236.殺意
運命の日、開幕。
時を超え、悪夢は再臨する……
――◇―――◇―――◇――
第055日―1
翌朝、朝食を済ませた後、僕はハーミル、ナイア、ジュノ、そしてシャナ達と連れ立って、皇帝ガイウスの幕舎へと向かった。
幕舎では既に、ノルン様他4名の、今回の調査に参加するメンバーが僕達を待っていた。
幕舎の中で皇帝ガイウスがノルン様に調査団団長の信任状を手渡して、結団式が行われた。
そして皇帝ガイウスによる型通りの訓示の後、僕達はコイトスへの転移門が設置されている広場へと移動した。
広場では、僕が設置したコイトスへの転移門が異彩を放っていた。
直径10mはあろうかという、巨大な半楕円形の黒い穴。
揺らめく不可思議なオーラで縁取られたその転移門の周囲には、いつにも増して多くの兵士達が配されていた。
広場まで同行した皇帝ガイウスが、彼等に視線を向けつつ口を開いた。
「この者達は我が軍内でも最精鋭の兵士達じゃ。万一向こうで何かあれば直ちに転移門を潜り、そなた達を救出に向かえるよう、待機させておるところじゃ」
やがて約束の刻限が近付いた。
皇帝ガイウスに促され、僕は光球を顕現させた。
そして心の中に、以前“視えた”翡翠の谷の情景を思い起こしながら、光球に手を伸ばした。
光球が消えると同時に、コイトスへの転移門のすぐ脇に、直径3m程の転移門が出現した。
僕はその場の皆に告げた。
「この向こうは翡翠の谷のはずですが……一応、見てきましょうか?」
皇帝ガイウスが頷くのを確認した僕は、転移門に足を踏み入れようとした。
そのタイミングで両脇に、二人の人物がすっと並んで立った。
「私も一緒に行くわよ?」
「カケル、私も行く」
僕は両脇に立つハーミルとシャナを見て、少し苦笑した。
「確認してくるだけなんだから、僕一人で大丈夫だと思うけど」
「なんかあったら、困るでしょ?」
「何事も油断は禁物」
まあ別段、危険は無いはずだし、二人の好きにさせてあげよう。
僕は背後で待つ人々に、改めて声を掛けた。
「じゃあ、ちょっと行ってきます」
転移門を潜り抜けた先には、高い天井から無数の鍾乳石がぶら下がる、広大な空間が広がっていた。
それは以前、ヤーウェンの地下を調べた時見えたのと同じ情景であった。
間違いなくここは翡翠の谷。
それを確認した僕の心の中に、同時に郷愁にも似た感情が沸き起こってきた。
目を閉じると瞼の裏に、まるでARのように、あの当時の情景がありありと浮かんできた。
天井から釣り下がる大小様々な鍾乳石。
壁や天井が発する仄かな燐光に照らし出される粗末な家々。
すえたような臭いに噎せ返るような湿気まで!
勿論あの時とは随分様変わりはしているけれど、僕の五感全てが、かつてセリエと過ごした獣人族の村があったのはこの場所だと告げていた。
感慨にふけっていると、ふいに声を掛けられた。
「おや? 守護者殿。事前にお聞きしていたのより、随分、人数が少ないようだが?」
声の方に顔を向けると、にこやかな笑顔を浮かべたヒエロンが立っていた。
彼の周りには、今回調査に参加するのであろう、ヤーウェン側の調査団の面々が控えていた。
僕は彼に言葉を返した。
「すみません。ここへ転移門を開くのは初めてなので、とりあえず大丈夫かどうか、確認しに来たところです。今から他の方々もお呼びしますね」
僕はハーミルとシャナに、ここでしばらく待っていて欲しいと告げてから再び転移門を潜り、皇帝ガイウスの軍営へと戻った。
そして転移門の向こう側が確かに翡翠の谷である事、
そしてヒエロン率いるヤーウェン側の調査団が既に到着している事等をノルン様達に伝えた。
ナイアが舌なめずりしそうな雰囲気で呟いた。
「いよいよだね……」
僕は残りのメンバー達と共に転移門を潜り、再度、翡翠の谷へと向かった。
全員が翡翠の谷に到着した後、ノルン様とヒエロンとの間で、互いに約定を違えない事が再確認された。
ナイアはヒエロンに対し、傍目にも分かる位の殺気を向けていた。
しかし彼女はノルン様に諭され、とりあえずは大人しくしている。
封印解除の条件の一つである正午までは、まだ多少、時間が余っていた。
僕は待つ間、この広大な空間の壁面に設置されている、封印された扉に近付いてみた。
高さ数m程の巨大な扉。
その両脇には、一対の獅子のような像が配されている。
この広大な空間の中での扉の位置関係を改めて確認した僕は、ある事に気が付いた。
この扉、数千年前のあの世界で、キメラがいた闘技場と獣人族の村との間に空いた大穴の位置と一致してないか?
そう思いながら両脇の獅子のような像を見ると、それはまさに、あの時のキメラの像のようにも見えた。
僕は知らず、扉に手を触れていた。
と、微かな違和感を抱いた。
扉の向こうから、霊力が漏れ出してきているのが感じられたのだ。
この遺跡自体が、霊力により封印されている?
僕の隣に、いつの間にかシャナが並んで立っていた。
彼女は扉の前に置かれた石板にじっと視線を向けている。
そこには、僕とハーミルが持つタリスマンに描かれていたのとよく似た文様が彫られていた。
僕はシャナに囁いた。
「もしかして、これも神聖文字ってやつかな?」
シャナが黙って頷きを返してきた。
「なんて書いてあるの?」
『いつか必ずこの地に至るであろう、救世主へ。決戦の地より父、初代獣王ゼラム・ベスティアの持ち帰りし聖遺物と共に、私にとってかけがえの無い宝物をこの地に封ずる。あなたがこの世界を去りし後も、あなたとの想い出は、私の心の一番奥深くに、永遠に留まり続けた。獣王国第二代女王セリエ・ベスティア』
シャナが囁きで聞かせてくれたその言葉は、僕の心を熱くした。
あの無邪気な笑顔のセリエが、女王に……!
可能なら、もう一度君の笑顔を見てみたい。
話をしてみたい。
ここの封印を解けば、さらに君に近付く事が出来るのだろうか。
そんな想いに心を馳せていると、ついに正午を迎えたことが告げられた。
皆に促され、僕とハーミルの二人は翡翠の谷の扉の前に立った。
先程の石板の上部に丸い窪みがあった。
ここにタリスマンを嵌め込めば良いのだろうか?
僕達はお互いのタリスマンを組み合わせ、その窪みに嵌め込んだ。
突然、凛とした威厳のある女性の声が響いた。
―――封印の前に立ちし者よ。汝が資格を示せ
資格?
僕は思わず、ハーミルと顔を見合わせた。
ゲシラム様からは、資格どうこうという話は聞いていない。
もっとも翡翠の谷自体が獣人族の間でもほぼ伝説化してしまっており、詳細は失われていたのかもしれないけれど。
戸惑っていると、それまで成り行きを見守っていたヒエロンが僕に話し掛けてきた。
「守護者殿。そのタリスマンに手を添え、霊力を流し込むのだ。そうすれば封印は解除されるはずだ」
彼の言葉を耳にしたノルン様以下、帝国側の調査団の面々の顔が一挙に強張った。
ナイアがヒエロンに声を掛けた。
「随分詳しいんだねぇ。まるで今から何が起こるのか、全てお見通しみたいじゃないか」
「フフフ、勇者ナイアよ。“私の力”に関しては、君は既によくご存じのはずだが?」
「てめぇ!」
ナイアが腰の剣に手を掛けた。
その身から再び、凄まじいまでの殺気が放たれる。
それをノルン様が制した。
「控えよ、勇者ナイア。今は約定を交わした上での合同調査の最中だ」
「……分かっているよ」
ナイアはヒエロンを睨みつけながらも、腰の剣からは手を離した。
それはともかく、このままヒエロンの言葉通り、霊力をタリスマンに注いでも大丈夫なのだろうか?
僕は隣に立つシャナにチラッと視線を向けた。
僕の視線に気付いたらしいシャナは、小さく頷きを返してきた。
僕は改めて嵌め込まれたタリスマンに手を添え、霊力を流し込んでみた。
―――ゴゴゴゴゴ……
扉が重々しい音と共に、ゆっくりと開き出した。
同時に扉の向こうから、明るい光が射し込んできた。
開ききった扉の向こうには、僕にとって余りにも懐かしすぎる情景が広がっていた。




