第二十八章 不思議な男
ちょっと、メダパニ状態に.............
続きです
ホテルの部屋の中、微妙な緊張が漂う静けさを破るように、男がふと口を開いた。
「そういえば、まだ名前を言ってなかったな」
低く穏やかな声。少し迷ったように間を置く。
「俺は篠宮。篠宮誠司」
彼は車椅子を少し前に動かしながら、自分の名前を短く告げた。
「篠宮さん……ね」
千夏は一瞬だけ目を細め、少し間を置いてから返した。
その声には、まだ怒りが完全には収まっていない冷たさが混ざっていた。
「さっきも言ったけど千夏よ。それ以上は教えない」
彼女は軽く肩をすくめながら椅子に深く腰を掛け直し、足元の補装具が軽い音を立てるのを気にも留めない様子だった。
「さて、自己紹介も終わったところでとりあえず何でも聞いてくれ」
誠司は小さく笑いながら答えた。
「……あんた、普段は何してるの?」
千夏が問いかけると、誠司は少し肩をすくめた。
「僕の友達の会社で事務処理をやってる。まあ大体は家でリモートワークさ。それ以外はこれと言って特別なことはしてないよ。リハビリに行ったり、家で本を読んだり。あとは……たまにこうやってSNSで誰かと会ってくらいだな。」
その「誰か」が何を意味するのかは言葉にしなかったが、千夏は皮肉な笑みを浮かべた。
「つまり、出会い系サイト使ってやりまくってるんでしょ。楽しそうじゃない」
「そうだな。自分でも何やってんだろうなって思う時があるよ」
誠司の声は静かだったが、その裏には微かに漂う自己嫌悪があった。
それが千夏の心を少しだけ動かした。
「まあ、私も人のことはまったく言えないけどね」
千夏は松葉杖の握りを軽く撫でながら、窓の外に視線を向けた。
「色々あってね、こうやって誰かと会ってやったりするけど、ちょっと飽きてきた」
その言葉に誠司は小さく頷いた。
「なあ、ちょっと急に話が飛ぶんだけど、俺たちみたいに障害のある人間が何かを埋めたくて動くのは悪いことだと思うか?」
「良くないんじゃないの。よくわかんないけど」
その問いかけは、千夏にではなく自分自身に向けたもののように聞こえた。
二人の間に訪れた静寂を破るのは、外から聞こえるわずかな車のエンジン音だった。
「千夏」
誠司がふと声を出した。その声はそれまでの冷静さを保ちながらも、どこかためらいが含まれていた。
「何?」
「お前は今、こうして男と会ってやってる自分のこと、どう思ってる?」
「別に……何も」
千夏は眉をひそめながら返した。
「体のこともあるけど、なんか夢でもあるのか?」
不意打ちの質問に、千夏は少し視線を落とした。補装具のベルトがわずかに肌に食い込む感覚が意識に上る。
「……正直、将来の事なんて今はあんまり深く考えたくないのが本音かな。どうせ私には普通の人と同じ生活は出来ないし」
千夏の声は静かで、少しだけ沈んでいた。
「未来のこととか、自分がどう生きるべきかなんて、いつも分からなくなる。だからとりあえず目の前のことを何とかして暮らすだけよ」
その言葉に、誠司は短く息を吐いた。
「俺とまったく同じ意見だ」
千夏は意外そうに顔を上げた。
「……あんたも?」
「俺も、いつも目の前のことに追われてるだけだよ。未来なんて考えたくもないし、どうせいいことなんかない気がするからな」
その言葉には、悲観的な響きがあったが、千夏はそれが彼の本心であると感じ取った。
誠司が少しだけ車椅子を前進させた。
「なぁ、千夏。」
「何?」
「また会えないか?」
唐突なその言葉に、千夏は驚いたように目を見開いた。
「あんたと……?」
「君とはもっと普通に、何でもない話をしたい」
誠司の言葉には、これまでの冷静な態度とは違う、どこか不器用な優しさが込められていた。
千夏はしばらく沈黙してから、そっけない口調で答えた。
「・・・・・・気が向いたらね」
その返答に、誠司は短く笑った。
「気が向いたら、か。それでいい」
千夏は杖を掴んでゆっくりと立ち上がった。
補装具が膝から足首をしっかりと支えながらも、動作はぎこちない。
「帰る」
「送っていけたらいいんだけどな」
誠司が冗談めかして言うと、千夏は鼻で笑った。
「余計なことしないで。じゃあね」
ドアが閉まる音が静かな部屋に響いた後、誠司は一人残された空間に身を沈めた。
車椅子を少し動かして窓の外を眺める。そこには、冬の街並みがぼんやりと光っていた。
「……気が向いたら、か」
誠司は千夏の言葉を反芻しながら、なんとなく彼女との付き合いが長くなりそうなそんな気がしていた。




