36話 魔術杖『イシュタル』
誤字・脱字・文法の誤りがあったらごめんなさい。
ベッドの上、枕が涙で濡れる。
どうにも嗚咽が止まらない。
せっかく手に入れたお宝が目の前で消し炭になったときのショック。
あれはさながら近所の憧れのお姉さんが、実は結婚していた時のショックに匹敵する。
文句を言おうにも、あの握力と神力の前には黙するしかない。
……シクシクッ。
あまりにもショックすぎて、普段の一日五食が三食になってしまった。
その上、日課のクローゼットの中の下着物色や風呂の覗きなどもする気が起きない。
これではニート(?)失格である。
「うう、ぐすっ……。旅にでも出ようかなぁ……」
遂に思考が、傷心を癒すべく旅にでようかとまで及んだときだ。
!
遥か彼方、遠く離れた地にて懐かしくも忌まわしい同胞の気配を感じた。
近づくだけで骨の髄まで腐り落ちそうな、おぞましい毒の気配。
光を忌避し魔に安息を与える、深い深い夜の闇の気配。
……。
俺にはそのどちらにも心当たりがあった。
「……毒殺娘と婆さんと来たか」
よりにもよってあの二人かぁ、と顔をしかめながら立ち上がる。
もう少しふて寝、あわよくば傷心を癒すべく旅にでも出たかった、が。
あの天災に等しい魔女達を相手に後手に回るのは、絶対に避けたい。
正直な話、あの二人に同時に来られると俺でも危ない。
「くそ!なんで今頃人間界なんかに……」
口から零れそうになる文句をどうにか飲み込み、魔術を展開する。
――展開・固定。
フォンッ。
屋敷を覆う形で気配を遮断する結界が展開される。
元々、エルが念入りに結界を張っているが、一応念のためだ。
「備えあれば憂いなし……、昔の人間はいいことを言った」
まぁ、とにかく……。
「あいつらにも話しておこう。最悪、スターシャとミレイは……」
……避難させる必要があるからな。
―――アナスタシア・フォン・バレッタリート―――
屋敷の門を潜り抜けた瞬間だった。
「お母さん!」
唐突にミレイが跳ね起きた、その顔は青ざめふるえている。
……これは、怯え?
「どうしたの、ミレイ?」
優しく尋ねるが、ミレイのふるえは止まらない。
私の首に、力いっぱいしがみついて来る。
?
いったいどうしたのでしょうか?
と、娘の口からポツリと言葉が漏れた。
「……夢」
「夢?」
「怖い夢を、見たの。人が死んでいく夢……」
「「……」」
先輩侍女と二人して絶句してしまう。
ミレイには予知能力がある。
だからこそ、その夢がただの夢であるはずかない。
「暗闇の中、大勢の人が……」
……暗闇?
なんかの暗喩でしょうか……?
と。
フォンッ。
屋敷を覆うように結界が展開された。
「これは!?」
「ご主人様の結界ですね。術式構造からして、主に気配の隠蔽と遮断……」
宙を見上げながらエル様が、呟く。
私の分析もエル様とほぼ同じ。
今展開された結界は、気配の隠蔽と遮断に特化している。
ただでさえこの屋敷にはエル様が、過剰とも言える量の結界を張り巡らせている。
ミレイの夢といい、いったい……。
「……何が起こっているのでしょうか?」
―――シーファ―――
目の前にはエルとスターシャ。
ミレイは先程、スターシャが寝かしつけてきた。
「まずは確認するが、二人とも気づいているか?」
何が、とは聞かない。
以前、ケルベロスに気づかなかったことから二人の感知範囲は無意識下ではそう広い物ではないだろう。
だが、俺が促した後はしっかりと感知することは出来た。
今回の毒殺娘と婆さんは、あの犬っころとは桁違い。
意識を集中すれば簡単に捕捉可能だろう。
「「……」」
俺の問いに何か気づいたのか、二人して感知の範囲を拡大させる。
……やれやれ。
まぁ、無意識下で広げられる感知範囲など本当に狭い物だ。
ゆえに、二人が気づかなかったとしてもそこに罪はない。
……だが、それでも気づいていて欲しい物だ。
苦笑しながら、お土産として渡された果実酒を嗜んだ。
……。
自然の甘みと程よい酸味が口の中に広がる。
つまみとして渡された他のお土産――チーズや燻製肉などもいい塩梅だ。
今は食前の一服でお土産をつついているのだ。
モグモグッ、ゴクンッ。
チーズを飲み込み、再び果実酒を口に含む。
「けけけ、いい感じだぜ」
以前酔いつぶれたことで、体内でのアルコール摂取をうまく調節出来るようになった。
そのため今回は、酔いすぎず、でも気持ちよくなれる程度に酒を摂取する。
ゴクッ。
時間にして、僅か三秒程度
二人して表情が強張っていた。
特に、エルの表情には僅かな怯えが見て取れた。
スターシャが呟く。
「最高位の悪魔が二体。しかもこの魔力量、下手をすれば魔王クラスですよ……」
次いで、エルが。
「ご主人様……。これは、もしや……。その……」
何とも歯切れの悪い声で言う。
最後まで言わないのは、自身の勘違いという僅かな望にかけたい意志表示なのだろう。
かの毒殺娘はエルのことを目の敵にしており、過去に何度もエルを殺そうとした。
一度など、冗談抜きで消滅寸前まで痛めつけられたこともある。
翼を引きちぎられ、四肢をありえない方向に捻曲げられ、鮮やかな銀の髪を自身の血で紅く染め、極め付けに腐毒により体が崩れかけたその姿は、……余りにも無残だった。
俺が助けに入るのが、一瞬遅ければ、それこそ笑うに笑えない事態になっていただろう。
俺が神術を修得していて、その上で他人を治療できるのも、その一件があったからだったりする。
まぁ、そんなことがあって以来、エルはあの毒殺娘が苦手なのだ。
「あー……、時には現実を認めることも大切だぜ」
「それは、そうですけど……」
「安心しろ……。いざとなったら護ってやるからさ」
「……」
意気消沈してしまったエルの頭を優しく撫でる。
「///」
たく。可愛いやつだ。
「今回、人間界に来たのは、……サマエルとリリス。魔界でも最強に位置する化物共だ」
「……サマエルとリリス」
「ああ……」
とりあえず、エルには改めて夕食の準備をしてもらうべく厨房に行ってもらった。
その間にスターシャに事情を説明することにしたのだ。
「……まさか!『神の毒』と『夜の魔女』!?」
「正解」
二人がもつ二つ名だ。
「そんな……」
「なんの理由で来たかわからんが、ばれたら人間界は恐怖のどんぞこだろうな」
(※ルシファーは二人の好意に気づいていません)
サマエルとリリス。
片方だけでも、世界を滅ぼすには十分な力を有している。
「最悪、天界か魔界の片隅にでも逃げ込むから、そこらへんは覚悟しておいてくれ」
「わかりました。でも……」
首を捻ると、疑問の口にした。
「なんで人間界に来たんでしょうか?」
「さあね、今更人間界に欲でも出たんじゃないか」
(※あくまで気づいていません。大事なことなので二回言いました)
食後の一服を終えて自室に戻る。
……さて、最低限の準備はしておくか。
とくに毒殺娘は昔から俺に突っかかってきた。
今回も、ちょっかいを出してくる可能性が非常に高い。
(※あくまで以下略)
影の異空間に手を突っ込む。
「どこに仕舞ったっけな……」
金銀宝石や魔宝具、術具、呪物等、無節操に突っ込んであるもので探すのに苦労する。
えーと、えーと……。
……。
「お!あった、あった」
影の異空間から銀色に輝く金属片を取り出した。
金属の名を、アダマンダイト。
この世界に存在するミスリル、ヒヒイロカネ、オリハルコン等と並ぶ希少金属である。
以前、ミレイと一緒に受けたアメジスト採取の依頼で出会ったロック・ドラゴンから取れたものである。
「さてと」
錬金術は余り得意ではないが、このさい贅沢は言っていられないだろう。
ヒュンッ。
小さな風刃で指先を切って、血を出す。
そのままアダマンダイトの塊に血を擦り付けると。
頭の中で、無限にも等しい膨大な術式を組み上げ、言霊を口にする。
「我が名、ルシファーにおいて命ずる。形無きものに意味ある形を宿せ、意味無きものに価値ある意味を宿せ。我が命の通貨を代償として、ここに意味ある形を成せ」
僅かなら燐光が膨れ上がっていき、やがて部屋の中に太陽のごとき光が発生した。
「……っ」
光が収まると、手の中には百二十センチ程度の薄紅色に輝く銀の杖があった。
「……ふう」
さて、名前だが……。
魔導において名を与えるというのは重要な儀式だ。
特に高位の術具なら、与えた名によっては性能が上下する。
……ふむ。
この杖には俺の血が使われている。純銀色ではなく薄紅色なのはその証明。
ならば俺の名を与えるのも一興。
今は俺の傭兵パーティの名前になっているが、俺の二つ名は『明けの明星』。
つまり、それは天に輝くある星を指している。
スターシャが好んで使うのは天属性の魔術。
俺の名と関係があり、その上俺の血が関係しているのなら、天を扱うスターシャにとってはこの上ない強力な術具になるだろう。
共感魔術の観点からもいい発想だ。
……なら、名は。
「魔術杖『イシュタル』、それがお前の名だ」
ボウッ。
杖の表面に「Ishtar」と刻まれた。
……。
「しっかし……。材料百パーセントがアダマンダイトって、…………店で買ったら金貨が数十万枚は飛びそうだな、おい」
思わず呟きながら、心の中で「待機状態になれ」と命じる。
キィンッ。
再び光り輝くと、薄紅色の金属の指輪に変化していた。
コンコンッ。
「スターシャ、いるかーい?」
しばらく、部屋の中でドタン、バタンと聞こえるが、やがて。
「えと、お待たせしました」
と、肩にショールをひっかけたネグリジェ姿の美女が現れた。
「夜這いに来ました♪」
「ええ!?」
本来はイシュタルを渡しに来たのだが、スターシャの余りにも色っぽい姿に頭が沸く。
「いいではないか、奥さん!」
その場で押し倒す。
薄いシルクの素材は、その下の豊満なボディラインや大人の下着を惜しげ無く晒している。
「げへへへ」
「あの、その、ご主人様、私は嫌じゃありませんが……。もうちょっと秘めていただいたほうが、その、嬉しいと言うか……」
「OK、OK」
スターシャを、影の異空間の中に創造した俺の部屋に引きずりこむ。
たどり着いた先はダブルベッドの上。
では、改めて。
「いただきまーす!」
俺は人生で初めて、ル○ンダイブを慣行した。
閑話休題(※十八歳以下にはお見せで来ません)
事後。
二人してダブルベッドの上で寝そべっている。
……今のうちに渡しておくか。
「ほれっ」
表面に「Ishtar」と刻まれた薄紅色の指輪を、彼女の指に嵌める。
「これは?」
「『イシュタル』、まぁ、お守りみたいなものさ。なるべく肌身離さないように」
「えと、はい」
「おまえさんなら分かると思うけど……。まぁ、魔術具な。指輪の形なのは俺の趣味だ」
本来の形は杖だが、それは内緒。おもしろいから。
「今回は多分、相当にやばい事態になるかもだから、その保険みたいなものだ」
ミレイは当然、スターシャも所詮は人間だ。
俺とエルのように頑丈には出来ていない、ふとしたことが命取りになる可能性とてある。
ならば、保険は多いに越したことは無い。
それにイシュタルは俺の長い人生の中でも、最高傑作に加えてもいい一品だ。
それをスターシャが持っているのだから心強い。
……。
彼女のやわらかい体を抱き寄せる。
と。
「あの、ご主人様」
「ん?」
「その、指輪ですが……。これは……」
スターシャの左手の薬指に嵌めたのだが。
「なんか問題あったか?」
「いえー……、そのー……」
?
「薬指に嵌めたのは、その、なんでかな、と」
「いや、何となくだが。まずかったか?」
「///」
顔を熟れたトマトのように真っ赤にして沈黙してしまった。
不思議な奴だな。
朝食の席。
大きなあくびを一つ。
どうにも、眠い。
昨日の夜寝なかったため、俺としては夕方頃まで寝ていたかったが。
……。
「シーファ様!おきて下さい」
ドスッ。
「オヴェエ!」
とミレイに叩き起こされたのだ。
……。
「ご主人様、どうぞ」
椅子に座っていたところ、紅茶を渡された。
厨房から出てきた我が愛すべき奴隷だ。
砂糖とミルクがたっぷり入っているのはご愛嬌。
ほとんど甘ったるい糖液寸前と化している。
紅茶ストレート崇拝者がみれば間違いなく殴りあいの喧嘩になること必至だろう。
「ところで、ご主人様、昨日の夜は部屋にいませんでしたね……。一体どこに行っていたのですか?」
「!」
飲んでいた紅茶を噴いた。
勢い余って、噴いた紅茶が壁を貫通してしまったが、それどころではない。
「……なんのことかな?」
「ついでにスターシャもいませんでしたね」
「……そうか」
「ご主人様達がこの屋敷を出ていないのは分かっています」
「~♪」
口笛を吹く。
背中に噴き出る嫌な汗が止まらない。
「ご主人様」
ゆらり、とさながら幽鬼のように近づくと。
ガッ。
俺の首を締め上げてきた。
…………全力で。
「ご主人様、死んでください」
「ちょ、ま」
「大丈夫です、ご主人様なら死んでも生きてけます」
「無理!無理だから!」
ギュウウウウッ。
「女の敵は死んだほうが世のためですよ♪」
「ちょ、らめぇ、きまっちゃってるうう!」
強引じゃありません、同意の上です!
が。
エルが絶対零度の声で一言。
「アーメン」
ゴキィッ。
「かぺっ」
……。
最後に見た光景は、ミレイが眼を瞑って耳をふさいでいる光景だった。
―――エル―――
「かぺっ」
変な声を上げて、ご主人様が動かなくなってしまった。
完全に白目で口から紫色の泡を出しているが……。
「そのうち復活するでしょう……」
まったく、スターシャもスターシャです。
こんな野獣に体を許すなんて。
なんかだが心の中がもやもやする。
今朝まではなんとも無かったのに。
ご主人様とスターシャが閨を共にしたと聞いて……。
スターシャの左手の薬指に指輪がはまっているのを見て……。
思わず頚骨をへし折ってしまった。
感情が上手く制御できない。
「戻りました!」
玄関からスターシャの声がする。
養鶏農家に卵を買いに行ってもらっていたのだ。
……。
昨日何があったか一応、聞いておくべきだろうか?
「主、エル様!」
だが、リビングに駆けてきたスターシャの表情を見て、その考えを忘れる。
「どうしましたか?」
「先日ルナ大公国で国軍が壊滅、それを受けてクルセスから勇者が発ちました!」
ご感想・ご意見・各種批評・間違いの御指摘などをお待ちしております。
主人公に変態フラグがっっっ!
ちなみに杖の名となったイシュタルですが、実は金星の女神であり、戦と性愛を司っています。
金星繋がりで、この名に決めましたww
注:ちなみに魔界には結婚指輪の概念は存在しませんw