230.同胞
場面変わって、皇帝ガイウスの軍営内……
――◇―――◇―――◇――
第053日―5
夕方、ジュノは自身に与えられた区画のベッドに腰かけていた。
彼女は手の平に黒い霊晶石をのせ、魅入られたようにそれをじっと見つめている。
―――美しい……
黒く妖しいその輝きは、ジュノの心を恍惚とさせた。
時々聞こえてくる“声”
それは彼女に、“この世界の本来あるべき姿”について語った。
そして彼女に、何者にも決して身を屈する必要の無い力を与えると約束してくれた。
最近、彼女はハーミルやクレア達と過ごすより、こうして引きこもっている時間の方が多くなった。
先程もハーミルが、皆でカードゲームするから、と誘いに来たのを断った所であった。
ジュノが飽くことなく黒い霊晶石に見入っていると、突如、耳元で何者かが囁いた。
『こんにちは……』
驚いたジュノは、大きく仰け反った。
今聞こえてきた囁き声は、黒い霊晶石が時に語り掛けてくる“声”とは、明らかに異なっていた。
ジュノは周囲に警戒の視線を向けてみた。
しかし区画の中には、自分の他には誰の姿も見当たらない。
幻聴? 或いは何者かが姿を隠して近くに潜んでいる?
身構える中、再び囁き声が聞こえてきた。
『驚かせてすまない。私は神樹王国の最後の王ムラトの息子、ロデラ……』
神樹王国……?
ロデラ……!
確か二度に渡って、帝国軍を奇襲してきたハイエルフ達!!
ジュノは小さな声で、その囁き声に言葉を返した。
「どこにいるんだ? 透明になる魔法か道具でも使っているのか?」
『ジュノ。私は、そこにはいない。遥か遠隔の地から精霊の力を借り、この囁き声を君に届けている』
「精霊魔法ってやつか? それで何の用だ?」
『君と話をしたい、と言っている人物がいてね。少し時間を作ってもらえないだろうか?』
「それは誰だ?」
『君もよく知っているヤーウェンの僭主、ヒエロンだ』
「ヒエロンが?」
ジュノの顔が険しくなった。
「もしかして俺に、ヤーウェン側に寝返りしろ、とかそんな話か?」
『そんな小さな話をしたいわけでは無さそうだよ』
「じゃあ、なんだ?」
『世界をあるべき姿に戻したい。そう君に伝えれば、君は必ず自分と話をしたがるはずだ。ヒエロンは、そう言っている』
ジュノは息を飲んだ。
世界をあるべき姿に……!
自分と同様、ヒエロンもまた、何かを知ったのであろうか?
「……ヒエロンと話そう。具体的には、どうすればいい?」
夕食後、ジュノはハーミル達に、少し気晴らしに散歩してくる、と告げてから幕舎を出た。
そのまま隙を見て軍営を抜け出し、近くの森へと足を踏み入れた。
周囲を警戒しながら進む事約10分。
事前に聞かされていた通りの、少し開けた場所に出た。
そこにヒエロンと、見知らぬエルフの男が二人、並んで倒木に腰かけていた。
二人はジュノに気付くと立ち上がり、笑顔を向けてきた。
ヒエロンが声を掛けてきた。
「ジュノ。よく来てくれたね」
そして隣に立つエルフの男に視線を向けながら、言葉を継いだ。
「彼がロデラだ。もう知ってはいると思うけれど、ガイウスの暴虐により滅ぼされたハイエルフの生き残りの一人だよ」
ヒエロンに促され、手近の倒木に並んで腰かけたジュノは、挨拶もそこそこに切り出した。
「……それで、話とは?」
「世界のあるべき姿についてだよ」
「何を知っている?」
「その前に一つ確認しておきたいんだが、君は最近、啓示を受けた。違うかな?」
ジュノの身体に緊張が走った。
啓示?
黒い霊晶石の“声”の事か?
ジュノが返す言葉を見つけ出す前に、ヒエロンが言葉を継いだ。
「ああ、“まだ”詳しくは語らなくても良いよ。聞き耳を立てている人がいるからね」
ヒエロンはそう口にしながら、一見、何もない場所に視線を向けた。
怪訝に感じたジュノは、問い掛けた。
「一応、誰にも尾行はされてないはずだぜ」
「相手は我々の目には見えないからね。少し厄介だ」
そう話したヒエロンの左目が、突然金色に輝いた。
「ロデラ! そこだ!」
ヒエロンが上げた叫び声に応じるかのように、ロデラが短く、何かを詠唱した。
突然、何もない場所が爆発した。
爆発は連続的に水平方向に移動していき、やがて静かになった。
「何が起こったんだ?」
事態の推移に置いてけぼりを食らった格好のジュノに、ロデラが改めて説明してくれた。
「君をつけてきていた精霊を追い払ったのさ」
「精霊? つけてきていた?」
「恐らく君の軍営内に、強力な精霊魔法の使い手がいる。その者は、どうやら君を警戒しているようだ」
「精霊魔法の使い手?」
ジュノがカケル達と共にミーシアから聞いた話では、精霊魔法は神樹王国の元王族、ハイエルフ達の専売特許であったはず。
ガイウスの軍営内で、そういった人物に心当たりは無い。
首を傾げるジュノに、ヒエロンが言葉を掛けてきた。
「まあいいさ。これでしばらくは、誰も我々の話を盗み聞きできない。手短に話を済ませてしまおう」
ヒエロンはジュノに、“素晴らしい計画”について話し始めた……
…………
……
――◇―――◇―――◇――
「っつ!」
リンクしていた同胞が予期せぬ攻撃を受けたシャナは、思わず頭を押さえてよろめいた。
「どうしたの?」
ハーミルが心配そうに、シャナの顔を覗き込んできた。
シャナはハーミルを安心させようと、笑顔を見せた。
「大丈夫。ちょっと立ち眩み」
「立ち眩みって……座っているのに?」
ここはガイウスの軍営。
ハーミル達の幕舎の一角。
シャナは夕食後の暇つぶしにと、ハーミルやクレア達と一緒に、カードゲームに興じている最中であった。
「じゃあ、座り眩み」
「シャナさん、そんな言葉無いですよ?」
クレアの一言で場が和み、カードゲームが再開された。
『彼方の地』の一件以来、シャナはジュノを警戒していた。
そんな中、今日の夕方、シャナは、何者かが精霊の力を介して、ジュノに囁きかけている事に気が付いた。
内容を読み取る事は出来なかったものの、シャナは同胞である風の精霊に語りかけ、出掛けるジュノを監視する事にした。
その同胞が、ジュノ、ロデラ、そしてヒエロンの集まっている場所で、いきなり攻撃された。
ジュノに囁き声を届けてきたのが、ロデラである事はすぐに分かった。
そしてロデラもまた、妹のミーシア同様、精霊の存在を感じる事は出来ても、その姿を見たり、声を聞いたりする事は不可能である事も分かった。
では、どうしてシャナの同胞は正確な場所を特定され、攻撃されたのか?
シャナは同胞が攻撃される直前、ヒエロンが奇妙な“力”を使ったのを感じ取っていた。
正体不明のあの奇妙な“力”が、風の精霊の位置を正確に特定した、としか考えられない。
ヒエロンについては、もう少し調べてみる必要がある。
シャナがそんな事を考えていると、幕舎の表が急に騒がしくなった。
シャナ達はカードゲームを中断し、様子を見に行ってみた。
すると丁度、幕舎の中に一人の少女が入って来るのに出くわした。
少女の姿を目にしたハーミルが目を大きく見開いた。
「ナイア!?」
「ハーミル。久し振り! 今晩、泊まらせてもらうよ」
勇者ナイアがそう言葉を返し、笑顔で幼馴染であるハーミルに歩み寄ってきた。
「えっ? どうしたの?」
状況が理解できないハーミル達に、ナイアに同行してきたガイウスの側近が事情を説明してくれた。
「ナイア殿は本日、魔王城にて魔王と交戦されました。その際、突然ヒエロンが現れ、妨害されたそうです」
「ヒエロンが……? 魔王城に?」
「ナイア殿の見立てでは、魔王城とヤーウェンとの間に、転移の魔法陣を介した連絡路が通じているのでは? と」
ガイウスの側近の説明を引き継ぐ形で、ナイアが口を開いた。
「詳しい話は省くけど、魔王エンリルよりもヒエロンの方が、より危険な存在だって分かったのさ。だからヒエロンを先に殺すため、ここに滞在させて欲しいって、陛下にお願いしたんだよ」
その時、静かに話を聞いていたシャナが、ナイアに話しかけた。
「勇者ナイア。あなたはどうして魔王エンリルよりも、ヒエロンの方が危険、と判断したの?」




