30.拉致
第012日―1
翌朝、僕は目が覚めるとすぐに、仕切りの向こう側で眠っているはずのメイに声を掛けてみた。
「メイ、起きてる?」
微かに寝息は聞こえるものの、返事はない。
まだ意識が戻らないのだろうか?
僕は少し逡巡した後、仕切りをずらしてそっと中を覗き込んだ。
メイは昨晩と変わらぬ雰囲気のまま目を閉じている。
僕は彼女に近付いて、優しく揺すってみた。
「メイ……」
と、メイが目を開けた。
そして僕の方に顔を向け、少し微笑んだ。
「あ、カケル、お早う」
僕は彼女のその様子に、僅かな違和感を覚えた。
しかし、ともかくメイが目を覚ましたのだ。
僕は改めて彼女に声を掛けた。
「よかった、目が覚めたんだ。頭はどう? 痛かったりしない?」
「大丈夫」
メイは起き上がろうとして、すこしふらついた。
僕は慌てて彼女の背中を支え、彼女が起き上がるのを手伝った。
仕切り越しにメイが目覚めた事に気付いたらしいノルン様とハーミルも、仕切りを開けて僕達の下にやってきた。
ノルン様がメイに問い掛けた。
「メイ、昨日、竜の巣の祭壇での出来事、覚えておるか?」
「……?」
しかし、メイは小首を傾げるばかり。
ノルン様は一瞬、落胆したような様子を見せた後、メイに笑顔を向けてきた。
「メイよ、そなたの記憶が戻らぬ件でな。しばらく、帝城に滞在して治療してみてはどうかと、カケルと相談したのだ」
そう口にしつつ、ノルン様は僕に小さく目配せをしてきた。
恐らく話を合わせるように、との合図と受け止めた僕も、黙って頷いた。
どのみち昨日の段階で、ノルン様はメイの身柄を帝国で庇護したいと話していた。
メイはしばらく考え込んでいるようだったが、やがて僕の方に顔を向けた。
「カケル、治療に専念したほうがいい?」
「やっぱり記憶が無いのは不便だと思うし、治してもらえるのなら、それが一番だと思うよ」
「記憶が戻った時、私とはもう、一緒にいられないかもしれなくても?」
そう口にして、何故かメイが少しハッとしたような表情をした。
僕は再び違和感を覚えた。
今朝のメイは表情が豊か過ぎる。
もしかして、記憶の一部が戻りかけているのではないだろうか?
それで不安になってこんな事を言っているのかもしれない。
僕は出来るだけ笑顔で語り掛けた。
「大丈夫だよ。メイにどんな過去があっても、僕はそれを受け入れる。だって、仲間じゃないか」
メイは一瞬キョトンとした表情を浮かべた後、すぐに微笑んだ。
「じゃあ、治療受ける」
「よし、そうと決まれば急いで帝都に戻ろうぞ」
僕達は、それぞれ帰還の準備に取り掛かった。
ノルン様がアレル達に帰還する事を伝えると、彼等はガンビクまでの護衛を申し出てくれた。
「マルドゥクがまた襲撃してくるかもしれません。それに、私達もガンビクで少し消耗品を補給しておきたいですし」
ノルン様がアレル達に謝意を伝えた。
「それは助かる話だ。重ねて礼を申す。一区切りつけば、必ず一度は帝都に来てくれ。しかるべき謝礼もせねばならぬしな」
「ノルン殿下、お気遣いありがとうございます。しばらくは北方の地の探索を続けますが、おりを見て、必ず帝都に参上いたします」
午前中の内に、僕達は竜の巣に別れを告げ、ガンビクの村を目指して出発した。
午後の早い時間帯に、往路で野営した場所に到着した僕達は、今日は無理せず、この地で野営する事になった。
皆と一緒に野営の準備を手伝う僕に、ハーミルがすっと近付いてきた。
ノルン様は向こうでピエールさんと何かを話しており、メイはアレル達と一緒に、近くの水場に水を汲みに行っている。
彼女はやおら切り出した。
「ねえ、メイ、なんかおかしくない?」
「おかしいって?」
「記憶が戻った時~とか、なんか意味深な事言っていたし」
「もしかしたら、本当に記憶が戻りかけているのかもね」
僕の言葉に、何故かハーミルは余り納得してない風であったけれど、少し話題を変えてきた。
「ところでカケルってさ、メイの事、どう思っているの?」
「そりゃ、記憶無いと不安だろうな~とか」
「そうじゃなくて。さっきも、“君にどんな過去があっても僕は受け入れる”とかカッコいい事言っていたし。もしかして、メイみたいなのがタイプなのかな~なんて」
僕は噴き出した。
「メイの事は確かに好きだけど」
ハーミルの顔が何故か一瞬曇った気がした。
「それは友達として、とか妹として、かな」
「そうなんだ」
ハーミルの顔に今度は何故かホッとしたような表情が浮かぶ。
「じゃあさ、私のこ……」
―――グォォォ!
突然凄まじい咆哮と怒声が辺りに響き渡った。
次の瞬間、ハーミルが剣を手に取り、凄まじい勢いで駆け出して行った。
一瞬、呆気に取られてしまった僕の視界の中、ノルン様とピエールさんが驚いたような雰囲気で、周囲に視線を向けているのが見えた。
間断なく続く咆哮と怒声、そして明らかな戦いの物音は、どうやら水場が有る方向から聞こえてくるように感じられた。
今水場には、アレル達と……
「メイ!」
僕も遅ればせながら、剣を片手に水場に向かって走り出した。
僕が駆け付けた時、水場付近は凄まじい混戦になっていた。
どこから沸いて出たのであろうか?
尋常では無い数のゴーレムの大群が、アレル達、そしてハーミルに襲い掛かっていた。
アレル達とハーミルは見事な連携で、ゴーレム達を次々と撃破していくが、斃される端から、どこからともなく増援が現れているようで、一向にゴーレムの数が減る様子が見られない。
雲霞の如く湧き続けるゴーレム達の向こうで、高さ数mはあろうかという、一際巨大なゴーレムがメイを捕えていた。
メイは気を失っているのか、巨大ゴーレムの腕の中、目を閉じてぐったりしている。
「メイ!」
僕も剣を振り回し、手薄そうな場所を探して、なんとかメイの方に近付こうとした。
しかし残念ながら僕の技量では、メイに近付くどころか、ゴーレム一体、斃す事が出来ない。
その内、メイを捕えている巨大ゴーレムの足元に、魔法陣と思しき複雑な文様が浮かび上がり、光を放ち始めた。
誰かの叫び声が聞こえた。
「まさか、転移の魔法陣!?」
戦場の叫喚の中、巨大ゴーレムはその腕に捕えたメイと供に、光の中に消え去っていった。
僕はただ茫然と、それを見送るしかなかった。
「申し訳ありません。我々が付いていながらっ!」
アレルが歯噛みをしながら、ノルン様に頭を下げた。
メイと巨大ゴーレムが光の中に消え去った後、雲霞の如く湧き続けていたはずのゴーレム達は急に勢いを失い、アレル達とハーミルによって、瞬く間に全て斃された。
直後、アレルと仲間達は、直ちに“敵”の痕跡の調査を開始していた。
現場で魔力の痕跡を調べていたウムサさんが顔を上げた。
「どうもあのゴーレム共は、何者かによって、あの場で次々と召喚され続けていた可能性がございますぞ」
その言葉を聞いたノルン様の表情が険しくなった。
「ううむ……恐らく、敵は最初からメイが目当てだったのであろう。あのゴーレム共はそのための足止めだったに相違ない」
「それにしても、あの巨大ゴーレムとメイ殿を包んだ光、あれはまさしく転移の魔法。魔力の痕跡からして、何者かが単独かつ即席で発動させた可能性が高いですぞ」
ウムサさんの言葉に、僕を除く皆が一斉に息を呑んだ。
ノルン様が転移魔法について、簡単に説明してくれた。
転移の魔法は術式が非常に複雑であり、高位の魔導士が何人かで、何日もかけて魔法陣を構築しなければならない。
そのため、一般的に常設型の魔法陣を主要施設に構築しておいて、実際の転移の際、行き先のみ、担当の魔導士がその都度調整するという形式が取られている。
現在のこの世界で、単独かつ即席で転移の魔法を行使できる存在は、人間ではほぼ皆無。
恐らく魔力に優れたエルフ、魔族を含めても数人以内のはずだという。
ちなみに、転移魔法が使用出来るモンスターは知られていない、との事であった。
ノルン様が険しい表情のまま言葉を続けた。
「つまりゴーレム共を使役し、メイを攫って行ったのは、魔法に関して、凄まじい実力の持ち主という事になる。もしそやつが魔王の配下であるならば、由々しき事態だ」




