第十三話 ルリンさんの想い
足早に自室へ向かうと、扉の前に料理が静かに置かれていた。
「これは…………」
誰が作ったかなんて考えるまでもない。
ルリンさんだ。
隣には何かが書かれた紙切れが置いてある。
それを手に取り、目を通した。
『食べて』
「…………ッ!」
ほんの一言だけの優しさが、胸に突き刺さる。
「……何やってんだろ。私」
私は、彼女を避けてここから去ろうとしていた。
でもこれを見て自分の卑しさを、思い知らされる。
手を伸ばすと、湯気がまだほのかに立ちのぼっているのに気づいた。
「料理はまだ温かい……作ったばかりなんだ。でも部屋の中にいない……」
ルリンさんと最後に会話した時「顔も見たくない」と私は言ってしまっている。
そのせいで顔を見せてくれないのだろう。
いや……他にも理由はあるだろうけど、心当たりが多すぎて考えるのも嫌になる。
「本当に私は……どうしようもない、最低な人間だ」
私は震える手で紙をぐしゃぐしゃに丸めた。
部屋にも入らずその場で、配膳ワゴンに乗っていた皿に手を伸ばし、料理を味わう余裕もなく、喉に押し込む。
「すぐ謝りに行かなくちゃ……」
食べ終えた途端、床を蹴るように立ち上がり、ルリンさんを探しに行った。
とはいえ、どこにいるか分からない。
アテもそこまでない。
まずは厨房の方へ行ってみる。
「いない……次!」
次は屋敷内にある小さな書斎。
一緒に色々と勉強したり、外の世界についても話したりした場所だけど……
「ここにもいない……次です!」
おそらく私を助けてから、ルリンさんはまだ寝ていない。
ならば眠ってしまう前に見つけて、話をしてしまいたいところだけど、どこにいるのか検討がつかないのが困る。
本体がいる場所は分かっているけど、流石に……。
なら、服がいっぱい置いてある部屋の方に行ってみるのはどうか?
ここではよく彼女の着せ替え人形にさせられた覚えがあるけど……
「いない…………ほんと、どこにいるんですか」
もしかしたら本当に眠ってしまったのだろうか?
この気持ちで長いこと待つのは、ちょっと……心が揺らいでしまうかもしれない。
覚悟を決めた今の状態で、終わらせたいところだ。
ルリンさんの私に対する気持ちも、数日で変わってしまう可能性もあるし……
気づけば玄関まで来ていた。
外の空気に触れることで少しは気持ちが落ち着くかもしれないと、無意識に玄関の扉を開けた。
足を踏み出した瞬間、いつもの花畑の姿が目に入った。
風に揺れる青色の花々が、どこか落ち着きを与えてくれる。
そしてその場には――花達の前で座っている、彼女の姿もあった。
「…………」
遠くから見つめるだけじゃダメだ。
やっと見つけたんだ。
こっちから話しかけて謝らないと。
腰を下ろしているルリンさんの姿を目にして、私はそっと歩を進めた。
小さな音すら立てたくなくて、できる限り静かに、そっと――。
彼女の背中にゆっくり近づき、私はためらいながらも声をかける。
「……ルリンさ――」
「ねぇ」
「はっ、はいッ!」
名前を呼び終えるより先に、ルリンさんが話し出すのは想定外で……びっくりして声が裏返ってしまった。
それからルリンさんは少し間を置いて、静かに口を開いた。
「私が作った料理は美味しかった……?」
今の状況からこの質問。
私には全くもって質問の意図が理解できなかった。
でも、嫌われるような事は言ってはいけないと思い……
「それはもちろん!美――」
「嘘を吐いたら許さない」
「…………」
嘘は許されない、ときた。
もちろん前回よりは成長しているけど……正直、ルリンさんの作る料理はそこまで美味しくない。
だから、ありのまま言ってしまうのは気が引けたが……これ以上、恥の上塗りはできない。
「その、美味しくは…………なかった……です」
「そう」
「でも!私が言いたいのはそんな事じゃなくて!……なんというか、作ってもらえて嬉しかったです……」
「…………」
後ろから話しかけてるせいで、彼女がどんな表情か分からない。
もう少し謝罪の内容を考えてこればよかった……
探すのに必死だったせいで、会話をどうすれば良いか全く分からない。
とりあえず、まずは謝るところから始めよう。
「ルリンさん……本当にすみませんでした」
「…………」
後ろから話しかけてるせいで、彼女がどんな表情か分からない。
これを聞いてどう思うかは分からない。
「その、言い訳になるんですけど、最近は迷宮にいたせいで眠れなくて……ずっとイライラしてて、誰でも良いから当たりたくなってしまったんです」
「睡眠不足で無防備になった時、人は普段なら隠している本音を、うっかり漏らしやすくなる……らしいね」
「うっ……」
痛い。
痛すぎるところを突かれた。
そしてルリンさんの言葉から、先の発言も予想できてしまう。
……もうここは謝罪する場というより、私が断罪される場な気さえした。
「フウカから見る私は、そんなに化け物に見えた?」
嘘を吐くことは出来ない。
ありのままの本音を話す。
「はい……怖かったです」
「…………」
「命を助けられ、新しい手足を貰った分際で何をと思うかもしれませんが、それでも正体に気付いてからは……やっぱり、恐ろしく思いました」
「…………」
「……すみません」
自分が最低だという自覚は、昨日の時点でしている。
これ以上自虐をしても、意味のないほどに分かっている。
どうすれば彼女に許してもらえるだろうか。
私が私自身のために、許されたという自己満足を得たいのでは、断じてない。
どうしたら傷つけてしまったルリンさんの心を治せるか。
それだけが分からなく、その答えのみを、今は求めている。
「どうしてフウカはここに来たの? 私が怖いんでしょ?」
「はい、とても。ルリンさんは凄く強いですから、いつ私が喰べられるか……怖くて仕方ありませんでした。少し前までは体も上手く動かなかったですし」
そう言葉を返すと座っていたルリンが、ふわりと立ち上がった。
そしてこっちに振り返り、迷いもなくそのまま私の首を掴み、ぎゅっと絞める。
抵抗する間もなく、私は優しく、けれど容赦なく地面に叩きつけられた。
息が詰まり、視界が滲む。
ルリンさんの顔は、とても無機質な表情だった。
「フウカって馬鹿だよね。怖いのに近づくんだもん」
「…………」
「あなたはあんな酷い事を言ったんだよ? その上で生きて帰れると思った? 料理を作ってあげた程度で殺さないとでも?」
ルリンさん私に向かって、ねっとりと、獲物を見定めるような殺気を放ち、首を絞める力が強くなった。
「ねぇフウカ。許して欲しいんだったよね?」
「…………はい」
「なら、お願いを聞いて欲しいの」
「……私に……出来ることなら……」
分かっている。
彼女が今一番欲しがってるもの、それは……
「じゃあ、私にあなたを喰べさせて?」
「…………」
「もう本当に頭がおかしくなりそうなくらい、お腹が空いてるの……」
「…………」
「許して欲しいんでしょ?なら大人しく私に喰い殺されて!そうしたら今までのこと全部、許してあげるから!!」
やっぱりルリンさんはどうしようもない程に、人喰いの化け物だった。
でも、それでも……
「それだけは出来ません」
「……どうして?」
「もしそれを許してしまえば、お互い不幸になってしまうからです」
「なんでお腹を満たせた私が不幸になるの? 意味が分からないんだけど」
私はあの記憶領域での出来事を覚えている。
涙を流しながら自分の母を「美味しい」と言って喰べる少女の姿を。
ならば、出会って半年近く経っていない、私だったらどうだろうか?
これは自惚れかもしれないが……
「……これはただの勘なんですけど、ルリンさんがもし私を喰べたら、壊れてしまう気がするんですよね」
そう言うと、更に絞める力が増した。
指が私の皮膚に食い込んでいるのが分かる。
……まぁまぁ痛い。
「なんで!私が!あなたを殺した程度でそんな事になると思ってるの?!」
この反応。
ルリンさんは本当に想定していたのだろうか。
「……ふふ……そうですね、すみません」
「意味分かんない。今のどこに笑うところがあったの?殺す前に教えてくれない?」
「それはちょっと……うぐっ!」
「早く言って」
黙っているのは不可能のようだ。
今まで一度もネタばらしした事は無かったけど、こうなってしまっては仕方ない。
「……ルリンさんは……図星を突かれると、怒り出す癖があるんですよ」
「…………」
「今までの生活でも、結構この手の癖が出てました」
「…………」
「というわけで死ぬのは無し。自殺という選択肢を入れるのもやめて欲しいです」
そう言うとルリンさんは私の首から手を放し、そのまま正面から力なく倒れ込んできた。
ぐったりとした体が私の上に重なる。
……人形という特性上、やっぱり体は冷たく、重い。
「まったく……やってらんない」
「……すみませんでした」
「謝らなくていい。昨日の件については別に怒ってないし」
「えっ?!本当ですか?」
……驚きだ。
かなり酷い事ばかり言ったのに、あれで怒ってないという。
私だったら普通に縁を切るような発言なのに、彼女には響いていないらしい。
「……私、知ってたの。全部」
「しっ、知ってた?……いったい何の話を……?」
「だから全部……薄々気付いてると思うけど、No.000は私の手元に置いてあるの。そういうわけでフウカがゼロとの会合で、見たり経験したりした事も、大体は知ってる」
そ、そういうことか。
ゼロさんが見つからないと思っていたけど、やっぱりルリンさんが持っていたようだ。
だとすると尚のこと、私がいま死んでない事がおかしく思える。
「でもあの子。人形の癖に結構頑固で、記録の全ては渡してくれなかったんだよね」
「そうですか……それは良かった」
私は思わず安堵の息を吐いた。
どこまでの情報が渡ってるか分からないけど、どうやら私が死なない程度に、情報のコントロールをしてくれたようだ。
……そうなると、知らぬ間にゼロさんに命を救われていたということになる。
これは素直にありがたい。
「なにほっとしてるの?」
「え?」
「あんまり思い出したくない事だけど、フウカがあそこで過去の私の首を刎ねたの。しっかり見てるし、絶対に忘れないからね」
「びゃああああああああ!!!!!」
あまりの驚きに変な声が出た。
これ、誤魔化しが絶対に効かないやつだ。
「うるさい。耳元で叫ばないで」
それにしても、本当に全部渡ってないのだろうか?
一番知られてはいけないものを、見られた気がする。
でも私は生きている。
実はあの話はそれほどルリンさんにとって重要じゃない……?
「その……そこまで見られて、何で私は死んでないんでしょうか?殺そうと思ったりしなかったんですか?」
「そんなの、勿論殺そうと思ったに決まってるでしょ」
「ひぇっ……」
「フウカは、自分が3日間くらい昏睡した日のことを覚えてる?」
昏睡……ゼロさんと出会った日のことか。
「覚えてます……」
「あの時ね、とっくにお腹が空いてたの。あなたは剣士だから私の【喰べてやろう】っていう空気にも気づいたんじゃない?」
「……はい、流石に死の危険を感じました」
やっぱりアレは勘違いじゃなかった。
一瞬の間とはいえ、あの時は自分が食べられる立場だと理解させられるひとときだった。
「なのに、自分はまだ生きています。私はルリンさんにとって、そんなにも生かしておく価値のある人間でしたか?」
「……言いたくない」
「それは良かったです…………いたいっ!」
ぽすん、と横からルリンさんの額が私のこめかみにぶつかる。
軽く、けれど鋭く狙ったような頭突きだった。
「調子に乗らないで」
「すみません。でも分からないです。何がルリンさんをそうさせたのか。私はそんなに特別な事をした覚えがありません」
「……別にそこまで気にすることでもないでしょ……」
「私には多分……きっと、重要な事です」
そう答えると、ルリンさんはしばらく黙り込んだ。
私から話しかけるつもりはない。
彼女が話し出すまで待とうと思う。
とはいえ、上から覆い被さられたままだと重いし、腕が痺れてきた。
「ちょっとすみません」
私は小さく声をかけながら、痺れた腕を引き抜くようにしてゆっくりと上半身を起こす。
それでもルリンさんは身を離そうとはしなかった。
まるで引力でも働いているかのように、重心を私に預けたまま、ゆるく体を寄せてくる。
やがて、ふわりとルリンさんの頭が、私の肩にそっと乗った。
そして彼女はゆっくりと口を開き出す。
「…………あの日。私がフウカを喰べずに生かしておいたのは、ただの気まぐれだった。別にやろうと思えばいつでも出来るし、後回しにしただけ」
「…………」
「その後も今日になるまで、結局そうしなかったのは……あなたが恐怖心を押し殺して、真剣に向き合ってくれたから……かもしれない」
「……そうですか」
あの日、私は決断した。
徹頭徹尾、自分が生きるためにそう接しようと決めた事だった。
それが回りまわってこの結果になったらしい。
私は間違ってなかった。
「ううん、違うかも」
「え……?」
「それよりも前、フウカと一緒に初めて花を見た日。あの時点でこうなるのは決まってたのかもね」
一緒に花を見た日……?
その時の事は覚えている。
だけどあの日は、ルリンさんを怒らせた以外で特に何もしていないはず。
「私なにもしてなくないですか?」
「したよ」
「な、なにを……?」
「……フウカが自分の名前の由来を語ってくれた」
彼女はそう言った後、私の肩からゆっくりと肩から頭を外した。
少し間を置いた後、手を軽く上げ、自分の頭に飾っている青の花飾りを指で摘まみ、それを私に向かって見せてくれた。
「この花の名前、知ってる?」
「名前は……リンドウ」
「そう。お母さんはこの花が大好きだった。屋敷の庭一面を、これの花畑にしてしまうほどにね」
彼女が普段から身につけている青い花。
てっきりルリンさんの趣味かと思っていた。
「それでお花大好きな馬鹿なお母さんは、それだけに懲りず、私に名付けたの。――ルリン。花の名前を少し貰った形になるかな」
「…………これを言うのは失礼だと思うんですけど、その話と私の名前の話……あんまり関係なくないですか?」
思い出話に、水を差してしまったかもしれない。
でも私はことの関連性を感じられなかった。
「あるよ」
「…………」
「……実は、フウカが名前の由来について話すまで、この話を忘れてたの」
「え?」
「当然だよね。自分で自分の記憶や、魔族としての特性を封印してるんだから」
……あぁそうか。
なるほど、理解した。
この話がゼロさんが文句を垂らしてた理由か。
私が封印を解くきっかけを作ったというは、おそらくこれの事だろう。
でも、それだと……
「私は封印を解いてしまった、どうしようもない愚か者じゃないですか……」
「うん、そうかも……でも嬉しかった」
「…………」
「自分の名前の由来なんて、何でもない、普通にするかもしれない話。多分、誰も興味をそそられないどうでもいいことだと思う」
「……そうですね」
「でもあの時の私には、フウカが話してくれた事がどうしようもないくらい、心に響いたの。……真っ青だった景色に別の色が混じる程度にはね」
そう言った後ルリンさんは立ち上がって、私の横に回り込む。
「ちょっと、じっとしてて」
「はい」
気づけば彼女の指先が、私の髪にふれていた。
優しく髪をかき分ける感触に、思わず息を止める。
そして、何か細やかなものが私のこめかみに添えられた。
「結構似合ってる」
「似合ってないですよ……」
「嫌でもこれから私と会う時はそれ着けててね」
「え〜」
絶対似合わないと思ったから、部屋に置かれてるやつも着けなかったのに……
「あなた。命一つ程度じゃ釣り合わないくらいには、私に恩がある事……忘れてないよね?」
「ハイ……」
「それにこれなら、他の人形達と見間違えたりしないでしょ」
「まぁそうですね」
そしてルリンさんはどこかふらついた足取りで座り込んだと思ったら、何も言わずに私の膝へ頭を預けてきた。
「え、えっと……?」
「もう話は終わりでいいでしょ? 私、凄く眠いの」
「眠いのでしたら、人形との同期を切って寝れば良いのでは……」
少し……いや、私はかなり驚いている。
これは俗に言う、膝枕という奴をさせられているのだろうか。
初めての経験だ。
「これは命令よ。私が寝るまで、そのままでいなさい。異議は認めないから」
「……命令なら仕方ないですね。かしこまりました」
ルリンさんの頭の重みが、じわりと膝にのしかかる。
見下ろすと、彼女は目を閉じ、静かに呼吸をしていた。
まるで、そのまま眠りに落ちてしまいそうなほど安らかな表情だった。
私はそっと手を伸ばし、彼女の髪に触れる。
指先が鉛色の髪をすくい、静かに流すように撫でていく。
意識して優しくしようとしているわけじゃない。
ただ、手が自然とそう動いた。
……今日は初めてルリンさんの本音を聞けた日だ。
これからどうすれば良いだろうか。
今日の話し合いで、私はもう何をどうすれば良いか分からなくなってしまった。
自分の気持ちさえも……
聞くつもりだった、手足についての話も聞けていない。
聞ける雰囲気でも無かったし……それ以前に、私は彼女をここに置いて、地上に戻って良いのだろうか?
私が地上に戻った場合、おそらくまた自分の記憶に蓋をして、花を眺めるだけの生活に戻ってしまうのだろう。
「ん……ん、んぅ」
「……ゆっくりおやすみなさい、ルリンさん」
もう眠ってしまったようだ。
……はぁ。
おそらくだけど、ルリンさんが眠る時間を増やし続けている理由は、魔族としての食欲を抑えるために行なっているものだ。
私はあんなに怒鳴って、責めて、喚いて……それでも彼女は私を拒まなかった。
むしろ、こうして甘えるように身を預けてきた。
不器用で、面倒で、でも――きっと、とても優しい人なんだと思う。
彼女は一緒に花を見ただけの日の事を、あんな風に大切な事のように言ってくれた。
それなのに、私は………………どうすれば……
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とりあえず、眠ってしまったルリンさんを背負って、私の部屋まで連れてきた。
少し重かったけど、不思議と足取りは軽かった。
ベッドにそっと寝かせ、その寝顔をひとつ見届けてから、私はベッドの縁に背を預けるようにして、床に腰を下ろす。
別に本体じゃないんだから、外にあのまま放置しても良かったかもしれない。
でも、そんな事する気分ではなかった。
膝を抱えて目を閉じると、かすかに聞こえるルリンさんの寝息が、まるで子守唄のように響いてきた。
そうして私は、硬い床の上で眠りに落ちていった。
あとがきです
最後まで読んでもらえたようで嬉しいです。
続きもお楽しみください。
次の話では後半に男性視点が混じります。
男性視点を書いたのは初めてでしたが、まぁそんなに女性視点と変わりませんね。