10 魔法カフェと「紅蓮」の来客
6月。
王立マグノリア魔法学園のキャンパスは、初夏の陽気と、それ以上の熱気に包まれていた。
学園最大のイベント、「マグノリア祭」が迫っていたからだ。
これは単なる生徒たちの祭りではない。
王都の一般市民はもちろん、貴族や、他国の要人、さらには著名な魔術師たちも視察に訪れる、国を挙げての一大行事である。
当然、生徒たちは己の威信と、将来の就職やスカウトを懸けて、出し物の準備に全力を注ぐことになる。
1年A組の教室もまた、喧々諤々の議論の場となっていた。
「我がA組たるもの、高貴な舞踏会こそ相応しい!」
リゼット・オルレアンが扇子を広げて主張する。
「いやいや、そこは模擬戦トーナメントだろ! 俺たちの強さを見せつけるんだ!」
カイン・ベルフォードが机を叩いて反論する。
教室の隅、自分の席で小さくなっていたアリア・ローゼンは、心の中でひたすら祈っていた。
(目立たないやつ。目立たないやつ。どうか、私が表に出なくて済むやつでお願いします……)
そんなアリアの願いが通じたのか、あるいは天の助けか。
隣の席のメアリ・スミスがおずおずと手を挙げた。
「あの……カフェなんて、どうかな? 疲れたお客さんに、お茶とお菓子を出して休んでもらうの。……平和で、いいと思うんだけど」
教室が一瞬静まり返り、次に爆発的な賛同の声が上がった。
「それだ!」
「A組のエリートが給仕をする『執事・メイド喫茶』か!」
「リアム様の執事姿……! 絶対に需要があるわ!」
「リゼットのツンデレメイドも悪くないな」
こうして、1年A組の出し物は「魔法カフェ・マグノリア」に決定した。
役割分担の話し合いが始まる。
アリアは、これまでにない速さで挙手をした。
「は、はい! 私、裏方を希望します! 調理とか、洗い物とか、買い出しとか!」
必死だった。
接客など、絶対に無理だ。何百、何千という客の目に晒されるなど、考えただけで卒倒しそうになる。
幸い、クラスメイトたちはアリアを「魔力Gの地味な子」と認識しているため(一部の生徒は「リアム様に監視されている謎の生徒」と恐れているが)、表舞台に出すことには消極的だった。
「じゃあ、ローゼンはキッチン担当な。皿洗い頼むぜ」
「はい! 喜んで!」
アリアは、心の底から安堵した。
キッチンなら隠れていられる。野菜を切ったり、お皿を洗ったりするのは得意だ。
(よかった……。これで学園祭を平和に乗り切れる)
しかし、アリアの「平和」の定義は、常に周囲の「常識」とズレていた。
放課後の準備期間。
A組の教室は、急ごしらえのカフェへと改装されつつあった。
机を並べ替え、飾り付けをし、衣装の採寸を行う。
そんな中、クラスメイトの一人、魔道具師の娘であるソフィア・ヴァーミリオンが、大きな箱を抱えてやってきた。
「みんな注目! 私の自信作を持ってきたわ!」
ソフィアが箱を開けると、そこには銀色に輝く、車輪のついたワゴンと、数枚の金属製の円盤が入っていた。
「名付けて『自動配膳システム・マークIV』! 風の魔石を動力にして、注文された料理をお客さんのテーブルまで自動で運ぶの!」
「おおー! すげえ!」
「さすがソフィア!」
クラスメイトたちが盛り上がる。
アリアも、キッチンの隅から興味深そうに覗き込んだ。
(へえ……。風の魔石で浮力を生んで、指向性を持たせて移動させるのかな。便利そう)
「じゃあ、テスト起動するわね! リアム様、ちょっと見てていただけますか?」
ソフィアが得意げにスイッチを入れる。
配膳用の円盤が、ふわりと浮き上がった。
「すごい! 浮いた!」
だが、次の瞬間。
ブウン! という異音と共に、円盤が激しく振動し始めた。
「あれ? ちょっと出力が不安定かも……」
ソフィアが慌てて調整しようとしたが、遅かった。
円盤に組み込まれた風の魔石が、過剰な魔力を噴出したのだ。
バシュッ!!
「きゃあっ!?」
制御を失った円盤は、配膳どころか、凶器となって教室中を飛び回り始めた。
それだけではない。
ワゴンの上に積まれていた、リゼットが家から持ってきたという最高級のティーカップとソーサーの山が、暴風に煽られて宙に舞った。
「嘘!? 私の家の家宝が!」
リゼットが悲鳴を上げる。
「危ねえ! 伏せろ!」
カインが叫ぶ。
ガシャン! ガチャン!
教室は大パニックになった。
高速で飛び回る円盤。宙を舞う数十枚の陶磁器。
このままでは、カップが全滅するどころか、誰かが怪我をする。
(——あ)
キッチンの陰にいたアリアの目が、スローモーションのようにその光景を捉えた。
リアムが前に出て、結界を張ろうとしているのが見える。
だが、彼の結界は「防御」だ。生徒たちは守れても、宙を舞うティーカップまでは守れない。あれらは地面に落ちて粉々になるだろう。
リゼットが泣きそうな顔をしている。
(……もったいない)
アリアの思考は、単純だった。
あんな綺麗なカップを割るなんて、もったいない。
それに、ここで騒ぎが大きくなれば、準備が遅れ、私の平穏なキッチンライフも脅かされる。
(……誰も見てない。みんな、リアムさんの結界に注目してる)
(今なら、いける)
アリアは、エプロンのポケットの中で、指を小さく動かした。
イメージするのは、先日、秘密の温室で行った「大掃除」。
そして、『風使いの楽しい家庭菜園』の応用技。
『強風の日に、トマトの実が落ちないように、風で支えてあげる技術』。
「……《風の掌》」
アリアの唇が、音もなく動いた。
その瞬間。
教室の中に、奇妙な風が吹いた。
それは暴風ではなく、まるで意志を持った「クッション」のような、柔らかく、粘り気のある風だった。
宙を舞っていた数十個のカップとソーサーが、床に激突する寸前で、ふわりと、空中で停止した。
暴走していた配膳円盤も、見えない手に掴まれたかのように、空中でピタリと動きを止める。
「え……?」
カインが、口をあんぐりと開けた。
リゼットが、涙目のまま固まる。
アリアは、指先を指揮者のように滑らかに動かした。
空中に浮かんだカップたちが、整然と列をなし、まるでダンスを踊るように、キッチンの作業台の上へと、音もなく着地していく。
最後に、暴走していた円盤が、ソフィアの手元に、コトリ、と優しく戻された。
教室に、完全な静寂が訪れた。
「……な、なに? 今の……」
「奇跡……?」
「風が、助けてくれたのか?」
生徒たちは、何が起きたのか理解できず、互いに顔を見合わせた。
アリアは、キッチンの陰で小さく息を吐き、何食わぬ顔でジャガイモの皮むきを再開した。
(ふぅ。バレてない。完璧)
——しかし。
アリアは甘かった。
教室の中央で、結界を解除したリアム・アークライトだけは、その視線を、正確にキッチンのアリアに向けていた。
「…………」
彼の空色の瞳は、驚愕を通り越し、もはや「諦観」に近い色を帯びていた。
(……またか。ローゼン)
(数十の物体を同時に、異なるベクトルで制御し、傷一つ付けずに着地させるだと?)
(王宮魔術師団の「風部隊」一個小隊が束になっても、今の芸当は不可能だ)
リアムは、アリアの背中を見つめながら、心の中で重く溜息をついた。
(やはり、彼女は「特命」を受けたエージェントだ。それも、恐らくは国宝級の)
(そんな彼女が、なぜジャガイモの皮むきなどに甘んじているのかは謎だが……これも、任務の一環なのか?)
リアムは、アリアへの「畏怖」と、わけのわからない「信頼」を、勝手に深めていた。
(……いいだろう。君が隠したいというのなら、私が協力しよう。それが、アークライト家の「義務」だ)
「……皆、無事か」
リアムは、努めて冷静な声で、教室の空気を引き戻した。
「どうやら、ソフィアの発明品には、安全装置が働いたようだな。……さあ、作業を再開しよう」
「あ、ああ……そうだよな! 安全装置か! すげえなソフィア!」
「え? あ、うん……そう、なのよ! たぶん!」
リアムの機転(隠蔽工作)により、アリアの神業は「魔道具の機能」として処理された。
アリアは、キッチンからリアムの背中を見て、首を傾げた。
(……助かった? のかな?)
彼が何を考えているのかは分からないが、とりあえず平穏は守られたようだ。
そして、学園祭当日。
快晴の空の下、王立マグノリア魔法学園は、かつてない賑わいを見せていた。
正門から続くメインストリートには屋台が並び、着飾った人々が行き交う。
1年A組の「魔法カフェ・マグノリア」も、開店と同時に長蛇の列ができていた。
その人気の理由は、明白だった。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
執事服に身を包んだリアム・アークライトが、優雅に一礼するだけで、女性客から黄色い悲鳴が上がる。
「こ、こちらへどうぞ! ……だぞ!」
慣れないメイド服を着たリゼットが、顔を真っ赤にしながら接客する姿も、マニアにはたまらないらしい。
そんな華やかな表舞台の裏側。
キッチンでは、アリアが戦場のような忙しさの中にいた。
「ローゼン! 紅茶の追加だ!」
「はい!」
「スコーンが足りないぞ! 焼けたか!」
「今出します!」
アリアは、一心不乱に手を動かしていた。
だが、その手元は、常人には見えない速度で動いていた。
(注文が多い……! 普通にやってたら間に合わない!)
アリアは、誰にも見えない角度で、指先から微量の魔力を放出する。
《加熱》の火魔法を、オーブンの中だけに限定展開。
温度を均一に保ち、焼き時間を半分に短縮する。
さらに、《風》の魔術で茶葉を踊らせ、瞬時にお湯に味を抽出させる。
出来上がったスコーンは外はサクサク、中はふんわり。
紅茶は香り高く、渋みは一切ない。
「この店の料理、やけに美味しくないか?」
「一年生が出すレベルじゃないぞ」
お客たちの評判は上々だった。それが全て、裏方の「魔力G」の少女による超絶技巧のおかげだとは、誰も知らない。
(忙しいけど……楽しいかも)
アリアは、額の汗を拭いながら、充実感を感じていた。
誰にも注目されず、自分の仕事が評価され、みんなの役に立っている。
これこそが、アリアの求めていた「理想の学園生活」だった。
——その時までは。
「おい、リアム! 大変だ!」
入り口で案内係をしていたカインが、血相を変えてキッチンに飛び込んできた。
「ど、どうした? 食材が切れたか?」
「違う! ……とんでもない客が来た!」
「客?」
「VIPだ! いや、VIPなんてレベルじゃねえ! 『四天候』だ!」
ガチャン。
アリアの手から、トングが滑り落ちた。
「……え?」
アリアは、自分の耳を疑った。
四天候?
まさか。
カイさんは、任務で忙しいはずだ。
シルヴィ師匠も、めったに人前には出ない。
じゃあ、誰が?
「『紅蓮』のレナと、『大地』のゴウだ! 今、席に着いた!」
(うそでしょおおおおおおおおおお!?)
アリアは、心の中で絶叫した。
レナ姉様と、ゴウ兄様。
四天候の中でも、特にアリアを溺愛し、そして特に「自重」を知らない二人が、揃って来店したというのだ。
「な、なんで……」
アリアはガタガタと震え出した。
あの二人が、ただお茶を飲みに来るはずがない。
目的は一つ。
「アリアの様子を見に来た(冷やかしに来た)」に決まっている。
「落ち着け、カイン」
リアムが、厳しい表情で入ってきた。
「『四天候』といえば、王国の最高戦力だ。粗相があってはならない。私が直接対応する」
「た、頼むわ……。あの二人、座ってるだけで威圧感が半端ねえんだよ」
リアムは、身だしなみを整え、ホールへと出て行った。
アリアは、キッチンのドアの隙間から、恐る恐るホールを覗き見た。
いた。
窓際の一番いい席に、異彩を放つ二人の姿があった。
一人は、燃えるような真紅の髪をポニーテールにした、派手な美女。
「紅蓮」のレナ。
彼女は、腕を組んで不機嫌そうに店内を見回していた。
「なによこれ。狭苦しいわね。アリアはどこなのよ」
もう一人は、岩山のように巨大な体躯の男。
「大地」のゴウ。
彼は、小さなカフェの椅子が壊れないか心配になるほどの巨体で、窮屈そうに座り、無言でメニューを睨みつけていた。
(ひいいいい……! 目立ちすぎだよ二人とも!)
周りのお客さんたちが、遠巻きにヒソヒソと噂している。
「あれ、四天候のレナ様じゃない?」「隣の大男はゴウ様だ」「なんでこんな一年生の店に?」
リアムが、二人のテーブルに進み出た。
「いらっしゃいませ。ようこそ、魔法カフェ・マグノリアへ」
完璧な礼儀作法。さすが公爵家の嫡男だ。
レナが、リアムをじろりと見上げた。
「あら。あなたがアークライト家の坊や? ……ふうん。顔だけはいいわね」
「恐縮です」
「で? うちの……じゃなかった。ここのオススメは何?」
「はい。当店自慢のスコーンと、季節のフルーツタルトでございます」
「タルト?」
レナの目が光った。
「それ、誰が作ったの?」
「え……?」
リアムが一瞬、言葉に詰まる。
「キッチン担当の生徒たちですが……」
「名前は? 誰が焼いたの? アリア……とかいう子はいない?」
(やめてえええええええ!!)
アリアは、ドアの陰で頭を抱えた。
名指しだ。完全に名指しで確認しに来ている。
リアムの眉が、ピクリと動いた。
彼は、チラリとキッチンの方を見た。
(……やはりか)
リアムの中で、またしても確信が深まった。
(四天候までもが、彼女と接触を図ろうとしている。……アリア・ローゼン。君は、一体どれほどの組織の要人なんだ?)
「……あいにく、担当者の名前までは把握しておりませんが」
リアムは、表情一つ変えずに嘘をついた。
「当店の料理は、全てA組の総力を結集した自信作です」
「ふーん。つまんない答え」
レナはつまらなそうに頬杖をついた。
「まあいいわ。そのタルトと、紅茶を頂戴。……もし不味かったら、店ごと燃やすから覚悟しなさいね」
「……善処致します」
リアムが下がってくる。
アリアは、キッチンの中で震えていた。
「ロ、ローゼン」
リアムが、アリアの元へやってきた。
その顔は、真剣そのものだった。
「……聞いたな?」
「は、はい……」
「『紅蓮』のレナ様が、君の作ったタルトをご所望だ」
「む、無理です! 私が運んだら、絶対バレます! 殺されます!」
「落ち着け。運ぶのは私だ」
リアムは、アリアの肩を掴んだ。
「君は、最高傑作を作れ。……彼女を満足させられなければ、この店は燃やされる。これは、A組の存亡に関わる重大事だ」
リアムは、アリアが四天候と関わりがあることを知っている(とアリアは思っている)はずだが、彼はあえてそこには触れず、「客としての対応」を求めてきた。
(……やるしかない)
アリアは、覚悟を決めた。
ここで逃げたら、本当にレナ姉様は暴れるかもしれない。あの人は、そういう人だ。
アリアは、タルトの仕上げに取り掛かった。
カスタードクリームの滑らかさ。フルーツの並べ方。そして、仕上げのナパージュ(艶出し)。
全てに、微細な魔力を込める。
(姉様の好きな、甘さ控えめ。フルーツの酸味を活かして……)
(ゴウ兄様には、少し大きめのカットで、ナッツを多めに……)
数分後。
完璧なタルトが完成した。
リアムは、それを恭しくトレイに乗せ、再び戦場へと向かった。
アリアは、再びドアの隙間から覗き見る。
リアムが、タルトを二人の前に置く。
レナが、フォークで一口、口に運ぶ。
ゴクリ。
アリアの喉が鳴る。
レナが、咀嚼し、飲み込む。
そして、その鋭い目が、カッと見開かれた。
「…………」
沈黙。
緊張が走る。
「……合格よ」
レナが、フン、と鼻を鳴らした。
「焼き加減、クリームの甘さ。……懐かしい味がするわね。誰かさんが、田舎で焼いてくれた味にそっくりだわ」
レナの口元が、わずかに緩んでいる。
隣のゴウも、無言でタルトを平らげ、無言でサムズアップしていた。
(よかったあぁぁぁぁ……!)
アリアは、その場にへたり込んだ。
どうやら、店が燃やされる事態は回避されたようだ。
二人はその後、紅茶を飲み干し、席を立った。
帰り際、レナはリアムに一枚の金貨を投げ渡した。
「釣りはいらないわ。……それと、伝えておきなさい」
レナは、キッチンの方向をじっと見つめ、言った。
「『ちゃんと食べて、ちゃんと寝なさい。無理はするな』ってね」
「……承知致しました」
リアムは、深く頭を下げた。
二人の四天候は、嵐のように現れ、嵐のように去っていった。
アリアは、キッチンの中で、安堵と、そして少しの寂しさを感じていた。
(姉様、兄様……。ありがとう)
あんなに派手で、怖くて、迷惑な人たちだけど。
それでも、わざわざ様子を見に来てくれた、大切な家族。
「……ローゼン」
リアムが、キッチンに戻ってきた。
彼は、アリアをじっと見つめた。
その目には、以前のような冷たさはなく、どこか、同志を見るような色が混じっていた。
「……伝言だ。『ちゃんと食べて、ちゃんと寝ろ』だそうだ」
「……はい」
アリアは、小さく頷いた。
「それと」
リアムは、少し言い淀んでから、続けた。
「……タルト、美味かったそうだ。……よくやった」
「え?」
アリアが顔を上げると、リアムはすでに背を向けて、ホールへと戻っていくところだった。
その耳が、ほんの少しだけ赤くなっているように見えたのは、アリアの気のせいだっただろうか。
嵐の来訪は、A組のカフェに思わぬ高評価を残していった。
だが、アリアは知らなかった。
この平穏な時間が、これから起こる「本当の事件」の、ほんのプロローグに過ぎないことを。
教室の外。
廊下の陰から、アリアたちの様子をじっと伺う、一人の女子生徒の姿があった。
その瞳は、暗く、虚ろに濁っていた。
手に持っているのは、何かの「箱」。
それは、ソフィアが作った配膳システムの残骸……ではなく、もっと禍々しい気配を放つ、別の「何か」だった。
祭りの喧騒の裏で、歯車が、狂い始めていた。




