているようだった。
リビトの気が変わって怒り出す前に、次に話しかける人を見定めることにした。暫く歩くと、マヤは客がおらず暇そうに屋台の中で座っているおじさんに目をつけた。
――あのおじさんなら横暴なことはしなさそう。よし、道を聞いてみよう。
「リビト、こっち」
リビトの手を再び引いて、屋台で暇そうにするおじさんの元へ走った。
「ねぇ、おじさん。道に迷っちゃって、『バルバートムの宿』への行き方を教えて欲しいのだけれど」
マヤは少年役を演じるのも少しずつ慣れてきていた。むしろ自分とは違う他人を演じていることを楽しんでいるとも言える。
「あぁ、この通り客もいないから道を教えるくらい構わんよ」
「ありがとう」
さっきの女剣士たちの振る舞いに嫌な気分になったが、この町にも親切にしてくれる人がいたのがうれしかった。
おじさんは宿までの道順を説明すると、親切に売り物の芋焼きを包む包装紙に地図を書いてくれた。これで宿まで迷う心配がなくなった。
お礼に売り物の芋焼き2人前と非常食として乾燥芋を買うことにした。もちろん支払いはリビトにお願いした。リビトは不満そうだったが、文句も言わず支払いをしてくれた。おじさんはたくさん買ってくれたお礼として、サービスでとろとろのチーズソースを芋焼きにたっぷりかけてくれた。
芋焼きは見た目がじゃがいものようだが、中はうっすらと赤く、ホクホクとした食感や甘みはさつまいものようだった。芋にかけられたとろとろで濃厚なチーズソースのコクと塩気が加わり、頬まで蕩け落ちそうだ。
親切な屋台のおじさんのおかげで日が暮れる前に目的の『バルバートムの宿』へ到着した。リビトは地図を見なくても記憶していると豪語していたため、マヤは大人しく着いて行った。だが、リビトが途中で再び辺りをキョロキョロし出したため、結局はおじさんが書いてくれた地図を頼りに宿を探すことになった。
バルバートムの宿はヴェネートルで泊った宿と違い、清潔感があって内装や調度品にも凝っていることが一目で分かった。
1枚続きの長い大理石のカウンターには、数名の宿のスタッフが並び、笑顔で宿泊客と話をしている。マヤは宿泊客の装いから、自分たちと同じ旅人であると予想した。
マヤとリビトは入口付近で宿のスタッフから番号札を受け取り、カウンター前に規則正しく並べられている椅子に座って順番を待つことにした。どうやらこの宿では番号札で接客の順番を決め、番号順にチェックインの手続きを行っているようだ。
マヤはふと元いた世界の銀行で順番待ちをしている自分を思い出した。その時は何とも思わなかったが、この世界に来て番号札が画期的なシステムであると実感したのだった。
マヤとリビトはチェックインの手続きを終え、客室へ行こうと階段を探すが見つからない。キョロキョロしていたのが目立ったのか、接客を終えたばかりのスタッフの1人がこちらに近づいてきて、この宿には階段はなく、代わりに「アットウロ」と呼ばれる上下階に移動できる機械に乗って目的のフロアへ行くのだと丁寧に説明してくれた。
マヤはスタッフに礼を述べて、アットウロに乗り込み、2人の客室がある最上階の3階へ移動した。
「リビト、アットウロって凄いね! それに部屋の鍵がカードキーなんておしゃれだよね。カードキー1つで移動も入退室もできるなんて、さすが大都市だね!」
「別に大したことじゃないだろ」
リビトは何てことないというような態度を見せていたが、この後カードキーに悩まされて、マヤに大笑いされることになろうとは知る由もなかった。
「後で向かいに行くから、それまで部屋で大人しくしていろよ?」
「うん、分かった。少し汗かいたからシャワー浴びててもいい?」
「あぁ、分かった。少し遅めに呼びに行く」
「うん、じゃあ後でね」
マヤはカードキーを客室のドアノブ付近にタッチして、すんなりと部屋の中へ入って行った。
「わぁ! 本当にシャワー室がある。ヴェネートルの宿にはフロアに1つしかなかったからリビトに外で待っていてもらったんだっけ。あの時はすごく気まずかったな……」
マヤは初めてリビトが本気で怒った時のことを思い出した。その他にも、人込みにぶつかりそうになってリビトに助けれた時や、数々の失態が頭に浮かんでくる。
せっかくいい部屋に泊まれるのだから、嫌なことを思い出すのは止めようと頭をブルブルと振って記憶を吹き飛ばす。
改めて室内を見ると、大人2人が悠々と横に慣れる大きなベッドとテーブルと椅子が1脚あった。テーブルの上には小さな棚があり、レターセットやティーセット、紅茶、茶菓子などが並べられている。
部屋の奥にはおしゃれな出窓があり、一輪差しに花が生けられている。その横の壁際には草花の彫り物が拵えられた木製のクローゼットが置かれていた。
まるで元の世界のホテル並みに清潔でおしゃれな空間だった。客室が最上階の角部屋であると思い出し、もしやスイートルームでも予約したのかと急にリビトの懐事情が気になった。
この世界の宿泊費の基準は分からないが、今後のために後でリビトに確認しておこうと考えたのであった。
シャワーを浴び、洗面台を見るとドライヤーに似た形状の物が備え付けられていることに気付いた。洗面台の引き出しを開けると、親切にもその道具の用途や使い方が手書きで記されている。
思った通り、濡れた髪を乾かす道具のようだ。ただし、送風機能だけのようで温風や冷風に切り替える機能はなかった。それでも短時間で髪を乾かせるには便利だった。
汗が引いて夕食に出かけるための着替えをし終えると、タイミングを図ったかのようにリビトが呼び鈴を鳴らした。客室の外には呼び鈴のベルが設置されている。リビトの今回の合図は「リン、リリン、リリン、リン」だった。だが、ドアに設置された覗き窓からリビトの姿を確認できたため、合図は不要なのにとマヤは不思議に思う。
ドアを開けると、リビトは荷物を持ったままだった。
「リビト? 荷物は置いてかないの?」
リビトはバツが悪そうに答えた。
「――分からなかったんだ……」
「分からないって、何が?」
リビトは無言のまま胸ポケットから自分のカードキーを取り出し、マヤの顔の前に差し出した。マヤはゆっくりと自分の口角が上がっていくのを感じた。ついつい悪戯心が勝った瞬間だった。
「もしかして――。リビト、カードキーの使い方が分からなくて部屋に入れなかったんじゃ――」
「…………」
「ぷっ」
マヤは黙り続けるリビトの顔を見て、思わず吹いてしまった。笑いは収まらず、涙を流すほど大笑いしたのだった。
リビトは反論もせず、そっぽを向いていた。
マヤは笑いが収まると、緩んだ顔を整えてリビトにカードキーの使い方を教えた。
リビトが無事に客室に入ることができ、荷物を置いて2人で夕食に出かけることにした。再びアットウロに乗って、1階まで降りる。
カードキーは自分で持っていてもいいし、カウンターに預けてもいい。丁度カウンターは宿泊客で込んでいたため、預けずに自分で持ち歩くことにした。
屋台や飲食店が並ぶ大通りに出て、どこの店にしようか2人で話している時、すれ違う人たちが口々に「冒険者がいるらしい」と噂をしていた。マヤはこの世界の冒険者がどんな人なのか気になり、「見に行こう」とリビトを誘おうと横を見た。
リビトはマヤが何を言おうとしているのかが分かったのか、目を細めてこちらを見ていた。冷めた顔をしているリビトにも負けず、マヤは己の好奇心を満たすために提案を持ちかけた。
「リビト、冒険者だって、私たちも見に行こうよ」
「嫌だね。俺はそんな奴にこれっぽっちも興味は引かれない」
「ねぇ、今日の夕食はリビトが決めていいから、お願い!」
マヤはリビトを拝むように両手を合わせて、上目遣いでお願いする。
リビトは一瞬目を見開き、コホンと咳をすると「今日だけだぞ」とすんなりマヤのお願いを聞いてくれた。ただし、リビトの指示は絶対に守るという約束を取り付けられたのだが。
マヤは冒険者の噂をしている人を捕まえては、冒険者の居所を探すことにした。最初の数人は「知らない」と答え、全く手掛かりが見つからなかった。そのうち、「広場の方で人だかりができていた」という話を耳にし、マヤとリビトは大通りを真っ直ぐ進んだ先にある広場へ向かうことにした。
「すっごく広~い!」
マヤは目当ての広場に着くや否や、その広さに感嘆の声を上げた。広場というだけあって、多くの人で溢れている。広場には数百、いや数千人は収容できるのではないだろうか。
広場の中央には大きな噴水があり、銅像のようなものが置かれている。ぐるりと広場を見回していると、先ほど耳にした通り、噴水の奥で人だかりができていた。
「ねぇ、もしかしてアレじゃない?」
「あぁ、そうかもな」
「ちょっと様子を見に行ってみようよ」
「俺はいい」
リビトからすれば勇者など仲間の敵に過ぎないのだ。人間であるマヤと違って負の感情を抱いていてもおかしくはない。マヤは今になって気付き、リビトやマグスたちに申し訳ないと反省した。
だが、マヤは考える。勇者はマグスと敵対関係にあるが、本心はどうなのかと。もちろん、ヴェネートルでの一件もあるため、不用意にこちらの本心を曝け出すつもりはなかった。
マヤは、まずはこちらの世界の人間たちがどのような考えを持っているのかを知るのに勇者の存在は避けられないと結論づける。少々暴論ではあるが。
「リビトはここにいて。私はちょっと様子を見て来るから」
「おい、ちょっと待て」
「大丈夫。ヴェネートルの時みたいな失敗はしないから。ただこっそり聞き耳を立てて情報を集めてくるだけだから! じゃあ、行ってくるね」
「あっ、おい!」
リビトの制止も聞かず、マヤは人だかりのできている噴水へ走って行った。人だかりに近づく度に、大きな歓声が聞こえてきた。
「勇者様ー!」
「勇者様~!」
勇者という言葉を耳にしたマヤはその人だかりが勇者を囲うものだと確信した。人だかりにはお年寄りから子どもまで幅広い年齢層の人がいた。勇者と呼ばれる人物は大勢の人に囲まれていて姿が見えない。
マヤはジャンプをしてみるが、図体のでかい男がいて前方がよく見えなかった。人だかりの中を割って入ろうと試みるが、すぐに後ろへと押し出されてしまうため前方へ行くのを諦めた。そんな時、勇者を見た人たちが口々に歓声を上げる。
「女剣士なんて格好いいわ! 素敵!」
「勇者様、バンザーイ!!」
「さすが勇者様だ! これからも魔物を成敗してやってくださいよ」
「私も今から剣士を目指そうかしら?」
「無理よ、あんた昔っから鈍くさかったじゃない」
「勇者様、俺達に魔物退治の話を聞かせてくれよ!」
「勇者さま! オイラにも巨大な魔物をやっつけたお話聞かせて~」
「あははは! 魔物を倒した話か、分かった、分かった。よし、待て」
勇者を囲む民たち衆は次々と勇者を称える言葉を続けた。それに気を良くしたのか、勇者は魔物退治の話をこれから皆に向かって話しをするという。だが、マヤの位置からは勇者の髪すら見えない。
すると、前方から「おぉー」という声が聞こえてきたと思ったら、噴水の縁石に上ろうとする人の後ろ姿がマヤの位置からも確認できた。
マヤはその人物が正面を向くのをじっと観察する。日が暮れて空は真っ暗だが、広場はあちこちに外灯があり、夜でも人の顔を判別できるほどには明るかった。縁石に乗り上げた人物が正面を向いた時、マヤは大きく目を見開いた。
「勇者は女性? あの人は……!」
マヤはその顔に見覚えがあった。
「皆、よく聞け! 私が勇者のメッセ・ノマーモンだ! 今日は機嫌がいい、1つ面白い話をしてやろう」
高らかに自分を勇者と名乗るその女こそ、マテリアに着いて早々リビトと2人迷子になり、宿への行き方を尋ねた時に愛想の悪かった女剣士だった。マヤの目の前にいる、朗らかな笑顔で話す女と似ても似つかなかった。
女勇者は悪びれることもなく、隣国で大勢のマグスを惨殺し、殲滅したと話していた。まるで子どもが玩具の剣でモンスターのぬいぐるみを叩き切って、面白がっているように。
それだけで終わらず、他の冒険者たちと誰が一番多くのマグスを倒すのか、賭け事までしていたという。たかが、酒場の支払いのためだけにだ。
命を何と思っているのか? マグスだって人間と同じ命と心を持つ生き物だ。マグスというだけでなぜ人間は彼らにそんな残酷なことができるのだろうか?
命を奪われたマグスたちはどんなに無念だっただろう。目の前で家族や友人たちが殺されていく恐怖、次は自分の番だと。さぞ悔しかっただろう、怖かっただろう、痛かっただろう、苦しかっただろう。
マヤの瞳から大粒の涙がこぼれていた。周囲の者は皆、女勇者の話に釘付けになっていてマヤの様子をおかしく思う者はいなかった。
マヤはその場から動けなくなっていた。何も考えられなくなっていたのだ。すると、左腕に温かいものに包まれたような感触を覚える。
左を向くとそこには無表情のリビトが立っていた。マヤにフードを被せると、無言のままマヤの腕を引き、人だかりから遠ざけてくれた。
マグスがおとぎ話のように悪者だったら、女勇者の残虐な話も面白おかしく聞けただろう。だが、被害者は家族同然の付き合いがあるマグスだ。異世界から突然現れた人間にもかかわらず、皆受け入れてやさしく接してくれた。
マヤにとってマグスたちは大切な仲間だった。その仲間が同じ人間たちによって雑草をむしり取り、焼き払うように、簡単にマグスたちの命が奪われていた。到底受け入れられない事実だった。
マヤはリビトに手を引かれたまま、一言も口を開かなかった。夕食をするために外へ出たものの、食欲はすっかり失せていた。
リビトはマヤに何も聞かず、無言のまま宿まで手を引いてくれた。マヤが客室に入り、「内鍵をかけるまで廊下にいる」とリビトが言ったのがその日の最後の記憶だった。
女勇者の話にショックを受けたマヤは夕食もとらず、泣きながら眠ってしまった。
目が覚めたのは太陽の位置から考えて正午に近い時間だった。急いで身支度を整えようと、洗面室で鏡を除くと目は真っ赤で瞼も腫れている。
「酷い顔……」
お湯ではなく冷水で顔を洗おうとした時、ふと掌が赤黒くなっていたことに気付く。ショックを受けていた時に頭は真っ白になっていたから、不注意でどこかに引っ掛けて血が出たのだろうと考えた。
水で掌を擦ると乾いた血が水に流れ、手から血が流れているように見えた。それはまるで誰かが訴えているかのように思えた。
手を洗い終わると、なぜかどこにも傷は残っていなかった。痛みもなかったため、それ以上深く考えるのを止めにした。
顔を洗うと、顔の筋肉が目覚めたようにシャキッとして目の腫れも引いて少しはまともな顔になった気がする。ぼんやりしていた頭も覚醒したようだ。髪を梳かし、服を着替えてからリビトに声をかけに行くことにした。
――きっと泣いていた私に気を遣って、私が起きるまで放っておいてくれたのだろう。リビトにこれ以上心配をかけないためにも、元気な姿を見せなくちゃ。
リビトの部屋の前に立ち、二ッと笑顔を作る。心の中で準備ができたと思い、リビトの部屋のドアをノックした。だが、リビトからの返事はない。
早起きのリビトがまだ寝ているとは考えづらい。もしかしたら、昨夜も食べていないし、お腹が空いて屋台に昼食でも買いに行ってくれているのかもしれない。
ひとまず自室に戻り、リビトが帰ってくるまで待機することにした。




