覚醒戦鬼~たたかえ、おくびょうもの!~
月村沙助が机から顔を起こすと、教室にはもう誰もいなかった。
薄紅色の日差しが、窓から斜めにさしこんでいる。
「やべえ、ちっと寝すぎた!」
毎日の戦いで疲れていた。午前中は絶えず睡魔に襲われ、昼メシ時を寝てすごした。
日本人なら日本語が分かればいいのだと、時代に逆行した理屈をこねて、午後の英語も眠ったのに、まだ足りなかった。
掃除だけは何とかやったが、HRは寝倒した。さすがに眠気は取れたものの。
「くっそお、何かまだ残ってるかな?」
沙助はスマホを出して『覚醒戦鬼』アプリを起動し、全速力で参加可能な対戦を物色した。
午後4時半、雲神駅前バトルステージで、最大16人の対戦が開催される。
小人数バトルは疑いのないところだった。
参加者募集開始の時点で『鉄壁のおかん』と『インビジブルトルネード』が名乗りをあげていては、後にはそう誰も続くまい。
開始10分前には余裕で駅前に着く。自分のささやかな幸運を喜びながら『参加する』をタップ……
「……って、やっべえええ! 焦るなオレ!」
寸前で画面から指を離した。どっと冷や汗が流れる。
沙助はスマホをポケットに突っこむと、リュックを手に教室を飛び出した。
◇◇
雲神駅前ロータリーは、すでにけっこうな見物客が集まっていた。
無料で見降ろせる駅前デッキだけでなく、バトルステージに近い有料エリアにも人が入っている。
学校帰りの高校生。大学生風の若者。沙助と同じ高校の制服も見える。
ここの有料エリアはおやつ程度の価格なので、本気で観たいなら、課金して近くに来るが、それが理由の者ばかりでもない。
ベビーカーや幼児をともなった母親と父親、これが一組や二組ではない。無料優待があるとはいえ、やはり世も末としか思えなかった。
沙助のまわりはエアポケットができる。人波がふたつに分かれて道ができる。
生まれつきだった。
沙助の身長は180を超える。浅黒い肌と灰色の髪、鋭い目は金茶色。
顔だちそのものはオトコマエだが、いかにも悪そうな肉食獣を連想させる。
困ったことによく似合うシルバーの類をつけて、髪に銀の脱色と茶色の染めを入れて、制服も着崩している。
戦鬼としてのキャラ付けには、成功している。
「おうい、沙助ちゃん! 参加するの?」
ロータリーの隅っこから、よく通る大声が呼びかけた。
黒いジャージの小柄な少年?が、ベンチのそばでウォームアップをしている。
『インビジブルトルネード』こと、立間木伸児だった。
高校一年ぐらいにしか見えないが、すでに二十歳で、職業はダンサーだ。
顔は美少年でも、細い体は引き締まった筋肉質で、しかも非験体だ。
沙助は激しく首をふって口の前に指を立てると、戦場の兵士のように身を低め、植えこみの陰を小走りに移動した。
ベンチの裏にしゃがんで縮こまり、声をひそめてタテマキに尋ねる。
「フジモト、来てるか?」
「見てないよ。ここ人数いないし、どっかよそのステージに入ったんじゃない?」
沙助はスマホを起動し『紅蓮のフジモト』で検索をかけてみせた。
「嘘、どこにもいないの? フジモトちゃんがお休みなんて、もしかして頭痛生理痛?」
「ありえねえ。あいつ血まみれのパンツ丸見えで戦ったんだろ、それも生中継で」
「沙助ちゃん、それ全然デマだよ。足技でぎりぎり絞めまくったら、相手がゲフッって吐血しただけ。なんかいつのまにかネットでそうなっちゃってんだよね」
「おっそろしい女には変わりねえじゃねえか!」
沙助は端末を握りしめて震えあがった。
「なんだってオレに目をつけるんだ、強い奴なら、他にもいるじゃねえか」
「君が『火狩の沙助』だからでしょ。『紅蓮のフジモト』ちゃんから見れば思いきりライバル、そりゃあもう宿命の好敵手! そして、相手が逃げれば逃げるほど、その想いはつのり、燃えあがり、追いかけたくなっちゃうのが男女の常というものなのさ」
最後はなぜか乙女なポーズになって、肩と腰をくねくねさせる。
「逃げるだろ、ふつう。あと男女関係ない」
沙助はぶつくさいいながら、雲神駅前ステージの参加登録画面を開き、スマホの時刻表示をにらみつけた。
午後4時18分。ベンチの陰から首を伸ばして、ロータリー周辺を確認し、さらに再確認する。
午後4時19分。沙助は『参加する』をタップした。
午後4時20分。エントリー受付が終了した。もう誰も登録はできない。
「……沙助ちゃん、どうしたのよ」
沙助は声も出せず、震える手でタテマキにスマホを差し出した。
参加一覧表の『エントリー16:19 火狩の沙助』のすぐ後に『エントリー16:19紅蓮のフジモト』の表示があった。
「えええ、ちょっと待って! どこ、どこにいるの? 試合に間に合わないでしょ!?」
「ここだタテマキ! そして沙助! 今日こそ捕まえたぞ、この臆病者め!」
ふたりの背後の植えこみがガサガサと動き、長身の娘が姿をあらわした。
170を余裕で超える背丈、長すぎるほど長いすらりとした手足。
それが恐ろしいほど際立つ白のコットンシャツに、細身のジーンズ姿。
鮮やかなオレンジ色の髪は腰まで届き、瞳は深い朱色だ。
顔だちが化け物じみて整っている。つまりは超絶的な美貌の持ち主なのだが、沙助にはそれも化け物の証にしか見えない。
「フ、フジモトおおおおお!」
沙助はこの世の終わりのように絶叫した。
エントリー受付は終了した。もう誰もキャンセルはできない。
「あは、あははは、捕まっちゃったね」
タテマキが力なくケタケタ笑った。
「機械もの大嫌いなフジモトちゃんが、ずーっとスマホにらんで待ち伏せとはね。これはもう、覚悟決めたほうがいいよ、沙助ちゃん」
◇◇
雲神駅前ステージは、ロータリーの一部を、植え込み・街灯・歩道の段差・バス停の屋根・ベンチ等々そのまま全部、防御装置で囲んだだけのストリートファイトステージだ。
防御装置の対覚醒フェンスのスイッチが入れられた。
格子状の光が、壁のように立ちあがる。
銀色から虹色にきらめくクモ糸状のフェンスは、競技参加する実験体全員の覚醒能力を完全遮蔽するのをテストで確認されている。
競技中の実験体が、新たな覚醒能力に目覚めた場合、その時はブルーアラートといって、防御フェンスが真っ青に輝き、通常の50倍の出力で遮蔽し、観客が興奮する。
その上をいくのがレッドアラート、実験体が暴走したときのモードだ。
防御フェンスがマグマのように輝き、通常の100倍から限界まで出力をあげ続けて遮蔽を試み、観客はさらに大興奮するが、即時避難勧告が出される。
ブルーアラートは月に2回、レッドアラートは年に5回ほど起こる。
居合わせた観客に死人は出たことは、まだない。
動画広告用の大型モニターに、オープニングのデモ画面が映し出された。
ポップな絵柄の可愛い『戦鬼』たちが、コミカルな動きで戦い合う、非常によく動くアニメが流れる。誰のこだわりか、手書きだ。
最後にでかでかと『覚醒戦鬼』のロゴが出る。スピーカーが『覚醒戦鬼』のテーマソングを響かせる。さらに人々が集まってきた。
歓声と拍手の中、モニター上で対戦カードが発表された。
「紅蓮のフジモトVSインビジブルトルネード」
「火狩の沙助VS鉄壁のおかん」
各対戦の勝者が決勝を行うむねが、CGエフェクトで表示された。
「トルネードは今日こそ死ぬな」
「死んだ死んだ。フジモトは殺すって」
「沙助の奴、デブババアに負けたら承知しねえぞ」
「そうだ、フジモトぶっ倒せ!」
「いや、ぶっ殺せ!」
「フジモト死ね!」
「トルネードも死ね!」
フェンス際の有料エリアが騒がしくなる。
実験体が一般人に肉体的な攻撃をしかけると、覚醒を使わなくてもまず重罪になる。
初期にブチッときて覚醒をブチかましてしまった実験体は即逮捕され、恐ろしい実験の犠牲者となった。
映像の一部と詳細なレポートが実験体全員に配布され、以降、傷害事件は起きていないが、絶対に反撃できない相手に対し、人は気楽に言いたい放題である。
タテマキだけは非験体、つまり生身の『戦鬼』なのだが、男に全然人気がなくて、容赦ない野次がとぶのだった。
完全無表情のフジモトをのぞいて、全員ほんのり渋い顔をしつつも、つとめて聞き流していた。
小人数のため、戦闘賞金は一位にしか出ない。残り3人は、参加実績ポイントとコンテンツ出演料をもらうだけで、その差は50倍の開きがある。
8人以上なら三位まで賞金が出る。出演料も10倍で、死んだときは見舞金として五割増しされる。決勝戦や三位決定戦で相打ちに死んだ場合は、二等分した賞金が贈られる。
少人数の場合、それらはいっさい無い。というわけで、命がけの死闘になる危険は少ないともいえる。沙助は常に少人数戦の参加を心がけていた。
戦闘実績ポイントはその分割り引かれるのだが、戦闘数が半端ないので、上位ランカーに名を連ねてしまっていた。
沙助が〝異者〟接触実験に身を売った理由は金である。上の弟が死にかけて、治療のためには大金が必要だった。
だから、実験体になった。成功率95パーセント、つまりは20人に1人が接触の時点で精神を破壊されて死に至ることは考えなかった。
死んだら死んだで莫大な見舞金が支払われるからだ。
対応すべきは、自身の恐怖だけだった。
死んだつもりで地下エレベーターに乗って〝異者〟に触れ、生きて戻れた。その後は実験体として『戦鬼』となり、命あるかぎり稼げるかぎり金を稼ぐのが目的になった。
実験体どうしの戦闘は、当初〝異者〟接触により『覚醒』する異能の力の研究・研鑽が目的だった。
それが、実験体の社会的帰属のためだとか、データを非作為的に得るためだとかで『覚醒戦鬼』という競技システムが立ちあげられた。
覚醒能力を使った派手な攻防は、コンテンツとして多大な人気を獲得した。
毎日どこかで、多数の対戦競技が開催され、TVやネットで盛んに配信されている。
もっとも、毎日どこかに参加しているのは、この地区では沙助と、そしてフジモトぐらいである。
沙助は弟のため、家族のため、金のため、だがフジモトは戦うために戦う。
戦闘大好きのフジモトは、戦いの中で息絶えても満足なのかもしれないが、沙助は死んでも死にきれない。
フジモトと戦って早死にしたくないから、たとえ報酬が魅力的でも、フジモトと当たるステージへの登録は避けてきた。
運営から出場依頼があっても、フジモトが出るときは断っていた。
そんなある日、沙助の『覚醒戦鬼』ユーザーページにメッセージが送られてきた。
『このおくひようもの
かならすちとけろをはか
せてやるふしもと』
「……『この臆病者、必ず血とゲロを吐かせてやる、フジモト』」
沙助に見せられた文面を解読した瞬間、タテマキは五分近く笑い続けた。
「これフジモトちゃんが君に送ったんだ、漢字変換わかんないのに! あんなに機械もの大嫌いなのに! すごい、すごいよ、愛だね、これは愛だ!」
さらに五分間爆笑してとまらなかった。アタマにきた沙助は、タテマキの頭にチョップを食らわせてしまった。
これは競技外の攻撃のため、届けるところに届ければ沙助は重罪だが、タテマキはそんなことはしなかった。
そのタテマキと、恐ろしいフジモトが、ステージ上で向き合っている。
タテマキは黒いジャージ姿に、でっかい黒い帽子を可愛らしげにかぶって、両ポケットに手をつっこんで、生意気そうなストリートダンサーの少年、といったようすだ。もう二十歳なのだが。
フジモトは、長い腕をだらりと下げ、自然なスタンスで立っている。
その静かなたたずまいに、情け容赦なく相手を叩きのめす戦闘狂のイメージは重ならない。
フジモトは、格闘武術の家に生まれ、幼いころから厳しい鍛錬を続けてきたという。
だがなぜか、この世に新たに生じた戦闘手段に……覚醒能力を使った戦闘技術の研鑽に身を投じたのだった。
武術家の、あるいは人間としての誇りと技術をかけて、非験体――実験体と対照するためのデータサンプルとなる生身の競技者――として『戦鬼』になる武術家やアスリートが何人もいるなか、フジモトは武術家であることを捨ててしまって、後悔ひとつしていない。
大画面にカウントダウン表示が現れた。
3……2……1……。
『FIGHT!』のロゴとともにブザーが響く。
軽快なBGMが始まった。
『雲神駅前バトルステージⅠ』。
疾走感のあるキラキラ輝くようなメロディが人気の曲だ。
大歓声、フジモトが音もなく宙に舞う。
タテマキはなめらかなステップを刻み、くるりとターンしてフジモトの飛び蹴りを擦り抜けた。
スローなダンスにも見える動きが、次の瞬間ギアをあげ、フジモトの視界から消えうせる。
ステップが変化する。小刻みに跳びこんで連打をしかけたかと思うと、ステップひとつで大きく回りこむ。
小柄で細く見える体は、踊るために鍛えあげたすさまじいばねを秘めている。
インビジブルトルネード。
タテマキ・たつまき・竜巻・トルネードと、本名を弄っただけのまったく適当な戦鬼ネームだったが、それに運営がインビジブルをつけたのは、この攻撃スタイルによるものだ。
一見ゆるやかに力を抜いているようで、実際には耳から血が出るような精神集中を絶やさない。一瞬のムダもなく最低限の動きだけを繰り出す。
異能の身体能力で高速になっているはずの、実験体の視界からさえも消える。
フジモトは、ときに危険なまでに打ちこまれながら、ぎりぎりのところで見切っていた。もともとの鍛錬に基づいて、能力が高まった体を効率的に利用している、そういう意味では第一人者だ。
タテマキの先読みの先を読み、完全に死角に入ることを許さなくなった。
長い脚が風を切ってうなり、辛くもかわしたタテマキに、炎の色に輝く髪が迫る。
火振リ。
だてに伸ばしているわけではない長い髪に、炎の覚醒能力を宿らせ、鞭のように振るう技だ。
タテマキの帽子が飛んで、髪が焦げる匂いがひろがった。
タテマキは距離をとったものの、片手で胸を押さえている。至近距離からのひじ打ちをもらったのだ。
打たれた衝撃で呼吸が乱れ、ステップが狂う。
精神集中の張力が落ちて、フジモトの死角に入れない。
ついに横蹴りをまともに食らって吹っ飛ばされた。
すかさずフジモトが馬乗りに飛び乗った。覚醒の炎をまといつかせた手を、タテマキの顔面にかざす。
「降参するよ……」
タテマキの宣言で第一試合が終わった。
◇◇
「ふうううう……破ァ!」
藤色のスウェット上下に白のスポーツシューズ。
髪を頭上でひっつめた、色白ぷっくらの六十代女性が、どっしりと根を生やしたような騎馬立ちに構えている。
丸太のような腕をゆるやかに、複雑に動かし、ぴたりと型をつくった、次の瞬間。
「そりゃあああ!」
藤色の肉弾が沙助に突進した。
(右、あ、違う……左だ!)
間一髪、フラメンコへの変則を見抜いて、沙助は危うくトンボを切って身をかわした。
『鉄壁のおかん』はくるくるくると華麗に回転して離れ、ぴたりとポーズと視線を決めた。
観客が爆笑した。
『鉄壁のおかん』こと鈴山寛子六十二歳。
三年前、がんにより、手術しても余命一年の宣言を受けた。
〝異者〟接触には、さまざまな治療困難な病気、身体障害が改善するケースが多数報告されている。
「手術よりは分がいい、賭けてみよう!」というわけで、おかんは〝異者〟接触の実験体になった。
結果、戦闘向きの覚醒……身体能力の向上・強化・重量変化が起こったおかんは、それまでも多くに挑戦してきたように『覚醒戦鬼』にも挑戦することにした。
「デブババアめ」「うぜえよ、死ね!」
力を得てますます凶暴になった若者や、犯罪者すれすれの暴漢をも、
「お黙り!」
全力で叩きのめし、勝利をおさめ、いまや押しも押されもせぬ上位ランカーのひとりである。
「破ァ! たあああ!」
ぶるんと腹肉が躍り、観客が笑うが、沙助は笑うどころではなかった。
健康のための地道な努力の積み重ねが、たぐいまれなる攻撃力と化して沙助に襲いかかってくる。
重量感たっぷりの外観は、じつは脂肪の下に筋肉のついた相撲取りみたいな堅肥りだ。血液はサラサラ、鉄のような骨密度、偏食かつ不規則生活の沙助など足元にも及ばない。
間近に迫られた存在感だけで「オレの負けです」と降参しそうになる。
猛牛のような突進を危うく躱すが、両手が腰のベルトをがっしりとつかんだ。慌てて踏ん張ったが、巧みな腰の振りでバランスを乱され、次の瞬間、横ざまに投げ捨てられた。
……この間、録画した大相撲を研究していると言っていたが、もう実戦装備したらしい。
踊るおかんのスタンピングが襲いかかる。
沙助は身を転がし、後転し、跳ね起きた。
おかんめがけて放った翔び蹴りは、最低限の動きで躱された。
かわりに後ろの街灯を蹴りつけ、三角飛びで逆戻りする。
両手に覚醒エネルギーの青白い輝きを集束させる。
おかんは完全に読んでいて、沙助の着地点から後退する。
だが沙助の覚醒攻撃は、おかんではなく、アスファルトの地面に放たれた。
打ちこんだ場所から、青白い光が稲妻のように疾り、冷気の波動が扇状に広がった。広範囲にわたる攻撃は、おかんの素早いバックステップをぎりぎりでつかまえた。
「おお、しまった!」
靴底から足首へ、ひざから腿まで。
しゅるしゅると蛇のように絡みついた冷気は瞬時に固体化し、おかんのスウェットパンツがカチカチになった。
鉄のズボンを履いているように身動きがとれない。
覚醒の冷気をまとわせた沙助の手が、おかんの顔面に静かにかざされた。
「やれやれ、あたしの負けだね」
おかんが首をふりながら宣言し、第二試合も終わった。
◇◇
決勝戦までには小休止が入るが、一部観客の大騒ぎはとまらない。
「早くしろ~」「すぐに始めろ!」「フジモトぶっ殺せ!」何か割れる音。
「あのお! すみません!」
沙助は罵声に負けないようフェンス外にいるスタッフの初老男性に大声で呼びかけた。フェンスごしに差し出された手に小銭を預け、そばのコンビニで飲み物を買ってきてもらった。
競技が終わるまで、防御フェンスに出入り口は無い。実験体の身体だけなら無理やり通れなくもないが、焼き網模様がくっきりついてしまうのだった。
ステージの隅に、簡易設営された控え室がある。ドアを開けると、タテマキはベンチの上でダウンしていたが、好物のミルクティーのペットボトルには一瞬で飛びついた。
「善戦、善戦。さあお食べ」
おかんも籐製の弁当箱を開いた。黒光りする海苔で包まれた、綺麗な三角形のおにぎりが並んでいる。
「わ~い、おかんの直巻きおむすび~」
ミルクティー片手にタテマキが手を伸ばす。
「直巻きねえ。海苔はおにぎりに直接巻くものだったけどねえ。右からネギ味噌、こんぶ、梅かつお。あ、ちょっと、沙助くんはまだお待ち、腹に食らったらゲロ吐くよ?」
「だってオレ、昼抜きなんだよ」
沙助はおにぎりをくわえてもぐもぐ言った。
おかんのおにぎりでは梅かつおが一番だ。梅干なんてすっぱいだけだと思っていた。おかんのは梅干がお手製で、香りも味も全然違う。すっぱいのがさっぱりして、美味しく感じる。
「大丈夫だって、オレ実験体だし」
二つ目に手を伸ばすと、おかんはヤレヤレと首をふり、魔法瓶の烏龍茶を注いでくれた。
「エリカちゃんも、お茶ぐらいどうだい?」
(……誰?)
ぐるりと首をめぐらせた沙助は、あやうくおにぎりを喉をつまらせかけた。
フジモトが立っていた。
白いワイシャツとグレーの箱ひだスカートの制服姿に着替えている。
短いスカートのすそから、すらりとした白い腿が長く伸びている。
そういえば、フジモトは沙助と同い年、れっきとした女子高生なのだった。
「……お色気作戦?」
沙助の赤面に気づいたタテマキが、フジモトにたずねたが、返答は無かった。
「私も食う」
フジモトは、おかんのおにぎりを凝視した。
「条件は沙助と同じにする。さあ、いくつ食べる気だ?」
朱色の瞳ににらまれて、沙助は「これで最後……二つ目」ともごもご呑み込んだ。
「なに、二つだと! 腹が減っている高校生男子が、おにぎり二つで足りるのか!」
「フジモトちゃんも腹減ってるだけでしょ」
「そういう年頃だ、悪いか。それに私は……おかんのネギ味噌がとても好きだ!」
「ありがとう、エリカちゃん。でも、できれば試合の後に食べて欲しいんだけどねえ……お茶飲むかい?」
フジモトはこくんとうなづいて、差し出されたカップを両手で受け取った。
そっと持ちあげて飲むしぐさに、沙助の口がぽかんと開けた。
「知らなかったでしょ、沙助ちゃん」
タテマキは、沙助のあごを手で押しあげて、開いたままふさがらない口を閉じてやった。
「フジモトちゃん、けっこうお嬢様」
◇◇◇
制服姿のフジモトが出ていくと、物騒な大騒ぎをしていた観客が静まり返った。しばしの静寂、そしていっせいに沸きかえった。
興奮を極めた人外のような叫びと、下品だが率直な賞賛が飛びまくる。
今日までジーンズに隠されていた長い脚、わけても絶妙なラインを誇る白い両腿に賞賛が集中した。
「やっべえ、すっげえ、超蹴られてええ!」
「俺は踏まれてええええ!」
妙な願望に目覚めた奴らまでいるようだ。
スカート一枚で何という変化か。しかし沙助も人のことをまったく笑えない。スカート一枚で、フジモトの顔を直視できない。
やばい、美人だ、知ってる顔なのに、ものすごい美人だ。
戦闘開始のブザーが響いた。
次の瞬間、朱色の瞳が世界を覆った。飛びこんできたフジモトの顔がすぐそばにあった。炎の気配、沙助はとっさに腕をあげ、覚醒のエネルギーを集中させ、思いきり放つ。
沙助の両腕が白いもやにつつまれ、翼のような氷のオブジェが展開した。フジモトの火振リが、うなりをあげて打ちかかる。澄んだ音をたてて氷の翼がふるえあがった。
イカロスウィング。
両腕から生じた翼のような氷で、おもに攻撃を防ぐ技だ。
沙助は氷の翼を閉じて、近距離からのフジモトの猛攻をひたすら耐え続けた。
蹴り、蹴り、火振リ、炎の正拳が氷の翼を殴る、殴る、殴りつける。
氷のかけらがダイヤモンドダストのように宙を舞うが、沙助はイカロスウィングを再生し続け、防護を保つ。
打ち砕くのをあきらめて、フジモトは距離をとった。沙助の粘り勝ちだ。
後退の気配を感じた瞬間、すかさず翼の防御を開き、四散させた。
覚醒のエネルギーを手元に集め、地面に放つ。
おかんを捕らえた足固めだ。白い冷気の蛇が扇状に地を滑り、フジモトの後退をも捕まえた。
フジモトの足元から絡みつき――。
水蒸気と化してあえなく四散した。
「ああああ、そうかあ!」
制服に着替えた意味はこれだったのだ。
炎の力を持つフジモトの体は、強い熱気を帯びている。両脚がほぼむき出しなら、この程度の冷気を寄せつけるはずがない。
沙助は赤面した自分を呪いに呪った。あんなスカート、パンツ一丁でなければ何でもよかったに違いない。
広げてしまった覚醒エネルギーを、大急ぎで手元に集束する。
その隙にフジモトが距離をつめる。
迫る炎の鉄拳、大きく揺れる髪に火振リの気配。
二段重ねの覚醒攻撃を、沙助には防げない。
だから、防がなかった。
エネルギーを集束せず、逆に思いきり押し広げた。
そのまま垂直方向への転化を図る。まばゆい青白い輝きがふたりをつつむ。
「ブルーアラート!?」
フジモトは反射的に攻撃を中止し、大きく飛びのいた。
その途中で気づいたらしく、唇をかんだ。
そう、青白く光っているのは沙助の放った覚醒エネルギーであって、防御フェンスではない。
同じく一瞬だまされた観客も落胆の声をあげる。
えせブルーアラートでつくった時間で、沙助はイカロスウィングを再度展開にかかる。
不意に目の前が赤く染まった。
オレンジ色の炎、否、フジモトの長い髪が重力に逆らって揺らめいている。
全身が真っ赤な輝きにつつまれていた。
まずい。これはやばい。沙助の本能が警鐘をならした。
フジモトは低い唸り声をあげ、両手を天に向かって突きあげた。
バトルステージを熱風が吹き荒れる。真紅の輝きがふたりをつつみこんだ。
「フジモトちゃん、レッドアラート!?」
「ちょ、エリカちゃん落ち着いて!」
だがこれもえせだった。赤く光っているのはフジモトの覚醒エネルギーだ。
実害は何も受けなかったが、沙助は死ぬほどの恐怖を味わった。
観客も安堵にざわめいた。
フジモトが凄絶に笑い、飛びかかる。
沙助は必死でイカロスウイングを重ねたが、ミサイルのような飛び蹴りで中心をぶち砕かれた。
ふたりもろともに植えこみに転がりこむ。
イカロスウイングが派手な音を立てて割れた。
飛び散る破片が、二人の手足を細かく傷つけた。
フジモトは沙助に馬乗りになった。セコい手でだまされたのがよっぽどくやしかったのか、朱色の瞳が燃えあがり、頬が真っ赤に上気している。
かたくこぶしを握り締めると、
「……約束だ、ゲロを吐け!」
胃袋めがけて来るのがわかったので、とっさに両手で腹を抱えた。
だが、フジモトの鉄拳はガードごしにもずんと響いた。
衝撃波が風を巻き起こす。
(ひ、ひでええ……)
すでに半泣きの沙助に、フジモトはさらにどすどすと連撃をくわえ、飛びのいた。
沙助はその場で腹ばいになった。
こみあげる衝動を根性で耐える。耐える、耐える、耐える……耐えた!
ぜいぜいと息を切らし、フジモトを睨む。
「許せねえ……なんてひでえ女だ。おかんのおにぎりをゴミにするつもりだったのか!」
フジモトの無表情がかすかにうごいた。間違いなく罪悪感だった。だが。
「戦いの前に食ったお前が悪い!」
とどめの火振リで弾き飛ばされ、沙助は気を失った。
◇◇◇
沙助が目を開けると、曇った夜空が目に入った。
大画面広告の音楽や声が騒がしい。石のベンチの硬い感触。どうやら、枕だけあてがわれて寝かされているらしい。
「野ざらしかよ……くそ、最悪だ」
体中の骨がきしんで痛いし、髪の毛が焦げ臭いし、氷の破片であちこち切った傷がヒリヒリする。そして結局、一定の出演料しか稼げなかった。
「フジモトめ……」沙助がうめくと、
「謝らないぞ」フジモトがのぞきこんだ。
「だが、おかんにはちゃんと謝ったからな」
沙助は飛び起きた。フジモトはベンチに座って、沙助にひざまくらをしていたのだった。箱ひだスカートのままで。
「なんでお前にひ、ひ、ひざまくらなんか! タテマキは? おかんはッ?」
「おかんはダーリンの夕飯の支度、タテマキは『ボク用事があるから後よろしく』だそうだ。二人にしてもらう方がよかったのか」
ああ、絶対面白がってやがる。沙助はうめいた。タテマキとおかんは、親子、いや、ばあちゃんと孫くらい年が離れているくせに、何かというと息ぴったりだった。タッグでも組めば最強じゃないかと思うほどだ。
「もしかしてあの二人が言ったんじゃないのか? 制服まだ着替えるなって?」
フジモトはうなずいた。
沙助はぐったりとベンチの背もたれによりかかった。
フジモトはとなりに座ったままだ、箱ひだスカートのままで。
背筋をぴんと伸ばし、ひざをきちんと揃えた姿は、なるほど、とてもお嬢様に見える。
だがこれはフジモトだ。
どうしろというのだ。オレにどうしろと。
「……とりあえずメシでも行く?」
「時分どきだな。そこにサイジェもある」
「フジモト行くんだ、サイジェ」
「タッチパネルじゃないからな」
―終―
この作品を読んでくださって感謝いたします。
ありがとうございます。