65話 怒りよ天まで届け
誤字・脱字・文法の誤りがあったらごめんなさい。
気づけば一面が乳白色の世界に居た。
「……ふむ」
ぼんやりとする頭で僅かに考え、直ぐに答えを探り当てた。
「……幻想世界か」
そして、その呟きに応じる声があった。
「その通りだ。………………久しぶりだな、ルシファー」
声は後から掛けられた。
だが、振り向かずに、そのまま無視して目を閉じる。
いくら抵抗しなかったとはいえ、この俺を強制的に幻想世界に引きずりこめる存在など早々いない。
俺が認識しているだけで婆さん一人だけだ。
幻想世界に対象を強制的に取り込むには、魔力や魔導技術のほかに長年の経験、そして一種の感が必要となる。それは相手の精神を捉えるために必要な感とされているが、ここでは割愛しよう。
ともあれ、それ以外となると答えはおのずと絞られてくる。
現時点で俺に接触する用事があり、かつ幻想世界に俺を引きずりこめる程の者。
……。
つまらなそうに呟く。
「…………。……………………眠い」
かくして俺の背後には、ローム大陸の主神であるツクヨミが佇んでいた。
「悠久の再開で、開口一番がそれか」
「……」
「しかも無視と来るあたり、お前も変わっていないなぁ」
背後から聞こえる声は若い。
声に含まれている微量以上の笑いの成分が、その若さを一層際立たせている。
「まぁ、ようこそ。と、言っておくよ」
隣に座す気配がする。
「暫くぶりだな。そちらは元気そうで何よりだ」
そういったきり、僅かな沈黙が場に流れる。
やがて、ツクヨミはポツリポツリと語りだす。
「姉上も弟もいなくなった。眷族である宗像の三姉妹も姉上達と共に人に還った」
かつてを懐かしむように語る。
「かつて天上の主神と袂を分かった神々の殆どが人と共にこの地に還ったよ」
その言葉に込められているのは懐古だろうか?
「今では、俺一人がこの地に残っている」
それとも……。
「自由奔放と生き、自らの使命も顧みなかったこの俺が今では一大陸の長だ」
疲れとも苦笑ともつかないため息を一つつく。
「……なぁ、ルシファー。少しだけ俺の愚痴に付き合ってくれよ」
俺は否定も肯定もしない。
ツクヨミの願いに無言と態度で応える。
俺の態度に改めて苦笑を浮かべ語りだした。
……神としての苦労。
……自らの力の脆弱さ。
……大陸の民に対する想い。
……力の及ばない自らの無力さ。
……神を顧みず敬わない人々。
……それでも見捨てられないこと。
……我が血族の末裔らへの想い。
苦労と困難に満ち溢れた重い言葉。
だがそれでも、その全ては、今はいない姉弟への愛情に満ちた言葉だった。
「後悔はしていないさ。ただ、さ、少し疲れを感じるよ」
誰かの上に立つというのは疲れるものだ。
楽に生きようとしてはいけない。
それが、主神としてこの大陸に生きる全ての者の上に立つものの責務。
「お前にこんな言葉を吐くのは筋違いなんだろうな。……でも、俺が愚痴を漏らせる相手なんて、今ではお前ぐらいだよ」
苦い笑い。
「……なぁ、ルシファー」
今までの笑いの成分を引っ込めて、神妙に一言。
「…………強いって疲れることなんだな」
……。
……。
ツクヨミが去り、幻想世界がゆっくりと崩壊していく。
「……」
そんな中、閉じていた目を開き、小さく呟く。
「…………今頃気づいたのかよ」
「……はて?」
眠い目をこすり、周囲を見渡す。
寝てしまう前の最後の記憶は、親父さんたちに進められて火酒を一気した時の記憶だ。
なにやらぼんやりと伊織とその他一名を拉致したような記憶もあるが、定かではない。
ともあれ。
「……うむむ?」
しばしばする目をこすり、改めて視線を周囲に向ける。
「…………おおう。俺ってば何やらとっ捕まってね?」
周囲は一面石畳、唯一開いている面には頑丈な鉄格子が嵌っていた。
―――御門 伊織―――
本来なら情状酌量の余地無しで、即刻死刑である。
姫巫女様への不敬罪や拉致誘拐。
問答無用である……。
「……はずなんだけど」
極めて小さくため息をつく。
周囲へとチラッと視線を向けると、周囲の人間の殆どが怒気を漲らせていた。
シーファがやった犯罪を並べ立てると、宮殿への不法侵入、姫巫女様への拉致誘拐、暴行、不敬罪そのた諸々。
文字通り死刑確定である。
情状酌量の余地無し、反論の余地無し、周囲も満場一致で死刑へ賛成。
文字通り「終わった」という状態であった。
しかし。
当の姫巫女様が強力に反対したのと、何より主神ツクヨミ様が託でシーファへの一切の刑罰及び干渉を禁じたため、何も出来なくなったのだ。
姫巫女様のみなら秘密裏に事を成すことも出来た。
だが、自らが信仰し信望する主神様までに反対されてはどうにも出来ない。
つまるところ、ギリギリどころかバリバリ黒確定の状況から鶴の一声で手出しが出来なくなったのだ。
周囲の人間一同が不満やその他諸々で怒りを滾らせるのはしょうがないだろう。
まぁ、私としては怒るどころかむしろ感謝している。
それは姉さまも同じだろう。
故に。
……シーファ、君はほんとに何者なんだい?
ツクヨミ様から弁護されるほどの存在に疑問が尽きない。
シーファは今現在牢に入れられている。
姫巫女様とツクヨミ様から護られているシーファに対する、この国の人間が唯一出来ることなのだろう。
あの後、ジパングの一団に発見され、そのまま寝ているシーファは斬り殺されそうになった。
だが、姉さまが一喝しそれを制止、とどめに託で一切の刑罰及び干渉を厳禁。
唯一出来たのが、抗議の意味も込めてシーファを一時的に牢で保護することだけだ。
だが、それも長くはないだろう。
本人が出たいといえばそれを止めることは出来ないし、何より。
「…………シーファだもんねぇ」
絶対に出てくるだろう、それも勝手に。
もはや予測を超えた、確定である。
「……はぁ」
ため息一つ。
周囲一同、顔に「納得できない」と書かれている。
特権意識とプライドが富士の山のように高い貴族や高官達である、なおさらだ。
特に、目の前で婚約者を拉致られた宗武様に至っては、許可さえあればその足でシーファを斬り殺しにいかねない勢いである。
婚約者を目の前で拉致され、しかも事が終わってみればその婚約者本人が拉致した無礼者を庇い、かつ主神様が託でも庇ったために、手出しが出来なくなってしまったのだ。
その憤懣たるや想像を絶するだろう。
さらに、目の前でその婚約者が晴れ晴れとした顔で無礼者に親しみの念を浮かべたのだから、もはや憤怒最高+憎悪全開といった所。
暗殺に及ばないのが、実に不思議であった。
「では御門 伊織よ」
「……はっ、ハイ」
大僧正・藤原兼依が無表情の仮面を被り声を掛けてくる。
「君が魔族バァルを倒した際に使用したとされる神器を我らのほうで預かりたい、今この場にて提出せよ」
「……っ」
やはりそう来たか、としか言えない。
軍部に事情を説明したときに神器のことも説明したのだ。
その際、軍部は神器に対して大いに関心を持っていた。
「……」
まぁ、それはそうだろう。
下っ端巫女である私が、持っただけで上位魔族を討ったのだから、ジパングとしても無関心ではいられないだろう。
何れ何らかのアクションがあるだろうとは思っていた。
「? どうしたのだ?」
「あ、いえ……」
とは言えどもあれは借り物だし、何より……。
「神器『ヴァーユ』と神器『迦楼羅』は私の物ではありません、ですので……」
「それは関係ない。ジパングの一員である君が持っていて、使ったのだから既にそれは我らのものである」
傲慢。
その一言である。
国を維持するためにはきれいごとだけではない。それは分かっているつもりだが、目の前でこうも上から目線で徴発されると、嫌な気分になってしまう。
「君ですら、かような力を得たのだから、それを近衛や腕の立つ法術師が持てばさらに力を発揮するだろう。なればこそ、国のため。我らに譲渡せよ」
神器が二つ。
大抵の人なら咽から手が出るほどの一品だ。
しかも片方は起源に連なる神器の一つ。
事情を知るものなら、文字通り「何をしても」欲しい一品だろう。
尤も。
「いえ。既に、本来の持ち主に返却しております」
「っ!! なんだと!?」
そう、今のような事態を恐れて既に昨晩シーファに返却したのだ。
本人は酔っ払っていたから覚えているかどうか分からないが……。
「誰にだ!」
大僧正様が悲鳴のように誰何する。
周囲の人々もざわめく。
当てが外れたのだから、当然だろう。
私は少しだけ躊躇って、言った。
「名をシーファ。先の件で姫巫女様と私を誘拐していった者です」
周囲の人々の怒気で宮殿が揺れた、気がした。
その数分後、牢に出向いた使者の口から、牢がもぬけの殻であったことが知らされた。
―――???―――
ジパングの一角。
そこそこに有名な甘味処。
そこに大きな人だかりが出来ていた。
注目されているのは、カウンターに座った一人の少女だ。
少女の周囲には、これでもかというほど空の器が置かれている。
周囲の人間は「おい! 今何杯目だ?」とか「すげぇ! よく入る!」とかいろいろと騒いでいる。
どうやら、その器は件の少女が少女で暴飲暴食を行った結果らしい。
しかし、少女は空の器を片手にさらに言った――。
――紫紺の髪を揺らしながら。
「…………う、御代わ、り」
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