63. 救出
第019日―5
階段を一足飛びに駆け上がったハーミルは、ついに事前にアルラトゥから聞いていた、カケルが捕らわれている階層に到達した。
そこは黒光りする大理石のような素材で出来た、天井の高い広間のような場所であった。
広間の中心の椅子の上に、何かの装置を全身に取り付けられて拘束されているカケルの姿があった。
「!」
全身から血を噴き出しながら痙攣しているその姿に、ハーミルは言葉を失った。
周囲で作業に当たっていた魔族達が一斉にハーミルに視線を向けてきた。
そして彼等の護衛に当たっていた魔族の戦士達、十数人が、ハーミルに襲い掛かって来た。
しかしハーミルは呆然と立ち尽くしたまま、回避行動を取れない。
戦士達の刃がハーミルを斬り裂こうとした瞬間、彼等に向かって虚空から矢の雨が降り注いだ。
戦士達は次々と射倒され、作業に当たっていた魔族達は、悲鳴を上げながらその場から逃げ出した。
『ハーミル……結晶を早く!』
「ごめん! レルムス」
レルムスの念話で我に返ったハーミルは、唇を引き結び、カケルの下に駆け寄った。
そして裂帛の気合いと共に、己の剣でカケルの拘束と装置を斬り払った。
意識の無いカケルの身体が脱力したまま、椅子の上で崩れ落ちそうになる。
それを素早く支えたハーミルは、カケルの右手に紫の水晶を握らせた。
しゅうしゅうと湯気を上げ続けていた傷口が見る見るうちに塞がって行き、虚ろだったカケルの瞳に生気が戻って行く……
…………
……
永遠に続くかと思われた地獄の苦しみから突如解放された僕は、よく見知った顔が、心配そうな表情で覗き込んできている事に気が付いた。
「……ハーミル!?」
右手に温もりを感じた僕が向けた視線の先、ハーミルがあの紫の結晶を握らせてくれている事に気が付いた。
結晶が僕にしか感知出来ない淡い光を放ち、全身に霊力が漲って行くのが感じられた。
ふと、僕はハーミルのすぐ後ろに、短弓を手にした可愛らしい顔立ちの、しかし見知らぬ少女が一人、安堵の表情を浮かべて立っている事に気が付いた。
彼女は淡く薄紅色に発光するフード付きローブを頭からすっぽり被っており、フードの端からは綺麗な緑の髪が覗いている。
僕はその少女に声を掛けてみた。
「君は?」
話しかけられる事を予期していなかったのだろうか?
少女はびくっと身体を震わせると、フードで完全に顔を隠し、俯いてしまった。
戸惑う僕にハーミルが問い掛けてきた。
「もしかして、カケルには“視える”の?」
ん?
どういう意味だろう?
「見えると言うか……後ろにローブを羽織った女の子が立っているよね?」
言われてみれば、“見え方”が少々おかしい気がしないでもない。
まさか……幽れ……
しかしハーミルの言葉が僕の想像を否定した。
「カケルを助けるために、ここまで一緒に来てくれた仲間のレルムスよ。ちょっと人見知りが過ぎて、透明化の加護がかかったローブを羽織っている上に、気配を消す事に長けているらしくて、私からは全く存在把握出来ないんだけどね」
どうやら僕に“視えている”のは、今全身を満たす霊力のおかげらしい。
だとすれば、“視え方”がおかしいのは、そのせいかも。
僕はハーミルとその少女――レルムスという名前らしいけれど――に改めてお礼を言った。
「二人共、助けに来てくれてありがとう」
ハーミルは微笑みを返してくれたけれど、レルムスは顔を覆い隠したフードをますます硬く握り締め、俯いたまま僕に背中を向けてしまった。
……謎な行動だけど、これが彼女の個性と言う事だろう。
それはともかく、折角自由になったのだ。
メイの事は気がかりだけど、今はここからさっさと立ち去るべきだ。
そう考えた矢先、この広間の階上から、何者かが階段を下りて来るのが感じられた。
広間に姿を現したのは、側近と思われる魔族達を従えた魔王エンリルであった。
隣には、メイの姿も有った・
彼等に気付いたハーミルとレルムスが、僕を庇うように前に出て、それぞれ武器を構えた。
エンリルが感心したような声を上げた。
「ほう……我が城塞の守りを突破して、ここまで辿り着くとは大したものだ」
ハーミルが魔王エンリルを睨みつけた。
「あなたが噂の魔王ね? よくもカケルをこんな目に合わせてくれたわね」
ハーミルが戦意を滾らせ、レルムスも短弓に矢を番え、引き絞った。
そんな二人を軽く手で制してから、僕は目を閉じて霊力の展開を試みた。
再び目を開けた時、僕の傍に光球が出現していた。
エンリルの目が細くなった。
「残念ながら、万全な態勢の守護者と戦う準備はしていない。ここは退いた方が良さそうだな」
エンリルが側近達に二言三言、何かを囁いた。
途端に彼等が大慌てで駆け去って行った。
そしてエンリル自身は、何かの詠唱を開始した。
彼とメイの足元に、凄まじい勢いで、魔法陣らしき複雑な幾何学模様が描き出され、同時に二人の姿を淡い光が包み込んで行く。
僕は思わず声を上げた。
「待て! メイを返せ!」
「……カケル、私はメイじゃない……」
メイは明確な拒絶を口にしたけれど、その顔には僕でも分かる位の寂しさが点っていた。
しかしそんな彼女にかけるべき言葉を見つけ出す前に、二人の姿は光の中に消え去った。
直後、突如として足元の支えが無くなった。
慌てて足元に視線を向けると、いつの間にか床が消えていた。
そのまま空中に投げ出された形になった僕は、咄嗟に霊力を展開して、一緒に落下していくハーミルとレルムスを両脇に抱え込み、その場での静止を試みた。
幸いその試みは上手くいった。
空中に静止したまま、周囲に視線を向けると、どうやらこの城塞全体が、さらさらと砂のように崩れていく様子が目に飛び込んできた。
僕は二人を抱えたまま空中を移動して城外に出た。
城外では凄まじい光景が繰り広げられていた。
何かの大魔法だろうか?
何本もの巨大な竜巻が吹き荒れ、モンスターの群れを天空高く巻き上げ、地面に叩き付けていた。
その竜巻を縫うようにして、僕の見知った面々――ガスリンさんやアレル達――が、地面でのたうつ巨大なモンスター達に、次々と止めを刺していく。
見ている間に、眼下の戦いは、アレル達の勝利で幕を閉じた。
ハーミルとレルムスを抱えた僕は、アレル達の近くにゆっくりと着地した。
皆が僕達の所へ駆け寄って来た。
「ガハハ、カケル! 久し振りだな」
「カケル君、おかえり」
「ミーシアさん!? それにガスリンさんも……」
懐かしいアルザスでの面々と久しぶりに再会できて、僕は思わず涙ぐんでしまった。
僕の腕の中にいるハーミルがそっと囁いた。
「皆、カケルを助けようと集まってくれたんだよ」
「カケル、両手に花だな!」
ガスリンさんの言葉で、改めて両脇にハーミルとレルムスを抱えたままだった事に気が付いた僕は、慌てて二人を腕の中から解放した。
ハーミルは悪戯っぽい笑みを浮かべているだけだったけれど、レルムスは大変な事になっていた。
僕の腕の中から解放された彼女は、何故かカクカクした怪しい動きを見せた後、そのまま地面に倒れ込んでしまった。
心配して彼女に駆け寄ってみたけれど、頭からフードを被りこんで、丸まったまま動かない。
ミーシアさんが声を掛けてきた。
「もしかしてレルムス、そこで倒れちゃった?」
どうやら彼女の姿は、ミーシアさんにも見えていないようだ。
「はい、ここで動かなくなってしまっていますが……彼女、大丈夫でしょうか?」
ミーシアさんは右耳を触りながらしばらく何かを考える素振りを見せた後、僕に笑顔を向けてきた。
「彼女大丈夫よ。どうやら、元々の人見知りに加えて、憧れのカケル君に抱きしめられて、パニック起こしているだけみたいだから」
「憧れって……過去に一ミリたりとも絡んだ記憶が無いんですが」
恐らくからかわれているのだろう。
まあ、ミーシアさんが軽口叩く位だから、レルムスは、別段深刻な状況に陥っている訳では無さそうだ。
周囲で皆がお互いの健闘を讃え合っている中、ノルン様が僕の方に近付いて来た。
彼女は何故か思いつめたような顔をしていた。
「カケル、少し話をしても良いか?」




