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風読みの魔女は静かに過ごしたい  作者: おおりく
1-8章 光と闇の決着

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17 その手を離さない

白い天井。

消毒液と、微かな薬草の香り。

遠くで聞こえる、誰かの話し声。


アリア・ローゼンの意識は、深い泥の底から浮上するように、ゆっくりと覚醒していった。


(……ここは?)


重い瞼を開けると、視界に飛び込んできたのは、見慣れた寮の自室の天井ではなく、清潔すぎて無機質な白い天蓋だった。

体を動かそうとすると、全身が鉛のように重い。魔力欠乏による倦怠感だ。


「……気がついたか」


横から、低い声が聞こえた。

アリアが首を巡らせると、ベッドの脇のパイプ椅子に、リアム・アークライトが座っていた。

彼の姿もまた、満身創痍だった。

頬にはガーゼが貼られ、左腕は吊られている。自慢のプラチナブロンドの髪も少し乱れていたが、その瞳だけは、変わらず理知的な光を宿してアリアを見ていた。


「リアム、さん……」

アリアは、掠れた声で呼んだ。

「私……倒れて……」


「ああ。丸二日、眠り続けていたぞ」

「ふ、二日!?」

アリアは跳ね起きようとして、眩暈を起こして枕に沈んだ。

「無理をするな。君の魔力回路は、焼き切れる寸前だったんだ。ギデオン教官が背負って運んだ時など、軽すぎて幽霊かと思ったと言っていたぞ」


「うぅ……」

アリアは頭を押さえた。

記憶が戻ってくる。

温室での戦い。泥の巨人。乗っ取られたメアリ。そして、最後の一撃。


「メアリちゃん! メアリちゃんは!?」

アリアは、自分の体調など忘れて叫んだ。

リアムは、アリアの焦燥を鎮めるように、手で制した。


「静かに。……彼女なら、隣で寝ている」


リアムが指差した先。

カーテンで仕切られた隣のベッドで、メアリ・スミスが静かな寝息を立てていた。

顔色はまだ少し蒼白だが、あの時の不気味な黒い隈や、禍々しい気配は綺麗に消え去っている。


「よかった……」

アリアは、目頭が熱くなるのを感じた。

「本当によかった……」


「ああ。君が救ったんだ」

リアムは、静かに言った。

「あの光が、彼女の精神を蝕んでいた呪いを、根こそぎ焼き払った。……後遺症もないそうだ」


「……光」

アリアは、ハッとした。

そうだ。

私は、使ってしまった。

隠していたはずの、最大の秘密。

学園中が見上げるような、巨大な光の柱を。


「どうなったんですか……? あの後」

アリアは、恐る恐る尋ねた。

「先生たちに見られましたよね? 私の光……」


「ああ。ギデオン教官をはじめ、警備の魔術師たちが大勢駆けつけた。あの光を見逃すはずがない」

リアムは、淡々と言った。

「だから、言い訳をしておいた」


「言い訳?」


「『私が、アークライト家に伝わる使い捨ての最高級魔道具【聖女の涙】を使用した』とな」


アリアは、ぽかんと口を開けた。

「……はい?」


「アークライト家には、古代の聖女が残したとされる、一度だけ奇跡的な浄化の光を放つ魔道具がある……という伝説がある。まあ、実際にはそんなものはないのだが、父上の書斎にあった作り話を拝借した」

リアムは、悪びれもなく言った。

「私が、ヘレナの呪いに対抗するために、家の秘宝を持ち出して使った。その光があまりに強すぎて、温室を突き抜けた。……そういうことになっている」


「え、ええええ!?」

アリアは仰天した。

「そ、そんな嘘、バレますよ! だって、そんな凄い魔道具、勝手に持ち出したら……!」


「当然、大目玉だ」

リアムは肩をすくめた。

「父上からは『家の名を勝手に使うな』と雷が落ちたし、学園側からは『危険物の無断持ち込み』で始末書を書かされた。……だが、それだけだ」


リアムは、アリアの目を真っ直ぐに見つめた。


「君の『光』が露見するよりは、私が親の七光りでイキった馬鹿息子だと思われる方が、幾分マシだ」


「……っ」

アリアは、言葉を失った。

彼は、アリアを守るために。

アリアの秘密を隠し通すために、自分自身を泥被りにしたのだ。

アークライト公爵家の嫡男としての名誉を傷つけてまで。


「どうして……」

アリアの声が震えた。

「どうして、そこまで……」


「言ったはずだ」

リアムは、少し照れくさそうに視線を逸らした。

「私は君の盾になると。……それに、共犯者というのは、こういう時に罪を被るものだろう?」


アリアは、涙がこぼれ落ちそうになるのを、ぐっと堪えた。

この人は、本当に不器用で、そして優しい騎士だ。


「ありがとうございます……。本当に……」

「礼には及ばん。……それに、完全に騙せているわけではない」

リアムの声が低くなった。

「ギデオン教官や、一部の鋭い教師たちは気づいているだろう。あの光が、魔道具のような無機質なものではなく、もっと純粋な『個人の魔力』であったことに」


「……はい」

「だが、公式見解として『アークライト家の魔道具』という説明が通った以上、彼らもそれ以上深く追求はできない。……学園長が、裏で手を回してくれたのも大きい」


「学園長が?」


その時。

病室のドアが、ノックもなしに開いた。


「——お目覚めかな、トラブルメーカー諸君」


入ってきたのは、ヴォルグ・マクシマス学園長その人だった。

そして、その肩には、ふてぶてしい態度の黒猫——クロノスが乗っている。


「学園長! クロノ!」

アリアが声を上げると、クロノスは「フン」と鼻を鳴らして、アリアのベッドに飛び乗った。

「生きておるな。しぶとい奴め」

「誰のせいだと……!」


ヴォルグ学園長は、リアムに軽く目配せをしてから、アリアに向き直った。

「アリア・ローゼン君。まずは、礼を言う。君のおかげで、最悪の事態は免れた」

「いえ、私は……」

「謙遜するな。君がいなければ、メアリ・スミス君は助からず、学園には呪いが蔓延していただろう。……君の行動は、賞賛に値する」


学園長の言葉は、厳格だが温かかった。

「そして、事後処理についてだが……。アークライト君の機転の利いた(そして無茶苦茶な)狂言のおかげで、表向きは収束した。君の『光』の件は、極秘事項として処理する」


アリアは、ほっと胸を撫で下ろした。

「ありがとうございます……」


「だが、油断はするな」

クロノスが、鋭い声で言った。

「今回の件で、敵はお前の存在を確信したはずだ。『光』を持つ者が、この学園にいるとな」


「敵……。ヘレナ、ですか?」

アリアが尋ねると、学園長は重々しく頷いた。


「ヘレナ・ブラックウッドは……捕らえられた」

「え?」

「君の放った光が、呪いのパスを逆流し、遠隔操作していた彼女の本体を直撃したのだ。……彼女は、王都の地下水路で、廃人同様の状態になっているところを、王宮騎士団によって発見された」


「廃人……」

アリアは、背筋が寒くなった。

自分の力が、人をそこまで追い詰めたのか。


「同情は無用だ」

クロノスが言った。

「あれは自業自得だ。古代の闇に手を出した代償よ。……だが、問題はヘレナではない。彼女を操っていた、さらに奥にいる『何か』だ」


「さらに奥……?」


「ヘレナの記憶は焼き切れていて、尋問は不可能だ。だが、彼女のアジトから見つかった資料には、気になる記述があった」

学園長は、声を潜めた。

「『原初の種』。『光の器』。『復活の儀式』……。アリア君、君の力は、単なる突然変異ではないのかもしれん。何か、もっと大きな運命の歯車の一部として……」


「脅かすな、ヴォルグ」

クロノスが、学園長の話を遮った。

「今は、体を治すことだけ考えさせろ。小難しい話は、元気になってからだ」


学園長は、師匠にたしなめられ、苦笑した。

「……そうですね。失敬した。とにかく、今はゆっくり休みなさい。……アークライト君も、付き添いご苦労だが、君も怪我人だ。自分のベッドに戻りたまえ」

「はい。失礼します」


学園長とリアムが出て行った後。

病室には、アリアとクロノ、そして眠り続けるメアリだけが残された。


アリアは、隣のベッドを見た。

メアリは、まだ目を覚まさない。

(メアリちゃん……)

アリアの胸に、不安が蘇る。

呪いは解けた。でも、彼女の心は?

あの時、ヘレナが暴いたメアリの本音。

『羨ましい』『妬ましい』。

あれは、紛れもない彼女の心の一部だったはずだ。

目を覚ました彼女と、私は、また今まで通りに笑い合えるのだろうか。


「……怖がっておるのか」

クロノが、アリアの心を見透かしたように言った。

「うん……。怖いよ」

アリアは、膝を抱えた。

「私、知らなかったの。メアリちゃんが、そんな風に思ってたなんて。私が、彼女を傷つけてたなんて……」


「人の心とは、そういうものだ」

クロノは、珍しく穏やかな声で言った。

「光があれば、影ができる。お前が輝けば輝くほど、近くにいる者の影は濃くなる。……それは、避けられぬ理だ」

「じゃあ、私は……誰とも仲良くしちゃいけないの? 離れた方がいいの?」


「馬鹿者」

クロノは、尻尾でアリアの額をぺちんと叩いた。

「影ができるからといって、光を消すのか? 違うだろう。影ごと受け入れる度量がなければ、光の主とは呼べん」

「影ごと……」

「あやつは、影を抱えながらも、お前の傍にいた。それは、影よりも強い『光』……すなわち、お前への好意があったからだ。その想いを、信じてやれ」


アリアは、クロノの言葉を反芻した。

信じる。

そうだ。リアムも言っていた。

『彼女の強さだ』と。


その時。

隣のベッドから、衣擦れの音がした。


「……ん……」


アリアは、弾かれたように顔を上げた。

メアリが、うっすらと目を開けていた。


「メアリちゃん!」

アリアは、ベッドから転がり落ちるようにして、メアリの元へ駆け寄った。

「わかる? 私だよ、アリアだよ!」


メアリの焦点が、ゆっくりと結ばれる。

「……アリア、ちゃん……?」

彼女の声は、掠れて弱々しかった。

「ここ……保健室……?」


「うん。そうだよ。……よかった、気がついて……!」

アリアは、メアリの手を握りしめ、ボロボロと涙をこぼした。


メアリは、しばらくぼんやりと天井を見つめていたが、やがて記憶が戻ってきたのか、その瞳が大きく見開かれた。

そして、顔色がさっと青ざめ、アリアの手を振り払おうとした。


「……っ! 私……!」

メアリは、震える手で自分の口元を覆った。

「私……アリアちゃんに……ひどいこと……!」


彼女は、覚えていたのだ。

操られていた時のことを。

自分の口から漏れ出た、どす黒い嫉妬の言葉を。

そして、アリアを殺そうとしたことを。


「ごめんなさい……! ごめんなさい……!」

メアリは、布団を被って泣き出した。

「私、最低だ……。友達のフリして、ずっと、心のどこかで……! アリアちゃんのこと、妬んで……!」

「メアリちゃん……」

「もう、嫌いになって! 私なんて、友達じゃない! 近づかないで!」


メアリの慟哭が、病室に響く。

それは、呪いが解けてもなお残る、彼女自身の心の傷だった。


アリアは、泣きじゃくるメアリの背中を、優しく抱きしめた。

「……離さないよ」

「え……?」

「嫌いになんて、ならない。離れてなんか、あげない」


アリアは、耳元で囁いた。

「私だって、同じだよ」

「……え?」

「私だって、メアリちゃんが羨ましかった。普通に笑って、普通に生活して、家族がいて……。私の持ってないものを全部持ってるメアリちゃんが、眩しくて、妬ましかったこと、あるよ」


「アリアちゃんが……?」

メアリが、涙に濡れた顔を上げた。

「うん。だから、おあいこ」

アリアは、涙ぐんだ笑顔で言った。

「嫉妬しちゃうくらい、お互いが羨ましいんだよ。それって、素敵なことじゃない?」


「……変だよ、それ」

メアリが、ぽつりと呟いた。

「うん。変だね」

アリアも笑った。


「私ね、メアリちゃん。……私には、秘密があるの」

アリアは、意を決して言った。

「みんなには隠してるけど……私、本当は、すごく強い魔力を持ってるの。でも、それが怖くて、ずっと隠してた」

「……うん。知ってた」

メアリは、小さく頷いた。

「え?」

「だって、アリアちゃん、いつもキラキラしてるもん。……隠せているつもりだったの?」

「う……」

アリアは赤面した。

メアリには、とっくにバレていたらしい。


「でも、怖かったの」

メアリは言った。

「アリアちゃんが凄すぎて、私なんかじゃ釣り合わないんじゃないかって。いつか、遠くに行っちゃうんじゃないかって」

「行かないよ!」

アリアは即答した。

「私には、メアリちゃんが必要なの。メアリちゃんがいないと、私、ただの引きこもりの根暗な魔女になっちゃうもん」


「ふふっ。……根暗な魔女」

メアリが、吹き出した。

その笑顔は、いつもの、温かくて優しい笑顔だった。


「アリアちゃん」

メアリは、アリアの手を握り返した。

その手は、もう冷たくなかった。

「私、強くなるね。……アリアちゃんの隣にいても、恥ずかしくないように。もう二度と、あんな影に負けないように」


「うん。一緒に、強くなろう」


二人は、指切りをした。

それは、リアムとの「騎士の契約」とは違う、もっと柔らかく、もっと強固な「親友の約束」だった。


病室の窓から、爽やかな初夏の風が吹き込んでくる。

嵐のような数日間が過ぎ去り、季節は確実に、夏へと向かっていた。


ヘレナという脅威は去った。

だが、彼女の背後に見え隠れする「巨大な闇」の正体は、まだ何もわかっていない。

そして、アリアの「光」は、世界に見つかってしまった。


これからの日々は、今まで以上に騒がしく、危険なものになるだろう。

それでも。

アリアは、もう一人ではなかった。

右には、秘密を共有し守ってくれる騎士リアム

左には、影を乗り越え隣に立ってくれる親友メアリ

そして、膝の上には、偉大なる師匠クロノス


「……なんとかなる、かな」


アリアは、青い空を見上げて、小さく呟いた。

その手には、確かな温もりが残っていた。

どんな闇が来ても、この手だけは決して離さない。

そう誓った少女の横顔は、入学式の頃よりも、ほんの少しだけ大人びて見えた。

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