第十三章 戸惑い
元々そういうことをする人だったのかは作者にも分かりません。
手術当日の朝。うっすらと目を開ける。ベッドの横に置かれたモーター音が静かに止まり、病院の朝の独特な匂いが漂う。
電動ベッドを少しだけ動かし、上体を起こした。外を見ると、まだ淡い朝日が空を染め始めたところだった。冷たい空気が隙間から忍び込むようで、膝にかけた薄い毛布を少し引き寄せる。
「今日か……」
手術という決断に対する不安。それでも、昨夜彼が訪れてくれたことで、心には少しの安堵があった。彼のくれたカードが、すぐ手の届く場所に置かれている。それを見て、小さく笑みを浮かべる。
そんな穏やかな時間を破るように、突然病室のドアをノックする音がした。
「秋山さん、いますか?」
聞き慣れない女性の声だった。看護師だろうか?しかしその声には、どこかよそよそしさがあった。
「はい……どうぞ」
扉が開き、ゆっくりと一人の女性が入ってくる。
その女性は松葉杖を使いながら慎重に歩を進めてきた。黒い髪はポニーテールに纏められ、健康的で整った顔立ちをした女性だった。彼女は控えめな微笑みを浮かべていたが、その笑顔にはどこか緊張感が滲んでいた。
彼女を見て戸惑いを隠せなかった。松葉杖を突いた全く見覚えのない女性。
「初めまして。来宮といいます」
そう名乗り、ベッドの横に置かれた椅子に腰掛けると、松葉杖を横に置いた。その動きはぎこちなかったが、彼女の目は鋭くベッドの上を見据えている。
「……どなたですか?」
思わず尋ねる。このタイミングで、顔も知らない女性が訪ねてくる理由が分からなかった。
「私は、大崎悠人くんの……友達です」
悠人くんの友人という女性がなぜここにいるのか。彼から私の事を聞いていたのだろうか。けれども彼女の雰囲気からしてお見舞いという感じでもなさそうだ。
「今日は、秋山さんにどうしても伝えたいことがあって来ました」
心がざわめく。
「大崎、悠人くんとはリハビリ施設で知り合ったんです」
その女の子は柔らかい声で話し始めた。
「最初はただの友達だったけど、一緒にリハビリを頑張っているうちに、だんだんお互いにとって特別な存在になっていきました」
その言葉を聞いて、胸の奥に奇妙な感覚が広がる。
「特別な存在……?」
恐る恐る尋ねると、彼女は少しだけ口角を上げた。
「簡単に言うと、悠人くんと私は恋人みたいなものなんです」
その瞬間、まるで暖かった部屋の中に、冬の扉が開け放たれたかのように心に冷たい風が吹き抜けたようだった。
「……恋人?」
言葉が絞り出すように紡がれる。
「ええ。最近はちょっと......距離ができてるけど、それでも私たちはお互いに必要な存在なんです」
彼女はそう言うと、まるでその事実が絶対であるかのように、真っ直ぐに鋭く私を見つめた。
胸の奥に、不安と困惑が渦巻く。
「悠人くんが……恋人?」
彼には恋人はいなかったハズだった。なぜなら彼の口から聞いたからだ。けれど同時に、彼女の言葉が真実である可能性も否定できず、頭が混乱していく。
「でもね」
千夏の声が再び現実に引き戻す。
「最近、悠人くんが少し変わったの。あなたのことを気にしているみたいで」
その言葉に、息を飲んだ。
「だから、今日来たのは、あなたにお願いしたいことがあるからです」
「……お願い?」
「そう。悠人くんのことを、どう思ってるのか分かりませんが、もし付き合おうと思ってるなら、諦めてほしいんです」
その言葉は鋭い刃のように胸を抉った。
「……諦める?」
震える声でそう繰り返した。
「ええ。悠人くんには私が必要なんです。私は彼とずっと一緒にいて、彼の支えになってきた。でもあなたは、手術も控えているし、自分のことで精一杯じゃないですか」
千夏の言葉は冷静に聞こえたが、その裏には嫉妬と焦りが滲んでいた。
一瞬目を伏せる。しかし、次の瞬間、顔を上げて千夏を真っ直ぐに見据えた。
「……悠人くんが誰を大切に思うかは、悠人くん自身が決めることだと思うんです」
その言葉に、彼女の表情が硬直した。
「........................今のあなたに彼を支えることなんてできないでしょう?彼には今、支えが必要なの」
その問いは、私の心の中にある不安を容赦なく突き刺す。
「申し訳ないけど、あなたの存在はむしろ悠人くんには.........負担が大きすぎる」
「わたしは……支えられるかどうかは分かりません。でも、彼が私を支えてくれるのなら、私も全力で応えて、彼を助けたいと、支えてあげたいと思います。出来る限り」
声は震えているのが分かったが、どうしても負けるわけにはいかなかった。負けたくなかった。私は彼にまた会わなきゃいけない。無事に手術を終えて。
「・・・・・・・・・・・・・・」
千夏は何も言わずそのままゆっくりと立ち上がり、松葉杖を手に取る。その動作にはどこか迷いが感じられたが、彼女の顔には何故か寂しさを感じる笑みが浮かんでいた。
彼女はそのまま振り返らずに病室を出ていこうとしたが、最後に立ち止まり、小さく呟いた。
「いきなり訪ねて、こんな失礼な事言って、本当にごめんなさい。手術、頑張ってください」
その言葉には、どこか切なさと諦めが混じっていた。
千夏が去った後、深い息をつく。胸の中には、渦巻く不安と疑問が残っていた。
(恋人……本当に?)
千夏の言葉が本当である可能性を否定できず、心は揺れる。しかし、その視線がカードに向いた瞬間、心は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
(僕はここで待っています。どんな結果でも、また一緒に笑える日を作りましょう)
その言葉を思い出し。
「私は・・・悠人くんを信じよう」
手術に向けて新たな決意を固めた。
病室の窓から射し込む朝の光が優しく部屋の中を照らしていた。




