41.帯同
第016日―3
「それはこの世界の住人にとって、危険な事ではないのか?」
険しい表情でそう問いかけるノルン様に、イクタスさんが言葉を返した。
「今、この場には霊力の残滓がありますが、殿下やハーミルは感じ取れますかな?」
二人はほぼ同時に首を振った。
イクタスさんはそれを確認してから言葉を続けた。
「つまり霊力は、そのままでは、この世界の住人に何の影響ももたらしませぬ」
「私が宝珠を祭壇に捧げる事で、『彼方の地』への扉が完全に開いてしまう事は?」
「あり得ませぬ。本来、『彼方の地』への扉は正しい手順を踏まねば、開く事は叶いませぬ」
ノルン様は、未だ意識を取り戻さないメイをちらりと見た。
「最近、何者かが宝珠を祭壇に捧げ、或いは私の宝珠を奪おうと、何かを画策しておる。これは魔王が宝珠を使い、再び『彼方の地』への扉を開かんとしている事を意味するのでは? 私がこの地で宝珠を捧げる行為は、魔王を利するものとはならぬか?」
「魔王エンリルが『彼方の地』への扉を再び開かんとしている可能性はあります。しかし先程も申し上げました通り、正しい手順を踏まねば、『彼方の地』への扉は決して開きませぬ。そしてここ、北の塔は既にその正しい手順に使用された後ですぞ。今更、殿下が宝珠を捧げても状況は変わりませぬ」
ノルン様の目が大きく見開かれた。
彼女は少しの間逡巡する素振りを見せた後、意を決したかのように、祭壇に近付いた。
そして何かの詠唱を開始した。
再び彼女の額が青く輝き出した。
その途端、僕は部屋の中に、あの得体の知れない何かの力が急速に満ちて来るのを感じた。
恐らくこれが、イクタスさんの言う所の“霊力”なのであろう。
突如頭の中に“声”が響いた。
―――力に呑まれず、力の源に意識を集中するのだ
思わず僕は辺りを見回した。
しかしイクタスさんとハーミルは、ノルン様にじっと視線を向けており、二人が言葉を発した様子は無い。
再び“声”が聞こえた。
―――意識の中心に、理を崩し、理を正す力の源泉を捉えよ
僕は目を閉じた。
意識の奥に輝く何かが浮かび上がってきた。
そして再び目を開けた時、光球が出現していた。
「これは……?」
僕の眼前に浮かんでいる光球を目にしたノルン様とハーミルの顔に、驚愕の表情が浮かんだ。
「その光球こそ、理を崩し、理を正す守護者の力の源。カケルよ、おぬしの想いを込めてその光球を手に取るが良い」
イクタスさんにそう促された僕は、過去に飛ばされてしまったアレル達への想いを込めて、光球に手を伸ばした。
するとその光球は輝きを増した後、突如消滅した。
あとには不可思議な揺らめきに縁取られた、人一人がくぐれる位の、どこまでも黒い穴が出現した。
その時、ノルン様の傍に横たわっていたメイが小さく呻きながら目を開けるのが見えた。
「こ、ここは……?」
「メイ!」
僕は彼女の傍に身をかがめ、起き上がろうとする彼女の背に手を添えた。
「良かった。気が付いたんだね」
「カケル……?」
メイは僕の顔を見上げた後、すぐ傍に出現している黒い穴に気付いて悲鳴を上げた。
「違う違う! 私じゃない! あの黒い穴は私じゃない!!」
何故かパニックを起こしかけている彼女を、僕は慌てて抱きしめた。
「メイ、大丈夫だから」
そんなメイに、ノルン様も優しく声を掛けてきた。
「落ち着くのだ、メイ。よく周りを見よ、私とカケルとハーミルだ」
「わしも勘定に入れてもらえるとありがたいんじゃが」
イクタスさんが急いで付け加えてきた。
メイはわなわな震えていたけれど、僕、傍に立つノルン様、ハーミル、そして最後にイクタスさんと順々に視線を向けた後、やがて落ち着いたのか、ふっと肩の力を抜いた。
僕の腕の中、メイが改めて問いかけてきた。
「ここはどこ?」
「北の塔の最上階だよ。メイはまた気を失って倒れていたんだ」
彼女はもう一度周囲を見渡した。
「何があったの?」
「攫われたメイを助けようとして、アレルさんとナイアさんがここに駈け付けて……色々あって過去に飛ばされたみたいなんだ」
メイが怪訝そうな顔になった。
「過去?」
僕はメイが攫われた後の事を、掻い摘んで説明した。
「そう……じゃあ私、助かったのね」
「うん。メイだけでも無事で良かった」
メイが再び黒い穴に視線を向けた。
「なら、あの黒い穴は?」
「僕が霊力を使って構築した……過去に繋がっているはずの門だよ」
メイの目が大きく見開かれた。
「カケルが? そんな事、いつの間に出来るようになったの?」
「なんかね、知らない間に、守護者とやらの力を継承させられてしまっているらしくて」
僕は苦笑した。
本当に、自分には一体何が起こっているのだろう?
この件が片付いたら、きっちり調べないと。
一方、アルラトゥは大混乱に陥っていた。
彼女は実際に守護者と対峙した事も、その力を直接目にした事も無かった。
そうした所謂荒事関係は、あのマルドゥクが手掛けていたはずだ。
しかし聞いている話では、守護者は女性の姿をしているという。
そして『彼方の地』に蓄えられた膨大な霊力を糧に、様々な奇跡を成す、と。
父が再び『彼方の地』への扉を開こうとしているのは、何らかの手段で、守護者の力を霊力ごと奪うため、と理解していた。
その守護者の力を、目の前の少年が“継承”した?
“継承”出来るという事は、奪う事も出来る??
メイが落ち着いたのを確認してから、僕は彼女からそっと離れて立ち上がった。
そして僕自身が創り出した黒い穴へと歩み寄った。
「本当に過去に繋がっているのか、確かめてきますね」
「待ってカケル。私も一緒に行くわ」
そう口にしながら、ハーミルが僕の傍に歩み寄って来た。
僕は彼女に言葉を返した。
「ハーミル、まだこの穴がちゃんと向こうに繋がっているか分からないんだ。危ないからここで待っていて」
しかし彼女は僕をじっと見つめながら、にっこり微笑んだ。
「言ったでしょ。私はカケルの用心棒として此処にいるのよ? 用心棒が危険を避けてどうするの?」
そんな僕達に、イクタスさんが声を掛けてきた。
「ハーミルよ、カケルを守るのに、何も生身のおぬしが同道する必要はないぞ?」
その言葉に、ハーミルがやや気色ばんだ。
「イクタスさん、それは私の剣ではカケルを守れないという意味ですか?」
イクタスさんがからからと笑った。
「気の強い娘じゃ。そうではない。おぬしのその強い想いで、カケルを助けてはどうかという話じゃ」
「?」
「その強い想いがあれば、おぬしの意識を、400年の時を越えてすら、カケルに繋ぐことが出来よう。おぬしらの意識が繋がっておれば、その穴の向こうの様子を、カケルがハーミルを介して、こちらに知らせる事も可能なはずじゃ。カケルよ、ハーミルの意識を帯同してはどうじゃ? おぬしなら出来るはず」
「意識を帯同? でも、やり方が分からないです」
「簡単な事じゃ。お互いの手を繋いで、相手に意識を集中させるのじゃ。相手に意識を潜り込ませる側のハーミルの方は、特に強い想いが必要になるが……わしの見たところ、さほど難事では無さそうじゃ」
ノルン様が、イクタスさんに相槌を打った。
「まあ、ハーミルはカケルが大好きだからな」
「な、何言っているのよ!?」
耳まで真っ赤にしてノルン様の言葉を否定するハーミルを見ている僕の方まで、心拍数が上がってきた。
イクタスさんが、まるで僕達をけしかけるかのように言葉を掛けてきた。
「ほれ、穴を維持する霊力が勿体ないぞ。早うせんか」
僕達は、おずおずと手を取り合った。
しかしお互い、恐らく別の意味で意識してしまっているせいか、まるで集中できない。
「ほれほれ、お互い乱れまくっとるぞ。特にハーミル、そんな様ではカケルに置いていかれてしまうぞ?」
イクタスさんのその一言に、どうやらハーミルは集中力を取り戻したようであった。
温かい何かが僕達の間を駆け巡り、それはやがてゆっくりと、僕の心の中に流れ込んできた。
それはとても心地良く、心を落ち着かせていく。
そして僕は、自分の中にハーミルを『認識』した。
イクタスさんが再び声を掛けてきた。
「どうやらうまく行ったようじゃな」
「不思議……自分の感覚とは別に、カケルの五感を通した感覚が伝わってくる」
「ハーミルの役割は、向こうの状況をわしらに伝える事じゃ。わしらも出来得る限り手助けしようぞ」
「じゃあちょっと行ってきますね」
ノルン様とイクタスさんが頷き、メイが呆然と見送る中、僕は“ハーミルの意識”と共に、黒い穴へと足を踏み入れていった。
しかしその数秒後、突然ハーミルがまるで断末魔のような絶叫を上げ、床に膝から崩れ落ちた!




