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風読みの魔女は静かに過ごしたい  作者: おおりく
1-7章 忍び寄る影

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14 古代ルーン文字学の「覚醒」

その日、アリア・ローゼンは、憂鬱な気分で廊下を歩いていた。

足取りが重い。

向かう先は、第二図書館の奥にある「古代ルーン文字学」のゼミ室。

かつては、アリアにとって学園内で唯一の「安息の地」だった場所だ。


変人のゼフィルス教官と、無口なクラスメイトたち。

埃っぽい空気の中で、誰も戦闘の話をせず、ただ難解な文字(と、家庭菜園の理論)について語り合う、平和な時間。

それが、アリアの救いだった。


けれど、先週の出来事が、その安らぎに亀裂を入れていた。

『石版』。

ゼフィルス教官が持ち込んだ、発掘されたばかりの古代の遺物。

それに触れた瞬間、アリアの頭の中に流れ込んできた、鮮明なイメージと声。


『……我ら……種を蒔く者……』


あの日以来、アリアの感覚は、どこかおかしい。

風の音が、言葉のように聞こえることがある。

土の匂いを嗅ぐだけで、その土地の養分や水脈の流れが、地図のように脳裏に浮かぶ。

自分の内側にある「光」の魔力が、外の世界と勝手に繋がりたがっているような、そんな落ち着かない感覚。


(……行きたくないな)


アリアは、教科書を胸に抱きしめた。

でも、休むわけにはいかない。

休めば、あの心配性のリアム・アークライトが、「何かあったのか」と飛んできて、大騒ぎ(厳重な保護)になりかねないからだ。


(大丈夫。今日は、ただ座って、ニコニコしていればいいんだ)

(触らない。石とか、古文書とか、怪しいものには絶対に触らない)


アリアは自分に言い聞かせ、ゼミ室のドアを開けた。


「やあ! 遅かったじゃないか、アリア君!」


ドアを開けた瞬間、ゼフィルス教官のテンションの高い声が飛んできた。

部屋の中には、すでにノアとエミリーが席に着いている。二人とも、机の上に置かれた「何か」を、困惑した表情で見つめていた。


「先生、こんにちは……。それは?」

アリアは、嫌な予感を覚えながら、机の上の物体を見た。


それは、拳ほどの大きさがある、黒い塊だった。

石のようにも見えるし、枯れた植物の球根のようにも見える。

表面には、びっしりと細かいルーン文字が刻まれているが、風化していてほとんど判読できない。


「ふっふっふ。驚きたまえ」

ゼフィルス教官は、鼻息も荒くその黒い塊を撫でた。

「これはね、王立博物館の倉庫の奥底から見つかった、『分類不能遺物』なんだよ!」


「分類不能……ですか?」

「そう! 魔力鑑定にかけても反応なし。物理的に破壊しようとしても傷一つ付かない。ただの石ころとして数百年放置されていたガラクタさ!」

教官は、なぜか誇らしげだ。

「だが、私はピンときたんだ。この形状、この質感。……これは、間違いなく『種』だ!」


「種?」

おとなしいエミリーが、首を傾げた。

「はい。巨大な、植物の種に見えます」

「だろう!? さすがエミリー君、わかってるね!」

ゼフィルス教官は力説する。

「私の仮説では、これは古代の『世界樹』の化石化した種子だ。だが、ただの化石じゃない。表面のルーン文字を見たまえ。これは『封印』ではなく『保存』の術式だ。つまり、この種は死んでいない。数千年の眠りについているだけなんだよ!」


(……また始まった)

アリアは、内心で苦笑した。

ゼフィルス教官の「植物愛」は、時々暴走する。

ただの石ころを「世界樹の種」だと言い張るなんて、学会で発表したら笑いものだろう。


「そこでだ、諸君!」

教官は、ビシッと生徒たちを指差した。

「今日の課題は、この『種』を目覚めさせることだ!」


「「ええー……」」

ノアとエミリーが、あからさまに嫌そうな顔をした。

「無理ですよ先生。魔力鑑定でも反応がないんでしょう?」

「だからこそだ! 現代の魔術体系では測れない、古代の『アプローチ』が必要なんだ。さあ、順番に魔力を注いでみたまえ。優しく、語りかけるようにだぞ!」


アリアは、部屋の隅へ後ずさった。

(絶対に、やりたくない)

今の自分の状態で、そんな「正体不明の古代遺物」に魔力を注いだら、何が起こるか分からない。


まずは、ノアが指名された。

「……やりますよ」

彼はため息をつきながら、黒い塊に手をかざした。

「《土よ、育め》」

土属性の魔力を流し込む。

……シーン。

何も起きない。塊は、ただの石として沈黙している。

「ほら、やっぱりただの石ですよ」


次はエミリーだ。

「《風よ、運んで》」

風の魔力を送る。

……シーン。

微動だにしない。


「うーむ。やはり、並大抵の魔力では、硬い殻は破れないか……」

ゼフィルス教官は腕組みをして唸った。

そして、期待に満ちた目を、部屋の隅のアリアに向けた。


「さあ、真打ちの登場だ! アリア君!」

「えっ!? い、いえ、私は……!」

「君は『風使いの楽しい家庭菜園』の申し子だろう? 君のその、植物への愛情(という名の謎の魔力制御)なら、きっとこの頑固な種も心を開くはずだ!」


「む、無理です! 私、魔力Gですし!」

「謙遜するんじゃない。君の温室のラベンダーが、異常な魔力活性を起こしていることは知っているんだぞ」

「うっ……」

(バレてる……!)

ゼフィルス教官は、変人だが、研究者としての観察眼は鋭い。アリアが何か「特殊なこと」をしていると勘付いているのだ。


「さあ、触ってみるだけでいい。ね?」

教官に背中を押され、アリアは渋々、机の前へと進み出た。


目の前にある、黒い塊。

アリアは、ゴクリと唾を飲んだ。

(触るだけ。魔力は出さない。絶対に、出さない)

アリアは、自分の中の魔力回路を、鉄の意志で閉じた。

そして、恐る恐る、指先を伸ばした。


指が、黒い塊の表面に触れた。


ひやりと冷たい、石の感触。

(……よかった。何も起きない)

アリアが安堵して、手を離そうとした、その時だった。


ドクン。


まただ。

先週の石版と同じ。

いや、それ以上に強く、激しい「脈動」が、指先から伝わってきた。


『……求む……』

『……乾き……飢え……』

『……光を……!』


「ひっ!?」

アリアは悲鳴を上げ、手を引っ込めようとした。

だが、離れない。

手が、黒い塊に吸い付いている。

いや、違う。

黒い塊が、アリアの手を「捕食」しようとしているかのように、強力な吸引力を発生させているのだ。


「え、なに!? 離れない!?」

「おや? どうしたんだい?」

ゼフィルス教官が覗き込む。


その瞬間。

黒い塊の表面に刻まれていた、判読不能だったルーン文字が、一斉に発光した。

色は、鮮烈な「金」。

アリアの魔力の色だ。


「なっ……!?」

ノアとエミリーが椅子から立ち上がる。

「光った!?」

「魔力反応……!? 計測不能です!」


「あ、あああ……!」

アリアは、パニックに陥った。

吸われる。

体の中の魔力が、意思に反して、無理やり引きずり出されていく。

止めようとしても止まらない。

ダムが決壊したように、アリアの規格外の魔力が、その小さな黒い塊へと奔流となって流れ込んでいく。


「やめて! 離して!」

アリアが叫ぶ。

それに応えるように、黒い塊に「ヒビ」が入った。


パキッ。パキキッ。


黒い外殻が砕け散る。

中から溢れ出したのは、目が眩むような黄金の光。

そして、その光の中から、何かが「芽吹いた」。


それは、植物の芽だった。

だが、ただの植物ではない。

透き通るような水晶の茎。

エメラルドのように輝く葉。

そして、先端には、虹色に輝く小さな蕾。


それは、見る者すべてを魅了する、幻想的な美しさを持っていた。

だが、その成長速度は、悪夢のようだった。


グググググッ!!


芽は、一瞬にして茎を伸ばし、枝を広げ、天井に届くほどの「樹木」へと成長した。

机が重さに耐えきれずに砕ける。

床板が捲れ上がり、水晶の根が這い回る。


「うわあああっ!」

ノアとエミリーが逃げ惑う。

「す、すばらしい! なんだこれは! 本当に世界樹か!?」

ゼフィルス教官だけが、狂喜乱舞してスケッチブックを広げている。


「ちがう……! 止まって! お願い!」

アリアは、樹木の幹に手をついたまま、必死に念じた。

このままでは、部屋が壊れる。

いや、校舎が壊れる。

この木は、私の魔力を吸い尽くすまで、無限に成長し続けるつもりだ。


(制御しなきゃ。吸われるんじゃない。私が、コントロールするんだ!)


アリアは、混乱する意識を総動員した。

クロノスに叩き込まれた、魔力操作の基礎。

『魔力は水だと思え。流す量も、止める堰も、お前の心一つだ』


(閉じろ! 蛇口を閉めるイメージ!)

アリアは、体内の魔力回路を、物理的にねじ切るようなイメージで、遮断を試みた。


しかし、相手は古代の遺物。

数千年の渇きを癒やすために、アリアという極上の水源に食らいついている。

アリアの抵抗を嘲笑うかのように、さらに強く魔力を吸い上げる。


「あ……が……」

アリアの視界が霞む。

魔力欠乏による眩暈。

(だめ……。意識が……)


その時。

バンッ!!

ゼミ室のドアが、乱暴に蹴破られた。


「ローゼン!!」


飛び込んできたのは、リアム・アークライトだった。

彼は、廊下で待機していたのだろう(あるいは、異常な魔力波長を感知して飛んできたのか)。

部屋の中の惨状——天井を突き破らんとする水晶の樹木と、その根元でぐったりとしているアリアを見て、即座に状況を理解した。


「くそっ! 魔力暴走か!」

リアムは、迷わず樹木に向かって手を突き出した。

「断ち切れ! 《隔離結界アイソレーション・バリア》!」


リアムの手から、鋭利な刃のような結界が放たれる。

それは、アリアと樹木の間——魔力の供給ラインとなっている空間を、物理的に「切断」した。


バチンッ!!


見えない糸が切れるような音がして、アリアの体が後ろに弾き飛ばされた。

「きゃっ……!」

リアムが、滑り込むようにしてアリアを受け止める。


「しっかりしろ! ローゼン!」

「り、リアム、さん……」

アリアは、薄れる意識の中で、リアムの焦燥に満ちた顔を見た。


供給を絶たれた水晶の樹木は、ピタリと成長を止めた。

だが、すでに吸収した魔力だけで、部屋を埋め尽くすほどの巨木と化している。

そして、その蕾が、ゆっくりと開き始めた。


「……まずい」

リアムが呻く。

「あれが開花したら、溜め込んだ魔力を一気に放出するぞ。この部屋ごと吹き飛ぶ!」


「な、なんだって!?」

ゼフィルス教官がようやく正気に戻った。

「いかん! 貴重な研究資料が! いや、生徒たちが!」


「教官! 生徒を連れて退避してください!」

リアムが叫ぶ。

「私は、結界で爆発を抑え込みます!」

「し、しかしアークライト君、君一人では……」

「早く!」


ゼフィルス教官は、ノアとエミリーを抱えて廊下へ走り出した。

部屋には、リアムと、彼の腕の中のアリアだけが残された。


「……ローゼン。君も逃げろ」

リアムは、アリアを立たせようとした。

「い、いや……」

アリアは、首を振った。

「私の、せいだから……。私が、なんとかしないと……」


「馬鹿を言うな! 魔力切れでふらふらの君に何ができる!」

リアムはアリアを庇うように前に立ち、杖を構えた。

「私がやる。君を守ると、誓ったんだ」


彼は、全魔力を練り上げる。

目の前で、虹色の蕾が、今にも弾けそうに脈動している。

(……止められるか?)

リアムは、冷や汗を流した。

あの樹木が内包している魔力量は、桁違いだ。

アリアから吸い上げた「光」の魔力。

それを、自分の「結界」だけで完全に封じ込められるか。

失敗すれば、自分もろとも消し飛ぶ。


(……いや、やるしかない)

リアムは覚悟を決めた。


その時。

リアムの背中に、温かい手が触れた。

アリアの手だった。


「……一緒に、やります」

アリアの声は、弱々しいが、確かな意志が宿っていた。

「私の魔力を、使ってください」


「君はもう限界だ!」

「大丈夫。……『魔力』は空っぽでも、『光』は、まだあるから」


アリアは、リアムの背中に額を押し当てた。

そして、自分の中に残る、最後の力を振り絞る。

それは、魔力というよりは、祈りに近いもの。

原初の光。

それを、リアムの中へと流し込む。


「……ッ!?」

リアムは、目を見開いた。

背中から、熱い奔流が流れ込んでくる。

枯渇しかけていた彼の魔力回路が、瞬時に満たされ、いや、限界を超えて拡張されていく感覚。

アリアの光が、リアムの炎と結界の魔力と混ざり合い、黄金色の輝きへと昇華される。


(これが……彼女の力……!)

恐ろしいほどに純粋で、強大。

だが、不思議と拒絶反応はない。

まるで、最初から一つだったかのように、馴染む。


「……分かった」

リアムは、アリアの手の温もりを感じながら、杖を突き出した。

「行くぞ、ローゼン!」

「はい!」


二人の声が重なる。


「「《聖域結界サンクチュアリ・フィールド》!!」」


リアムの結界術式に、アリアの光特性が付与された、即興のオリジナル魔術。

黄金のドームが、水晶の樹木を包み込む。


直後。

蕾が弾けた。

カッッッ!!

目も眩むような閃光と、衝撃波。

本来なら、校舎の一角を消滅させるほどのエネルギー放出。


だが、黄金の結界は、びくともしなかった。

爆発のエネルギーを、内側で受け止め、循環させ、そして「浄化」していく。

破壊の力を、無害な光の粒子へと変換し、空へと逃がしていく。


数秒後。

光が収まると、そこには、静寂だけが残っていた。

水晶の樹木は、魔力を放出しきって、ただの枯れ木のように白化し、サラサラと砂になって崩れ落ちていった。

後には、元の「黒い種」だけが、ぽつんと残されていた。


「……はぁ、はぁ、はぁ……」

リアムは、膝をついた。

全身の力が抜けていく。だが、心地よい疲労感だった。

守りきった。


「……やりましたね、リアムさん」

背後で、アリアがへたり込んでいた。

顔は真っ白だが、その表情は安堵に緩んでいる。


「ああ……。君のおかげだ」

リアムは、アリアの方を向き、苦笑した。

「……とんでもない『秘密』を、また一つ増やしてくれたな」


「ご、ごめんなさい……」

アリアは縮こまった。

「でも、本当に……助かりました」


二人は、崩壊したゼミ室の中で、互いの無事を確認し合うように見つめ合った。

そこには、以前の「監視者と対象者」という壁はなく、死線を共に潜り抜けた「戦友」のような絆が生まれていた。


だが、二人は気づいていなかった。

この騒動の一部始終を、遠くから「観測」していた存在がいることに。


校舎の屋上。

一人の女生徒が、風に髪をなびかせながら、眼下の第二図書館を見下ろしていた。

その瞳は、虚ろで、暗い。

彼女の手には、不気味な紫色の水晶玉が握られている。


水晶玉には、先ほどの「黄金の光」の波長が、鮮明に記録されていた。


「……確定」

少女の口から、無機質な声が漏れる。

それは、彼女自身の声ではなく、遠く離れた場所にいる「主」の言葉を中継するものだった。


「古代遺物を強制覚醒させるほどの、魔力供給能力」

「そして、呪いを浄化する『光』」

「間違いなく、彼女が『鍵』だ」


少女——ヘレナ・ブラックウッドの配下に精神を操られた上級生は、ニヤリと唇を歪めた。


「見つけたわ、アリア・ローゼン。あなたが、私が求めていた『器』よ」


少女は、懐から一枚の写真を取り出した。

それは、アリアと仲良く笑い合う、メアリ・スミスの写真だった。


「鍵を手に入れるには、まずは『弱点』から……。ふふふ」


不吉な笑い声を残し、少女は影の中に溶けるように姿を消した。

アリアの力が覚醒したその代償として、最悪の敵が、明確に彼女をロックオンした瞬間だった。


平穏な学園生活の終わりを告げる鐘が、誰にも聞こえない場所で、高らかに鳴り響き始めていた。

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