23.即死
第009日―2
成り行きを見守っていた僕は、奇妙な印象を受けた。
魔族の男が本気で宝珠を手に入れたいのなら、ノルン様を攫って、魔法か何かで無理矢理奪えば良いのではないだろうか?
男の余裕の有りそうな雰囲気からは、それは不可能では無いように見えた。
単にいたぶっているだけ?
それとも、宝珠を無理矢理奪えない何か特別な理由でもあるのだろうか?
そんな事を考えていると、ハーミルがまた動いた。
彼女は滑るようにドラゴンに接近し、跳躍した。
そしてドラゴンの背に乗る魔族の男目がけて、凄まじい斬撃を連続して繰り出した。
しかしそれは男に届くことなく、見えない何かによって、全て弾かれた。
バリヤーのような何かの力が男を護っているように見えた。
男に攻撃が届かない事を悟ったらしいハーミルが、再び素早くドラゴンとその背に乗る男から距離を取った。
ハーミルは、油断なく剣を構えたまま、メイに話しかけた。
「あのマルドゥクって魔族自身も、何かの加護で守られているみたいね。メイ、あいつの加護が破れるかどうか、魔法で攻撃してみて。一瞬でも破る事が出来たら、その隙をついてあいつを斃すわ」
頷いたメイが、直ちに詠唱を開始した。
途端に彼女の頭上に魔力が凝集されていく。
僕も遅まきながら、腰の剣を抜いて身構えた。
魔族の男――どうやらマルドゥクって名前らしいけれど――は、そんな僕達に冷ややかな視線を向けてきた後、ノルン様に呼びかけた。
「ノルン姫に宝珠を準備して頂く間、少しそこの者達の相手をしていますね。ただ、時間がかかり過ぎると、彼らが死んでしまうかもしれませんが」
ノルン様の表情に焦りの色が浮かぶのが見えた。
逆にハーミルは闘志を漲らせて、マルドゥクを睨みつけた。
「ノルン、安心して。魔王の息子か何だか知らないけれど、所詮、加護の陰に隠れている奴にやられるつもりはないわ」
「加護の陰に隠れるだけでなく、こんな事もできるんだがな」
マルドゥクは不敵に笑うと、右手を高々と掲げた。
それに呼応するかのように、突如、僕達を囲む位置に、恐らく魔力で創り出されたのであろう、無数の刃が出現した。
刃の群れはそのまま僕達に襲い掛かってきた。
ノルン様が軽い悲鳴を上げるのが聞こえた。
しかしそれらは僕達に届く前に、次々と消滅していった。
ハーミルが凄まじい剣捌きによって、全て叩き落としたのだ。
やがてメイの詠唱が終了し、今度は灼熱の火球がマルドゥクとドラゴンに襲い掛かった。
しかし……
「やはり半端者。記憶と共に魔力を操る術も失っているのか」
マルドゥクは灼熱の火球を片手で受け止めると、いとも簡単に霧散させてしまった。
滅多に表情を変えないメイが、目を大きく見開いた。
再びマルドゥクが右手を掲げると、先程よりさらに多くの刃が現れ、僕達に襲い掛かってきた。
ハーミルはそれらも全て叩き落としながら、なんとかマルドゥクとの距離を詰めようと試みていた。
しかしマルドゥクが間断なく繰り出す魔力の刃が雨の如く降り注ぎ、次第に身動きが取れなくなっていった、
周囲を降り注ぐ刃に完全に取り囲まれたまま、戦いの次元が違い過ぎる状況の中で、僕とメイはただ、茫然と立ち尽くしていた。
そんな中、マルドゥクがドラゴンの背中から、地面へゆっくりと降り立った。
彼の右手には、僕でも分かる位禍々しいオーラを纏った、一振りの漆黒の剣が握られていた。
そのままこちらにゆっくりと近付いて来た彼の顔に、残忍な笑みが浮かんでいるのが見えた。
「さてノルン姫、そろそろ最初の犠牲者が出そうですよ?」
表情は残念そうに、しかし口調は楽しそうに、マルドゥクは手にした剣を無造作に刃の渦の中、ハーミルに向かって突き出してきた。
周囲の刃を捌く事で手一杯な彼女に、それを避ける術が残されていないのは、一目瞭然であった。
ノルン様が悲鳴を上げ……
僕は咄嗟にその剣先とハーミルとの間に、自分の身体を割り込ませていた。
確実に心臓を貫かれた感覚とともに、喉の奥から血の味が込み上げてくる。
視界が真っ赤に染まり、凄まじい激痛の中……
僕の意識は……
そのまま……
…………
……
――◇―――◇―――◇――
マルドゥクの魔剣に貫かれたカケルの身体は、ひとしきり痙攣した後、動かなくなった。
「カケル!」
ノルンの悲鳴が響き渡った。
状況を認識したハーミルは、すぐさまメイを抱き抱え、強引に刃の渦から転がり出た。
彼女の身体は、無数の刃に切り刻まれ血まみれになっていた。
マルドゥクはしばらく自分が貫いたカケルに目をやっていたが、やがてゴミでも振り払うかのように、魔剣を振った。
カケルの身体が宙を舞い、ノルンの傍に落下した。
「残念ですね。勇敢な若者がまだ先の長い命を散らすとは」
表情は殊勝そうに、口調は楽しそうに。
ノルンはカケルに駆け寄った。
しかし魔剣に心臓を貫かれ、事切れているカケルの状態を確認すると、愕然と膝をついた。
魔力が発達しているこの世界でも、完全に失われた命を呼び戻すことは不可能であった。
ハーミルはノルンが膝をつくのを見ると、自らの傷も顧みず、狂ったように叫びながらマルドゥクに迫った。
メイは魂が抜けたように座り込んで動けない。
マルドゥクはハーミルの乱れた剣筋をいなしながら、ノルンに語りかけた。
「そろそろ宝珠の準備を急がれては? このままでは次は幼馴染の剣聖殿の番ですよ?」
のろのろとノルンは立ち上がった。
そして諦めたかのような雰囲気で、宝珠顕現のための詠唱を開始しようとして……
その目が驚愕で見開かれた。
なんと、足元のカケルの胸元に開いた傷口が、しゅうしゅうと湯気を立てながら見る見る内に塞がっていく。
そしてカケルは、咳き込みながら身を起こした!
――◇―――◇―――◇――
意識を取り戻した時、僕は地面に横たわっている事に気が付いた。
確か、マルドゥクが突き出して来た刃からハーミルを庇おうと、咄嗟に身を投げ出して……
混乱する頭を軽く振りながら上半身を起こした僕の視界の中に、驚愕したような表情で固まっているノルン様の姿が有った。
「カ、カケル!?」
彼女の声はなぜか震えていた。
「あ、あれ? 確か胸を刺されて……あ、ノルン様が治して下さったんですね?」
彼女は死にそうになっていたメイを癒してくれた事があった。
だから自分が今、こうして生きているのも彼女のお陰だと思ったのだが……
しかし、ノルン様の様子がどうも変だ。
「今そなた……確かに……息絶えて……?」
震える声で、そう口にした後、ノルン様はそのまま絶句してしまった。
そんなノルン様に違和感を抱いたけれど、僕はすぐに直前の状況を思い出した。
「そうだ、ハーミル! メイ!」
僕は弾かれたように立ち上がった。
少し離れた場所で地面にへたり込んでいたらしいメイが、僕の様子に気付いて駆け寄って来た。
「カケル! カケル!」
彼女は僕に縋りつくと、大声で泣き出した。
彼女の背中を優しく撫ぜながら、ざっと見た所、幸い大きな怪我はしていなさそうであった。
ハーミルは……?
全身を真っ赤に染めた彼女が、何かを喚きながらマルドゥクに斬りかかっているのが見えた。
しかし彼女らしい冷静な太刀筋は見る影も無く、素人目にもわかる乱雑な攻撃は、マルドゥクに完全にいなされていた。
と、マルドゥクが手にする剣が黒く輝き、恐るべき速度でハーミルに向かって突き出されるのが“見えた”。
あれが彼女の身体を貫くであろう事、貫かれた彼女は即死するであろう事が、瞬時に理解された。
「なんとかしないと! 何も出来ずに見ているだけなのか?」
一瞬のはずの時間の流れが、何故か凄まじく引き伸ばされた不思議な感覚の中……
『光球』が僕の目前に出現した。




