24.光球
第009日―3
僕は突如眼前に現れた『光球』を呆然と眺めていた。
「これは一体?」
『それは理を崩し、理を正す力の源泉。カケルの想いに応えて顕現したものだ』
気付くと僕は周囲に何も無い、まさに虚無としか表現出来ない空間にいた。
虚無の中、確かに聞き覚えの無いはずなのに、なぜか懐かしい『声』が聞こえてくる。
『カケルのその想いのまま、それを手に取ってみよ。さすれば、それは必ずカケルの想いに応えてくれるだろう』
自分自身の身体感覚すらあやふやな中、『光球』のみはその存在を主張し続けている。
僕はそれに手を伸ばし……
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ハーミルに今まさにとどめを刺そうとしていたマルドゥクは、突如全身が総毛立つ異様な感覚に捉われて、咄嗟に後ろに飛び退いた。
直後、斬撃と呼ぶのもおこがましい程の純粋な“力”の奔流が彼を掠めて過ぎ去って行った。
それはいかなる攻撃からも彼を護るはずの加護の恩恵を無視して、手の中の魔剣を粉々に打ち砕いた。
彼は“力”の源を探るべく、素早く周囲に視線を送った。
そして、先程自分が確かに命を摘み取ったはずの少年が、一本の剣を片手にノルンの傍に立っているのに気が付いた。
その手の剣は、最初にその少年が手にしていたものとは違っていた。
材質不明、半透明の揺らめく紫のオーラに包まれたそれはまるで……!
「まさか!? ありえん!」
マルドゥクの顔が驚愕の色に染まっていく。
マルドゥクの魔剣が唐突に砕け散った事で、やや冷静さを取り戻したハーミルも、マルドゥクの視線の先に立つカケルに気が付いた。
「カケル! 無事だったのね」
カケルはハーミルに笑みを向けた後、マルドゥクを激しく睨みつけた。
そして彼は手にした剣を、真上に振り上げた。
その剣に、マルドゥクがかつて何度も見たあの『殲滅の力』が宿っていく。
いかなる魔法、いかなる加護もその“力”の前にはその意味を失ってしまう。
生き残れるのは、異常な身体能力でその“力”を回避出来る者か、或いは霊晶石での相殺という選択肢を取ることが出来る者のみ。
マルドゥクの全身を恐怖と呼ぶべき感情が駆け抜けた。
「どうなっている? なぜあの少年が守護者の力を?」
事前準備も無しに守護者と交戦する等、まさに自殺行為。
とにかく、このままこの場で交戦を続けるのは不利と判断したマルドゥクは、逃走を図るため、急いで黄金のドラゴンに飛び乗った。
瞬間、カケルが放った“力”の奔流が、マルドゥクとドラゴンに迫った。
マルドゥクは、迫りくる“力”に対し、手持ちの霊晶石全ての力を開放して相殺を試みた。
相殺によって生じた凄まじい衝撃波が、虹のきらめきとなって周囲を襲った。
しかしその間に、なんとか黄金のドラゴンは、マルドゥクを背に、上空へ舞い上がる事に成功していた。
そしてそのまま、凄まじい速度で北方に逃げ去って行った。
マルドゥクの逃走を見届けた村人達が歓声を上げる中、意識を失ったカケルは、その場に崩れ落ちてしまった。
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広場の一角で、透明化の加護がかかったローブを身に纏い、油断無く自身の短弓を引き絞っていたレルムスは、マルドゥクの逃走を見届けると、ようやく構えを解いた。
彼女が番えていた矢には、マルドゥクの加護を破る事が出来る霊晶石が使用されていた。
「カケル様の力……広く……知られて……しまいましたね……」
『心配いたすな、“想定の範囲内”というやつじゃ』
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「先程のカケルの力、あれは何だったのであろうか?」
村長の屋敷の一室で、ノルンとハーミルが会話を交わしていた。
傍らには、まだ目を覚まさないカケルが、ベッドに寝かされていた。
その手をメイが心配そうに握っている。
「カケルは確かに心臓を貫かれておった。しかも魔剣に。通常では復活はありえん」
「実は急所は外れていて、少し仮死状態になっていただけ、とかは無いかしら?」
「それは無い。確かに事切れておったのを確認した。しかも、あの短時間で勝手に傷口が塞がり復活するなど……」
「普通の人間とは思えない……とか?」
「アンデッド等のある種のモンスターは異常な回復力を持っていると聞く。通常の打撃では殺せぬとか」
「カケルハ モンスタージャナイ」
話を聞いていたメイが、ノルンを軽く睨んできた。
そんなメイに、ノルンが優しい表情を向けた。
「わかっておる。カケルは皆の恩人だ。あの強大なマルドゥクなる魔族を追い払ってくれたのだからな」
ハーミルが、カケルの方に視線を向けながら口を開いた。
「それにしても、あの斬撃は凄まじかったね。あれって何かの魔法かしら?」
「あの斬撃。あれには魔力を全く感じなかった。つまり魔法ではない未知の力だ。それに、カケルは元々おぬしと同じく、魔力を持っておらぬようだ」
「ふ~ん。そう言えば、カケルが斬撃を放つ時使っていた剣、どうなったの?」
「分からぬ。復活したカケルの手の中に唐突に出現して、カケルが気を失った瞬間、溶けるように消滅した。思い返せば、ウルフキングを一撃で屠ったのも、あの未知の力だったのやも知れぬ」
「そっか……カケルが目を覚ましたら、本人に直接聞いてみるのが一番かもね」
――◇―――◇―――◇――
マルドゥクは竜の巣まで戻ってきていた。
折角ノルン達を罠にはめ、この辺境の地まで引きずり出したというのに、あの少年は大誤算であった。
まあ、“半端者”があの場に居たのにも少々驚かされたが、あれは誤算と言うほどの事でも無い。
帝城の強力な結界内に幽閉でもされない限り、いつでも“回収”できるだろう。
「しかし、あの少年が守護者の力を手にしているとすれば、『彼女』はどうなった?」
17年前、当時の最高峰の魔術師3人――イクタス、ディース、そしてマルドゥクの父であり、後に当代の魔王となったエンリル――は、それぞれがある思惑を秘め、失われて久しかった真理の一端にたどり着いた。
彼等は秘儀を行い、史上初めて『彼方の地』への扉を開く事に成功した。
『彼女』は彼等が得ていた研究成果通りにその地で発見され、この世界へと連れ出された。
当初、三人の魔術師達は、『彼女』と友好的な関係を結ぶ事に成功していた。
しかしやがて、三人の魔術師達の思惑の違いが露呈し、『彼女』はイクタスと共に、エンリルと袂を分かつこととなった。
以来、エンリルとその意を受けたマルドゥク達は、『彼女』の居場所を探索し、時に交戦して再び『彼女』を手中に収める方策を探ってきた。
つい最近も『彼女』の捕縛に失敗し、一時異世界で交戦する事態にもなっていたところであった。
「あのあと、『彼女』に何かあったのか? いずれにしても、あの少年を調べてみる必要があるな」
少年がどこまで守護者の力を振るえるのかは分からないが、万全の態勢で臨むのに越した事はないであろう。
それほどまでに守護者が振るう“力”は傑出している。
なにしろ、その“力”は本来、『魔王や勇者を殲滅するために』用意されていたものだ。
それを手中に収める事が出来れば、『魔王と勇者の力関係を必ずや逆転させる』事が出来るはずだ。
そこまで考えを巡らせたところで、マルドゥクは悪寒を感じた。
誰かに見られている……
突然、四方から、魔力の“壁”がマルドゥクに襲い掛かって来た。
“壁”に押しつぶされる寸前、マルドゥクは自身の魔力を展開し、屋外に逃れる事に成功した。
「あんたがマルドゥクだね? あたしの可愛い使い魔ちゃん達を使って偽情報流してくれた件、きっちり落とし前つけてもらうよ?」
午後の木漏れ日の中、薄紅色の短髪の少女、勇者ナイアが使い魔達を従え、眉を怒らせてマルドゥクの前に立っていた。




