第十話 ちょっとしたトラブル
それから2週間ほどが経った。
屋敷の周りにある建造物も一通り見て、良い運動兼、暇つぶしにもなった。
勿論、この長い時間の間にやった事は、それだけじゃない。
ルリンさんは無愛想な顔が標準の上に、あの態度だ。
こっちから積極的に話しかける……なんてしたら、私の存在がストレスになるんじゃないかとも思っていたけど、そうでもないようだ。
かなりあっちからグイグイと来る。
当然、あの態度のままで。
一緒にやったことと言えば、料理を作ったり、外の世界の話をしたり、ちょっとした魔法を教わったり。
試しに「一度で良いから手料理を食べたい」とお願いしてみると、もの凄く嫌そうな顔をしながら、今回は作ってくれた。
味は……まぁ、うん。
料理は私がここからいなくなるまでに覚えてくれれば嬉しい、という感じだ。
それにしても私が屋敷に来る前は、花ばかり見てたって言っていたけど、今はその片鱗すらない。
もはや見られてるのは、私まである。
流石に一緒に寝たりはしないけど、寝るまでほぼ付きっきりだ。
だけどあの態度は絶対に崩れない……まぁここら辺は人間性と言うべきか。
でもここまで関係性を築く事が出来れば、私を食べようとはしない…………と思いたかったけど、かなり不審に感じる点が現れた。
一つ目はルリンさんの私のところに顔出すペースが、遅くなり始めた事だ。
最初の1週間は毎日、朝になると彼女の方から私を叩き起こしてくれていた。
だけど今週は昼に顔を出したり、夜中に私の部屋を訪れたりと……
これについて聞いてみたが『ちょっと体調が悪い』だけと、軽く受け流されてしまった。
もう一つは勘違いかもしれないけど、オートで動いている筈である、他の人形達の動きが稀に鈍くなってるように思える。
これがどういう事かは分からない。
でもこの不審な動きを、ただの体調不良とそのまま受け止めるのは厳しい。
あのふざけた人形の助言もあり、流石に不可能だ。
あれから顔を出してないけど、もう一度あの工房に行ってみるべきかもしれない。
あの時は第一印象が最悪な上に、心まで読まれたので、まともに言葉を受け取らなかったけど……彼女との生活を経て思う。
今度はしっかりゼロさんと対話するべきだと。
という事で今夜、あの工房に2度目の訪問へ行く事にした
「あれ?なんか今、変な気配が……」
1人で屋敷の外に出た瞬間、空気の質がほんのわずかに変わった。
風の音が途切れたような――いや、違う。
音じゃない。
肌をなでる空気の流れに、見えない“ざらつき”のようなものが混じっていた。
私は足を止めて、そっと目を閉じる。
……特に異常は感じられない。
気のせいだったのだろうか?
というか……
「家畜達の気配が邪魔で仕方ありませんね……」
これを言っても仕方ないかもしれないが、花畑を魔物に管理させるのは正直どうかと思う。
文化の違い……まぁ多様性と納得するべきなんだろうけど……神様に貰った力は、今もあの家畜達をを切るべき対象と定めている。
多少コントロールはきくけど、例えるならスマホの通知音が鳴り止まない感覚に近い。
ここで文句を言っても何も変わりはしないが……
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工房の中への潜入は成功した。
この結界で覆われた土地の時間設定が、現在夜のせいで工房内はかなり暗い。
そして一つ忘れていけない事がある。
「……はぁ、この時間にルリンさんが起きて来ないことを祈るばかりです……」
あの人がいつ起きてくるのか分からない。
なので迅速に話を済ませて、自分の部屋に戻る必要がある。
一番最低なのは、また3日間の昏睡状態に落ちる事だろうか。
再会したらこの件も問い詰めよう。
とりあえず教わった魔術を使って、部屋を照らしながら例の机のところに向かうが……
「な、ない?!」
机には前回来た時同様、乱雑に魔導書が置かれている。
配置もおそらく変わっていない。
なのに……よりによってあの一冊だけが見当たらなかった。
ここに無い理由はいくつか予想できる。
一つはあの本が自分で動いて、本棚の方へ戻った可能性。
……自分で言ってて馬鹿らしく思うが、無いとも言い切れない。
元は作られた人形のソレだ。
ゼロさんは偶々私に興味を示して、あの世界に招待したに過ぎない。
元々は別の場所に置かれていた可能性がある。
他にも何個か挙げられるけど、最悪なのはルリンさんの手元にある場合か。
「とりあえず、なるべく迅速に探し出さないと」
なんて思いながら探すこと数時間。
結局見つからない。
こんな事をしていては夜が明ける上に、ルリンさんの眠りが覚めてしまう可能性がある。
というかもう起きてて、私のベッドの上で仁王立ちで待ってる可能性も……
「仕方ないですね。これ以上探しても見つからなさそうですし」
怖くなってきた。
今日は一旦戻ろう。
そう決断して本棚の間を進みながら、出口へ向かおうとしていた。
しかしその時、屋敷に出た時の気配を再び感じる。
それもかなり色濃くなったモノ。
これは間違いなく……
―――ドォォン……!
「魔物!!」
天井を蹴破り、建物の中へと入ってきた。
魔物の翼からは炎がほとばしり、まるで空気そのものが焦げているかのよう。
真紅というよりは、灼けるような橙。
眩しくて、目が焼けそうだ。
――――――キィィィ――ッ!
「相変わらずうるさい鳴き声ですね。ブレイズ・アークですか……」
あ〜もう……最悪の最悪だ。
これならルリンさんに見つかって弁明した方が、まだ生き残れるチャンスがある。
なんでこのタイミングでこの魔物に襲われるんだ。
いや……でも、おかしいな。
魔物とここで出会う事自体がおかしいが、それ以上にこの魔物……迷宮で出会った奴よりだいぶ弱い気がする。
言ってしまえば内包する魔力が、十分の一程度しかない。
――――――キィィィ……
「流石の光源いらず、眩しいですね。わざわざ光魔術に集中力を割かなくて済みそうです」
私は手持ちの杖を剣のように構えた。
……正直一歩でも動けば、型が崩れて転けるのが見えている。
さて……お互い見合う時間が始まってしまった。
あっちは私を食べたいようだが、警戒してこれ以上近づいて来ない。
機を狙ってると言ったところだろうか。
杖一本で戦えないことも無いが、この足と腕では五分五分……もしくはギリ負けるか。
仮にも私はまぁまぁ地獄を見てきた剣士をやっているのだ。
私に纏う覇気を感じて、是非とも生存本能のまま、ここから逃げ出して欲しいところだけど…………
――――――キィィィイイイッッツ!!
ダメだったようだ。
紅翼鳥は痺れを切らし、食欲に任せ飛び掛かってきた。
爪が風を裂き、喉を狙って一直線。
今の体では避けられない。
——ガンッ!
左腕を盾にするように差し出した。
「くっ!……」
義手がひしゃげた金属音を響かせ、爪が滑る。
衝撃が肩まで抜けたが、杖は落とさなかった。
「あれ?腕が壊れてない」
驚いた。
思った以上に、この義肢達は頑丈なようだ。
腕を犠牲にカウンターを決めるつもりが、面食らったせいでチャンスを逃してしまった。
大きいミスである。
鳥の方は空中で滞空している。
あのまま飛び去って欲しいが、態勢を整えただけのようだ。
「少し警戒させ過ぎちゃったようですね。怖いなら逃げてしまえば良いのに……」
――――――グゥゥゥゥ……
結構ガチでいなし過ぎてしまったかもしれない。
私が全力で振るえるのは一撃だけだというのに。
慎重になった魔物が相手だと、最悪避けられてしまう。
……生きるためには、取るに足らない相手だと油断させなければいけない。
「本当に仕方ありません……こういう状況です。貴方のために、一時的に魅力溢れる餌となってあげましょう」
私は杖を握ったまま、深く息をついた。
魔力の流れを反転させるように、そっと意識を込める。
小さな音とともに、杖はふっと光を放ち、その姿を縮め、元の指輪へと戻った。
これで武器を持たない只人の完成である。
私は両手を広げて魔物に向かって言う。
「どうぞ、かかって来て下さい。私は攻撃しませんよ。武器もありません」
人の言語が魔物に通じるなど勿論、思っていない。
でも相手は分かる筈だ。
今の私が隙だらけでしかないということを。
――――――キアァァァァアアアアア!!!!
そして再び態勢を変え飛び掛かってきた。
狙いは頭部。
私は左の義手を素早く掲げ、くちばしの軌道をわずかに逸らすように角度をつけて差し出す。
硬質な金属と金属が擦れるような音。義手に衝撃が走るが、真正面から受けたわけじゃない。
力を逃がすように肩をひねり、くちばしの勢いをいなす。
続けざまに襲いかかる鋭い爪。
だが、こちらも同じ。
義手の甲を斜めに滑らせて、爪の先端を受け流す。
攻撃は受けた。
けれど体の大部分に傷は無い。
とはいえ相手が常時燃える魔物だけあって、徐々に体が焼けていく。
「そろそろ理解しましたか? 私はここから動けないんです。なのでもっと攻めてもらって良いですよ」
そして紅翼鳥の猛攻は続く。
私はそれをギリギリでいなしていく。
体には少しばかり掠り傷が増える。
続け様に繰り出す単調な動き。
もう、わざわざ滞空すらしてくれないようだ。
とてもありがたい。
「……チャンスは一瞬、外したら死」
その羽ばたきが乱れた——今しかない。
鳥の爪を力いっぱい弾いて、相手の体を揺らす。
私は指に嵌めた銀の指輪に魔力を流し込んだ。
熱が走り、金属が軋むような感覚。
光が瞬き、杖が形を取り戻す。
ほんの一拍の間に、私はそれを手にしていた。
「はあああ!……」
体をひねりながら跳ね上がるように踏み込み、頭上から振り下ろすように、杖を敵の頭部へと叩きつけた。
金属と骨のような硬い感触がぶつかり合い、衝撃が腕を突き抜ける。
鳥魔物の鳴き声が潰れたように途切れ、力尽きたように倒れた。
「……はぁはぁ、しんどい……立てない」
こんな相手、迷宮から脱出する時にどうせ腐るほど遭遇するんだ。
苦戦するわけにはいかない。
今回は仕方ない理由で防戦一方になっただけだけど。
それにしても、この工房の本や人形達は何故か大丈夫だったようだが、私の服は殆ど燃えてしまった上に、体も擦り傷だけとはいえ、傷だらけだ。
「本を燃えないよう魔術でコーティングするんだったら……是非……今度からは服にもお願いしたいところですね……本当に」
いや、そんなこと言ってる場合じゃない。
これ……どうやって言い訳すれば良いんだ。
工房は私が天井を修繕……なんて出来るわけがない。
立てるようになったら、急いでここから出て自分の部屋に戻り、何も見なかったように布団の中に籠る。
これでいける……いくしかないだろう。
紅翼鳥は家畜達になすりつければ問題ない。
服は……燃えたものを空間魔術で収納して、始めから貰った服なんて無かったで通すしか。
――――――ドン!!!!!!!!
扉を蹴破り、こっちに猛スピードで何かが向かってくる音が聞こえた。
「あ、終わった」
---
「ねぇ大丈夫?!?!」
「こ、これには実は地下迷宮より深い訳があって……」
言い訳をするべく、鉛のように重い体を無理に起こそうとした途端。
「動かないで!私が診るから!」
と押さえつけられてしまった。
「だ、大丈夫ですよ。大した怪我はしてません」
「何言ってるの……これかなり酷い火傷だよ」
「……初めて会った時に見ましたよね?私の体。本当に大丈夫なんです。消えた腕や足は戻らないみたいですけど、骨が折れたり凍ったり、多少の火傷なんかでも問題はありません」
痛いものはもちろん痛い。
それはただ普通に転けてしまった時でも、変わらず少ないながらも痛みはある。
でもこんなのは、国の連中に実験動物扱いされてた頃と比べれば、あまりに軽い。
「…………」
「だから大丈夫なんです。そ、それより!私に言い訳をさせt――」
「ごめん…………なさい」
いつもの生意気かつ無愛想な表情は、影も形もなく、口元が引きつっていた。
私を直視できず、拳を震わせている。
「え、えぇ……?!」
ルリンさんが謝った。
あのルリンさんが、だ。
初めて見た。
何があっても絶対に謝らない人かと思ってたのに。
っていうかなんで謝られてるんだろう?
「最近……私、本当に体調が悪くて……今日もずっと寝てたの。起きたら結界内に知らない魔物が居たのに気付いたけど、遅かった」
「そ、そんなに謝ることじゃ……」
「それに結界が綻んで、こんなのが入って来たのも私のせい…………だけど、反省してこの結界を強化するなんて事は、今の私には無理……」
悔しそうに眉を寄せ、声を震わせながら言った。
誤魔化そうとする様子はなかった。
ただ、ひたすら真剣で、必死だった。
「だからごめん。本当に……ごめん……なさ――」
彼女の頬には、歪んだ表情のまま。
もし人形に涙を流すという機能があるなら、本当に涙を流してそうなほどに……
なんだろう……まず、最初に危険に向かって飛び込んだのは私だ。
だというのに謝ってるのは彼女方だ。
なんでこんな場所にいるのかも聞かずに。
なんというかとても、とても……
「不快です。それ以上謝るのをやめてください」
「え?」
「なんで貴女が必死になって謝る必要があるんですか?」
「だって私が悪いから……こんな、また怠けたせいで……」
やっぱり似合わないな。
この人の謝ってる姿。
普段は……言ってしまえば、結構人を振り回す乱暴者って感じがするのに、今は別人みたいだ。
「ルリンさん。それ以上は本当にやめてください」
「…………」
「大前提で私は貴女に命を救われた人間。それも家まで使わせて頂いてるのに、こんな良い義肢まで貰ってしまいました。それにリハビリ付き合ってもらったりも」
「リハビリじゃなくて案内……」
ここでその返しをしてくるか……
本当に頑固のようだ。
「今その否定はいらないです。認めてください」
「…………」
「私、貰ってばっかりで何も返して無いですし、これからも何かを返すことなんてきっと出来ません……出来て料理くらいでしょうか? もうしばらくしたらここを出るつもりですから……」
そう言うとまた一瞬、ルリンさんの表情に陰りが見えた。
そして同時に脳裏に浮かんだ、ゼロさんのあの言葉。
魔王討伐を『それは叶わない夢』と言い切ったあの時を……
なんでこんな時に思い出すんだ、今考えるべきことじゃないはずだ。
私を首を大きく横に振り、忘れようと言い聞かせる。
「…………」
「なので謝るのはやめて下さい。いつも通りでいてくれるのが良いです。もしこれ以上謝りたいのでしたら対面で受け付けますよ」
正直、正体が魔族だと分かってから、今は会うことにそこまで積極的じゃない。
だけどあの時にあんな宣言しておいて、こう言わないのも違和感がある。
というか正体がバレた?、と思わせる類の違和感を与えそうだし、定期的に言うべきだろう。
別に会って話をするだけで留まるなら全然良いけど、ワンチャン死ぬ可能性がある。
「…………それは……絶対に無理」
「ふふ……では、これまで通りお願いしますね」
「分かった……じゃあ部屋まで運ぶから、落ちるのが怖いならしっかり捕まってて」
そう言われたので、私は手を伸ばし、軽く彼女の首に腕を回して、ぎゅっとしがみついた。
「はい、お願いします」
あとがきです
最後まで読んでもらえたようで嬉しいです。
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