第二十一章 償い
続きです。
冬の曇天が窓の外に広がる午後、病室には無機質な静けさが漂っていた。
白い壁に反射する薄い陽光が、点滴台や車椅子の金属フレームに鈍い光を宿している。
黒い電動車椅子に身を委ね、僕は膝下から足首までを覆う白いギプスに包まれた右足を見つめていた。
(僕は、紗月さんに何ができるんだろう……)
彼女が辛いリハビリに挑む姿を思うたび、動けない自分が歯がゆく、胸が締めつけられるようだった。
(紗月さんの事も自分のことも、何か……何かできることを見つけないと)
震える手を軽く握りしめる。
わずかな力しかこもらない動かせる範囲の限られたその手には、決意だけは小さく灯り続けている。
そんなとき、病室の扉が軽くノックされる。
「ねぇ、大崎くん、入っていい?」
聞き覚えのある声だった。
「千夏............?」
顔を上げると、ドアが開き千夏がゆっくりと入ってくる。
その姿は、別人としか思えなかった。
真っ赤なコートを羽織り、開けたその中には黒い光沢のあるタイトスカートと黒い複雑な柄模様の網タイツ。足首から下をタイトに包んだ黒く光を吸い込むような素材のショートブーツを履いている。
彼女の膝下の軽量のカーボン素材で作られた黒い補装具がタイツの上から、足首部分を固定するためのストラップがブーツの縁からふくらはぎ全体を包んで伸びている。
千夏が握るブラックフレームの松葉杖が床を突くたびに乾いた音が病室の静寂を切り裂く。
艶やかにセットされた黒髪を軽くかき上げ、耳元でゴールドのフープピアスが揺れる。唇には赤みのあるリップが引かれている。
その挑発的な容貌はまるで別人のようだった。
「久しぶりだね」
千夏はそう言いながら、松葉杖を慎重に突いて悠人の近くまで歩いてきた。
千夏の変貌ぶりに呆気にとられてしまう。動揺を隠せなかったが、先日の事もあり、どうにか平常心を保とうとする。
「どう、具合は?」
彼女の言葉は軽やかだったが、その奥には探るようなニュアンスが含まれていた。
「.....................千夏」
紗月と会っていた件について聞こうかと思っていたが何と言ってよいか分からず、とても聞き出す気になれない。
「秋山さんに聞いたのね。なんで私があの人の病院を知ってたか知りたいの?まぁ、そりゃそうよね」
千夏は片眉を上げて笑みを浮かべたが、その瞳にはどこか複雑な感情が浮かんでいた。
「紗月ちゃんのことで頭がいっぱいなんだよね?だからこんなに無理して、動けなくなって」
「......」
「仲良くやってる?」
「...............うん」
「もうしたの?恋人なんでしょ?」
「な、何...................言ってんだよ」
「え?!まだしてないの?悠人くん...........見損なったよ」
「.....................................千夏」
「.........................入院生活も長いもんね。悠人くんさ、たまってるんじゃないの?色々と」
「................................」
千夏が僕のベッドに腰掛ける。
「紗月さんの代わり、してあげよっか」
妖しい雰囲気で千夏の声はあざ笑うように僕に尋ねる。
挑発的なその態度は僕を苛立たせようとしているのかもしれない。
「紗月さんにしてもらいたいこととか、したいこととかいっぱいあるんでしょ?目閉じてやってみなよ」
千夏が僕に近づいてくる。
柑橘系のさわやかな香りが鼻をくすぐる。
彼女の香水だろうか。
「やめてよ、千夏」
「どうしてそんなに無理するの?気持ちよくなろうよ?一緒にさ」
千夏が僕へと指先を延ばす。
細く、綺麗な手。
綺麗に整えられた爪が赤く妖しく光っていた。
「やめてくれ!!」
千夏の手を振り払い、僕は顔を背ける。
彼女は、それ以上僕に触れようとしなかった。
しばらく沈黙が訪れる。
「あのさ、千夏……」
「.........なに?」
混乱した頭の中で、言葉を組み立て整理する。
許してもらいたいわけじゃない。
彼女としっかりと向き合う事。
それが僕のやるべきことだと思った。
「千夏が...君が親切にしてくれて僕は本当に救われた」
「は?」
彼女の口から聞いたことのない冷たい返事が返ってくる。
眉間に皺を寄せ、目を見開き、僕を見下ろす。
その表情は、自分を否定されたと感じた感情がありありと浮かんでいた。
「けれど...君が親切にしてくれればくれるほど、僕は自分が情けなくてしょうがなかった。僕が弱かったせいなんだけど、それが僕にはたまらなく、つらかった」
千夏は一瞬だけ悲しみの表情へと変わった顔を下へと向ける。
しかし、その後すぐにまた怒りの表情へと変わる。
「辛い?あんたがそんなこと言う資格あるの!?」
千夏は杖を力強く突き、声を荒げた。その音が再び病室に響き渡る。
「どうせ私の事なんかみてないくせに!わかんないでしょ私の事なんか!どれだけあんたに無視されても、私がどれだけあんたのことを想ってきたか……!」
「千夏、僕は……」
言い訳がましい僕の言葉を遮るように千夏はさらに言葉を続ける。
「私の事なんて、私の気持ちなんて一回も考えたことないんだよね!ねえ、誰かの好きな気持ちも察することが出来ないのに、なんで紗月ちゃんの気持ちなら分かるわけ?」
千夏の瞳には涙が浮かんでいたが、彼女はそれを見せまいと強く睨みつけた。
「千夏……ごめん」
千夏は小さく肩を震わせた。
「……二度と来ないから安心して」
彼女はそう言うと、松葉杖を突いて振り返り、病室の扉へと向かった。
その背中には、怒りと同時に深い悲しみが滲んでいた。
「さよなら、大崎くん」
千夏はそう言い残して病室を出ていった。
別れのその言葉は、諦めず僕を支えてくれた千夏との本当に最後の優しさを込めた言葉だったのかもしれない。
その背中が消えると、病室には再び静寂が戻った。
僕は、車椅子に身を預けたまま、じっと窓の外を見つめていた。
(千夏……)
彼女の涙と怒りが、胸に重く残っていた。
曇り空の下、小さな鳥が風に流されるように飛び去っていく。
その姿を見つめながら、悠人は静かに目を閉じた。
(僕は、ほんとにひどいやつだ)
とりあえず今日はここまでにしたいと思います。また明日あげられるかと思います。




