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第十六話 世界との決別

 私は廊下の途中で現れた隠し扉をそっと押し開け、奥へと続く細長い通路に足を踏み入れる。

 進むほどに、空気が肌に絡みつくような違和感を帯びていく。

 鼻腔を刺激する、重たく、濃密な魔力の気配。

 それは、かつて迷宮に入った時に感じた、あの圧のある魔力と同質のものだった。

 ただ一枚の扉が、それを封じ、私の感覚をごまかしていた。


 いや、今はそんな事、どうでも良い

 正体なんてとっくの昔に分かっていて、今、殺しに行くのだから。


「……私は帰る。本当の家に……帰る……」


 凍りついた胸の奥で、静まり返った廊下を進みながら、叶えるべき未来を見た。


 彼女を殺し、遺体を手土産に戻って、罰を減らしてもらう。

 そして魔王を無事に討伐する事ができ、日本へ帰る事が出来た自分。

 クラスメイトのみんなも誰一人死なず、また元の日常へと戻る。


 そう、きっとそれで良い。

 何も間違っていない。

 魔族の存在は、この世界の人々にとって悪でしかなく、私は命令されて仕方なく動いている機械人形に過ぎない。

 そう、きっと仕方ない。

 

「……また扉。多分、この奥に眠っているルリンさんが……」


 直感がそう告げている。

 私は迷わない。

 ドアノブに手をかけ、そっと回した。




 ---




 この部屋は寝室。

 ルリンさんは記憶領域で見た姿のまま、眠っている。

 顔は……見えない。

 景色が何もかもがモノクロに見えて、モノの境界線が判別つかなかった。


 大丈夫、見る必要はない。

 彼女の首を切り落とすだけなのだから。


「――――――、――」


 包丁を握る手が、わずかに震えていた。

 眠るルリンさんの首元へと、刃をそっと――まるで頬へ触れるように――近づける。

 白い喉元が、微かに上下するたび、刃先がその鼓動をなぞるように揺れた。

 

 今なら、やれる。

 命令に従い、やらなければならない。

 

 意識はそう囁いているのに、私の指は力を込めきれないまま、そこに止まっていた。

 

 …………脳裏に、未来には絶対に必要のない光景が……駆け巡る。




 □□□

 

「そう。別にフウカに求めてる事なんて何も無いけど……とりあえず2回分、貸しという事で手を打ってあげる。寛大な私に感謝してね」


 私に対しイライラながらも、広い心で許してくれた彼女。

 

 2回分。

 貸しを更に増やし続けるばかりか、彼女を殺すことで、無かったことにしようとしている自分。


 □□□


「それと…………お願いがあるんだけど」


 普段なら絶対に言わないはずなのに、料理を美味しいと言うだけに留まらず、3食分の食事を作るよう照れながらお願いする彼女。

 

 私が存在するせいで、毎日が苦痛に満ちていた筈なのに……私が一方的に不満をぶつけるだけで、彼女は何も言わなかった。


 □□□


「でもあの時の私には、フウカが話してくれた事がどうしようもないくらい、心に響いたの。……真っ青だった景色に別の色が混じる程度にはね」


 なんでもない。

 ……本当になんでもない、ただの1日を……彼女はそんな風に大切に伝えてくれた。

 

 私はそれに応えることも出来ずに……




「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」


 喉が裂けるほどの悲鳴を上げながら、刻印に抵抗した。

 体は動く。

 否、勝手に動いてしまう。

 包丁が――彼女の喉元へと、無慈悲に降りようとしていた。


 ダメだ。

 絶対にダメだ。

 殺してはいけない。


 ……分かったんだ。

 やっと、自分の気持ちに。


「……好きです……ルリンさん。貴女の事が……どうしようもなく、大好きなんです!!」


 涙が止まらない。

 喉が焼ける。

 震える足、ひび割れそうな心。

 けれどその全てを、私は必死に支えた。

 

 殺さない。

 絶対に――殺せるはずがない。


 私は全身の魔力を無理やり制御し、包丁の向きを変えた。


「ぐぅぅあああアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 そして――自分の腹に、勢いよく突き立てる。


「がッ……は……っ!!」


 縦に、裂くように引いた。

 赤が溢れる。


 ……少し狙いがズレてしまった。

 熱くて、痛くて……だけど、こんな事をしてもほんの少し、自分の動きを鈍らせる程度にしかならない。

 隷属刻印は無慈悲に、私に命令を遂行させる。

 

 ……私は願う。

 自分の命を犠牲にしてでも、彼女に生きてほしい。

 誰よりも、今思い描けるどんな願いよりも、彼女を優先したい。


「ルリンさんを殺すくらいなら、私がッ!!!」


 次は外さない。

 私は心臓に向けて思いっきり包丁を振り下ろした。

 

 ……だけど、刻印の力によって狙いに命中することはなかった。


 いや、違う。

 ……これは今までの刻印から送られてきた信号と、全く異なるものだ。

 

 そして……


『……どうして魔族を殺さないのですか? コレはフウカ様が、そこまでするに値する生き物なのでしょうか?』


 懐かしい声が聞こえてきた。

 

 あれだけ探して姿を現さなかった人形が、今、この状況で、何処からか語りかけてきた。


「ふふ………はい。私は私の命で返せないほどの恩が、この人にあります」


 何故だろう。

 ゼロさんの声を聞いて、自然と微笑んでいた。

 

『今、この魔族を殺さないということは、現在の人類に対する反逆の行為です。本当に殺さないおつもりですか?』

「私は……今の気持ちを曲げるつもりは…………ありません」


 もう、自覚してしまった。

 自分の本音に。

 正直になれば……理解してしまえば、こんなにも愛おしく感じる存在なのだと。


『では貴女は自分の家族に、二度と会えなくても良いと?――愛する者以外の全てを裏切ると、そうおっしゃるのですか?』

「……はい、それで構いません」

『…………』

「……もしルリンさんを生かすために、生きる人間の全てを殺害する必要があるというのなら、私は喜んで全人類の死体を彼女に献上します」


 その瞬間だった。

 首に焼きついていた灼熱の枷が、まるで砕けた氷のように弾けて消えた。


 それが私を支配していた“隷属の刻印”の終わりだったと、すぐにわかった。


 長い鎖が、ようやく外れた。

 私は自由になった。

 胸の奥に吹き込んだ風が、ひどく清々しい。

 

「ゼロさん、貴女は本当に何でもありですね……でも、ありがとうございます」

『私個人としては殺して頂いた方が嬉しいのですが、まぁ……これも何かの導きです。またの機会と致しましょう』


 姿も現さず、何処から話しかけてるのか分からない。

 不思議な人形だ。

 でも本当に助かった。


「……この借りは、いずれ返します」

『期待しないでお待ちしてます。フウカ様は主を害そうとしたのですから、そのお言葉を信じる方が難しいでしょう』

「ぐっ……それもそうなんですが……」


 私は小さく唸り、手にしていた包丁を静かに納めた。

 そしてゆっくりと、扉の前に立つ。


『どこへ行くつもりですか?』

「まだ終わっていないことがあるんです。……ルリンさんとの日常を守るために、断たなきゃいけない“縁”が」


 すると、宙から一振りの剣がすっと落ちてきた。

 

『それならこれをお持ちください』


 私はそれを両手で受け止めた。

 これはあの時の……


『覚悟を決めたのなら、次は殺す相手を見誤らない事ですね』

「……今もあの時の自分が間違ってるとは思いません。ただ、今は状況が大きく違うだけですから」


 かつての私は彼女についてよく知らなかった。

 だから切ることができた。

 でも、もうルリンさんを斬ろうとは思わない。

 そう覚悟するだけのモノを、沢山貰った。


「それでは、行ってきます」


 私は扉を開き、外へと向かった。

 停滞していた時間を、再び動かすために。

あとがきです


最後まで読んでもらえたようで嬉しいです。

続きもお楽しみください。

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