11 暴走と零れた「光」の片鱗
「魔法カフェ・マグノリア」の盛況ぶりは、午後になっても衰えることを知らなかった。
むしろ、客足は加速していた。
その理由は、厨房のアリア・ローゼンとメアリ・スミスが調合した、あの「特製ハーブティー」にあった。
「ねえ、聞いた? A組のカフェの紅茶、飲むだけで肌がツヤツヤになるらしいわよ」
「俺は昨日までの筋肉痛が一発で治ったぞ」
「あそこのスコーン、食べると魔力が回復するって噂だ」
秘密の温室で、アリアの規格外の魔力(光の祝福)を浴びて育ったハーブたち。
それらは、ただ美味しいだけではない。極めて純度の高い「回復効果」と「浄化作用」を持つ、一種の魔法薬と化していたのだ。
それを、アリアがさらに《風》の魔術で成分を最適化して抽出しているのだから、効果が出ないはずがない。
「追加のミントティー、お願いします!」
「はい、ただいま!」
アリアは、戦場のような厨房で、しかし充実した汗を流していた。
(すごい……。みんなが、美味しいって言ってくれる)
自分の力が、誰かを傷つけるためでも、何かを破壊するためでもなく、ただ「笑顔」を作るために役立っている。
それは、アリアがずっと夢見ていた、魔法の正しい使い方だった。
「ローゼン。氷が足りない。補充を頼めるか」
ホールから戻ってきたリアム・アークライトが、お盆を置きながら声をかけた。
その額にはうっすらと汗が滲んでいるが、執事としての所作は依然として完璧だ。
「あ、はい! すぐに!」
アリアは業務用の巨大な冷凍庫へ向かおうとした。
その時。
「……ん?」
リアムが、ふと眉を顰めて、窓の外——校庭の方角を見た。
「アークライトさん? どうしました?」
「……いや。今、妙な魔力波長を感じた気がしたのだが」
リアムは、アークライト家特有の「結界術」の才により、空間の歪みや魔力の揺らぎに対して人一倍敏感だ。
彼が窓の外を睨みつけた、次の瞬間だった。
——ドオオオオオオオオン!!
腹の底に響くような、重低音の爆発音が轟いた。
直後、校舎全体がグラリと揺れる。
「きゃあああっ!?」
厨房で皿を洗っていた女子生徒たちが悲鳴を上げ、積み上げられた皿がガシャンと崩れ落ちた。
客席からも、どよめきと悲鳴が聞こえてくる。
「な、なに!? 地震!?」
カインが厨房に飛び込んできた。
「違う!」
リアムが叫んだ。
「魔力爆発だ! 場所は……校庭の南側、1年B組のエリアか!」
1年B組。
彼らの出し物は、確か「体験型・召喚獣ふれあい広場」だったはずだ。
安全な下級精霊や、小型の魔獣を召喚し、客に見せるというショーだ。
本来ならば、教師の監視下で厳重に行われるはずの、安全なイベントのはずだった。
「……嫌な予感がする」
リアムの顔色がさっと変わった。
「カイン、リゼット! 客を誘導しろ! 教室の奥、壁際へ避難させるんだ!」
「お、おう! 分かった!」
「ローゼン! 君たちは火を消せ! ガスも止めるんだ! 二次災害を防ぐ!」
「は、はいっ!」
アリアは震える手でコンロの火を消し、元栓を閉めた。
(何が起きたの? ただの事故?)
だが、アリアの本能——クロノスによって鍛えられた「魔力感知」の感覚——が、警鐘を鳴らしていた。
(……違う。この空気の淀み。これは、ただの魔力の暴走じゃない)
(もっと、ドロドロとした……悪意のある、『何か』)
アリアが窓に駆け寄り、外を見た時。
彼女の懸念は、最悪の形で現実のものとなった。
校庭の南側から、黒煙がもうもうと立ち上っている。
そして、その煙の中から、異様な「巨体」が姿を現した。
それは、炎と泥が混じり合ったような、赤黒い巨人——ゴーレムだった。
だが、ギデオン教官が使うような整然とした岩のゴーレムではない。
全身が溶岩のようにドロドロと崩れ落ちては再生し、その表面には、見るもおぞましい無数の「目玉」や「口」のような紋様が浮かび上がっている。
「グオオオオオオ……!!」
その咆哮は、獣の声ではなく、何百人もの人間が苦悶するような、不協和音の悲鳴だった。
「な、なんだあれ……!?」
窓から覗いたカインが絶句した。
「B組の召喚獣!? あんなの、授業で習ってないぞ!」
「……『泥濘の炎魔』の亜種か? いや、構成術式が乱れすぎている」
リアムが、冷静さを保とうと努めながら分析する。
「あれは召喚獣じゃない。……召喚に失敗し、術者の魔力と、周囲の負の感情を取り込んで実体化した、『呪われた魔力塊』だ!」
(呪い……!)
アリアの心臓が跳ねた。
学園長の話が脳裏をよぎる。
『ヘレナ教官の残党』。『呪いの研究』。
先日の「森の主」に続き、またしても学園内で、得体の知れない「呪い」が顕現したのだ。
「こっちに来るぞ!」
リゼットが叫んだ。
暴走する泥の巨人は、手当たり次第に屋台を薙ぎ払い、悲鳴を上げて逃げ惑う人々を追いかけるようにして、校舎——つまり、このA組のカフェがある方向へと進撃を開始していた。
「まずい……! このままでは校舎に直撃する!」
リアムが窓枠に手をかけた。
「カイン! リゼット! 行くぞ! ここで食い止める!」
「おお! やってやるぜ!」
「仕方ないわね……! わたくしの風で微塵切りにしてやるわ!」
A組の主力メンバーたちが、窓から飛び出していく。
「リアム様!」
「カイン君!」
厨房に残された女子生徒たちが、不安そうに祈る。
アリアもまた、窓枠に張り付き、その光景を見つめていた。
(……だめ)
(あの子たちじゃ、無理だ)
アリアには分かっていた。
あの巨人は、ただの物理的な怪物ではない。その全身を覆う赤黒い泥は、高濃度の「呪詛」そのものだ。
物理攻撃も、通常の属性魔法も、あの泥に触れた瞬間に「汚染」され、無効化されてしまう。
あれを倒すには、核となる呪いを断つか、あるいは……圧倒的な「浄化」の力で消し飛ばすしかない。
「……アリアちゃん」
隣で、メアリがガタガタと震えていた。
「怖い……。リアム様たち、大丈夫かな……?」
「……」
アリアは、メアリの手をギュッと握り返した。
(行かなきゃ)
(また、私がやらなきゃ)
(でも、衆人環視の中で? リアムさんの目の前で?)
葛藤するアリアの視線の先で、戦いが始まった。
「《土壁》ッ! 五重!」
カインが地面を叩き、巨大な防壁を出現させる。
だが、泥の巨人は止まらない。その触腕のような腕が壁に触れた瞬間、堅牢なはずの岩壁が、ジュワッという音と共に腐食し、泥のように崩れ去った。
「なっ!? 俺の土壁が腐った!?」
「ええい! 《風刃乱舞》!」
リゼットが扇子を振るい、無数の真空の刃を放つ。
シュパパパッ!
風の刃は巨人の体を切り刻んだ。しかし、切り裂かれた傷口は、即座に周囲の泥を吸い寄せ、一瞬で再生してしまう。
「嘘でしょ!? 全然効かない!」
「……チッ。物理干渉が無効なら、これならどうだ!」
リアムが前に出た。
「焼き尽くせ! 《紅蓮の槍》!」
彼の手から放たれた、圧縮された炎の槍。それは、アリアが見ても惚れ惚れするほどの、完璧な術式だった。
槍は巨人の胸部——魔力核があると思われる場所——に突き刺さり、大爆発を起こした。
ドオオオン!!
巨人の上半身が吹き飛ぶ。
「やったか!?」
カインが声を上げる。
だが、リアムの表情は険しいままだった。
「いや……まだだ!」
吹き飛んだはずの泥が、空中で意思を持ったように蠢き、再び集結する。
そして、以前よりもさらに禍々しい、巨大な姿へと再構築された。
巨人の「口」と思われる亀裂が裂け、耳障りな咆哮を上げた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……!!」
巨人が、腕を振り上げた。
その手の中に、圧縮された赤黒い魔力の塊——「呪いの火球」が生成される。
狙いは、目の前のリアムたちではない。
その後ろ。
多くの生徒や客が避難しきれずに残っている、A組のカフェ——校舎そのものだ。
「しまっ……! 狙いは校舎か!」
リアムが叫ぶ。
「させん! 《広域防壁》!」
リアムが全魔力を振り絞り、校舎を覆う巨大な結界を展開する。
だが、相手は数百人分の負の感情を吸って肥大化した化け物だ。
放たれた呪いの火球は、リアムの結界に激突し、凄まじい衝撃と「浸食」を引き起こした。
バリバリバリバリ!!
「ぐううっ……!!」
リアムが苦悶の声を上げる。
結界の表面に、黒いシミのような亀裂が走り、急速に広がっていく。
「だめだ……! 支えきれない……!」
「リアム!」
カインとリゼットが駆け寄るが、どうすることもできない。
結界が砕け散るまで、あと数秒。
その先には、窓際で震えているメアリたちがいる。
(——もう、迷ってる場合じゃない)
アリアは、厨房の窓を開け放った。
「アリアちゃん!?」
メアリの驚く声を無視して、アリアは身を乗り出した。
距離は、約30メートル。
リアムの結界は、今にも崩壊寸前だ。
巨人が、追撃の第二波を放とうとしている。
(風じゃ、止められない)
(あの泥は、物理的な風をすり抜ける)
(使うしかない。「光」を)
アリアは、右手を突き出した。
(見えないように。気づかれないように)
(でも、絶対に防げる強度で)
イメージするのは、ガラス。
透明で、目には見えないけれど、そこに確かに存在する、最強の断絶。
そして、そのガラスは、不浄なものを焼き尽くす「聖なる熱」を帯びている。
アリアの唇が、誰にも聞こえない声で、紡いだ。
「——《透明な盾》」
それは、アリアが咄嗟に名付けたデタラメな術名だった。
だが、発動した現象は、神域の御業だった。
リアムの《広域防壁》の内側。
さらに校舎に密着する形で、もう一枚の、極薄の「壁」が出現した。
それは、通常の魔力視では感知できない、完全な透明。
しかし、その正体は、超高密度に圧縮された「光の魔力」の結晶体だ。
パリーン!!
ついに、リアムの結界が砕け散った。
「終わりだ……!」
リアムが絶望に目を見開く。
赤黒い呪いの火球が、校舎に——アリアとメアリがいる窓に、直撃する。
——ジュッ。
そんな、間の抜けた音がした。
爆発は、起きなかった。
衝撃も、熱波も、校舎を襲うことはなかった。
呪いの火球は、校舎の壁の数センチ手前——アリアが展開した「見えない壁」に触れた瞬間、まるで熱したフライパンに落ちた水滴のように、一瞬で蒸発し、消滅したのだ。
「……は?」
リアムが、呆然と声を漏らした。
カインも、リゼットも、そして巨人でさえも、何が起きたのか理解できずに動きを止めた。
(……ふぅ。間に合った)
アリアは、窓辺で小さく息を吐いた。
光の魔術は、「浄化」の特性を持つ。
呪いの魔力に対しては、文字通り「対消滅」を起こし、無効化することができるのだ。
アリアの光は純度が高すぎるため、並大抵の呪いなど、触れることさえ許されない。
「今だ! リアムさん!」
アリアは、心の中で叫んだ。
(ボサッとしてないで! 今、あいつは攻撃を無効化されて動揺してる! 核が剥き出しになってる!)
アリアの声が聞こえたわけではないだろうが、リアムは優秀な魔術師だった。
彼は、即座に好機を悟った。
理由はどうあれ、敵の攻撃は消えた。そして敵は隙だらけだ。
「……カイン! 俺の前に土の台座を作れ!」
「お、おう!」
「リゼット! 全力で風を送り込め! 俺の炎を加速させる!」
「分かったわ!」
リアムは、杖を構えた。
体内に残る、最後の魔力を振り絞る。
「これで……終わりだぁぁぁッ!!」
カインが作った土の足場を蹴り、リゼットの風を背に受けて、リアム自身が炎の槍となって突撃した。
「《紅蓮・螺旋衝》!!」
ズドオオオオオオオン!!
リアムの一撃は、今度こそ巨人の胸部を深々と貫き、その奥にあるドス黒い核を粉砕した。
「ガ、ア、ア……」
巨人は、断末魔の声を上げ、その形を保てなくなり、ドロドロと崩れ落ちていった。
「……はぁ、はぁ……」
リアムは、黒煙を上げる泥の山の上に着地し、膝をついた。
魔力切れだ。立っているのもやっとの状態だった。
「やった! さすがリアム様!」
「へへっ、俺たちの連携の勝利だな!」
カインたちが駆け寄ってくる。
校舎からも、避難していた生徒たちの歓声が上がり始めた。
アリアも、窓からその様子を見て、安堵に胸を撫で下ろした。
(よかった……。なんとか、誤魔化せたかな……?)
リアムの結界が耐えきったように見えたはずだ。あるいは、何かの奇跡だと。
だが。
物語は、ここでは終わらなかった。
崩れ落ちた巨人の残骸。
その黒い泥の中から、シューッという音と共に、黒い「霧」のようなものが立ち上った。
それは、核を破壊されてもなお消滅しない、呪いの「怨念」の残りカスだった。
その黒い霧は、生き物のように鎌首をもたげると、魔力切れで動けないリアムに向かって、矢のような速度で襲いかかった。
「——ッ!?」
リアムは反応できない。
「リアム!」
カインの手も届かない。
その時。
リアムの肩に止まっていた(あるいは近くを飛んでいた)白い影が、主人の危機を察知して飛び込んだ。
白いフクロウ——シルフィだ。
「ホォォォッ!!」
シルフィは、自らの体を盾にして、黒い霧に突っ込んだ。
風の防壁を展開しようとしたが、間に合わない。
黒い霧は、シルフィの小さな体を直撃し、そのまま彼女の純白の羽毛に絡みつき、染み込んでいった。
「シルフィ!!」
リアムの悲痛な叫びが響く。
黒い霧を受け止めたシルフィは、力なく空中で回転し、ポトリ、と地面に落ちた。
その美しい白い羽の一部が、焼け焦げたように黒く変色し、そこから毒々しい紫色の魔力が明滅している。
「シルフィ! おい、しっかりしろ!」
リアムが、泥にまみれるのも構わず、シルフィを抱き上げた。
シルフィは、苦しげに「……キュ……」と小さな声を漏らし、痙攣している。
「くそっ……! なんだこれは……!?」
リアムは、震える手で治癒魔法をかけようとした。
だが、反応がない。
いや、治癒の魔力が、黒いシミに弾かれている。
「呪い……!?」
リアムの顔から、血の気が引いた。
ただの怪我ではない。
魔術的な、それも極めて悪質な「呪い」による侵食だ。
アークライト家の知識を持つ彼だからこそ、分かる。
これは、通常の《小癒》やポーションでは治せない。
専門の解呪師でさえ、解けるかどうかのレベルの、古代の呪詛だ。
「いやだ……。シルフィ、死ぬな……!」
いつも冷静沈着なリアムが、子供のように取り乱している。
シルフィは、彼にとってただの使い魔ではない。
幼い頃から共に育ち、厳しい修練を乗り越えてきた、唯一無二のパートナーであり、家族だ。
アリアは、窓からその光景を見ていた。
心臓が、早鐘を打つ。
(どうしよう)
(あんな呪い、普通の治癒じゃ治らない)
(放っておけば、シルフィちゃんは……死ぬ)
アリアは、自分の手を見た。
自分の手には、その呪いを解く力がある。
「光」の魔術。
でも、それを使えば。
今度こそ、言い逃れはできない。
「透明な盾」のように、偶然で済ますことはできない。
リアムの目の前で、彼が治せない呪いを解くのだ。
正体が、バレる。
「監視」どころか、もっと大変なことになるかもしれない。
(でも……)
アリアは、苦しむシルフィと、泣きそうな顔をしているリアムを見た。
(……見捨てられないよ)
アリアは、窓枠を乗り越えた。
「アリアちゃん!?」
メアリの制止を聞かず、アリアは二階の窓から、風魔法でふわりと飛び降りた。
そして、人だかりをかき分け、リアムの元へと走った。
「どいて! 通してください!」
アリアは、リアムの前に膝をついた。
「ローゼン……?」
リアムが、虚ろな目でアリアを見た。
「……何をしに来た。笑いに来たのか? 私の無様を」
「違います!」
アリアは、強い口調で言った。
「私に、見せてください」
「……無駄だ。これは呪いだ。君のような魔力Gに何ができる」
「いいから!」
アリアは、強引にリアムの手からシルフィを受け取った。
(重い……。命の重さだ)
シルフィの体は熱く、黒いシミが脈打つように広がっている。
アリアは、周囲を見渡した。
カイン、リゼット、クラスメイトたち。野次馬。
みんなが見ている。
(……派手な魔法は使えない)
(ごまかさなきゃ。何か、言い訳を……)
アリアは、エプロンのポケットから、先ほどまで調理に使っていた「ミントの葉」を取り出した。
そして、それをすり潰し、シルフィの患部に当てた。
「……何をしている」
リアムが呻くように問う。
「薬草です」
アリアは嘘をついた。
「故郷の村に伝わる、虫刺されに効く薬草です。毒消しの効果があります」
「馬鹿な。そんなもので、この呪いが……」
「効きます」
アリアは、リアムの目をまっすぐに見つめた。
「信じてください」
そして、アリアは、すり潰したミントの葉の下で。
誰にも見えないように、指先に、極限まで圧縮した「光」の魔力を集中させた。
イメージする。
黒いシミを、光の粒子が洗い流す。
在るべき姿。
白い、綺麗な羽毛に、戻れ。
「……《解呪》」
アリアは、声に出さず、心の中で唱えた。
指先から、針の先ほどの、しかし太陽のように強烈な光が、シルフィの体内に注入される。
ジュワァァァ……。
黒いシミから、白い煙が上がった。
「ギッ……!」
シルフィが身を捩る。
「抑えててください!」
アリアが叫び、リアムが咄嗟にシルフィを押さえつける。
黒い霧は、アリアの光に触れ、断末魔のような音を立てて蒸発していく。
呪いの根源が、焼き切られる。
そして、その跡地には、アリアの魔力によって活性化された細胞が、驚異的な速度で再生を始めていた。
数秒後。
アリアが手を離すと、そこには。
黒いシミ一つない、純白の羽毛を取り戻したシルフィの姿があった。
「……ホゥ?」
シルフィが、ぱちくりと目を開けた。
痛みは消えているらしい。不思議そうに、自分の翼を確認している。
「…………」
周囲は、水を打ったように静まり返っていた。
「う、嘘だろ……?」
カインが呟く。「薬草で、治ったのか?」
「ミントって、すげえんだな……」
生徒たちは、「アリアの薬草知識すげえ」という方向で納得し始めていた。
アリアの作戦は、成功したかに見えた。
だが。
リアム・アークライトだけは、違った。
彼は、シルフィを抱きしめ、その温もりを確認した後。
ゆっくりと顔を上げ、アリアを見た。
その瞳は、震えていた。
彼は、見ていたのだ。
至近距離で。
アリアの指先から漏れ出た、あの「黄金色の光」を。
そして、あのおぞましい呪いを、一瞬で消滅させた、圧倒的な「聖性」を。
(……薬草なわけがあるか) (あれは……『光』だ) (それも、教会の聖女ですら持ち得ない、純粋無垢な、原初の光)
リアムの中で、全てのパズルが埋まった。
砂嵐。風の針。風膜。
そして、温室で見せた、植物の異常成長。
全ては、彼女がこの「規格外の力」を隠すための、偽装だったのだ。
彼女は、スパイではない。
そんなちっぽけな枠に収まる存在ではない。
彼女は——。
「……ありがとう」
リアムは、アリアの手を掴んだ。
その手は、震えていた。
「……ありがとう、ローゼン。君は……私の、恩人だ」
「……い、いえ。薬草が、効いてよかったです……」
アリアは、引きつった笑顔で答え、逃げるように手を引っ込めた。
(バレたかな? バレてないよね? 薬草で押し通せたよね?)
アリアは、必死に自分に言い聞かせていた。
だが、リアムの瞳に宿る色が、これまでの「監視」から、もっと重く、深い「崇拝」にも似た何か(あるいは、絶対的な守護の意志)に変わったことに、彼女はまだ気づいていなかった。




