37.焦燥
第015日―4
一方、ナイア達は……(第35話の続きです)
気が付くと、ナイアは冷たい石畳みの床の上に倒れていた。
「確か、黒い穴みたいなのに引きずり込まれて……?」
まだ身を伏せたまま、素早く魔力の感知網を広げ、周囲を探る。
あの魔力の暴風はいつのまにか消え去っていた。
周囲にはすでに動かなくなったゴーレム達が倒れている。
恐らく、彼等の召喚者がこの地を離れたことにより、魔力の供給が絶たれてしまったのであろう。
ナイアは懐のタリスマンを握りしめ、使い魔達の状態を確認した。
二日前に帝城への伝令に送り出した使い魔との繋がりが確認できない以外は、健在のようだ。
彼女は使い魔達を周囲に呼び寄せ、慎重に立ち上がった。
「ここは……?」
彼女の顔が訝しげに歪んだ。
周囲の様相は一変していた。
先ほどまでナイアが何者かと交戦していたのは、奥に祭壇らしきものが設置された、冷たい燐光を発する石壁に囲まれた広間のような場所だったはず。
ところが今は、すぐ傍らの祭壇こそ、先ほどまでと大差無いように見えるものの、彼女の周囲には、ごつごつとした荒削りの岩肌に囲まれた広大な空間が広がっていた。
岩肌が仄かな燐光を発しており、そこまで暗さは感じないものの、明らかに北の塔最上階とは異なる雰囲気の場所だ。
彼女はゆっくりと魔力の感知網を周囲に向けて広げようとした。
が、何故かこの広大な空間の外部の状況が感知できない。
もしかすると、何者かによって、どこか強力な結界が張られた場所へと転移させられたのかもしれない。
「さあて、どうしようかねぇ……」
打開策を考えようとしたナイアは、少し向こうで、先程北の塔最上階へと突如転移してきたと思しき四人が、呻きながら身を起こそうとしているのに気が付いた。
ナイアは彼等と距離を取り、使い魔達を従えて剣を構えた。
「あんた達、何者?」
「失礼ですが、勇者ナイア殿では?」
言葉を返してきた相手を見て、ナイアはその初老の男性が、以前色々世話になった事のある神官のウムサである事に気が付いた。
「ウムサのじいさんか。久し振り……と思い出話に花を咲かせる暇が無くてゴメンよ」
ナイアは油断無く戦闘態勢を解かない。
「勇者ナイア殿、我らは敵ではございませぬ。そこの青年もあなたと同じく、勇者の試練を乗り越えた者ですぞ」
ウムサの言葉を受けて、アレルが自己紹介を試みた。
「初めまして、勇者ナイアさん。僕はアレルといいます。半月ほど前、幸運に恵まれ、勇者となりました」
ナイアはアレルを一瞥した。
「すまないんだけど、突然戦場に出現した相手を、無条件に信用できる性格じゃなくてね。勇者なら証を見せてもらおうか」
「では、これでどうでしょうか?」
アレルはにっこり笑うと、腰の剣を抜いた。
彼の意思に答えて、手の中の剣が銀色の輝きを放つ。
全てを――魔力のような実体のないものすら――切り裂く聖剣。
その力を開放すれば、彼と仲間達の能力をも爆発的に高めることも可能となる、アレルの聖具であった。
聖具は、勇者のみが保持し、その力を解放できる。
勇者たるナイアには、アレルの持つ剣もまた、自身の持つタリスマン同様、聖具である事が正しく認識できた。
「なるほど、聖具を持っているなら、勇者で間違いないようだね」
ようやくナイアが剣を収めた。
「しかし、あんた達、どうやってあそこへ? 見間違いじゃ無ければ、まるで転移してきたように見えたけど?」
「あなたの見立ては間違っていないですよ。僕達は大魔導士イクタス殿の助けで、直接北の塔に転移させてもらったんです」
そしてアレルは、竜の巣でノルン達に出会った事、帰途メイが攫われた事、その救出のため、自分達が北の塔にやって来た事等を説明した。
「そのメイってのは、もしかすると白い髪の子かい?」
ナイアは、北の塔最上階で巨大ゴーレムに捕えられているように見えた少女の特徴を、アレル達に伝えた。
「そうです。やっぱりここに捕えられていたんですね」
「どうだろう? なんか捕えられているにしては、様子がおかしかったような?」
ナイアは、メイらしき少女を見た時に抱いた違和感を思い出して首を捻った。
「ともかく、その子はここにはいないようだ。おまけに、ここは恐らく北の塔最上階ですらない」
ナイアの言葉に、アレル達は改めて周囲を見回した。
部屋全体を眺めてみて、彼等は奇妙な事実に気が付いた。
出入り口が無い!
ナイアが苦々しげに言い放った。
「あたしの魔力感知が、この空間の外に及ばない。多分、強力な結界の内部に閉じ込められている」
すぐさま、全員で部屋の壁を探り出した。
そして……
何の変哲もない、石造りの壁に見える部分の一点を、ウムサが指さした。
「どうやらこの部分に、部屋への出入り口が隠されているようですぞ」
「ここは僕に任せて」
アレルは一同に笑顔を向けて、腰の聖剣を抜いた。
聖剣が一際強く、銀色に光り輝いた。
彼は手の中の聖剣を、ウムサの指し示した部分で振り抜いた。
―――キン!
甲高い金属音が響き渡り、同時に石壁にしか見えなかった部分が空間ごと砕け散り、その先に小部屋が現れた。
その瞬間、突然、アレルとナイアがほぼ同時に自身の右手を抑えながら、苦しげな呻き声を上げた。
慌てて二人に駆け寄った仲間達は、二人の右手の甲に、選定の神殿での試練を突破した後、消滅していたはずのあの勇者の紋章が再び浮かび上がっているのを見た。
しかも紋章は血のように赤く不気味に輝いていた。
「これは一体!?」
アレルとナイアは、思わず顔を見合わせた。
二人を正体不明の焦燥感が襲う。
―――時間が無い、審判が始まる!
ナイアの顔に不敵な笑みが浮かんだ。
「何かあたしとアレルに良からぬ事が起こるようだね。もしかして、『大いなる力の干渉』ってやつかも?」
二人共、例の伝承についてはよく知っていた。
「兎に角、この場を離れましょうぞ」
ウムサに促され、一同は先程アレルが聖剣によって切り開いた穴を通って、小部屋の方へと移動した。
と、イリアが驚いたような声を上げた。
「! ここって、まさか一の部屋……!?」
ここが一の部屋だとすると……。
イリアの脳裏に半月ほど前、この先の通路で、サイクロプスに襲われていたカケルとメイを助けた事が思い起こされた。
小部屋からは、さらに向こうへと通路が続いていた。
途中でサイクロプス等中級クラスの魔物がちらほら出現したが、彼等はそれらを瞬殺しながら通路を進んだ。
やがて彼等は、何本もの太い大理石のような柱で支えられた、明るい広間にたどり着いた。
そこは彼等にとって決して忘れることのできない場所。
アレルとナイアを勇者の高みに引き上げてくれた、試練を与える地。
「やはり選定の神殿!」
「奥にあのような空間があったとは……」
五人は、歩いてきた通路を振り返った。
神殿の奥が一種のダンジョンになっているのは有名な話だったが、一の部屋のさらに奥、祭壇が設置されていたあの広大な空間に関しては知られていなかった。
結界が強力過ぎて、今まで誰も気付く事が出来なかったのかもしれない。
穏やかな午後の日差しの中、神殿から外に出たナイアは、アレル達に告げた。
「ともかく、あたしは北の塔に向かうとするよ」
ナイアはタリスマンを握りしめ、巨大な『マンタ』を呼び出した。
そんな彼女に、アレルが声を掛けた。
「待ってください。僕らも同道させてもらえないですか?」
ナイアはアレル達を一瞥して少し思案した後、頷いた。
「ま、旅は道連れって言うし、あんた達も北の塔に用があるみたいだしね。一緒に行こうか」
五人を背に乗せた『マンタ』はふわりと浮上し、一路、北の塔目指して飛行を始めた。




