第1話 夜明けが来ないのはあの日からだった。
ノンフィクションです。読んでくれたらとても嬉しいです。
まだ、母が優しかったころのことだ。当時小学生。
夕食時に満腹になり、母と散歩に行くことになった。外は夜で暗いとはいえ月明かりが照らす夜道がとても美しかったのを覚えている。
「そういえば今日、テストで100点だったのがクラスで私だけで、先生にほめられたんだ!」
「本当?やっぱりーーちゃんは頭が良いね。」
「ありがとう。ママと一生一緒に暮らしたい。それくらい、愛してるよ!」
「ママも愛してる。」
雑談をしながら歩き、帰ったら父に「おかえり」と言ってもらえる。そのときは幸せだった。
しかしその平和は長続きしなかった。思えば、あの日から何かが崩れる音がした。
成績が良いのもあり、中学受験をすることになった。県内トップクラスと言っても過言ではない公立中学だった。
半ば強制的に塾に入れられた。小学5年生の2月のことだ。
塾は受験対策をしているとはいえ中学校の内容の先取りを少しだけ終わらせていた。他の人に追いつこうと必死で頑張った。すると半年もかからず一番上のクラス、Sクラスに入ることができた。
11月、何度目かの模試の結果が返ってきた。理系は50点を下回っていたが、県内で16位をとることができて、初めて努力が報われた気がした。
それからも毎日勉強し続けたが、母は私が休んでいるときに限って様子を見に来て、
「どうして勉強しないの?もうすぐ受験なのに。」
「ちゃんと勉強しているよ。今は休憩しているだけ。ほら見て、このノート。」
「私のときは本も勉強する場所もテレビもなかった。でもママはいつも100点だったわよ。あなたはまだ悟っていない。どうすればいいのかしら。」
たまに理不尽な理由で突き飛ばされたり暴言を吐かれることもあった。でも決まって次の日には「ーーちゃんはできるって分かってるよ。」と優しく抱きしめてくれたし、学校での失敗や勉強で挫けそうになった時も「絶対合格する」という強い意志を持っていた。でも母は決して謝らなかった。それでも私は諦めなかった。過去問はどの年も合格点を大幅に上回り、Sクラスの中でも上のほうにいた。偏差値も70を超えたことが何度もあった。特に作文は、ずば抜けて良かった。
しかし、母の態度は日に日にひどくなっていった。
「あそこの家の子、アイドルが好きって言ってるけどそれは貴方を貶めるための噓。騙されないで。」
「あの子は100点。貴方は98点。どうして今回も100点をとれなかったの?こんなの簡単な問題じゃない。」
身体的な暴力よりも精神的のほうがきつかった。涙を流さない日はなかった。声を殺さずに泣いていた。ふと小さい頃もこんなことがあったなと思った。
受験当日、だいぶ手応えはあった。
合否発表の日、学校のタブレットで結果を見た。
結果は、不合格だった。
何度も自分の番号を探した。
帰宅すると、母が真顔で「おかえり」と言った。私は実感した。ああ、私は本当に駄目だったんだ、と。今まで耐えてきたのは何だったのだろうかと考えると涙が止まらなくて、それを見た母はその日は何もしなかった。
次の日、学校に行くと、合格者を知った。私を無視し、アイドルに夢中だったあの子と先生の顔に雑巾を投げたり自慢ばかりしていた男子が私の第一志望に合格していた。また、人をいじめていた子が偏差値の高い私立高校に受かっていた。信じられなかった。私は風邪をひいても一日も休まず学校に行っていたから卒業まで休むことはなかった。
私は前を向こうとしていた。これからも頑張って勉強すれば、もっと良い高校に行けば大丈夫だと頑張ろうとしていた。
卒業式当日、教室に戻るとほぼ全員が涙を流し、中学校に行きたくない、と言っていた。男子が「お前らなんで泣いてんの?」と涙を堪えながら言っていたが私の顔を見て黙ってしまった。私は学校で泣いたことは一度もなく、さらに早く中学校に行って勉強がしたかった。
春休み中、私は中学校の勉強の先取りをした。1年生の内容のうち3教科は終わっていた。
そのおかげか、授業で分からないことはなく、特に数学はみんなの前で解き方を説明したりして「頭が良いかもしれない人」という認識が広まっていた。