第十二話 最低で恩知らずな私
気づけば、私は見慣れた部屋のベッドの上。
そして目の前には彼女が立っていた。
つまりここは……
「随分と汚れたみたいね」
「ルリンさん……」
「…………」
助けられた。
そう私はまた命を救ってもらってしまった。
感謝するべき事のはずだ。
前回に続き、私はこの人から受けたものを何一つとして返せていないのだから。
そう。
その筈なのに……まず、私の脳裏を駆け巡った感情は――怒りだった。
「どうして私はここに居るんですか?! 」
「…………」
もしかしたら初対面の時と同じく、一言目にお礼を欲しがってるかもしれない。
だけど、今の私はとてもそんな事を言う気にはなれなかった。
「私は……私はもう少しで、迷宮から出る事ができたんです。なのに!なんで助けたんですか!!」
「それはフウカに……」
彼女は言葉を途中で止め、ぐっと唇を引き結んだ。
そしてまたゆっくりと話し始める。
「……フウカは事実、死にかけてた。あの場面で私が助けなかったら、きっと死んでる」
「そんな事はありません!きっと誰かが助けてくれました……出口は近かったんです……きっと……」
「…………」
「……それにあんな状況になったのは、途中で動かなくなった義肢のせいです!!急に壊れたりしなければ、あんな状況になることもありませんでした!!」
そう言って私は、溢れ出る激情を抑えきれず、ベッドを下りて、怒りのまま両手で首元を掴み上げる。
「元はと言えば、貴女達のような人喰い魔族が存在するせいです!」
言ってしまった。
絶対に言ってはいけない言葉だった。
それにルリンさんは人喰いだけど、被害者でもある。
だけど止められない。
もう限界だった。
私はこの地獄のような世界に来てから、勇者としての役目を無理矢理押し付けられて、旅を強制され、ありとあらゆる行動を制限された。
「なんで私が……貴女達を殺してまわるために、無理矢理働かされる必要があるんですか……私はただの学生だったのに……」
虚しさが胸を満たしていって、気がつけば手から力が抜けていった。
指先が震えて、そのままルリンさんを放す。
支えを失ったみたいに、膝が勝手に折れて、私は床に崩れ落ち、頭を抱えることもできず、ただ、うつむいて息を殺す。
何もかもが嫌で、もう本当にどうしようもなかった。
分かっている。
これはただの八つ当たりだ。
それも決してやってはいけない人に対して、当たり散らしている。
自分は今、生きている人間の中で一番最低な事をしている。
分かっているんだ。
「知ってた。私はフウカに求められてない事くらい。貴女には帰る場所があるのも……」
彼女が再び話し始めた。
いつものような乱暴者としての雰囲気はなく、声色からは怒りを感じない。
ただ……ただ悲しそうに言葉を続ける。
「だけど……それでも、生きて欲しかった。例えフウカに求められてなくても、私は貴女に色々と貰ったから、黙って死ぬのを見てられなかった……!」
彼女の言葉が理解出来ない。
人喰い魔族と罵った件を咎めるわけでもなく、善意でくれた義肢に対する暴言に激昂するわけでもなく、八つ当たりだと苦言を呈するわけでもない。
ただ、生きて欲しいと。
貰ったものがある、と言って。
だけど私には……
「ルリンさんにそう思われるような事を、した覚えがありません」
「…………」
……いや、もうやめよう。
これ以上恥の上塗りをしても意味が無い。
「すみません。少し……いえ、かなり言い過ぎました。ちょっと休んだらすぐ迷宮に戻るので、私の事は気にしないでください」
「フウカ…………」
「失礼は承知でお願いするんですが、出来れば部屋から出て行ってもらえるとありがたいです……しばらくは…………誰の顔も見たくありません」
そう彼女にお願いをして、部屋からいなくなってもらった。
もう、まともに顔を見ることも出来なくて、ルリンさんがどんな表情で出て行ったのかも分からない。
私は汚れた服を地面に脱ぎ捨て、ベッドの中に潜り込む。
体中が魔物の返り血で汚れているが、そんなのはお構いなし。
あぁ、本当に私は惨めで最低だ。
命を救われておいて、あの発言。
生きているのすら、おこがましく感じる。
というかなんでまだ生きているんだろう。
ルリンさんに向かって放ったあの発言は、デッドラインを等に飛び越えていたはずだ。
私自身が国で味わった拷問以上の事をされながら殺されても、何の疑問に思えないほどの暴言、侮辱だったと思う。
それなのに私はまだ生きている。
それ以上に生きて欲しいとまで言われた。
分からない。
命を救ってもらった側だというのに……帰りたいという自分の欲望優先して、まだルリンさんに怒りを覚えている自分が、どうしようもなく醜いとすら思える。
もう何を考えるのも億劫に感じた。
一旦寝よう。
ようやくまともに眠れるのだから。
これからのことは寝てから考えれば良い。
しっかり寝れば…………上手く頭も……回る。
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「最低だーーーーー!!!!」
起きて早々、昨日の事を思い出し、壁に向かって何度も頭を打ちつけた。
冷静になって昨日の自分の行動を思い出すと、あまりの気持ち悪さに反吐が出そうだ。
「やばい……あまりにやばすぎます。もう本当に!うわあああああああ!!!!」
もう叫ぶしかなかった。
睡眠不足で酷くイライラしていたとは言え、何をしているのか、私は。
より寄って当たり散らす相手がルリンさんなんて。
本当に最悪だ。
いや、最悪なのは八つ当たりされたルリンさんの方だろう。
謝らなければいけないけど、あそこまで最低な発言をしておいて、どう顔向けすれば良いか分からない。
やっぱりいっその事、黙ってもう一度迷宮に潜るべきか?
……駄目だ。
これ以上、恩を仇で返すことは出来ない。
もう少し……もう少し頭の中を整理出来たら謝りに行こう。
それよりもまず、今するべき事と言えば……
「お腹も凄く空いてますけど……お風呂に入らないといけないですね、これ」
昨日は迷宮帰りでそのまま寝てしまったし、そのせいで布団も汚れてしまった。
後で洗っておかないといけない。
まぁとりあえず、体の汚れを落とすのが先だ。
私は替えの着替えを胸に抱え、そっとドアノブに手をかける。
音を立てないように、ほんのわずかだけドアを押し開け、隙間から廊下を覗き込んだ。
「…………いない」
彼女の気配はどこにもなかった。
ほっと胸をなで下ろし、私は静かに部屋の外へと足を踏み出す。
……大丈夫。
体を綺麗にしてご飯を食べたあと、すぐに謝りに…………う〜ん。
本当にどうすれば良いんだ。
私に対するルリンさんの今の印象は、きっとほぼ最低値だと思う。
ここからどう挽回すれば良いのか?
謝りに行く事自体が、身の程知らずな行為に感じる。
……やっぱり一応、何も言わず迷宮に戻る方針も検討しておこう。
そんなことを考えながら、歩幅を小さく、廊下を進んでいった。
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水を浴びている最中にようやく気付いた。
「あれ? なんか、腕と足が動いてる……」
迷宮内では壊れて動かなかった義肢達が、今は普通に動作している。
これはどういう事なのか?
もしかして寝ている間にルリンさんが直してくれた?……いや、違う。
それより前に、私はルリンさんの胸ぐらを掴んでいる。
つまりここに戻ってすぐ、義肢は正常に動作するようになった。
するとこれのカラクリは、ルリンさんの近くにいる時しか動作しない、もしくはこの特殊な土地にいる状態でのみ動作可能か……?
……結局、ルリンさんと会話しないと、何も始まらなさそうだ。
とはいえ、これ以上の待遇を求めるのも違うが……
「長風呂のし過ぎで鉢合わせるなんてのは嫌だし、一回ここから出ますか〜……」
シャワーを止めると、水音が静かに消えた。
乾布を手に取り、手早く体を拭き、着替えを済ませる。
浴室を出ると、廊下はしんと静まり返っていた。
外には人形以外の気配はない。
私は濡れた髪をタオルでざっと拭きながら、足音を立てないように自室へ向かった。
最後まで読んでもらえたようで嬉しいです。
続きもお楽しみください。