5.神殿
第001日―5
「すみません、カケルと言います。あ、イリアさんに治してもらったみたいで、僕の方は大丈夫です。一応、この女の子だけ、大丈夫か見てもらえないでしょうか?」
年配の神官風の男性にそう声を掛けると、イリアが不思議そうな顔になった。
「私、何もしてないよ? 治癒魔法使えないし」
そして彼女に続いて、神官風の男性も口を開いた。
「二人とも、外傷は無さそうじゃ」
え!?
でも少女の方はともかく、自分はサイクロプスに殴り倒されて、確実に背骨をへし折られたはず。
あの時の尋常じゃない痛みと、口の中いっぱいに広がった血の味が脳裏に蘇ってくる。
あれがもし、勘違いでしたって話になるのなら、僕は本気で自分の精神状態を疑うべきだろう。
少々混乱しながらも、僕はともかく、腕の中の少女を地面にそっと横たえた。
「彼女、見つけたときから目を覚まさないんです。大丈夫でしょうか?」
神官風の男性が、少女の傍らに腰を落とした。
そして少女の額に右手を翳しながら、何かを唱え出した。
男性の右手が明るく輝きだす。
その様子をじっと眺めていると、イリアが改めて、この場にいる仲間達の紹介をしてくれた。
少女の状況を調べてくれている男性の名前はウムサ。
痩せ型で、金の刺繍が入った白いローブを身に纏った彼は、バール聖職者集団所属の神官だそうだ。
そして金髪を肩口で切りそろえ、赤色の軽装鎧に身を固めた精悍な顔つきの女性は、アマゾネスの戦士エリス。
彼女の傍らには、恐らく彼女がいつも使っているのであろう、長大な槍が置かれていた。
「で、私は魔導士のイリア。私達は縁あって、今試練に挑んでいるアレルと一緒に旅をしているのよ」
イリアが改めてウムサに声を掛けた。
「ウムサ、その子の事起こせそう?」
「なかなかに難しそうじゃ。何らかの魔術、或いは呪詛のようなもので、強制的に眠らされておるようじゃが……はて?」
しかしウムサがそう口にしながら首を捻った瞬間、少女がいきなり目を開けた。
僕は急いで彼女に駆け寄った。
「良かった。気が付いたんだね? 自分の名前分かる? なんであんな所に倒れていたの?」
「……?」
しかし少女は、仰向けに横たわったまま、ただぼんやりとした視線を僕に向けて来るのみ。
言葉が通じてないのだろうか?
そんな彼女を、じっと観察していたらしいエリスが口を開いた。
「妙だな……その娘から魔族のにおいがする」
「魔族? ですか?」
「魔族を知らんのか? 魔族とは、普通の人間、さらにエルフや獣人といった亜人と比較しても非常に強力な存在だ。種族の特徴として頭部に一対の角を有している。大部分の魔族は深山幽谷に隠棲し、他種族と一切関らない暮らしを送っている。しかし一部の魔族は魔王を戴き、モンスターを操り、世界に混沌をまき散らす。我らはそういった魔王を倒さんとして旅を続けているのだ」
「そうだったんですね……」
言葉を返しながら、僕は改めて横たわる少女に視線を向けてみた。
しかし白髪に覆われた彼女の頭部に、魔族の特徴だという角らしきものは見当たらない。
「でも彼女、角は生えていなさそうですけど……」
「角無しの魔族など聞いた事無いがのう。しかし、エリスが見立て違いをするとも思えんし……もしかすると、その娘が結界の向こう側、ダンジョンの奥で倒れておった事に、魔族が関わっておるのかもしれんな」
ウムサは首を捻りながらも、その少女に声を掛けた。
「おぬし、我らの言葉は分かるか?」
少女がゆっくりと上半身を起こした。
そして不思議そうに周囲を見回した後、口を開いた。
「……ワカル」
ウムサが間髪入れずに、質問を重ねた。
「名前は?」
「……ワカラナイ」
「どこから来たのじゃ?」
「……ワカラナイ」
ウムサが難しい顔になった。
「ううむ、どうやら先ほど申した呪詛的な何かによって、記憶自体も封じられておるようじゃな」
と、僕は少女がこちらを凝視してきている事に気が付いた。
「どうしたの? なんか……気になる事でも?」
「……ナマエ……ナニ?」
「僕の名前? 僕はカケルっていうんだ。君はこの奥のダンジョンで倒れていて……」
「カケルノコト ミタコトアル」
見たことある?
どういう意味だろう?
元の世界も含めて記憶を辿ってみたけれど、彼女とは今日が初対面のはず。
僕は一応、たずねてみた。
「以前、どこかで会った事、あったっけ?」
しかしその少女は小首を傾げたまま、固まってしまった。
僕等の様子を眺めていたらしいウムサが声を掛けてきた。
「ときにカケルとやら。この少女に名前が無いのは不便じゃ。おぬしが何か仮に名付けてやればどうじゃ?」
「名前ですか?」
どうしよう……
まあ、本当の名前を思い出すまでの仮名だし、僕がつけてもいいのかな?
しばらく考えた後……
「じゃあ、メイで」
「なかなか短くて呼びやすそうな名前じゃな」
って、今が元の世界で五月だったので、それを英語――May――にしただけなんだけど。
そんな事を心に浮かべつつ、僕はそっと少女の様子を窺ってみた。
少女は少し小首をかしげた後、口の中で何度か“メイ”と呟いた後、少し笑顔になった。
「メイ……ワタシノナマエ」
しばらく皆で談笑していると、突然、広間の中央に描かれていた、あの精緻な幾何学模様が、眩いばかりの光を放ちながら輝き出した。
そしてその輝きが薄れるにつれて、光の中から人影のようなシルエットが浮かび上がってきた。
やがてそのシルエットは、青い鎧を身に着けた、一人の銀髪の青年へと姿を変えた。
「アレル!」
光の中から現れた青年に、イリアたちが駆け寄って行く。
「試練はどうなったの?」
イリアの問い掛けに応じるかのように、アレルと呼びかけられた青年が、右手の甲を皆に見せた。
「紋章が……」
「消えている!」
「と言う事は!?」
「うん。無事試練を乗り越える事が出来たよ。で、これが……」
アレルが腰に吊るしていた剣を抜いた。
剣がまるで意思を持つかの如く、銀色に輝き出した。
「僕に与えられた聖剣だよ」
「おめでとう!」
「勇者の誕生じゃ!」
「これで心置きなく、魔王と戦える!」
皆が盛り上がる中、状況が分からず取り残された形になっていた僕に気付いたらしいアレルが、こちらに視線を向けて来た。
彼はそのまま、周囲で盛り上がる仲間達に声を掛けた。
「あの二人は?」
イリアたちもまた、僕等の方に視線を向けて来た。
「実は……」
仲間達から僕等についての説明を受けながら、アレルがこちらに歩み寄って来た。
彼は笑顔で僕とメイに声を掛けて来た。
「はじめまして、だね。カケル君と……メイちゃんで良かったのかな?」
整った顔立ちと優しげな笑顔も相まって、20代半ばに見える彼は、なかなかの好青年のように感じられた。
「はい。こちらこそ初めまして」
挨拶を返してから、僕は改めてアレルに聞いてみた。
「ところで、アレルさんは何かの試練に挑んで、それを無事、乗り越えたって話していましたよね?」
アレルが笑顔のまま言葉を返してきた。
「うん。実は僕達がこの選定の神殿にやってきたのは、僕が勇者の試練に挑戦する為だったんだ。で、幸運に恵まれて、無事、試練を乗り越えて戻ってきた所さ」
「勇者の試練?」
「ほら、君も知っているだろ? “紋章に選ばれし者よ、選定の神殿にて、試練に挑むべし”って」
知っているも何も、つい半日ほど前に、気付いたらこの世界にやって来ていた僕に、勇者云々の話が分かるはずもなく……
雰囲気から察したのであろう、アレルが苦笑した。
「あれ? もしかして、あんまりそういうの、関心無かったかな?」
関心が無いというか、この世界に関する知識が絶対的に不足しているので、反応しづらいんです、とは言えない僕は、苦しい言い訳を試みた。
「そんな事は無いんですが、田舎から出てきたばかりで、色々知らない事が多いんですよ。ですから、良ければ勇者について、もう少し詳しく教えてもらってもいいですか?」
僕が最初に感じた通り、性格も良い人なのだろう。
アレルは嫌な顔一つせず、勇者について語り始めた。