231.軍議
第053日―6
「勇者ナイア。あなたはどうして魔王エンリルよりも、ヒエロンの方が危険、と判断したの?」
シャナの問い掛けを受け、ナイアがシャナの方に顔を向けてきた。
「ん? あんたは確か……カケルと一緒にこっちの世界に来ちゃったっていうコだったよね?」
「そう。私はシャナ。ヒエロンの話、もう少し詳しく聞きたい」
ナイアはシャアの顔をじっと見つめてきた。
「ヒエロンに何か、気になる事でもあるのかい?」
「この世界では、魔王が一番危険な存在と聞いた。なのにあなたは、ヒエロンの方がより危険だと言った。だから当然の疑問」
「あいつは勘が妙に鋭くてね。そのせいで、あたしも魔王を討ち漏らしてしまった。だからそういう意味で、危険な奴だって言ったのさ」
「あなたのいう“勘”は、一般的な意味での“勘”? それとも何か特殊な能力に付随するもの?」
ナイアの目が一瞬、キラリと光った。
「さあ、どうだろうね……もしかしてシャナちゃんも、勘が鋭くなる特殊な能力、持っているのかい?」
「私には、そんな能力は無い」
「そうかい。あ、ヒエロンの奴、魔王と手を組んだ理由を口にしていたんだけどね。それもあいつは危険だって感じる要素の一つかな」
「どんな理由?」
ナイアはわざとらしく勿体ぶる様子を見せた後、言葉を返してきた。
「魔王と一緒に、“この世界をあるべき姿に戻したい”んだそうだ。どうだい? 危険なニオイがしないかい?」
シャナの目が僅かに大きくなった。
それに目ざとく気付いたらしいナイアの口の端が、少し跳ね上がった。
ナイアはシャナの返事を待つ事無く、言葉を続けた。
「しばらくあたしは、ここで厄介になるからさ。機会があったら、あんたの世界の話でも聞かせておくれ」
ナイアはそこでその話を打ち切ると、改めてハーミルに向き直った。
「陛下からは、この幕舎の空いている区画を使わせて貰えって言われている。早速だけど、案内してくれるかな? 今日は色々あって、疲れちまったんだ」
――◇―――◇―――◇――
―――ガイウスの幕舎。
深夜にもかかわらず、ガイウス、ノルン以下、遠征軍の幹部達が軍議を開いていた。
皆、一様に厳しい表情であった。
夜、勇者ナイアが突然、ガイウスの軍営にやって来た。
彼女がもたらした報告は、ガイウス達に衝撃を与えていた。
彼女は5日前、アレル達と共に魔王城に突入した。
そこで罠にかかり、南半球に魔王エンリルが設置していた幻惑の檻――魔王城を精巧に模したと思われる構造物――の内部に閉じ込められてしまった。
昨日になって、偶然、カケルに救出された彼女は、今朝、カケルと共に魔王城へ再度向かった。
そこで魔王エンリルを追い詰めたものの、ヒエロンの介入で、魔王にとどめを刺す事が出来なかった。
なんとヒエロンは、誰にも知られずに試練を突破し、勇者となっていた。
彼等に逆襲され、瀕死の重傷を負った彼女は、カケルにより帝都の治療院へ運ばれ、一命をとりとめた……
「問題点は、三つある」
ガイウスが一同を見渡しながら、話し始めた。
「一つ目は、ヒエロンめが、本当に勇者であるならば、どう対処すべきか? 二つ目は、勇者アレル達は今、どのような状況にあるのか? 三つ目は、カケルについてじゃ」
ノルンが怪訝そうな雰囲気になった。
「カケルについて、何か問題がありますでしょうか?」
ガイウスはノルンに視線を向けてきた。
「話では、勇者ナイアが手出し無用と告げたらしいが、結局、魔王エンリルやヒエロンとは戦わなかったようではないか?」
「ですが彼は、勇者ナイアを救出し、結果的に彼女の命を救いました」
「そうではあっても、彼の者の力を使えば、魔王エンリルもヒエロンも、まとめて斃せたのではないか? 以前にも敵に情をかけて、【彼女】を取り逃がした事があった」
ガイウスが珍しく、やや苛ついた様子を見せた。
ノルンが、たしなめるように言葉を掛けた。
「カケルの優しさは彼の強みでもあり、我が帝国にとっても有益と考えます。彼は優しさゆえに、強大な力をみだりに振るおうとしないのでは、ないでしょうか? 強き力の持ち主が優しさを失えば、極めて危険な存在になり得るかと愚考致します」
その言葉を聞いたガイウスの表情が、一気に険しくなった。
かつてガイウスは、妻のディースから、そっくり同じ言葉で諫言された事があった。
それはガイウスが強大な権力を振るい、中央集権を強力に推し進めようとしていた時、彼女からかけられた言葉。
―――陛下。傘下の諸公国には、もっと威徳と恩愛で接されますように。強き力の持ち主が、ただその力を振りかざすだけで優しさを失えば、帝国にとって、極めて危険な事態を引き起こしかねません……
ガイウスは険しい表情のまま、ノルンに告げた。
「ノルンよ。優しさだけでは何も前に進まぬ。強大な力を持つ者は、振るうべき時にはその力を振るわねばならない。それが力を持つ者に課せられた責務ぞ」
ガイウスの性格をよく知るノルンは、これ以上言葉を挟まず、ただ黙って頭を下げた。
ガイウスは傍らに控える側近の一人に声を掛けた。
「ともあれ、カケルからも話を聞かねばなるまい。休暇中ではあるが、明朝、カケルには一旦こちらに戻り、勇者ナイア救出の経緯を報告するよう、申し伝えよ」
ガイウスの意を受けた側近が退出するのと入れ代わるようにして入ってきた別の側近が、ガイウスの耳元で何事かを囁いた。
ガイウスの目が一瞬鋭くなった。
「皆の者、ヤーウェンで何か動きがあったらしい」
彼はその側近に、知らせをもたらした者を軍議の場に連れて来るよう命じた。
側近に連れられて入って来たのは、ハーフドワーフのゲロンであった。
ガイウスは以前、夜襲をかけてきたヤーウェンの兵士達の内、数百人を捕虜にしていた。
その捕虜達の内何人かを、彼は密かに寝返らせる事に成功していた。
ゲロンもまた、帝国に“帰順”した一人であった。
ガイウスは寝返らせた捕虜達をヤーウェン城内に潜入させるべく、ヒエロンに捕虜送還を持ちかけていた。
ヒエロンとの交渉の結果、カケルが別の世界に拉致される前後、数回にわたり、捕虜の送還が実施された。
ヒエロンは捕虜送還の際に、ガイウスに寝返ったと彼が判断した兵士達を、こちらに送り返してきていた。
しかし全てが送り返されてきたわけでは無く、数名はヒエロンに見抜かれる事無く、ヤーウェンに留まる事に成功していた。
彼等はヤーウェンの内情を、ゲロンを介して、定期的に知らせてきていた。
「ゲロンよ。緊急の知らせとは何じゃ?」
ゲロンはその場の雰囲気に気圧されたかのように、ぼそぼそと話し出した。
「ヤーウェンの地下で、古代の遺跡が発見されたそうです」
「古代の遺跡?」
古代の遺跡が発見されるのは、そう珍しい事では無かった。
この世界には、選定の神殿や各地の祭壇等、起源不明な古代の遺跡が点在していた。
そのいくつかは所謂ダンジョンとして、この世界の冒険者達の“稼ぎ”の場ともなっている。
「古代の遺跡と申しましても、神話の時代、獣人族の英雄ゼラムにまつわる遺跡、だとか」
その場の一同が、少しざわめいた。
神話の時代。
それは古代の英雄達が活躍した、とされる時代。
神話の時代が終わった後、魔王と勇者が相争う歴史が始まった。
現在、はっきりと神話の時代にまで遡ると同定された古代の遺跡は、存在しない。
帝国の諜報部門を任されているドミンゴが口を開いた。
「確か、獣人族達の伝説では、翡翠の谷と呼ばれる場所にゼラムの秘宝が隠されているとか。まさかその、翡翠の谷が発見されたとでも?」
「そのまさか、のようでございます。連絡では、ヒエロンはその遺跡の封印を解き、伝説の秘宝を手に入れて、帝国との戦いを有利に進めようとしている、と」
ガイウスがドミンゴに問いかけた。
「ゼラムの秘宝とは、いかなるものか?」
「詳細は不明でございます。翡翠の谷自体が、その所在は獣人族の間でも知る者は絶えて久しい、と聞いておりましたが……」
首を傾げるドミンゴの様子を横目で見ながら、ガイウスは考えていた。
発見された遺跡が、本当に翡翠の谷なる場所かどうかは不明だ。
しかしヒエロンが何かを画策しているなら、その危険性に関しては、あらかじめ知っておく必要がある。
ここはカケルに働いてもらわねばなるまい。
カケルは以前、誰もその存在を把握していなかった帝城最奥の祭壇の存在を看破した。
和平交渉を口実にして、ヤーウェンにカケルを加えた使節団を送り込もう。
その際カケルには、翡翠の谷がヤーウェン地下に存在するかどうか、調べさせるとしよう。
ガイウスは皆に告げた。
「ヤーウェンに使節団を派遣する。直ちに準備に入れ」




