32.導師
第013日―2
村長の老人が歩き去った後、ノルン様が改めて書状の内容について説明してくれた。
その内容を耳にした皆の顔色が変わった。
「マルドゥクの罠!?」
書状によれば、僕達が出発した後で、ナイアさんから帝都に、新たな知らせがもたらされた。
その知らせの中で、ナイアさん自身は宝珠の所持者と交戦していない事、報告に送り出した使い魔が、マルドゥクなる魔族によって偽情報を与えられ、利用されてしまった事、一度竜の巣を掃討した後、北の塔に向かう事、等が伝えられたという。
僕は少しホッとした。
心のどこかで、記憶を無くす前のメイが、ナイアさんと交戦していた可能性に怯えていたからだ。
ハーミルが口を開いた。
「竜の巣のドラゴンを殲滅したのって、やっぱりナイアだったんだ。もしかして、マルドゥクも斃されていたりして」
エリスさんが首を振った。
「それは無いと思う。魔族の血のにおいは残っていたが、量から推測すると、恐らく負傷しただけで、あの場から逃げ去ったのであろう。そしてドラゴン達の魔結晶が全て抜かれていた事から、あの場で最後に立っていたのは勇者ナイア殿で間違いないと思う」
アレルが、先輩勇者の凄まじさに素直に感心した。
「勇者ナイア殿はさすがですね。単独行動していると聞いていましたが」
「彼女は多数の使い魔を従えておるからな。小規模な軍隊で行動しておるようなものだ」
ノルン様が苦笑しながら言葉を続けた。
「ちなみに、北の塔なる場所の座標も知らせてきておる」
その座標を知ったウムサさんが目を見開いた。
「そこは、メイ殿を攫った敵の転移の目標地点ですぞ」
「なんと! ではこのままいくと、勇者アレルと勇者ナイア。二人の勇者が彼の地で邂逅するやもしれんという事か……」
そう口にしたノルン様の顔には、複雑な表情が浮かんでいた。
「例の伝承が気がかりですかな?」
ウムサさんが、ノルン様の反応を確認するような素振りで言葉を繋いだ。
「勇者、或いは魔王が複数現れた場合、必ず『大いなる力の干渉』が行われ、勇者も魔王も最終的には一人ずつになる、と」
アレルがノルン様に問い掛けた。
「ノルン殿下、具体的には勇者が二人以上いると何か起こるのでしょうか? 少なくとも、現時点では何も起こっていないように思えるのですが」
「分からぬ。最後にその『大いなる力の干渉』があったのは、約400年前と伝えられておる。その時代、複数の勇者が現れたが、結局勇者ダイスのみが残り、彼が魔王ラバスを打倒した。しかしなぜ彼だけが残ったのか、他の勇者達がどうなったのか、その詳細は失われておる」
「もしかして、『大いなる力の干渉』なるもの、何か発動に条件があるのではないでしょうか? 例えば、勇者が一堂に会するとか」
ハーミルが口を挟んだ。
「或いは複数の勇者がいれば、魔王に何らかの加護が与えられて倒せない、とか?」
「ここ数千年、記録されているだけでも十度勇者と魔王は戦った。その内、二度は複数の魔王、三度は複数の勇者、一度は魔王も勇者も複数出現した。先人達も、なんとかその宿命を逃れようと色々と試みてきたはずだ。しかし今に至るまで伝わるのは、最終的に唯一の勇者が、唯一の魔王を打倒したとの記録のみ」
少しの沈黙の後、イリアが口を開いた。
「まあ、取り敢えずはメイを助けに行きましょ? で、ついでに魔王もやっつけてしまえば、めでたしめでたしで」
その言葉に、アレルが笑顔で頷いた。
「イリアの言う通りだ。まずはメイを助けに北の塔に向かわないと」
ノルン様が、アレルに声を掛けた。
「勇者アレルよ、ピエールの竜車を使ってくれ。彼の竜車はこの辺りでは一番優秀だ。彼もそなたらとの同道を承知してくれておる」
竜車の傍に立つピエールさんが、アレル達にニッコリ頭を下げてきた。
アレル達もピエールさんに笑顔を向けた。
「ありがとうございます。それでは、遠慮なくお世話になりますね」
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彼等の様子が投影された巨大クリスタルを前に、二人の人物が会話を交わしていた。
「アレル達が竜車を使って北の塔に向かうようだが……間に合わぬのではないか?」
「仕方ないのう。少々強引じゃが、わしが手伝うとしよう」
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アレル達は午後を新たな北行の準備に費やし、翌早朝出発すると伝えてきた。
僕達の方も、村長が竜車の代わりに馬車を用意してくれる事になり、午後は帝都に帰還する準備に追われて過ごした。
夕方、準備が一段落ついた僕とハーミルが、村長の家で寛いでいると、外から馬の嘶きが聞こえてきた。
窓から外を見てみると、たった今、村に到着したばかりらしい一台の馬車が見えた。
馬車からは、十人程の人々が下りてきた。
どうやら村々を繋ぐ、乗合馬車のようだ。
なんとはなしにそれを眺めていた僕は、下りてきた人々の中に意外な知り合いを見付けて、思わずあっと声を上げてしまった。
「どうしたの?」
ハーミルが不思議そうに声を掛けてきたけれど、言葉を返す間も無く、僕は思わずそのまま外に飛び出していた。
釣られたように、ハーミルも僕を追いかけて外に出た。
僕は、つい今しがた馬車から降りてきたばかりの、その人物に声を掛けた。
「イクタスさん!」
僕の呼びかけに応じて、こちらを振り向いたのは、灰色のフード付きローブを目深に被り、その下から炯々と輝く鋭い眼光を覗かせた、いかにも魔導士然とした老人だった。
老人の表情が綻んだ。
「おお、カケルではないか。久しぶりじゃのう」
「イクタス? もしかして、ノルンが言っていた大魔導士??」
驚いたような顔をしているハーミルに、イクタスさんが視線を向けた。
「このお嬢さんは?」
僕が紹介するより先に、ハーミルが頭を下げた。
「初めまして、ハーミルです。カケルと一緒に、ちょっとこの辺りの調査に来ています」
イクタスさんが目を細めた。
「なかなか凛々しいお嬢さんじゃのう。わしの方は、この近辺に珍しい薬草が生えていると耳にしてな。採取しに来た所じゃ」
そう口にしながら、イクタスさんが辺りを見回す素振りを見せた。
「……そう言えば、メイはどうした?」
自然、顔が強張るのを感じた。
「実は……メイも一緒に来ていたのですが……」
僕は宝珠の下りをぼかして、竜の巣を調査した事、そして戻って来る途中、メイが何者かによる転移魔法で連れ去られた事を簡単に説明した。
「それは気の毒な話じゃな。しかし竜車で北の塔まで行くとすれば、十日はかかるぞ」
十日!
時間がかかり過ぎる……
僕の心の中に、焦燥感が広がっていく。
そんな僕の心中を察したのか、イクタスさんが意外な事を申し出てくれた。
「仕方無いのう、他ならぬ愛弟子のメイのためじゃ。わしが一肌脱ごう」
「何か良い方法をご存知なのですか?」
「敵が転移したのなら、こちらも転移すればよいのじゃ」
「でも、転移の魔法を自在に操れる人間は皆無って……」
「まあ、わしに任せておけ。ノルン殿下やアレル達も呼んでくれぬか?」
十数分後、僕達は村長の家に集合していた。
ノルン様はやって来るなり、興奮した様子でイクタスさんに話しかけた。
「ま、まことにあのイクタス殿で??」
「昔も今も、ずっとこの名前ですじゃ、ノルン殿下」
「行方知れずとお聞きしておりましたが、まさかこの地でお会いできるとは。イクタス殿は神聖魔法も含めて、魔術の全てを極めた、とお聞きしております。今度是非、私にもご教授頂ければ」
イクタスさんは、からからと笑った。
「こんな老いぼれ、もはや殿下にお教え出来るような知識、抜け落ちてしまって、何も持ち合わせておりませぬぞ」
そんなイクタスさんに、僕は気になっていた事をたずねてみた。
「イクタスさん、前に修業付き合って下さいまして、ありがとうございます。あの時の自動回復の魔法、もしかして、まだ僕に掛かったままなのでしょうか?」




