207.曲芸
第049日―2
【203.険悪】の続きへと話は戻り……
――◇―――◇―――◇――
台所ではハーミルと家政婦のマーサさんが、忙しそうに朝食の準備をしている様子であった。
僕がやってきたのに気付いたらしいハーミルが、笑顔を向けてきた。
「おはよう、カケル」
「おはよう、ハーミル」
彼女と二言三言、会話を交わしていると、やがてキースさんとメイもやってきた。
皆で朝の食卓を囲みながら、僕はこっそりメイの様子を伺ってみた。
表面上、メイの機嫌は直っているようであった。
もしかしたら機嫌が悪くなったと感じた事自体が、僕の思い過ごしだったのかもしれない。
40分後、食事を済ませた僕達は、予定通りサーカスの公演を観に行くため、ハーミルの家を出た。
「ようし、今日は楽しむぞ~」
「私、サーカスって見るの初めて」
はしゃぐ二人との会話を楽しみつつ、僕達は、サーカス団のテントが設置されている帝都の広場へと向かって行った。
サーカス団の公演は、前評判通りとても素晴らしい物だった。
午前の公演を存分に楽しんだ僕達は、お昼ご飯をハーミルが目星をつけていたレストランで頂く事にした。
席に着き、料理を頬張る僕達の話題は、当然ながら先程観覧したサーカス団の妙技なわけで……
「さすがは人気のサーカス団。楽しかったね~」
ハーミルが何かの肉料理を頬張りながら、サーカス観覧の感想を口にした。
彼女の言葉通り、僕もまた久し振りに観覧したサーカス団の妙技を存分に楽しませてもらった。
演目自体は、僕の世界のそれと大差無かった。
空中ブランコ、猛獣の火の輪くぐり、常人離れした曲芸(聞いた話では、魔法の類は一切使用していないとか)……
いずれも団員達のたゆまぬ努力が結実した、素晴らしいエンターテイメントに仕上がっていた。
ひとしきりサーカスの話題で盛り上がったところで、僕は少し話題の変更を試みた。
「ハーミル。午後って何か予定ある?」
「まだ何も決めてないけど。カケルはどこか行きたい所とか、したい事とかある?」
「うん。ちょっと行きたい所があって」
そう前置きしてから、自分の右腕の袖をそっとめくって見せた。
その部分にはいつも通り、あの【紫の結晶が嵌め込まれた腕輪】が装着されている。
その腕輪に視線を向けながら、僕は言葉を続けた。
「この腕輪を作ってくれたあのお店、後で連れて行ってくれないかな?」
僕が今、右腕に装着しているこの腕輪は、400年前の世界で出会った『彼女』がくれた紫の水晶を元に、ハーミルが連れて行ってくれたお店で作ってもらった物だ。
そしてそれと全く同じに見える腕輪を、数千年前の世界で出会った『彼女』もまた、右腕に装着していた。
『彼女』はそれを【守護者の腕輪】と呼び、女神から下賜された神器である、と話していた。
つまり状況証拠から類推すると、あの“謎の店主”こそが……
僕の言葉を聞いたハーミルの右の眉が、一瞬撥ねたように見えた。
「どうしたの? 腕輪に何か不具合でもあった?」
「不具合ってわけじゃ無いけど。まあ、ちょっと確認したい事があってね」
「あのお店、ミーシアさんの紹介でカケルを連れて行っただけだからな~。ミーシアさん通さないと、店の中に入れないかも」
僕はあの“謎の店主”が、入り口に空間魔法をかけている、と話していたのを思い出した。
「試しに、行くだけ行ってみない?」
「う~ん……」
ハーミルは少し考える素振りを見せた後、言葉を継いだ。
「じゃあさ、この後アルザスの街に行って、ミーシアさんにお店の事、先に聞いてからにしない?」
「そうだね。久し振りに、アルザスの街に行ってみるのも良いかも」
1時間後。
レストランを出た僕達は、転移の魔法陣経由でアルザスの街に降り立った。
そしてその足で、冒険者ギルドへと向かった。
久し振りに訪れた冒険者ギルドの建物の中は、相変わらず大勢の冒険者達で賑わっていた。
目当てのミーシアさんは、奥のカウンターで忙しそうに業務をこなしている。
僕達は少しばかり冒険者達がはけたタイミングを見計らって、ミーシアさんに声を掛けた。
「ミーシアさん、こんにちは」
僕達に気付いたミーシアさんが、笑顔を向けてきた。
「あら? カケル君にハーミル。それにアルちゃんも。今日はどうしたの?」
“アル”はもちろん、メイが現在使用中の偽名だ。
ミーシアさんもその辺の事情はよく分かってくれている。
「忙しい所すみません。実は……」
ハーミルが手短に事情を説明してくれた。
しかしそれを聞いたミーシアさんは、少し困ったような顔になった。
「あのお店……もう閉めちゃったみたいなの」
「えっ? 本当ですか?」
驚く僕に、ミーシアさんが気の毒そうな表情を向けてきた。
「ええ。ちょうどカケル君のその腕輪を作った直後かな。もう引退するって」
「あの店主さん、まだあそこに住んでいらっしゃるんでしょうか?」
「もう住んでないんじゃないかしら。店主さん、最後に話した時、故郷に戻るって話していたし」
「そうなんですね……ところでミーシアさんは、店主さんの故郷ってご存じですか?」
「ごめんなさい、そこまでは……」
僕は落胆の気持ちを抑えつつ、なお質問を重ねてみた。
「ミーシアさんは、あの店主さんとは知り合いだったんですよね?」
「まあ、知り合いと言うか、たまに宝飾品関係で相談させて貰ったりしていただけよ」
「その……店主さんって、どんな人だったんですか?」
「どんな人って?」
「前にお会いした時、全身フード付きローブを着こんでらっしゃって、何だか怪しい雰囲気の方だったもので」
僕の言葉を聞いたミーシアさんが噴き出した。
「ちょっと、カケル君。怪しい人は言い過ぎよ? まあ、認識阻害のローブをいつも着込んでいたから、少し掴みどころの無い人ではあったけれど」
なるほど。
認識阻害のローブを身に着けていたから、怪しく見えたんだな。
そう言えば、レルムスも透明化の加護がかかっているローブを着込んでいて、普通なら見えないらしいし……って、え?
普通なら……?
透明化の加護がかかっているローブを着込んでいるレルムスの姿を、僕だけは、常に認識する事が出来ていた。
それは恐らく、僕に宿る霊力のおかげに違いない。
ならばなぜ、あの店主の認識は阻害されたのか?
もしや、あの認識阻害のローブが、霊力を阻害した?
霊力を阻害出来るローブを着込む“あの女性”は、やはり……
心の中にある確信めいた考えの真偽を、しかしなかなか確かめられないもどかしさが心の中一杯に広がっていく。
結局、僕達はまだ勤務中のミーシアさんに別れの挨拶をして、冒険者ギルドを後にする事となった。
午後の日差しの中、僕達三人は転移の魔法陣を経由して、再び帝都に戻って来ていた。
僕は改めて、腕輪を作ってくれたあのお店の場所への案内を、ハーミルに頼んでみた。
「でも、ミーシアさんの言葉通りだと、もう空き家かもよ?」
「それでも構わないよ。行くだけ行ってみたいんだ」
食い下がる僕に、若干の違和感を抱いたのだろう。
ハーミルが探るような視線を向けてきた。
「こっちの世界に戻って来たと思ったら、急にあのお店に行きたいって……あっちの世界で、腕輪がらみで何かあったの?」
「いや、そういうわけじゃ無いんだけど……」
魔神含めてあの世界での出来事を、ハーミルに伝えるわけにはいかない。
従って、当然ながら『彼女』についても詳しく説明する事は出来ない。
ただ苦笑を返すしかない僕に、ハーミルはなおしばらくの間探るような視線を向けてきた後、言葉を返してきた。
「まあいいわ。あのお店の近くにお洒落なカフェあったし、そこ行くついでに寄ってみるって事で」
僕達三人は、連れ立ってその場所へと歩き出した。




