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風読みの魔女は静かに過ごしたい  作者: おおりく
1-3章 来訪者と深まる謎

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6 学園外学習と「四天候」の来訪

あの中間試験での一件——アリアが「謎の力」でゴーレムの魔力核を破壊し、リアムの窮地を救ってしまった、あの日から。

リアム・アークライトの態度は、明確に変化した。


それまでの「疑念」や「警戒」に満ちた冷たい視線は、鳴りを潜めた。

代わりに彼が選んだのは、「完全なる無視」だった。


アリアは、教室で彼と目が合っても、彼は興味のない石ころでも見るかのように、スッと視線を逸らす。

廊下ですれ違っても、まるでアリアが存在しないかのように、その横を通り過ぎる。

そして、週に三度の地獄——古文書修復室での共同作業。

あの日以来、彼はアリアに「次を」という作業指示の言葉さえ、発しなくなった。

彼はただ、アリアが完璧な『風膜』で古文書の浄化を終えるのを無言で待ち、無言で『保存結界』を施し、無言で次の古文書をアリアの前に置く。

その繰り返し。

カビ臭い地下室には、紙をめくる音と、衣擦れの音だけが響く。


(……怖い)

アリアは、その沈黙に、以前にも増して強い恐怖を感じていた。

彼は、もうアリアを「疑う」段階にはいない。

彼は、アリアを「理解を超えた、危険な存在」だと、完全に「認定」したのだ。

そして、下手に刺激しないよう、関わらないよう、完璧に「距離」を置いている。


アリアは、そのリアムの態度に、心臓が凍るような恐怖を感じると同時に、心の片隅で、歪な「安堵」さえ覚えていた。

(……これで、いい)

(これで、彼はもう、私に話しかけてこない)

(私の正体を暴こうと、問い詰めてくることもない)

(私が「危険な存在」だと思ってくれるなら、きっと、私を避けてくれるはずだ)


そう。これでいいのだ。

アリアが望んだ「平穏」とは似ても似つかないが、「誰からも関わられない」という目的は、最悪の形で達成されつつあった。


唯一の救いは、メアリ・スミスが、そんなアリアの学園内での奇妙な立ち位置(A組の生徒たちからは「魔力Gの落ちこぼれ」と侮蔑され、A組トップのリアムからは「危険物」として無視される)に気づきながらも、変わらずに接してくれることだった。

「アリアちゃん、今日の魔法史のノート、見せてくれない? 私、マチルダ先生の話、半分くらい寝ちゃってて……」

「う、うん。いいよ。私のでよければ……」

メアリの屈託のない笑顔だけが、アリアの心の拠り所だった。


そんな、歪な日常が続いていたある日。

A組のホームルームで、担任のイライザ教官が、明るい声で告げた。

「はーい、みなさん。今度の必修実技訓練は、いつもの訓練場ではなく、学園の外で行いまーす」

「「「おおー!」」」

教室が、どよめいた。

ギデオン教官のシゴキにうんざりしていた生徒たち(特にカイン)が、一斉に活気づく。


「行き先は、学園の北に広がる『ささやきの森』です!」

「ささやきの森?」

「はい。今回は戦闘訓練ではありませんよ」

イライザ教官が、ニコリと笑う。

「目的は、『魔法薬学』と『生態学』のための、植物および鉱石の採集実習です!」


(——薬草、採集!)

その単語を聞いた瞬間、机に突っ伏していたアリアの背筋が、ピクリと震えた。

(薬草……)

それは、アリアがこの学園に来るまで、十六年間、毎日、毎日やってきたことだった。

父の仕事を手伝い、クロノに(『風使いの楽しい家庭菜園』の理論で)叩き込まれ、アリアが唯一「得意」だと自負できる分野。


(これなら……)

(これなら、私でも、「足手まとい」にならずに済むかもしれない)

(「魔力G」でも、薬草の知識さえあれば……)

アリアの心に、この学園に来て初めて、微かな「希望」の光が射した気がした。


実習当日。

A組の生徒たちは、ギデオン教官(引率兼護衛)とイライザ教官に連れられ、転移ゲートを通って「ささやきの森」の入り口に立っていた。

「うわー! 空気うまっ!」「訓練場と大違いだ!」

カインたちが、解放感に満ちた声を上げる。


アリアも、森の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

(……村の匂いに、似てる)

湿った土の匂い。木の葉の青臭い匂い。

それだけで、アリアの強張っていた心が、少しだけ解れていくのを感じた。


「いいか、ヒヨども!」

ギデオン教官の怒声が、森の静寂を破った。

「ここは訓練場ではない! 本物の魔獣が出る! イライザ教官の指示に従い、採集リストにあるもの以外には触れるな! 決して単独行動はするな! ……ローゼン!」

「ひゃいっ!?」

不意に名前を呼ばれ、アリアは飛び上がった。


「貴様は……」

ギデオンは、忌々しげにアリアを一瞥した。

「……貴様は、メアリ・スミスの班に入れ。スミス! こいつから目を離すな! 絶対に魔術を使わせるな! いいな!」

「は、はいっ!」

メアリが、緊張した面持ちで頷く。

アリアは、(やっぱり……)と肩を落とした。

(まあ、いい。メアリちゃんと一緒なら、安心だ)


採集実習が始まった。

生徒たちは、四人一組の班に分かれ、イライザ教官から渡された「採集リスト」を片手に、森の中へ入っていく。

「えーっと、『月見草』と『銀葉の茎』? どこにあるんだ?」

カインが、リストを見ながら頭を掻いている。

「カイン、そっちは『毒ウルシ』よ! 触ったらカブれるわよ!」

リゼットが、甲高い声を上げる。


アリアは、メアリの班(メンバーはアリア、メアリ、そしてA組の地味な男子生徒二人)で、森の地面を注意深く観察していた。

(……あった)

アリアは、他の生徒が見向きもしない、古い切り株の根元に、小さな紫色の花を見つけた。

「あ、あの……メアリちゃん。これ」

「え? あ、本当だ! これ、『月見草』だ! アリアちゃん、すごい! よく見つけたね!」

「う、うん。こういう、湿った日陰が、好きだから……」

「へえー! 物知りなんだね!」

メアリに素直に感心され、アリアは、頬が熱くなるのを感じた。

(……うれしい)

誰かの役に立てた。

ただ、それだけのことが、アリアには泣きたいほど嬉しかった。


「おい! ローゼン!」

不意に、別の班からカインの声が飛んできた。

「こっちにも『銀葉』っての、生えてねえか!?」

「え、あ、ええと……」

アリアは、カインたちが探している辺りの土壌を見た。

(土が、乾きすぎてる。あそこには、生えない……)

「あ、あの……カインさん。そっちじゃなくて、もっと、小川に近い、水辺の方が……」

「おお! サンキュ!」


アリアの的確な助言で、各班の採集は、驚くほど順調に進んだ。

最初はアリアを「魔力G」と馬鹿にしていた生徒たちも、「おい、薬草のことはローゼンに聞け」「あいつ、妙に詳しいぞ」と、その知識には一目置かざるを得なくなっていた。

アリアは、人前で話すことへの緊張よりも、自分の知識が誰かの役に立つ喜びが、わずかに上回っていた。


「……」

ただ一人。

リアム・アークライトだけが、その光景を、離れた場所から、冷ややかに(あるいは、警戒するように)眺めていた。

彼の班(メンバーは、リアムと、彼を崇拝する貴族の男子生徒二人)は、すでに完璧に採集を終え、アリアたちの様子を監視していた。

(……薬草学、か)

リアムは、眉をひそめた。

(「魔力G」で「神業の魔力制御」。「危険なルーン」の知識。そして、専門家レベルの「薬草学」)

アリア・ローゼンという存在の、アンバランスさが、リアムの警戒をますます強めていた。


「——あれ?」

採集も終盤に差し掛かった頃。

アリアは、森の少し開けた場所で、足を止めた。

岩陰に、月の光を固めたかのように、淡く、青白く輝く花が、一輪、咲いていた。

「うそ……」

アリアは、息を呑んだ。

「『月光花』……!」


それは、リストの最後に「(発見できれば尚良し)」と書かれていた、極めて希少な薬草だった。

高位の治癒ポーションの材料になる、非常に高価な植物だ。

「メアリちゃん! あったよ! 『月光花』が……!」

「ええ!? 本当!?」

アリアの声に、メアリやカイン、他の生徒たちも集まってきた。

「おお! あれか! すげえ、本当に光ってる!」


アリアが、その花に手を伸ばそうと、一歩踏み出した、その時。


「——待て!! 動くな!!」


森を震わすような、ギデオン教官の怒声が響いた。

「っ!?」

アリアは、その場で凍りついた。


「……グルルルル……」

低い、地の底から響くような、獣の唸り声。

アリアたちが集まっていた広場の、反対側の茂みが、ガサガサと激しく揺れた。


そして、姿を現したのは——

「……う、そ……」

カインが、息を呑んだ。

それは、熊と猪が合わさったような、全高5メートルはあろうかという巨体だった。

全身は苔むした岩のような皮膚で覆われ、背中からは歪な樹木の枝が刺さったように生えている。

両目は、先のゴーレムの核のように、不気味な赤色に爛々と輝いていた。


「『森のフォレスト・ガーディアン』……!?」

リアムが、その名を呟いた。

「なぜ、B級レベルの魔獣が、こんな浅いエリアに……!」


「ヒヨども! 散るな! 固まれ!」

ギデオン教官が、生徒たちを庇うように前に出た。

「アークライト! お前は、イライザ教官と共に、全員を護るための『広域結界』を張れ! それ以外の者は、手を出すな! いいな!」

「は、はいっ!」

リアムとイライザ教官が、即座に詠唱を始める。

「きゃあああっ!」

メアリやリゼットが、小さな悲鳴を上げた。


「グルオオオオオ!!」

森の主が、獲物を見つけたとばかりに、咆哮を上げ、突進してきた。

「——させん!」

ギデオン教官が、その前に立ちはだかる。

「《土壁アースウォール》、三重!」

ドドドン!

三枚の分厚い土の壁が、地面から隆起する。


だが、

——ドガアアアアアン!

森の主は、速度を緩めることなく、三枚の壁を、まるで紙でも破るかのように、粉砕した。

「なっ!?」

ギデオンの目が見開かれる。


「硬い! 魔力抵抗も高いぞ!」

ギデオンは、体を捻り、間一髪で魔獣の薙ぎ払う爪を避けた。

「《岩石槍ストーンランス》!」

地面から、無数の岩の槍が突き出し、魔獣の腹を狙う。

——ガギギギギ!

しかし、岩の槍は、その硬質な皮膚に弾かれ、数本が浅く刺さっただけだった。


「グルルル!」

ダメージには程遠い。

魔獣は、より一層激昂し、ギデオンに襲いかかった。

「くそっ!」

ギデオン教官は、防戦一方に追いやられた。

彼は、生徒たちを守るため、その場から動けない。

一方、リアムとイライザ教官は、生徒たち全員を覆う《広域結界》の維持だけで、魔力の全てを使っており、攻撃に転じる余裕はなかった。


(……まずい)

アリアは、結界の中で、震えながら戦況を見つめていた。

(ギデオン先生が、押されてる……!)

(あんなの、試験のゴーレムなんかより、ずっと強い!)

メアリが、アリアの腕にしがみついてきた。

「アリアちゃん……こわい……」

「だ、大丈夫……。大丈夫だから……」


大丈夫なはずがなかった。

「グオオ!」

魔獣が、ギデオンの防御をかいくぐり、その巨大な爪を横に薙いだ。

「ぐっ……!?」

ギデオンは、咄嗟に腕でガードしたが、その巨体ごと数メートルも吹き飛ばされ、大木に叩きつけられた。


「ギデオン先生!」

イライザ教官が、悲鳴を上げた。

「いかん! 結界が……!」

リアムが、歯を食いしばった。


魔獣は、邪魔者が消えたとばかりに、その赤い目を、結界の中の「獲物」たち——アリアたち生徒に向けた。

そして、ゆっくりと、こちらに歩み寄ってくる。


(……だめだ)

(……死んじゃう)

メアリが、死んじゃう。カインも、リゼットも。

あの、冷たいリアムだって。

(……ギデオン先生も、倒れたまま……)


アリアは、覚悟を決めた。

(……バレても、いい)

(リアムに「拘束する」って言われても、いい)

(もう、どうなってもいい)

(——みんなを、助けないと!)


アリアは、結界の中で、メアリに気づかれないよう、そっと、右手の指先を魔獣に向けた。

狙うは、あの赤い両目。

『風の針』なら、あの硬い皮膚の上からでも、眼球を潰せる。


アリアが、魔力を練り上げ、放とうとした、——その瞬間。


「——やれやれ。騒がしいねぇ」


場にそぐわない、間延びした、男の声がした。

森に、急速に、濃い「霧」が立ち込めていく。


「な、なんだ!?」

リアムが、警戒を露わにした。

アリアも、魔力を寸前で止め、声のした方を見た。


魔獣と、リアムたちの結界の中間。

その霧の中から、一人の青年が、まるで散歩でもするかのように、のんびりと姿を現した。


歳は、二十代前半だろうか。

深い青を基調とした、旅人のような軽装。腰には細い剣を吊るしているが、抜く気配はない。

柔らかな、海の色をした髪が、霧に濡れていた。

その顔は、人を食ったような笑みを浮かべていた。


「グルオオオ!」

魔獣が、新たな侵入者に向かって、咆哮した。


「おっと。……これは、これは。『森の主』か。ご機嫌斜めだねぇ」

青年は、まったく動じていなかった。

それどころか、魔獣の後ろ——リアムたちの結界の中にいる、アリアを見つけた。


そして、ニヤリと、悪戯っぽく笑った。


「——やあ、アリア。息災かい?」


「…………え」


アリアは、凍りついた。

(う、そ)

(なんで、この人が、ここに……!?)


「アリア!?」

メアリが、アリアの顔を見た。

リアムの瞳が、危険なほど細められた。

(……知り合い、だと?)


「グルアアア!」

無視された魔獣が、激昂し、青年に向かって、その巨腕を振り下ろした。


「おっと、いけない」

青年は、面倒くさそうに、片手を、パチン、と指で鳴らした。

詠唱は、なかった。


「——《深き水底の牢獄アビス・プリズン》」


——直後。

森の空気が、変わった。

大気に満ちていた霧が、ありとあらゆる水分が、魔獣の一点に向かって、急速に圧縮されていく。


「グ……!?」

魔獣の巨体が、一瞬で、水の塊に飲み込まれた。

それは、ただの水ではない。

深海の水圧そのものを具現化したような、高密度の、青黒い「水の牢獄」だった。


——ギシギシギシッ。

水の牢獄が、内部の魔獣を、万力のように締め上げていく。

「グル……! ギ……!」

魔獣が、苦しげに、泡のような声を上げた。


さっきまで、ギデオン教官を圧倒していた「森の主」が。

リアムの結界を紙のように破った、あの魔獣が。

たった、一撃で。

指を鳴らした、ただの一瞬で。

完全に、無力化されていた。


「…………」

リアムも、カインも、リゼットも、そして、木に寄りかかりながら、かろうじて意識を保っていたギデオン教官さえも。

A組の全員が、その、あまりにも「規格外」な魔術の光景に、言葉を失っていた。


「ふう。やれやれ」

青年は、水の牢獄の中でもがき苦しむ魔獣を一瞥すると、興味を失ったかのように、アリアたちに向き直った。


「いやあ、驚いた。王さまの依頼で、この辺りの異常気象を調査に来てみれば、可愛い妹弟子が、ピンチじゃないか」

「……カイ、さん……」

アリアは、顔面蒼白になりながら、その青年の名を呼んだ。


青年——「四天候」の一角、「蒼海」のカイ・ウォーカーは、アリアに向かって、人懐っこい笑みを浮かべた。


「アリアの"お友達"には、サービスだよ」

カイは、結界の中で呆然とするリアムたちに向かって、ウインクしてみせた。

そして、アリアの隣まで、霧を滑るように移動すると、彼女にしか聞こえない声で、耳打ちした。


「……にしても、危なかったねぇ。今、魔力、解放しようとしただろ? 『風の針』」

「!?」

アリアの心臓が、跳ね上がった。

「ダメじゃないか、アリア。そんなことしたら、君が隠してる意味がない。……まあ、精々、上手くやんなよ」

「か、カイさんこそ、なんで……!」

「俺は、仕事! 仕事!」


カイは、悪戯が成功した子供のように笑うと、ポン、とアリアの頭を軽く叩いた。

「それじゃあ、後は、先生に任せた。俺は忙しいんでね」

カイは、ギデオン教官に向かって、ひらひらと手を振った。


「ま、待て! 貴公は、一体……!」

ギデオンが、負傷した体を起こし、問い詰めようとするが、カイは答えなかった。

「あ、そこのお坊ちゃん」

カイは、リアムに向き直った。

「……なんだ」

「あんまり、ウチの末っ子を、イジメないでやってくれるかな?」


カイは、それだけ言い残すと、その姿を再び濃い霧の中に溶かし、あっという間に、気配ごと消え去ってしまった。


森には、静寂が戻った。

残されたのは、未だ水の牢獄の中で意識を失っている「森の主」と。

目の前で起きた、あまりにも現実離れした光景に、呆然と立ち尽くす、A組の生徒たちと。


そして。

カイの最後の言葉——「ウチの末っ子」——の意味を反芻し、信じられないという表情で、アリア・ローゼンを見つめる、リアム・アークライトの姿だった。

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