81. 詭計
第032日―2
僕が幕舎を訪れると、皇帝ガイウスはノルン様や他の幕僚達と共に、笑顔で迎え入れてくれた。
「カケルよ、いかがいたした?」
僕は今から話すべき内容を頭の中で反芻しつつ、口を開いた。
「陛下、少しご提案したい事が」
「ほう……カケルから何か提案とは珍しいな。良い、申してみよ」
「陛下は、攻撃前に降伏を促す軍使の派遣をお考えとか」
それはここへ到着した今日の昼過ぎ、皇帝ガイウスとノルン様が僕達に語っていた事であった。
「うむ。実は既に今日の午後、軍使を派遣した。しかし彼等は城門前で追い払われ、中に入る事が出来なかったのだ。残念だが、交渉の余地は無さそうじゃ」
「それでしたら、明朝、僕とハーミル、ジュノの三人を、軍使として派遣して頂けないでしょうか?」
僕の提案を聞いた皇帝ガイウスが怪訝そうな顔をした。
「行っても、門前払いと思うが……それとも、何か策でもあるのか?」
「はい、少し考えが御座いまして。陛下としては、どのような条件であれば、ボレアの降伏をお許しになられるでしょうか?」
「そうじゃな……」
皇帝ガイウスは少しの間考える素振りを見せた後、言葉を続けた。
「現時点での降伏であれば、反乱の首謀者共の帝国への引き渡しと領土の割譲、或いは賠償金あたりになるであろうな」
「分かりました。その条件で獣王国側と交渉しますので、再度の軍使の派遣、お願い出来ますでしょうか?」
カケルの唐突とも思える軍使派遣の要望を聞いたガイウスは、改めて頭の中で状況の整理を試みた。
軍使は一度門前払いをされている。
再度の派遣も同じ結果に終わる公算は大きい。
敵に防備を固める時間を与えるだけに終わらないだろうか?
それより、ここは一挙に攻め滅ぼして、もう一国、不穏な動きを見せているヤーウェン共和国含め、帝国全土への見せしめとするべきではないか?
その時、ノルンが口を開いた。
「陛下、カケルが何の勝算も無く、このような大事を口にするとは思えません。ここはカケル達を信じて、今一度軍使を派遣されてはいかがでしょうか? 成功すれば、陛下の威徳と恩愛をあまねく帝国全土に知らしめす事が出来ましょう」
ガイウスはちらっとノルンの顔を見た。
一瞬、彼女の顔が、彼女の母親ディースに見えた。
ガイウスは慌ててかぶりを振った。
しばらくの沈黙の後、ガイウスが断を下した。
「よかろう、カケル、ハーミル、ジュノの三名に軍使の任を授けよう。明朝、早速ボレアに向かうが良い。但し、交渉の期限は明日正午。それを過ぎれば、我が軍は総攻撃をかける」
第033日―1
翌朝、僕達は皇帝ガイウスから授けられた書状と、軍使である事を示す旗を手に、ボレアの城門に向かった。
城門は固く閉じられていた。
城壁の上には多数の兵士が配置についており、上から僕達を無言で見下ろしている。
「皇帝陛下の軍使カケル、ボレアの指導者と話し合いをするため参りました」
型通りの口上を述べてみたけれど、門が開かれる気配は無い。
僕はハーミルの方を向いて、目で合図した。
僕達はそれぞれ懐から、ゲシラム様に貰ったあのタリスマンを取り出し、それを高く掲げた。
「このタリスマンは、獣王国の英雄ゼラムの秘宝が眠る、翡翠の谷への鍵。この街の住人なら、僕達がこれを持っている意味が分かるはず!」
それまで無言を貫いてきた城壁の上の兵士達の間に、ざわめきが起こった。
このタリスマンが、国王ゲシラムの所持品である事を知らない獣人はいなかった。
やがて城門が開かれた。
僕達を迎え入れたのは、数人の衛兵を従えた、長身痩躯の年配の獣人であった。
「わしはこの国の指導者の一人、ベヒマだ。話を聞こう」
ベヒマと名乗った獣人に促され、僕達は馬車で王宮へと案内された。
恐らく防衛上の理由で、僕達に街の様子を見せたくないのだろう。
馬車は外部が一切見えないように、窓が固く閉ざされていた。
三十分程で馬車は停車し、僕達は降りるよう促された。
そこは、王宮内の中庭に面したやや大き目の建物の前であった。
中に入ると、十数人の衛兵達に守られた数人の高官達が、僕達を待っていた。
ここまで僕達を案内してきたベヒマが、高官達の真ん中に置かれた椅子に腰掛けた。
僕は事前に教えてもらっていた作法に従って、口上を述べた。
「このたびは、交渉に応じて下さいまして、ありがとうございます。私が軍使のカケル。両脇におりますのは、護衛のハーミルとジュノでございます」
そして僕は、皇帝ガイウスからの書状をベヒマに差し出した。
書状を受け取ったベヒマは、それには目を通さず、僕達に目踏みするような視線を向けてきた。
「先程のタリスマン、もう一度見せてもらおうか」
僕とハーミルは頷き、それをベヒマに手渡した。
ベヒマと高官達はそれを手に取り、じっくり調べた後、僕達にたずねてきた。
「確かに本物のようだ。これはどこで手に入れた?」
「勿論、ゲシラム様直々に下賜されたものでございます」
「ゲシラムは、もしや帝国軍の軍中にいるのか?」
「いえ、ゲシラム様は自由の身でいらっしゃいます。ただただ、この王国の未来を案じていらっしゃいます」
僕の言葉を聞いた高官の一人が、激高したように叫んだ。
「国の未来を案じているだと? 我等を裏切り、この国を去ったあの男は最早我等の王では無い!」
高官達も一斉にざわめいた。
しかし僕は、それを気にする事無く、話を続けた。
「ところで、あなた方はゲシラム様では国を守れないと思って、魔王と手を組む事にされたんですよね? どうして、ゲシラム様では国を守れないと思われたのですか?」
その場の空気が一気に張り詰めるのが感じられた。
ベヒマが険しい表情のまま、口を開いた。
「……ヴィンダが滅んだのは既に知っておろう?」
「はい。ヴィンダを滅ぼした【彼女】とナブーが事前にここへ現れた事も、ゲシラム様よりお聞きしました」
「そこまで知っておるなら、返事の必要は無かろう。帝国は魔王軍に勝てん。ならば、今まで我等を蔑ろにしてきた人間どもの帝国と縁を切るのは、当然の選択だ」
「では、ヴィンダを滅ぼした【彼女】への対抗手段があるとしたら……どうでしょう?」
「お前達はあいつらに直接会ってないからそのような事が言えるのだ。ナブーと少女は、我等の攻撃を一切受け付けず、宣言通り、ヴィンダを一夜で壊滅させた」
ベヒマがチラリと周囲の衛兵達に目をやり、何かを合図した。
同時に、衛兵達が一斉に剣を抜き、僕達に斬り掛かって来た。
僕達は軍使であり、この世界の慣習に倣って武器は携帯していない。
しかし……
―――キン!
彼等の刃は甲高い金属音と共に弾かれ、僕達には届かなかった。
驚くベヒマや高官達に、僕は霊力の盾を展開したまま、静かに語りかけた。
「ここを訪れた【彼女】も、こうしてあなた方の攻撃を無効化したんですよね? この程度の事、僕程度の“魔導士”でも出来ますよ?」
そして僕はベヒマや衛兵達に、自身の周囲に広がる霊力の力場を、“それなりの”勢いでぶつけてみた。
盛大に弾き飛んだ彼等は次々と壁に激突し、床に倒れ伏した。
呻き声を上げる彼等を見て、僕は少しばかり不安になった。
これ、初めてやってみたけれど、力の抜き加減が結構難しい。
死んではいないはずだけど、大怪我をさせてしまったかも。
気を取り直した僕は、計画通り、同行していたゲシラム様に合図した。
彼は、それまで羽織っていた透明化の加護が掛かったローブ――もちろん、本来の所有者はあのレルムスだ――を脱ぎ去った。
そしてこれも計画通り、彼は隠し持っていた剣とクロスボウ、それに縄の束をハーミルとジュノに手渡した。
僕がベヒマ達を霊力で抑え込み、ハーミルとジュノが手分けして、手早くその部屋の中の獣人達の武器を取り上げ、次々と縛り上げて行く。
ついでにゲシラム様のタリスマンも、ベヒマの手から取り戻した。




