44話 長い一日③ - 転 - 風・星vs毒
誤字・脱字・文法の誤りがあったらごめんなさい。
ご主人様とリリスが離れていく。
リリスの相手を出来るのはご主人様だけだ。ご主人様自身がそのことを十分に理解しているのだろう。
そして、私達は……。
「………殺す殺すコロス殺すコロスコロス殺すコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス…………」
壊れた蓄音機のように、虚ろな表情で呟き続けている悪魔に意識を集中する。
時の流れとともに、腐食している大地が面積を広げている。
「エル様……」
スターシャが囁き掛けてくるのに、頷きで応じる。
ここからは死戦になる可能性が高い。
サマエルは間違いなく私達を殺しにくる。なんの躊躇いもなく。
それだけの狂気を身に秘めている。
どんな攻撃にも対応できるように、風の防御陣を生み出す。
高密度の風で何重にも壁を作り出し、自身とスターシャを包む。
「気をつけてください。サマエルはご主人様と同クラスの実力者。間違いなくこの程度の防御は打ち抜いて来くる……」
はずです、と言い切らないうちに轟音と共に、風の防御陣の九割が消失する。
「「!」」
見れば、紫髪紫眼の少女の背に真紅の十二翼が現れていた。
「いきなり全開ですか……」
「あれは……」
前者は私、後者はスターシャの声だ。
「サマエルの本来の姿です」
手短に応じ、私も本来の姿に戻る。
背に、純白の六翼が解放された。
同時に周囲に清浄な風が巻き起こる、が。
「……っ、やはり」
思わず、口惜しさに舌打ちをしそうになる。
風は、サマエルの起こした猛毒の火とぶつかり散らされた。
……。
ラファエルとサマエル。
天使長と大悪魔。
権能は、風と火。
固有能力は、癒しと毒。
互いが放つは、浄化の風と猛毒の火。
……。
「巡り巡れ、常夜の星よ」
スターシャの詠唱と同時に、私達の周囲に漆黒の八星が現れる。
全てを飲み込む重力の坩堝。
星は猛毒の火を喰らい、その威力を減衰させていく。
「助かりました、スターシャ。ですが……」
「はい。根本的な対処にはなっていません」
二人してサマエルに目を向ける。
光のない瞳、虚ろな表情。
「………………………………」
口だけが別物のように動いている。
火と風、そして重力が混在するこの空間では声は届かない。
だが、何を口にしているのかは聞かなくても理解できた。
と。
ゴウッ。
真紅の光線が風の防御壁を切り裂き、星が生み出す重力壁を貫き、奔った。
!
咄嗟に回避できたのはサマエルに注視していたため。
だが。
……このままではジリ貧ですね。
一瞬の黙考の後、結論を出す。
すなわち。
攻撃は最大の防御也。
「スターシャ、今より戦陣を整えます。……任せてもいいでしょうか!?」
何を、とも、誰を、とも言わない。
しかし、スターシャは柔らかく微笑。
「わかりました」
一言で応じてくれた。
……。
私の戦闘能力は、実のところそんなに高くはない。
四人存在する天使長の中では最低だ。
戦えば、契約前のスターシャにも敗北するだろう。
だが。
「風よ……」
術者としての技量と、自身の固有能力には多少以上の自信がある。
癒しの力を風に乗せる、神力と共に。
どのような世界にも大気はあり、風は存在する。
ならば、……風の流れる地は我が陣地。
「以前のようには、行きません」
ゴウッ!
宣言と共に辺り一帯に白銀の風が吹き渡る。
ゴウウウッ!
白銀の風は毒風を駆逐し、火の勢いを削ぐ。
癒しの力が毒を無効化していくのだ。
そして、風と共に広がっていく神力がサマエルの行動を阻害する。
二対一が卑怯などと流暢なことは言っていられない。
相手は、魔界でも屈指の実力者。
二対一ですら生ぬるい。
「風よ、猛き風よ、優しき風よ……」
白銀の風は一帯の地を吹きぬける。
魔界の地に天界の風の如き、鮮明な風が吹き渡った。
今より、行うは天上の奇跡。
自らの業の最秘奥。
「無限の風を編み、これを聖域と成す」
本来は、天上の主神にのみ許された神の御業。
世界最強の防御術。
曰く、絶対防御。
あらゆる攻撃・干渉を全次元・全時空から完全に遮断し、術者の害意になる存在を無に還す究極の防御。
それを、自らの権能、能力、神力の全てを費やし、擬似的に再現する。
以前の私には行使は不可能だった。
基礎となる術式は完成していたが、それを動かす実力が不足していたのだ。
さらに言うなら、この術は起動にも、維持にも想像を絶する程に疲弊する。
戦闘と平行しながらの行使は不可能に近い。
だが。
今は、以前とは違う。
ご主人様と契約し、自らの力の総量を底上げし、気の遠くなるような修練の果てに起動・維持をすることが出来るようになった。
戦闘においても、スターシャに任せることで術に集中することが出来る。
……。
スターシャならけして負けないだろう、という根拠の元、自身の護りは考えない。
……。
後顧の憂い、一切無し。
ゆえに……。
「完成せよ、『擬似・聖域結界』!」
一帯の地が白銀一色に染まった。
…………信じていますよ、スターシャ……。
―――アナスタシア・フォン・バレッタリート―――
光が爆発した。
私の感覚がそう感じたのだ。
周囲に満ちていた、毒と火が次々と消滅していく。
見ればサマエルも不思議な顔をしていた。
「……お見事です」
思わず賞賛の言葉が口をついて出る。
今まで様々な神術を目にしてきたが、このような神術は始めて目にする。
術式構成から防御、それも防御一辺倒に特化したものだと理解できる。
しかし……。
「時間がありませんね……」
これほどの結界を維持するのにどれほどの神力を使うことか……。
人間の神官では一秒すら維持できない代物。
さらに言うのなら、身体にかかる負担とてけして楽なものではないだろう。
……。
現在、六翼の天使の身を護る術は存在しない。
ただ、ただ、結界の維持に全力を注いでいる。
……自らの護りを捨てて、戦陣を整える。
それは、エル様が私を信じている証。
ならば……。
「私もまた全身全霊にて応じましょう……」
ゴウッ!
体からもれ出た魔力が呪風となって吹き荒れる。
魔力は徐々にその量と密度を増していき、やがて。
ボウッ。
全身が淡く光り輝き、燐光が漏れ始める。
魔力が現界できる臨界点を超え、一種の物理現象に転化し始めたのだ。
人の身にて、この状態になれるのは三界広しといえど彼女唯一人のみであろう。
「では参りましょうか。愛すべき我が主と、大切な友の為に……」
瞬間、魔力がさらに膨れ上がった。
その魔力は空に轟き、大地を砕いた。
「…………あ」
流石のサマエルも驚いたような顔をした。
二つの音が響き渡る。
ダンッ!ドゴンッ!!
最初の音はスターシャが踏み込んだ際に大地が砕けた音、次いでした音はサマエルが殴り飛ばされた音だ。
「まだです!」
高密度の斥力でコーティングした拳を振りぬき、そのまま吹き飛んでいくサマエルの身に魔術を叩き込む。
――多重展開・連続解放。
一瞬で何百という魔術を展開し、それを微妙な時間差、射軸差をつけて連射した。
……だが。
「……やはり、この程度では効きませんね」
無傷ではないだろう。
だが、倒せたとも思えない。
「……!」
突如目の前にサマエルが現れたかと思うと、手刀を放ってきた。
左手で逸らし、右手で拳を叩き込む。
だが。
「…………痛い……」
ピッ。
短い呟きと共に、再度逆の手で放たれた手刀が腕を掠める。
瞬間。
「……っ!腕が」
掠めたところから激痛が走り、腕が赤黒く変色し始めた。
……。
淡い銀色の光が腕を包み、腕が元に戻っていく。
見れば後でエル様が手を此方に向けていた。おそらく、治癒の力を使ってくれたのだろう。
「……感謝します、エル様」
徐々にではあるが、腕に感覚が戻ってくる。
しかし。
……これはきついですね。
拳だけを覆っていた斥力場を広げ、全身を覆う。
戦闘と同時に体内に解毒用に編んだ魔術を展開していたのだが、欠片も効果がなかった様だ。
「やはり、神の毒は別次元ですか……」
呟き、半身に構える。
左手を顔の前に、右手を腰の横に。
手は握りこまずに、脱力した状態で指を軽く曲げる。
型としては、三体式。
……。
――刀折れ矢尽きるとも、その武は失わず。
例え、魔力が尽き、武器を失おうとその身に叩き込んだ修練の成果は失われない。
全てを失い、身一つになった途端、戦えなくなるほど帝国魔導騎士はやわではない。
……元、ではあるが。
エル様の結界のおかげでサマエルは魔術を使えず、またご自慢の毒も撒き散らせない。
空に上がろうにも、空は現在信じがたいほどの威力の魔術が飛び交っているため、上がるに上がれない。
状況としては、極めて此方が有利。
……。
しかし、逆にその分の魔力を全て防御に費やしているのだろう。
魔術の類は全て障壁と防壁で止められてしまう。唯一、直接拳打を叩き込んだ胸部には僅かに、魔力の揺らぎが感じられた。
「……神の毒と接近戦ですか」
思わず顔をしかめる。
先程の一連から推測するに、毒は撒き散らせないだけで相手の体内に直接打ち込むことは出来るのだろう。
と。
「…………痛い」
サマエルが呻き。
ゴウッ!
膨大な呪風とともに魔力が解放され。
……。
同時に、白銀一色の世界が、紫紺の光に押し戻され始めた。
「……っ」
後でエル様の苦しげな呻きが聞こえる。
よもや、この規格、この規模の結界を魔力のみで押し返すとは……。
……。
きっと、私の顔は呆れていることでしょう……。それとも苦笑しているのでしょうか?
しかし。
「ここに、我が主がいないことに感謝しておきましょう。女はいつでも自分の醜い面はけして見せたくないものです……」
意識と思考を切り替える。
すなわち、標準用から戦闘用に。
以前のケルベロスの時とは次元が違う。自身の実力と性能を完全に発揮しなければならないだろう。ゆえに、意識と思考を切り替える。
意識の全ては敵を倒すために、思考の全ては敵を倒す術を考えるために。
余計なことを仔細も考えないように、意識と思考を完全に戦闘用にと純化させていく。
誓句の宣言と共に、切り替えを完了させる。
誓句は自らの主と自らの魂に誓った、神聖なる契約。
「我が名はアナスタシア。アナスタシア・フォン・バレッタリート。我が身、我が魂、我が誇りは我が主のために。汝を我が主の敵と、判断する」
……さあ、始めましょう。
周囲を回っていた黒き星の形状が変化していく。
球体から細長い錐体に。
ヒュッ。
錐体に変化した星が高速で飛翔しサマエルを串刺しにしようとする。
しかし、そこは流石のサマエル、危なげなくかわす、が。
「…………あっ」
星が発する重力場に捕捉され、体勢を崩してしまう。
瞬間。
ゴッ!
サマエルの顔を蹴り抜いた。
踏み込みは全力の震脚。
足首、膝、腰、膝と間接ごとに僅かに回転を掛け、その威力を爆発的に増加させる。
曰く、纏絲勁。
私の身体能力は主との契約で大幅に上昇しているし、同時に現在は魔力により身体能力を底上げしている。
また、脚は腕の三倍の力があると言われている。
そこに斥力のコーティング。
……。
その破壊力は想像を絶する。
人の身が出す音とは思えないような轟音をたて、サマエルの体が勢いよく大地に叩きつけられバウンドする。
だが、その勢いを緩めずに。
高速で間合いを詰め、そのままの勢いで拳を突き出した。
正拳突き。武技の基本にして究極。
踏み込みから、流れるような重心移動をもって拳打の圧を上げる。
天賦の才と無限の修練が生み出す、一切の小細工無しの純粋な一撃。
再度、轟音が響きサマエルの体が吹き飛んだ。
……。
「病さえなければ、以前のように動けますね」
苦笑交じりに一言呟き、前に垂れてきた髪を後に払った。
サマエルが跳ね起き、同時に貫手を胸目掛けて放ってきた。
だが、危なげなくそれに手を当てて逸らす。
受けるのではなく、逸らす。
高速で次々と貫手、手刀、正拳と放たれるが、全てを逸らし捌いていく。
――『招法』。
曰く、圏に外と内があり。その業、外より中に入りいずるもの、森羅を読み万象を流しうる極意なり。
自らの圏内で起る事象の全てを、五感をもって知るのではなく、第六感の領域で感じる護身の極技。
無意拳と並ぶ、武の到達点の一つ。
限りある生を謳歌し、成長と進化を繰り返すヒトが手に入れた、一つの極み。
その神技を持って、視認不可能の速度で放たれる連撃を捌いて行く。
神族や魔族の身に比べれば、人間の身は遥かに脆弱でありその性能は劣る。
けれどもヒトは、それを補って余りある理を練ることができるのだ。
「そこです」
上から迫る手刀に、腕に捻りを加え、その化勁で逸らす。
同時に、捻りきった腕が戻る螺旋の力と、女性ならではのしなやかな筋肉の力を利用し、纏絲勁を込めた拳鎚を打ち下ろした。
と。
ドォンッ!
拳鎚が相手の体に接触した瞬間に、接触面に紅蓮の華が咲いた。
先程から見る限り、直接の拳撃蹴撃は通じている。
ならば、その打撃に魔術をのせるまで。
爆炎によって生まれた僅かな隙を逃さずに、そのまま掌打を胸に打ち込み、黄金の華を咲かせた。
零距離からの天雷。
……。
我が身が振るうは天の威力。星の持つ力の全ては我が手の内に。
「…………うあ」
小さな呻きをあげ、ついにサマエルの体が傾いた。
拳打、掌打、蹴打を連続して叩き込んでいく。
もちろん、打撃を叩き込むごとにサマエルの体には色とりどりの華が咲く。
避けようにも、その身を縛る重力の網がそれを許さない。
自らが極めた武技の数々を惜しげもなく使用し、ひたすらにサマエルの体に打撃を叩き込んでいく。
自らが魔術師であるからこそ、魔力が尽きたときの準備は周到に用意してある。
白打、剣術、槍術、杖術、帝国で学べる武技の殆どは身につけている。
とりわけ、白打。
自らの身一つで戦う業は、魔力が尽きた魔術師にとって咽から手が出るほどに欲しい業。
ゆえに、他の武技より重点的に修練を積んだのだ。
始めは流水の如き緩やかに、次いで迅雷の如き光速に、終には烈火の如き威力を持って。
……。
動くごとに、身に着けていた侍女服が破れていく。
いまや上は胸と腹を隠す程度、肩より先は処女雪のように白い素肌を晒している。
下に至っては、本来足首まであるはずのスカートが破れ、ミニスカートのような様相になっている。
だが、それでもその動きは止まらない。
人の身でありながら……。
武技を専門としない魔術師の身でありながら……。
……。
その武は既に武神の域に手をかけつつあった。
一際力を込めてサマエルの腹を蹴り抜く。
「…………かはっ」
苦しげな呼吸をもらして、体が浮き上がる。
だが、さらにそのまま三体式に構えなおし。
ズドンッ!
震脚から流れるような動作で、先の正拳と全く同じ場所に正拳を突き刺した。
正拳突きは武技の基本にして究極。
その真の拳が砕くはその身のみに在らず、その心もまた砕くものなり。
……。
まだ私の武はその領域に達してはいない、だがその心に亀裂をいれるくらいは出来るだろう。
事実サマエルの瞳には、僅かに暗い感情が生まれた。
そのまま追撃をかける。
「天空の星々よ」
天から降り注いだ光がサマエルを貫き、その左肩と真紅の翼をもいだ。
……。
「…………痛い、痛い痛いイタイ痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイ……」
サマエルの身から湧き出す紫紺の光がいよいよ白銀の光を駆逐し始める。
ついに。
ドサッ。
後で何かが、崩れ落ちるような音が響き……。
見ればエル様が荒い息とともに蹲っていた。
「…………痛、い」
サマエルの体からは紫の霧が、……致死の猛毒が溢れだし始めた。
しかし。
「エル様、お疲れ様でした……。あなたの宣言どおり、私達の勝ちです」
ギシリィ!
空間が歪むほど強力な重力の網が、サマエルの体をその毒ごと圧し縛り付ける。
私がサマエルと武技を競っている内に、漆黒の星を頂点として、正八角形の形で配置したのだ。
点同士を結んだ時、正八角形の中心点にくるのはサマエル本人。
星が発する八つの重力場がお互いに重なり合い、相乗効果を生み出す。
もともと星自身が、高密度の重力が生み出す虚無の闇。
その内部に蓄えられている力は、大悪魔といえどけして簡単には抗えない。
そして、その星の八乗。
傷つき、その身に少なくないダメージを残す体では重力の束縛は破れない。
……さあ、幕を閉じましょうか……。
「全天の王。自ら輝く、誇り高い光の主。我は汝に希う」
振るうは雷火の剣。
自らが持つ、ダモクレスの剣。
「その光は世界を貫く雷に、その光は紅蓮の炎に、その光は災厄を祓う剣に」
サマエルがその身を縛る重力に抗うのをやめ、自らの身に何重にも防御壁を展開していく。
……いい判断ですね、ですが。
「光よ、雷火の剣となれ」
ゴオオオオオオンッ!!
いつの間にか漆黒となっていた魔界の空から、黄金の光が流れ落ちた。
光は雷火となり、重力の網に捕らえられているサマエルに直撃した。
「いかに大悪魔といえど、身に肉を持つもの。その身に蓄積した痛みは一夕一朝では消えません。そしてその痛みは身を石に変え、その思考を鈍らせる……」
ただの雷ではない、天より下った天雷。
その属性は、雷だけではなく、光や命など様々な属性を含んでいる。そして、その中には神術しか持ちえない聖の属性まで含まれているのだ。
天より下った雷は、大悪魔の防壁を一瞬で破り、遂にはその身を焼いた。
……。
しかし、サマエルは。
「…………う、あ」
全身を焼かれながら、それでもなおその身に宿した狂気は消えていなかった。
防壁越しとはいえ、雷火の剣の直撃を受け原型をとどめているのは流石だ。
「流石は神の毒、けれど、私に二言はありません。私達の勝ちです……」
――再起動・実行。
本来、魔術式というのは一度魔力を通し発動したら昇華してしまう。
だが、その昇華してしまうはずの魔術式をとどめ、再度魔力を通して利用する。
私が帝国に在籍している間に生み出した技術。
尤もそれを開陳する前に帝国を出奔してしまったが。
……。
……最後です。
「……光よ、雷火の剣となれ」
轟音とともに、再度黒き天より黄金の光が降り注いだ。
―――エル―――
「……」
思考が凍りつく、こんなことは長い生涯で始めてのことだ。
それほどまでに、目の前で起きた事象は到底信じられる物ではなかった。
……。
術式の再利用。
……。
これは間違いなく、三界の軍事バランスを狂わせかねない技術だ。
一度使用した魔術式は絶対に再利用できない。
これは、どの世界も共通のこと。
もし、再利用できるのなら、大規模な儀式魔術や複雑な詠唱や術式を必要とする魔術が、魔力の続く限り、指先 一つで連射できてしまう。
こんな技術が魔界はおろか天界にも存在しない。
……。
それを生まれて二十数年しか生きておらぬ脆弱な人の身が生み出したのだ。
その天賦は間違いなくご主人様やリリスといった、文字通りこの世界の頂点に位置する者たちに届きつつある。
先程の武技も同様だ。魔術が本分である魔術師が、神の如き武技の冴えを見せた。
武神の如き武技に魔王の如き魔術。
……。
「帝国がスターシャを手放したことは、絶対に失敗ですね……」
サマエルの体が崩れていく。
その身の四肢は既に炭化しており、真紅の十二翼は見るも無残なことになっている。
「…………逢いたい、逢いたい、お兄様に逢いたい、……逢いたいよう……」
幼子のように、ポロポロと涙を溢し泣いている。
と、スターシャが近づき膝をつくと、サマエルの体に手を翳した。
翳した手からは淡い光が発される。
「……何をしているんですか?」
「治療を、です」
簡潔に返ってくる。
「……」
「武の交錯は一つの会話。この娘はただ我が主に会いたかっただけ……。まぁ、少々いきすぎではありましたが……」
苦笑交じりで説明してくれる。
「私達を殺そうとしたのも、そのほうが魔界に連れ帰れると思ったからに過ぎません」
「だからと言って……、サマエルを許すのですか?」
「はい」
その答えにはなんの躊躇いもない。
「悪意を持っているのなら消滅させますが。その身に秘めているのは恋慕。可愛い物じゃないですか」
くすりと微笑する。
……。
しばしの沈黙の後。
「…………強いのですね、スターシャは……」
心の底からの言葉だったのだが。
「あら、知らなかったんですか?娘を持つ母は強いものですよ♪」
悪戯っぽい微笑でカウンターが飛んできた。
……。
と。
不意に風が、愛しい人の気配を伝えてくる。
「おお!無事だったかー」
裸身のリリスを抱きながらご主人様が降りてきたのだ。
……。
「…………お兄、様」
サマエルが一言呟く。
スターシャがサマエルを助けようとしているが、体の崩壊が止まらない。
下半身は既に無く、その両腕も崩れていた。
「…………あ」
身じろぎするが、僅かに体が揺れる程度。
「見事にやられたなぁ、おい」
苦笑しながら、その手をサマエルの額に置く。
「これで混沌の力も打ち止めだな……。とりあえずは寝てろ、毒殺娘」
蒼いような、白いような不思議な光が輝き、次の瞬間にはサマエルの体は完全に元に戻っていた。
……。
「…………zzzZZ」
サマエルの口から、安らかな寝息が漏れる。
「よかった……」
スターシャが嬉しそうに微笑んでいる。
とりあえずは、つかれたーなどとぼやいているご主人様に問いかける。
「この後、どうするんですか?」
「は?……何が?」
……。
……自覚、考え、共に無し。
とりあえずは、その延髄に鋭い蹴撃を叩き込んでみた。
……。
「すいません、調子にのりました……」
目の前でご主人様を正座させる。
横では、スターシャがリリスとサマエルに服を着せている。
リリスにはミレイ用の子供服を、サマエルには自らの普段着を、だ。
どうにも、空間系の術で屋敷より取り寄せたらしい、自分も破れが一切ない真新しい侍女服に着替えなおしている。
……。
「とりあえず、もう一度だけ聞きましょう。あの二人をどうするのですか?」
ご主人様は私の表情を見て、引きつった表情であわてて答える。
「こ、答える。答えますからとりあえずは落ち着け」
「ならば、答えてください」
「……はい」
「『後悔しない選択』をして欲しいらしいからな……」
「……?」
ご主人様が、聞き取れないような小さな声で囁き、改めて聞こえる声で宣言する。
「二人を人間界に連れて行く」
「……」
「……」
「……理由を聞いても?」
どのような発想なら、その答えを得られるのだろうか?
それに……。
「ご主人様ならともかく、生粋の悪魔を人間界に連れて行ったら騒動の元です」
その通りだ。
普段のご主人様を見ていると忘れてしまうが、本来悪魔は人間に絶望や恐怖を与える者。
そして、それは本能。
とくにリリスのようなものを連れて行けば、周囲の町や国を戯れに滅ぼしかねない。
「少々ばかり、賛成は致しかねます……」
だが。
「その点も大丈夫。二人をスターシャ同様に俺の眷族にする」
「…………。なるほど……」
……その手が在りましたか。
「後、理由だがね。…………まぁ、ミレイのお言葉ってことで納得してくれ」
「……それは、どういう……」
「あの子の力は未来への扉を開く鍵のようなもの、かな」
「……」
「……」
しばしの沈黙が続く。
やがて……。
「……はぁ」
どうにも、深いため息が漏れた。
「分かりました。ご主人様のお望みのままに……」
どうせ逆らうつもりなどない、ならばこの辺が落としどころだろう。
「すまんね」
苦笑しながらの謝罪が掛けられた。
……まったくもう。
……。
ご主人様がリリスとサマエルに近づくと、二人の唇に自らの血を塗りつける。
「我が命の通貨を持って、汝等を我が同胞と成す……」
僅かな燐光とともに、二人の大悪魔がご主人様の眷属になった。
体から発する燐光と共に、リリスとサマエルの体から狂気が薄れていく。
……。
眷族になった者は、その主の力や性質を一部受け継ぐことが出来る。
スターシャの場合は身体能力強化と魔力増強。
リリスとサマエルの場合は、悪魔の本能の無力化、もしくは薄弱化といった辺りだろうか。
「……たく。いつも自由気ままに動きやがって。まぁ、悪魔らしいといえばそのとおりなのかもな……」
そう、苦笑い交じりで呟き。
ドサッ。
ご主人様が倒れ伏した。
「ご主人様!!」
「主!!」
……。
……。
侍女の朝は早い。
前日に何があろうと、世話を預かる者として寝過ごすことは出来ない。
昨日の戦では、久しぶりに限界一杯まで神力を絞りつくした。
とはいえ。
「私が、一番楽をしたのもまた、事実ですからね……」
……。
そう。昨日の戦では、私が一番易しい場所にいたのだ。
ご主人様はリリスと一対一。毒を封じていたとはいえスターシャはサマエルと格闘戦。
それに比べ、私はただ、結界を張っていただけ……。
……。
ご主人様とスターシャは共に爆睡している。
あの後、あの場で動けたのは私とスターシャの二人のみ。私がご主人様を、スターシャがリリスとサマエルと抱えてこの屋敷まで戻ってきたのだ。
尤も、その直ぐ後にスターシャもベッドの上に倒れ伏してしまったが……。
失った体力と魔力を元に戻すのには休息を取るのが一番良い。
……。
ならば、今朝の仕事は私が全て賄いましょう。
「頑張りましょうか……」
風呂場に行き、簡単に湯を浴びる。
本来はしないのだが、水を炎熱系の術式で適度に温め、即席でお風呂を沸かした。
体や髪を丁寧に洗い、やがて湯船に浸かる。
「気持ちいい」
適温の湯が体に心地いい。
浄化術式ではけして味わえない、幸福感だ。
その後は脱衣所で衣服を着替える。
昨日は疲れに負けてそのままベッドに倒れこんでしまった。
女としては流石にそのあたりが気になってしまう……。
持ってきていた侍女服に袖を通していく。
下着はパステル調の淡いブルーの物。
可愛らしいレースがついているお気に入りだ。
……。
「まずは、料理の仕込みからですね。昨日のこともありますから、少々ばかり重いものでも大丈夫でしょう……」
頭の中でメニューを考える。
スープは昨日のブイヨンが残っている、それを使って簡単な野菜のスープでいいだろう。メインディッシュはミートパイ。デザートはジャムを落としたヨーグルトといったところだろうか?軽くフルーツを添えるのもいいかもしれない。
……。
ワンピースのボタンを留め、エプロンをつける。最後にカチューシャをつけて完了だ。
「では、本日もお勤めと参りましょう」
……。
「……?」
厨房に近づくと、中から何やら気配を感じる。
ついでに。
「おお!これはいけるのう!」
「…………美味」
などという、実に聞きたくない声も聞こえてきた。
……。
……まさか。
嫌な予感が急激に膨れ上がっていく。
急ぎ、厨房の扉を開ける。
そこには……。
「……あ、ああ」
絶望的な声が、咽の奥から漏れた。
厨房の中の食材が二匹の悪魔に食い尽くされていたのだ。
さらに。
「この乾物も絶品じゃ♪」
「…………この、蜂蜜漬けも」
リリスとサマエルが、私が貯蔵庫にしまっておいたドライフルーツや蜂蜜漬けを貪り食っていた。
「……」
視界が赤くなっていく。
「サマエルよ、この干し桃もよいぞ♪」
「…………うまうま」
天界に居るときから、合間を見つけては少しずつ作っていた私の歴史が、二匹の悪魔によって一瞬で無に帰した。
「おお!久しいのう風の天使よ!」
「…………あ」
二人が此方に気づく。
だが、私はただ一言。
冷静に、けれど激怒の赴くままに。
……。
「………………………………………………………………………………、風よ」
その日、白銀の爆風が屋敷の半分を消し飛ばした。
余談であるが。
白銀の爆風は屋敷の主たるぐうたら悪魔も巻き込んだそうな。
……。
……アーメン。
ご感想・ご意見・各種批評・間違いの御指摘などをお待ちしております。
スターシャとサマエルを比べると、純粋な実力は実のところスターシャの方が上だったりしますwww
サマエルの場合は本来の実力に加え、チートじみた固有能力があるのですが、今回はエルの結界によりその固有能力が多分に抑えられていたため、かる~くやられちゃいましたww
ちなみに外見年齢ですが。
主人公20(注・実年齢不明)
ラファエル18(注・実年齢不明)
アナスタシア24
ミレイ10
サマエル16(注・実年齢不明)
リリス12(注・実年齢不明)
以上のような感じになりますwwww