83. 相殺
第033日―3
ボレアの城壁の上に無表情で佇む【彼女】に向かって、周囲から矢が斉射された。
攻撃したのは、ボレア獣王国の兵士達。
しかしそれらは全て、【彼女】の展開する不可視の壁に弾かれてしまった。
【彼女】はそんな周囲からの攻撃には目もくれず、右手を振り上げると、手刀のように振り下ろした。
その手から放たれた不可視の斬撃が、一瞬の後に、ボレア郊外に陣する帝国軍の軍営の一角に襲い掛かるのが“視えた”。
地面が抉られ、兵士達が吹き飛ばされる。
これはもしや、霊力による攻撃!?
僕は思わず叫んでいた。
「【彼女】がボレアの城壁からこちらを攻撃してきています!」
近くに立つ皇帝ガイウス以下、周囲の人々の顔が一斉に強張った。
僕は皇帝ガイウスに駆け寄り、小声で話しかけた。
「ボレア獣王国側の兵士も、【彼女】を攻撃しています。この攻撃は【彼女】単独によるものです。僕に任せてくれませんか?」
皇帝ガイウスがそっと囁き返してきた。
「カケルの話していた【彼女】なれば、我等の攻撃は通用するまい。そなたに任せようぞ」
僕は皇帝ガイウスに一礼すると、駆け出そうとした。
しかしその腕をハーミルに掴まれた。
「待って! 私も一緒に」
「ハーミル、【彼女】は霊力を使用している。僕でないと、多分止められない。ハーミルはここで、陛下やノルン様達を守ってくれ」
「でもっ!」
僕は、まだ何か言いたげな彼女の手を優しく自分の腕から外すと、手にしていたレルムスのローブを羽織った。
これでハーミルを含め、周囲の人々の目からは、僕の姿が忽然と消えたように見えるはず。
そのまま少し離れた幕舎の影、皆から死角になる位置まで移動してから、光球を顕現した。
膨大な量の霊力が全身を満たし、感覚が信じられない位研ぎ澄まされていく。
その時、再び【彼女】がこちらに向けて、霊力の斬撃を放つのが“視えた”。
僕にはそれがどこに“着弾”するのか瞬時に理解出来た。
だから僕は、その斬撃がこちらに届く寸前、陣営の前方に霊力の盾を展開してその相殺を試みた。
【彼女】の放った斬撃は、僕が展開した霊力の盾に衝突すると、虹の煌めきを残して霧散した。
その後も【彼女】は次々と霊力の斬撃を放ち続け、そのことごとくを、僕は相殺していった。
霊力は見えずとも、相殺した時に生じる虹の煌めきは人々の目に映るらしく、皆が口々に立ち騒ぐのが聞こえてくる。
一方、【彼女】の方はいくら相殺しても、まるで自動人形のように、一定の間隔で霊力の斬撃を放ち続けている。
このままだと埒が明かないな……
そう判断した僕は、霊力を展開し、一気に【彼女】のすぐ傍へと転移した。
そしてまさに振り下ろされようとしていた【彼女】の右腕を掴み、抑え込もうとした。
その瞬間、何かが猛烈な勢いで僕の中に流れ込んできた……
……
…………
僕は空中に浮遊した状態で、巨大なドーム状の構造物の中にいた。
眼下には、人の背丈ほどもある数十個程の半透明な容器が、所狭しと並べられていた。
ここは僕にとって、初めての場所。
しかしここがどこで、何をする場所なのか、瞬時に理解出来ていた。
北方の氷に閉ざされた魔王の領域の一角、魔族最高の魔導士との呼び名も高い、ナブーの研究施設。
ナブーはこの施設で、霊晶石を核としたホムンクルス作出の実験を繰り返していた。
彼の忌まわしき実験は、数万体以上の失敗作の犠牲の果てに、ついに【彼女】を生み出した。
【彼女】は限定的ではあるものの、霊力を展開し、操って見せた。
【彼女】に与えられた初めての任務は、数千人の人々が平和に暮らす街の完全破壊であった……
…………
……
気が付くと、僕はまだ【彼女】の右腕を掴んでいた。
どうやら時間にしてコンマゼロ秒の間、僕の意識は、【彼女】の過去を覗いていたようだ。
【彼女】がゆっくりと、僕の方に顔を向けてきた。
そこには、“戸惑い”と呼ぶべき感情が浮かんでいるように見えた。
僕は思わず、【彼女】に問い掛けた。
「……君は一体?」
「キミハイッタイ?」
奇妙な事に、【彼女】は僕の言葉をオウム返ししてきた。
そして唐突に、僕に掴まれていない方の手、つまり左手を自身の額に押し当てた。
その刹那、僕は持てる霊力を全開して【彼女】を締め上げた。
意識を失い崩れ落ちた【彼女】を抱きかかえたまま、僕はその場から転移した。
――◇―――◇―――◇――
「大変です! あの少女が突然現れて、城壁の上から一方的に帝国軍への攻撃を開始しました!」
駆けこんできた伝令からの知らせに、王宮内で今後について、忙しく指示を出していたゲシラムの表情が凍りついた。
「何!? まさか、あのナブーも一緒か?」
「いえ、報告ではあの時の少女だけです。しかしやはり我々の攻撃では、少女を止められません」
これはまずい。
帝国側から見れば、和平交渉中に、突然奇襲をかけられたと誤解するかもしれない。
帝国側がこれをボレアの裏切りとみなせば、帝国軍の総攻撃により、ボレアは滅ぼされるだろう。
「すぐに帝国側に軍使を派遣せよ」
そう命じたものの、ゲシラムはいても立ってもおられず、自らも状況確認のため、配下と共に、少女が現れたという城壁に向けて馬を走らせた。
ゲシラムが報告のあった場所に到着すると、確かに城壁の上にあの時の少女がいた。
兵士達が矢を斉射し続けているが、全て少女の周囲の不可視の壁に弾かれている。
だが、肝心の少女の様子が少しおかしい。
少女は右手を振り上げているが、その姿勢のまま壊れたゼンマイ仕掛けの人形のように揺れている。
やがて自分の額に左手を当てたかと思うと、ガックリと脱力したようになった。
どう見ても気を失っているように見える少女は、しかし地面に崩れ落ちる事無く、不自然な姿勢のまま、やがて淡く発光したかと思うと、溶けるように消え去った。
――◇―――◇―――◇――
眩暈に似た感覚と共に、周囲の景色がグニャリと歪み、突然切り替わった。
懐かしい、薬草を煮込んだような独特の匂いが鼻孔をくすぐる。
狙い通りの転移に成功した事を確信した僕は、ほっと一息つき、腕の中の【彼女】をそっと床に下ろした。
ここはアルザスにあるイクタスさんの“魔法屋”のはず。
【彼女】が自身の額に左手を押し当てた時、僕は異常な霊力の流れを感知した。
そのまま【彼女】に霊力を使用させれば、何か良くない事が起こる。
そう感じた僕は、咄嗟に霊力で【彼女】を失神させ、霊力関係に詳しそうなイクタスさんのアドバイスを受けようと、ここへ転移してきたのだ。
「イクタスさ~ん、いませんか?」
……返事がない。
少し逡巡した後、僕は霊力で建物内を探ってみた。
建物内にはイクタスさんの姿は無かった。
どこかへまた出掛けているのかもしれない。
「どうしよう……?」
イクタスさんの帰りをこのまま待とうか?
しかしボレアと帝国軍の事も気になる。
余りここで時間を浪費する事は、得策では無さそうだ。
少し考えた後、僕はレルムスのローブを脱いで、まだ意識の戻らない【彼女】をそれで包み込んだ。
そして再び彼女を抱えると、霊力を展開して転移を行った。
次の転移先は、ボレア郊外の帝国軍軍営内、自分とハーミル、ジュノ達に与えられた幕舎の中であった。
幕舎の中には、ハーミルとジュノの姿があった。
ジュノが驚いたような声を上げた。
「お前、今、いきなり現れたよな!?」
「ごめん、ちょっと色々事情があって、転移してきたところなんだ」
「転移!? 魔法陣も無しにか?」
「う~ん、その辺はまた今度ゆっくり説明するよ。それより、ボレアからの攻撃は?」
ハーミルが口を開いた。
「カケルが消えてすぐ、ボレアからの攻撃は止まったんだけど……」
ジュノに比べて、ハーミルは明らかに不機嫌そうな雰囲気だった。
恐らく僕一人で【彼女】の対処をしに行った事に、納得していないのだろう。
それはともかく、僕は二人に告げた。
「実は、攻撃してきていた当人を連れて来た」




