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風読みの魔女は静かに過ごしたい  作者: おおりく
1-4章 初めての友人、初めての.....

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9 秘密の温室と「家庭菜園」の実践

王都の市場への外出から一夜が明けた、日曜日の朝。

アリア・ローゼンは、寮の自室で、豊かなハーブの香りに包まれて目覚めた。


窓から差し込む朝日が、昨日メアリと一緒に選んだ「ローズマリー」と「ミント」、そして「ラベンダー」の苗を照らしている。

まだ小さな黒いビニールポットに入ったままの苗たちは、どこか窮屈そうで、けれど生命力に溢れていた。


「……おはよう」


アリアは、ベッドから起き上がると、真っ先に苗たちの元へ歩み寄った。

指先で、ローズマリーの硬い葉をそっと撫でる。指に残った清涼感のある香りを胸いっぱいに吸い込むと、昨日までの学園生活での鬱屈とした気分が、少しだけ晴れるような気がした。


「早く、植え替えてあげないと」


アリアは、ポットの土の乾き具合を確認しながら呟いた。

これらのハーブは、生命力が強い。今の小さなポットのままでは、すぐに根詰まりを起こしてしまう。早く広い土に植え替え、のびのびと根を張らせてあげなければならない。


しかし、ここで問題があった。

女子寮の規則では、「自室での大型プランターの設置」や「ベランダでの泥汚れを伴う作業」は、美観と衛生上の理由から厳しく制限されていたのだ。

窓辺に小さな鉢を一つ二つ置く程度なら黙認されるだろうが、アリアがやりたいのは、そんな可愛らしいガーデニングではない。

『風使いの楽しい家庭菜園』に記された理論を実践し、土の配合からこだわり、風と光の魔術で生育環境を整える、本格的な「栽培」だ。


「……場所が、ない」


アリアは、苗たちを見つめて途方に暮れた。

やはり、この学園には、自分の居場所も、植物たちの居場所もないのだろうか。


その時、コンコン、と控えめなノックの音がした。

「アリアちゃん? 起きてる?」

メアリの声だ。アリアは急いでドアを開けた。


「おはよう、メアリちゃん!」

「おはよう! ……ふふ、アリアちゃんの部屋、すごくいい匂いがするね」

メアリは、部屋に満ちるハーブの香りに目を細めた。

「うん。でも……」

アリアは、困ったように眉を下げ、寮の規則と、植え替え場所がないことを相談した。


メアリは、うーん、と人差し指を顎に当てて考え込んだ。

「そっかぁ。寮の庭は、専属の庭師さんが管理してるから、勝手に掘り返したら怒られちゃうもんね」

「うん……。どうしよう」

「……あ! そうだ!」

メアリが、ポンと手を叩いた。

「ねえアリアちゃん。私、前に学園の探検をしてた時に、良さそうな場所を見つけたの!」

「良さそうな場所?」

「うん! 旧校舎の裏側! あそこなら、誰も来ないし、荒れ放題だったから、こっそり使ってもバレないかも!」


「旧校舎……」

その響きに、アリアの目が輝いた。

人気がない。荒れ放題。誰も来ない。

それはつまり、アリアが最も求めている「隔離された空間」ということだ。


「行こう! メアリちゃん!」


王立マグノリア魔法学園の敷地は広大だ。

現在使われている本館や教室棟、寮がある「中央区画」の北側には、鬱蒼とした森に囲まれた「旧学園区画」が存在する。

かつて使われていた石造りの校舎や塔が、今は蔦に覆われ、静かに眠っているエリアだ。


アリアとメアリは、作業着代わりの動きやすい服に着替え、スコップやバケツを持って、その旧区画へと足を踏み入れた。

足元の石畳はひび割れ、隙間から雑草が顔を出している。

聞こえるのは鳥のさえずりと、風が木々を揺らす音だけ。


「ここだよ」

メアリが案内したのは、旧校舎の本館裏、中庭だった場所のさらに奥まった一角だった。

高い生垣のトンネルを抜けると、そこには、忘れ去られた小さな建物が佇んでいた。


「……わあ」


アリアは、感嘆の声を漏らした。

それは、ガラス張りの「温室」だった。

ドーム状の天井。優美な曲線を描く鉄のフレーム。

かつては、貴族の子女たちが優雅にお茶を楽しみながら、珍しい花々を愛でた場所なのだろう。

今は、ガラスの半分が泥と苔で曇り、入り口の扉は錆びつき、内部は枯れた植物と雑草のジャングルになっているが、その骨組みはしっかりとしていた。


「どう? ここなら、雨も風も防げるし、日当たりも最高だよ!」

メアリが得意げに言う。

アリアは、吸い寄せられるように温室に近づき、曇ったガラスを袖でそっと拭った。

中に差し込む光。静止した空気。

そこには、学園の喧騒も、リアムの監視の目も、クラスメイトの嘲笑もない。

ただ、植物と、静寂だけがある。


「……最高」

アリアは、震える声で言った。

「ここ、最高だよ、メアリちゃん……! ここなら、誰にも邪魔されない!」


「ふふ、よかった! じゃあ、早速お掃除しよっか!」

「うん!」


二人の「秘密基地作り」が始まった。

まずは、錆びついた扉をこじ開けるところからだ。

「せーのっ!」

ギギギギ……と、嫌な金属音を立てて、扉が開く。

中からは、カビと土埃の混じった、むっとするような空気が溢れ出した。


「うわぁ、埃すごいね」

メアリが手で口を覆う。

「私が、水で洗い流すね! 《洗浄》!」

メアリが杖を振ると、清潔な水が噴き出し、床の泥汚れを洗い流していく。

アリアも負けてはいられない。

「じゃあ、私は埃を……」


アリアは、周囲を見渡した。

温室の高い天井。手の届かない梁や、ガラスの隅に溜まった分厚い埃。

普通なら、梯子を持ってきて、雑巾で拭かなければならない大変な作業だ。

だが、アリアには「風」がある。


(……誰も見てない。メアリちゃんは、床掃除に夢中だ)

アリアは、こっそりと、しかし大胆に魔力を練った。

イメージするのは、先日、図書館の地下室で古文書に対して行った『風膜』の応用。

ただし、今回はあんなに神経をすり減らすような精密さは必要ない。もっと大雑把に、豪快に。


(風よ。私の箒になりなさい)


アリアが指を鳴らすと、温室の中に、つむじ風が発生した。

それは、ただの風ではない。

ガラスの表面、鉄骨の隙間、床の隅々。あらゆる場所にへばりついた埃だけを、静電気のように吸着し、巻き込んでいく「掃除の風」だ。


ザザザザッ!

一瞬にして、温室中の埃が空中でひとつの球体にまとまり、そのまま開け放たれた天窓から、ポイッと外へ排出された。


「えっ!?」

水仕事をしていたメアリが、急に明るくなった室内に驚いて顔を上げた。

曇っていたガラスが、まるで新品のようにピカピカに磨き上げられ、太陽の光が燦々と降り注いでいる。

「す、すごい……! アリアちゃん、今、何したの!?」


「え? あ、ええと……」

アリアは、しまった、と思ったが、もう遅い。

「風で、ちょっと、換気しただけ……だよ?」

「換気でこんなにピカピカになるの!? すごーい! アリアちゃん、やっぱり魔法上手なんだね!」

メアリは、疑うことを知らないキラキラした目で、純粋に称賛してくれた。

アリアは、罪悪感と嬉しさの入り混じった複雑な気持ちで、「えへへ……」と笑って誤魔化した。


掃除が終わると、温室は見違えるように美しくなった。

朽ちた木の棚を修理し、昨日買ったハーブの苗を並べる。

そして、いよいよ「植え替え」だ。


「土作りは、私に任せて」

アリアの表情が、真剣なものに変わる。

彼女は、持ってきた腐葉土と、旧校舎裏の森から採取した土を、温室の隅に積み上げた。

「美味しいお野菜……じゃなかった、元気なハーブを育てるには、土が一番大事なの」


アリアは、土の山に両手を突っ込んだ。

ひんやりとした感触。

目を閉じ、土の中の「声」を聞く。

(ちょっと、空気が足りない。団粒構造が崩れてる。水はけが悪いわね)


アリアは、土の中に、微細な魔力を流し込んだ。

それは、「土魔法」による造成ではない。

「風魔法」による、ミクロ単位の土壌改良だ。

土の粒子と粒子の間に、極小の空気の泡を送り込み、土をふかふかに耕していく。同時に、余分な水分を風で飛ばし、微生物が活動しやすい環境を整える。


「……《エアレーション》」


アリアが小さく呟くと、積み上げられた土の山が、ボフッ、と音を立てて一回り大きく膨らんだ。

まるで、焼きたてのパンのように、ふかふかで、温かい土の完成だ。


「わあ……! 土が、生きてるみたい!」

メアリが、目を丸くして土に触れる。

「すごい! ふわふわだぁ!」


二人は、その「最高の土」をプランターに入れ、ハーブの苗を優しく植え替えた。

ローズマリー、ミント、ラベンダー。

広々とした新しい土に根を下ろし、苗たちもどこか嬉しそうだ。


「大きくなあれ、大きくなあれ」

メアリが、ジョウロで水をあげながら、おまじないのように唱える。

アリアも、その隣で、苗たちを見つめた。


(……この子たち、環境が変わって、少しびっくりしてるかも)

植え替え直後の植物は、根にダメージを負い、弱ってしまうことがある。

(少しだけ、元気をあげよう)


アリアは、苗に手をかざした。

思い出すのは、故郷の村で、父がやっていたこと。

そして、『風使いの楽しい家庭菜園』の最終章に書かれていた、「お野菜へのおまじない」。


(お日様の光が、根っこに染み込んでいくイメージ)

(痛いの痛いの、飛んでいけ)

(ここで、元気に、根を張ってね)


アリアの手のひらから、淡い、黄金色の光が溢れ出した。

それは、魔術の体系で言えば「光魔法」に分類されるものだ。

だが、アリアにとっては、これは「魔術」ではなかった。

ただの、「祈り」であり、「応援」だ。


彼女の体内に眠る、規格外の魔力タンクから、ほんの僅かな「雫」がこぼれ落ちる。

その雫は、純粋な「生命エネルギー」となって、土の中へ、そしてハーブの根へと染み渡っていった。


「……!」

隣で見ていたメアリが、息を呑んだ。

「アリアちゃん、手が……光ってる?」


「え? あ、これ? これはね、『家庭菜園』の本に載ってた、おまじないなんだよ」

アリアは、悪びれもなく答えた。

「気持ちを込めて、元気を分けるの。そうすると、植物が応えてくれるんだって」


その言葉に応えるかのように。

植え替えられたばかりで、少ししんなりとしていたミントの葉が、目に見えてピンと背筋を伸ばした。

ローズマリーの緑色が、より一層濃く、艶やかになる。

そして、まだ蕾だったはずのラベンダーが、ポン、ポン、と小さな音を立てて、一斉に花を開かせた。


温室の中に、濃厚な花の香りと、清々しい緑の気が満ち溢れる。


「す、すごーい!!」

メアリが歓声を上げた。

「本当にお花が咲いた! 魔法みたい!」

「えへへ。上手くいったみたい」

アリアは、額の汗を拭いながら、満足げに微笑んだ。

彼女は気づいていなかった。

自分が今行ったことが、王宮の宮廷魔術師たちが血眼になって研究している「植物の急速成長促進」や「品種改良」を遥かに超える、神域の「活性化」であることを。

ただのラベンダーが、通常の十倍近い魔力含有量を持ち、万病に効く霊薬エリクサーの材料になり得るほどの「聖なる植物」へと変異してしまったことを。


「ここを、私たちの秘密基地にしようね!」

メアリが、アリアの手を取った。

「うん! 秘密の、温室だね!」


二人は、誰にも邪魔されない、自分たちだけの城を手に入れた喜びに、顔を見合わせて笑い合った。


その日の夕暮れ。

アリアたちが満足して寮に戻った後。

無人となったはずの「旧校舎裏の温室」を、遠く離れた校舎の屋根の上から、監視している人影があった。


リアム・アークライトである。


彼は、アリア・ローゼンを「監視対象」として認定して以来、休日であろうと気を抜くことはなかった。

今日、彼女が友人のメアリ・スミスと共に旧校舎エリアへ向かったのを確認し、彼は即座に追跡を開始した。

人目につかないよう、屋根の上や木の上を移動し、一定の距離を保ちながら。


そして今、彼は、望遠魔術をかけた片眼鏡越しに、その温室の様子を目撃し、戦慄していた。


「…………なんだ、あれは」


夕闇が迫る中、その温室だけが、異常な光景を作り出していた。

ガラス張りの温室の内部から、漏れ出しているのだ。

光が。

淡く、優しく、しかし圧倒的な密度を持った、「黄金色の魔力光」が。


それは、照明の明かりではない。

植物そのものが発光しているかのような、生命の輝きだ。

そして、温室の周囲だけ、雑草が異常な速度で成長し、季節外れの花々が咲き乱れ始めている。

温室から溢れ出る「余剰魔力」だけで、周囲の環境が生態系ごと書き換えられているのだ。


(……聖域サンクチュアリ


リアムの脳裏に、その単語が浮かんだ。

結界術の頂点に位置する、神聖不可侵の領域。

不浄なものを一切寄せ付けず、内部の生命を無限に祝福し、守護する、神の庭。


それを、あのアリア・ローゼンが、作ったというのか。

たった数時間で?

ただの、ボロボロの温室を?


「……『家庭菜園』だと?」

リアムは、先日、アリアが言っていた言葉を思い出し、呻いた。

「あれが、家庭菜園のレベルか……?」


植物を育てる、という行為。

それは、アークライト家の禁書『原論』にある「芽吹き」のルーンの概念、「生命の育成と循環」そのものだ。

彼女は、それを実践している。

しかも、恐ろしいほど無邪気に。恐ろしいほど高純度な魔力で。


(……やはり、あの女は危険だ)

リアムは、冷や汗が背中を伝うのを感じた。

彼女に悪意があるようには見えない。

だが、その「無自覚な強大な力」は、時として悪意よりもタチが悪い。

あんな高濃度の魔力溜まりを放置しておけば、いずれ強力な魔獣を引き寄せるか、あるいは王宮の探知網に引っかかる。


「……隠蔽しなければ」

リアムは、舌打ちをした。

敵対しているはずのアリアの尻拭いを、なぜ自分がしなければならないのか。

だが、放置すれば学園全体に関わる騒ぎになる。

アリアの正体が露見し、彼女が連れ去られでもすれば、彼女が属する「組織」との全面戦争になりかねない。


リアムは、屋根の上から温室に向けて手をかざした。

「——《認識阻害インビジブル・ブラインド》」

彼は、自分の持てる魔力を注ぎ込み、温室の周囲に、強力な「認識阻害の結界」を展開した。

外部からは、そこがただの「荒れ果てた廃墟」にしか見えないように。

あの異常な光も、溢れ出る魔力も、全て結界の内部に封じ込める。


「……くそっ。魔力消費が激しい」

リアムは、結界を固定し終えると、肩で息をした。

広範囲かつ高密度の隠蔽結界。A組トップの彼でも、維持するのは容易ではない。

だが、やるしかなかった。


「……借りにしとくぞ、ローゼン」

リアムは、誰もいない温室に向かって、恨めしげに呟いた。


「君が、その『秘密の花園』で、何を育てようとしているのか……。私が、最後まで見届けてやる」


アリアが、ささやかな平穏を求めて作った「癒やしの空間」。

それは、リアム・アークライトという最強の番人によって、鉄壁の要塞へと変貌を遂げていた。

温室の中のラベンダーが、まるでそれを嘲笑うかのように、妖しく、美しく、金色の光を放って揺れていた。

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