93. 思慕
第035日―5
僕は剣を振り抜き、ナブーとマルドゥク目掛けて殲滅の力を解き放った。
しかしその射線上に、ナブーの命令に応じた【彼女】が立ち塞がった。
【彼女】が霊力の盾を展開するのが“視えた”。
そこへ僕の解き放った殲滅の力が激突した。
霊力同士が束の間、虹色の輝きを放ちながらせめぎ合った。
しかしすぐに殲滅の力が、【彼女】の展開した霊力の盾を圧倒した。
霊力の盾は虹の煌めきを残して霧散し、殲滅の力はそのまま、【彼女】の右半身も吹き飛ばした。
その隙を逃す事無く、アレルやハーミル達が、ナブーとマルドゥクに襲い掛かったけれど、右半身を吹き飛ばされながらも、なお霊力を展開し続ける【彼女】がそれを妨害した。
その間に詠唱を終えたらしいナブーとマルドゥクは、素早く【彼女】を回収し、メイを連れて転移の光の中に消えて行った。
だけど僕は彼等が消え去る直前、メイの唇が微かに動くのを見た。
彼女は確かにこう呟いていた。
「カケル……助けて……」
マルドゥク達が逃走した後、僕達は改めて、お互いの状況を確認し合った。
アレルが頭を下げてきた。
「カケル、すまない。今回もメイを救出できなかった」
「頭を上げて下さい。アレルさん達が妨害してくれなかったら、儀式自体が完遂されてしまっていたかもです。メイもどうなっていたか……」
僕はノルン様の許可を得て、帝城皇宮最奥の祭壇で“視えた”内容をアレル達に説明した。
「帝城内でそんな事が!?」
驚くアレル達を前に、ノルン様が口を開いた。
「それにしても、魔王は何を企んでいるのだ? 状況からして、『彼方の地』への扉を開く事だけが目的では無さそうな……」
じっと考え込むノルン様に、アレルが言葉を返した。
「もしかすると400年前のあの世界で、銀色の老ドラゴンが口にしていた“禁忌”と関係あるのではないでしょうか?」
そう言えばあの時、あの銀色のドラゴンは、魔族達が行っていた儀式とミルム救出の顛末に、妙に強い関心を示していた。
アレルが言葉を続けた。
「あの時、老ドラゴンは、魔王ラバスが禁忌に手を出したから、勇者ダイスと行動を共にしている、と話していました。老ドラゴンは、禁忌の具体的内容を教えてはくれませんでしたが、もし禁忌とその魔神とやらが関っているとしたら、今一度、あの老ドラゴンと会うべきかもしれません」
アレルの提案に、ハーミルが口を挟んだ。
「でもどうやって探すの? 伝承では、勇者ダイスに協力した神竜は、魔王ラバス打倒後、勇者達に別れを告げ、どこかへ飛び去って行って、行方知れずなんでしょ?」
「そのドラゴンに関しても、いまだ健在かどうかも含めて調査して頂けるよう、父上に進言しよう」
ノルン様の言葉に、一同が頷いた。
「ところで僕達は、ここでナイアさんと落ち合う事になっていたのですが……」
アレル達は表の神殿からここへ続く通路の途中で、直前までナイアさんと魔族達とが交戦していた可能性について口にした。
「なんと! そのような事が? すぐにその現場を調べてみよう」
アレル達が案内してくれたのは、崩れた瓦礫で通路が埋まり、ナイアさんの使い魔と思われるモンスター達の死骸が散乱している場所であった。
ノルン様とウムサさんが改めて、その場の魔力の残滓を調べ始めた。
数秒後、二人は厳しい表情で、顔を見合わせた。
ウムサさんが僕達に、調べた結果を教えてくれた。
「ううむ、どうも勇者ナイア殿は、敵が放った転移の魔法で、相当遠方に飛ばされたようですぞ」
ウムサさんが、ナイアさんが転移させられた場所として口にしたのは、この世界の南半球に位置する座標であった。
どうやら彼女は、僕達から見て、この星の裏側に飛ばされてしまったらしい。
ナレタニア帝国は北半球に位置するこの大陸――北方の魔王の領域を除いて――のほぼ全域を支配下に収めている。
帝国の領内であれば、主要な街や施設に転移の魔法陣が設置されている。
しかし南半球は大洋が大半を占め、小さな島々が点在するだけの未開の領域。
帝国の支配も及んでおらず、当然、そこには転移の魔法陣のような気の利いたモノも設置されてはいない。
つまりナイアさんが自力でここ、ナレタニア大陸に戻って来るとすれば、下手をすると数カ月以上かかるかもしれない、という事らしい。
ノルン様が僕にたずねてきた。
「カケルの力で、勇者ナイアを連れ戻す事は出来ないだろうか?」
僕は首を振った。
「すみません、行った事も見た事も無い場所への転移は無理っぽいです」
アレルが口を開いた。
「イクタス殿にお願いしてみてはいかがでしょう? イクタス殿なら、もしかすると、ナイアさんが飛ばされた場所に転移して、そこに転移の魔法陣を構築出来るのではないでしょうか」
「そうだな。実は私も同じ事を考えていた」
そしてノルン様は改めて僕に声を掛けてきた。
「カケルよ、イクタス殿の魔法屋を訪れて、そなたから話をしてもらえぬか?」
「分かりました。ただその前に……」
僕は、心に決意を秘めて切り出した。
「先にメイの救出に向かわせて貰えないでしょうか? 出来るだけ急いで戻ってきますから」
――◇―――◇―――◇――
「カケル……助けて……」
呟くアルラトゥの視界が歪み、カケルの姿が消え去った。
一瞬の後、アルラトゥはあの忌まわしい“人形製作所”に転移していた。
転移の成功に一息つく暇も無く、マルドゥクが憤懣やるかたないと言った雰囲気のまま、ナブーを怒鳴りつけた。
「ナブー、どういう事だ? お前の“人形”が、儀式の邪魔をしてどうする!?」
「申し訳ございません。何分にも試作品で御座いますので、色々調整不足があったものと……」
「早く連れて行って調整し直せ。直にあの少年がここへ追いかけてくるぞ」
「ここは強力な結界にて守られております。いかな守護者といえども、そう易々とは……」
「黙れ! お前は守護者の力を知らん。先ほどもあの少年は、『始原の地』へ強制転移してきたではないか。さっさと迎え撃つ準備をするのだ」
ナブーはマルドゥクに頭を下げ、右半身を失っている“人形”をせかして、調整室へと小走りで向かって行った。
マルドゥクはそれを見届けてから、アルラトゥの腕を掴んだ。
「お前もお前だ。何故宝珠の顕現を中断した?」
「……」
「ダンマリか。半端者らしいな。どうせまた、あの少年に助けてもらって、ニンゲンごっこが出来るとでも思っていたんだろうが、残念だったな」
マルドゥクは冷ややかな目で、アルラトゥを見下ろした。
アルラトゥはその視線を避けるように、不愉快そうに顔を背けた。
「まあいい。どうやら、あの少年もお前にはご執心のようだし、必ずお前を奪いに追跡してくるだろうよ。なら、それを逆手に取って迎え撃つまで」
マルドゥクはアルラトゥの腕を掴んだまま、再び転移の詠唱を開始した。
次にアルラトゥが転移させられたのは、要塞のような構造物の中であった。
通路や部屋は、黒く磨き上げられた大理石のような素材で出来ていた。
そしてその所々に、霊晶石が埋め込まれている。
通路を進むと、何人かの魔族とすれ違った。
この建物の中には、かなりの数の魔族がいるようであった。
「ここは私の城、ラルサだ。お前は知らないだろうが、私はここを拠点に、長年、守護者と戦ってきた。城内には、霊力を振るう者の活動を制限できる様々な工夫がこらしてある。ここなら、あの少年の力も半減するはず。上手くすれば、再度捕える事も可能だろう」
そう話すと、マルドゥクはアルラトゥを、とある広間に連れて行った。
そして配下に命じて、アルラトゥの両腕を鎖で縛りあげた。
アルラトゥは魔力を展開して抵抗しようとしたが、上手くいかない。
どうやら鎖そのものに、魔力を封じる効果があるようだった。
そして両腕を縛られたアルラトゥは、そのまま壁に固定されてしまった。
彼女はマルドゥクを睨みつけて罵ったけれど、マルドゥクは意に介さず言葉を続けた。
「お前には、あいつをおびき寄せる撒き餌になってもらおう。上手くあの少年を捕える事が出来れば、お前も儀式に専念出来るだろうしな」
「……カケルに酷い事をするなら、私は決して宝珠を顕現しない」
マルドゥクの顔に酷薄な笑みが浮かんだ。
「おいおい、逆だろ? お前が宝珠を顕現しなかったら、愛しの“カケルクン”が酷い目に合うんだよ」
そう言い捨てたマルドゥクは、配下を従えてその広間から出て行った。
アルラトゥは、広間に一人取り残された。
漠然と自身の運命に思いを馳せると、自然にカケルの事を考えてしまう。
彼は必ずここへ助けに来てくれるに違いない。
しかしそれは同時に、マルドゥクの思惑通りでもあって……
「カケル……」
アルラトゥはカケルを想い、ただ涙を流す事しか出来なかった。




