87. 侵入
第034日―2
僕はハーミル、ジュノ、そしてノルン様とジェイスンさんを同行して、再び黒い穴を潜りぬけ、皇帝ガイウスの居室へと転移した。
まずは不審な魔力の残滓が感知されたという居室前の廊下を調べたいとの事で、僕達は居室の扉を開いて廊下に出た。
廊下には、宿直をしているらしい若い衛兵が一人、立っていた。
彼は無人であるはずの居室から出て来た僕達に驚いて槍を構えた。
しかしすぐに姿を現したのが、皇女のノルン様や宮廷魔導士長のジェイスンさんである事に気付いたらしく、非礼を詫び、槍を伏せて臣礼を取った。
ノルン様が、彼に笑顔で声を掛けた。
「マイクよ、宿直ご苦労。驚かせてすまぬ。私達は陛下の御命令により、転移して戻ってきた所だ。少し調べたい事が有るゆえ、席を外して欲しい」
若い衛兵――マイクという名前らしいけれど――を下がらせたノルン様とジェイスンさんは、早速魔力を展開して、その場の調査を開始した。
「う~む、微弱過ぎて詳細がわからぬが、転移の痕跡ではなさそうだ……」
「我等を欺く細工が施されているのかもしれませぬな」
ノルン様とジェイスンさんがしきりに首を傾げている。
僕もしゃがんで廊下に手を触れながら、試しに霊力を展開してみた。
しかし、北の塔やヴィンダの時と違って、“視えた”のは、ここが皇帝ガイウスの居室の前の廊下である、というありきたりの情報のみ。
ここで過去に魔力を使用したのが誰かは、さっぱり“視えて”こなかった。
展開する霊力の量が不足しているのだろうか?
僕はゆっくりと霊力の量を増やしていった。
と、突然、微弱ながら、霊力が漏れ出してきている場所がある事に気が付いた。
それは実に意外な場所だった。
僕は熱心に床を調べているノルン様に近付き、そっと囁いた。
「陛下の居室内の一角から、霊力が漏れ出してきているのを感じます」
ノルン様の顔に緊張が走った。
「霊力が……? それはカケルの言う【彼女】か、それに類する者が潜んでいる、という事か?」
「う~ん……感じとしては、ちょうどノルン様が祭壇で宝珠を捧げられて、それで『彼方の地』から霊力が漏れ出してきた時と似ています」
「父上の居室はおろか、帝城内に、北の塔のような祭壇があるという話は聞いた事が無いが……」
ノルン様は束の間、首を傾げた後で、言葉を続けた。
「とりあえず、カケルが感じたという、霊力が漏れ出してきているという場所を調べてみよう」
僕達は再度、皇帝ガイウスの居室の中に足を踏み入れた。
僕が感知した、霊力が漏れ出してきている場所は、皇帝ガイウスがいつも使用している、執務机のすぐ背後の部分であった。
一見したところ、そのタイル張りの床に、不自然な継ぎ目のような、怪しそうな個所は見当たらない。
僕はその部分の床に手を触れながら、霊力を展開した。
途端に、懐かしい顔が三日前、この場所に居た事が“視えた”……
……三日前、ここには、メイとナブー、それに【彼女】がいた。
彼等は【彼女】の霊力と、メイやナブーの魔力を組み合わせる事で、帝城を守る結界を突破し、城内の一角へと転移する事に成功した。
都合の良い事に、ノルン様やジェイスンさんといった、彼等の転移に気付き得るであろう者達は、皆皇帝ガイウスの親征に同行して留守であった。
また、彼等が転移先に選んだ場所が、ちょうど結界の手薄な箇所であった事も相まって、留守居の者達は誰一人として、彼等の侵入に気付く事は出来なかった。
彼等の真の目的は、皇帝ガイウスの居室の床下に隠された、帝城皇宮最奥の祭壇の封印を解く事。
そこは帝城の中でも特に厳重な結界が施されており、そこへの直接転移は大きなリスクを伴う。
そこで彼等は、皇帝ガイウスの居室への物理的な侵入を試みた。
その部屋の前の廊下は、皇帝ガイウスの在室・不在にかかわらず、二十四時間体制で衛兵が警備を行っていた。
まず、侍女に扮したメイが、皇帝ガイウスの居室の前を通り、その際、時限式で発動する催眠の魔法を居室前の廊下に仕掛けた。
数時間後の深夜、予定通り魔法が発動し、衛兵は浅い眠りに誘われた。
この魔法は弱いが故に、魔法による眠りと見抜かれにくい特徴を持っていた。
彼等は音も無く、まどろむ衛兵の脇をすり抜け、ガイウスの居室への侵入を果たした。
そして結界を突破して、帝城皇宮最奥の祭壇へ向かった……
「この床下に祭壇が!?」
ノルン様が目を見開いた。
居室の床下の祭壇の話は、皇帝ガイウスが知っているかどうかは不明だったけれど、ノルン様やジェイスンさんにとっては、初耳のようであった。
すぐさまジェイスンさんがしゃがみ込んで、床を調べ始めた。
「う~む、隠し部屋へ至る事ができるような物理的、或いは魔法的な仕掛けは無さそうですが……?」
僕はジェイソンさんには聞こえないように、ノルン様にそっと囁いた。
「今“視えた”感じだと、メイが宝珠を顕現して、それに呼応するかのように、祭壇への扉が開きました」
僕の言葉を聞いたノルン様が、詠唱を開始した。
彼女の額が青く光り輝き、やがて青の宝珠が顕現した。
と、霊力が漏れ出してくる床にも変化が現れた。
堅いタイル張りの床が粘土のように歪み、やがてそこに不可思議な揺らめく縁取りを持った、黒い穴が出現した。
「これは一体!?」
「もしかしてこの向こうは、どこか遠隔地に繋がっているのか?」
皆が驚きの声を上げる中、僕は素早く霊力を展開して、その黒い穴を調べてみた。
見た感じは、僕がここに転移するために作り出したのとそっくりな黒い穴。
だけど……
「見た目はこんなですが、この黒い穴を通れば、床下の祭壇に行けるはずです」
そう口にしてから、皆を安心させるため、まず自分がその穴に飛び込んだ。
軽い浮遊感の後、すぐに床に着地できたけれど、その途端、凄まじい眩暈と耳鳴りが襲ってきた。
そして僕は、その場に蹲ってしまった。
…………
……
…………
……祭壇の周囲に配置された霊晶石、そして詠唱の声。
ふと気付くと、僕は苔むした祭壇のある部屋にいた。
詠唱の聞こえる方向に視線を向けると、そこにはメイ、ナブー、そして【彼女】の姿があった。
が、しかし……
「メイ!」
思わず駆け寄ろうとした先、祭壇の前で、メイが横になったまま、宙に浮いていた。
意識を失っているのであろうか?
目を閉じ、身じろぎ一つしないその姿は、500年前の世界で、『彼女』と一緒に救出した、ミルムを連想させた。
そしてその傍で、ナブーがあの日の魔族達のように、一心不乱に何かを詠唱し続けていた。
メイの額の宝珠が妖しく白く輝き、そこから禍々しい何かの力が、揺らめく触手のように立ち上るのが見えた。
この“儀式”をこのまま完遂させれば、何か取り返しのつかない事態が発生する!
そう感じた僕は、全力で霊力を展開しようとしたけれど、何故か上手く行かない。
これは過去の記憶、
既に起こってしまった事象、
自分はそれを“視ている”だけだ、という事実に、僕は今更ながら気が付いた。
一方、“儀式”は終盤に差し掛かっているようであった。
祭壇からは霊力が溢れ出し、メイの額の宝珠から立ち上る揺らめく触手が、次第にその輪郭をはっきりさせていく。
―――うわぁぁぁぁぁ!!
知らず、叫び声を上げていた。
同時に、凄まじい霊力が全身から迸るのが感じられた。
その時、祭壇の前で宙に浮くメイが、突如目を開き、僕の方に視線を向けてきた。
僕は過去の幻影に過ぎないはずの彼女と、確かに目が合ったのを確信した。
部屋を埋め尽くすような白い宝珠の輝きの中、僕の意識も真っ白に塗り潰されていった……




