196.予兆
【185.誘惑】から続く物語が、ついに主人公側の物語と合流……
第048日―1
泣きじゃくるハーミルの背を撫ぜ続ける僕の耳元に、シャナの囁き声が届けられた。
『救世主、この方々は?』
『僕の世界の知り合いの人達だよ。シャナにも紹介しないと……』
しかし僕が実際に口を開く前に、シャナが再び囁き声を届けてきた。
『待って、救世主。確認だけど、この世界では、あの魔神と化した女神との最後の戦いは伝わっていない?』
『僕が知る限りでは、そのはずだよ』
『伝わっていないのには、理由があるはず。状況が分かるまで、あの世界での詳細を、この世界の人々に伝えない方が良い。私が今からする説明に、救世主も話を合わせて欲しい』
『伝わっていないのは、僕が審判の力を使ったせいじゃないかな?』
審判の力。
対象の名前を奪い、その存在を消去する力。
魔神と化した女神を封印する最後の瞬間に、僕はその力を使用した。
だからあの戦いの詳細は、あれから数千年経過した延長線上にあるこの世界に伝わらなかったのでは?
僕から話を聞いた『彼女』もまた、そう推測していたし。
しかしシャナは僕と『彼女』の推測に疑問を呈してきた。
『ならば、私が覚えているのはなぜ?』
『!』
言われてみれば、実際に封印を行った僕、そして女神からその力を奪い、封印の要となった『彼女』はともかく、シャナが覚えているのは少し不自然な感じもする。
まあシャナの場合、 “視界が真っ白に染まる”混沌の瞬間に数千年の時を超えて、僕に『彼方の地』へと召喚されてしまった、という特殊な事情が関係しているとも解釈出来そうだけど。
『とにかく私に任せて』
シャナはそう囁きを届けてきた後、イクタスさん達に声を掛けた。
「初めまして。私の名前はシャナ。あなたがたは?」
「シャナ殿。わしはイクタスと申す者。我等のよく知るそこのカケルが、謎の禁呪で異なる世界に拉致されてしまいましてな。我等はその手掛かりを求めて、この地への扉を開いたのじゃが……」
言葉を返しながら、イクタスさんは、シャナに探るような視線を向けてきた。
「失礼ですが、シャナ殿はこの『彼方の地』の住民ですかな? カケルとは、どういう経緯で一緒に?」
「私はこの地の住民ではありません。彼とは、私が住んでいた世界で出会ったのですが、気付くとこの地に転移していました」
「気付いたら?」
「はい」
「順を追って説明して頂ければ、有り難いのじゃが」
「私は元々、湖畔の静かな村で暮らしていました。数日前、村外の森でカケルが倒れているのを見つけて、村に連れて帰りました。彼はその時点で、それまでの記憶を全て無くしていました」
シャナの話を聞いていた僕は、心の中で苦笑した。
どうやらシャナの話の流れでは、僕は記憶喪失者という事になるらしい。
「二三日一緒に暮らしている内に、彼の記憶は徐々に戻ってきました。そして思い出した事を語ってくれました。しかし私達の世界に来てから、私とあの森で出会うまでの記憶は、いまだ戻っていないようです」
僕の腕の中でシャナの話を聞いていたらしいハーミルが、心配そうに顔を見上げてきた。
「カケル、そうなの?」
とりあえず、話を合わせるとして……
「うん、まあ、そんな感じかな」
「連れ去られる直前の事は? あの南海の船上での出来事は?」
「それは勿論、覚えているよ」
返事をしてから、僕はシャナの方をちらっと見た。
シャナから、特段の反応が無い所を見ると、僕の“記憶喪失”は、あちらの世界に召喚された後、シャナに出会うまでの期間限定、という設定で合っているようだ。
シャナが言葉を続けた。
「そんなある日、私とカケルが村の近くの森を歩いていると、突然視界が真っ白に染まり、気付いたらこの地にいました」
「なるほど……」
話を聞き終えたイクタスさんが、改めて僕に問い掛けてきた。
「カケル。連れ去られた先の世界で、おぬしの召喚者には会わなかったのか?」
「すみません、ちょっと記憶に靄がかかったみたいになっていまして……」
「そうか……」
それっきり、イクタスさんは自分の右耳を触りながら、じっと黙り込んでしまった。
ハーミルが再び口を開いた。
「カケル。あっちで霊力使って戻って来ようって試したりしなかったの?」
「やってみたんだけどね。いつかみたいに気絶しちゃった」
僕はシャナを元の世界に返そうとして気絶した事を踏まえ、そう言葉を返した。
元々、あの世界とこの世界の間を、単純に霊力のみで行き来するのは、不可能なのかもしれない。
シャナが、イクタスさんに問い掛けた。
「ここは『彼方の地』という場所なのですね?」
「我等はそう呼んでおります」
「どういった場所なのでしょうか?」
イクタスさんはシャナに視線を合わせたまま、しばらく何かを考える雰囲気になった。
そして言葉を選ぶ感じで返事した。
「わしが知るのは、霊力が満ち、霊晶石が存在する地。守護者がかつて存在した地、といったところですじゃ」
「それ以外に何かご存知ですか?」
「申し訳ござらん。実は、わしもこの地を訪れたのは17年ぶり。そんなにこの地に詳しいわけでもござらん」
「分かりました。ありがとうございます」
シャナはイクタスさんに、丁寧に頭を下げた。
二人の話が一段落したところで、僕はさっきから気になっていた事を、イクタスさんに聞いてみた。
「イクタスさん。どうやって『彼方の地』への扉を開いたのですか?」
「実は、とある筋からの情報で、サツキの別人格がこの地にいるかもしれない、と知ってな。おぬしの救出のため、霊力をいまだ保持しているであろう、彼女の助力を得ようと考えたのじゃ。そこで、ノルン殿下にご協力頂き、選定の神殿奥、始原の地の祭壇の封印を解いた、というわけじゃ。因みにこの地の強い霊力が、宝珠の顕現者にいかなる影響を与えるか不確実な要素もあるので、ノルン殿下には、外でお待ち頂いておる」
ノルン殿下まで協力して下さっているとなると、もしかして僕を助けようと、思った以上に大勢の人々が動いてくれたのかもしれない。
今更ながら、申し訳ない気持ちで一杯になった。
そんな僕の心の内を知る由も無いであろうイクタスさんが、言葉を続けた。
「カケルはこの地で、サツキの別人格に出会いはしなかったかな?」
僕は言葉を返す代わりに、シャナの方に視線を向けた。
シャナが僕に代わって、イクタスさんの問いに答えてくれた。
「この地では、どなたともお会いしておりません。因みにその方は、どういったお方でしょうか?」
「申し訳ござらん。我等が知るのは、この地にそうした存在がいるかもしれない、との情報のみですじゃ」
「そうですか……」
そう言葉を返しつつ、シャナは少し思案顔になった。
イクタスさんが話題を変えてきた。
「ともかくカケルが無事で何よりじゃ。外で待つ皆にも知らせねばならぬ。シャナ殿も、とりあえずは一緒に参りませんか?」
「ありがとうございます。ご一緒させて下さい」
イクタスさんに連れられて、『彼方の地』と外界とを繋ぐ“扉”を潜り抜けた先では、さらに大勢の人々が、僕達を出迎えてくれた。
勇者であるナイアさんやアレル達のパーティー、そしてノルン様、ガスリンさん、さらには、いつも通り(?)に透明になる加護がかかった装備を頭からすっぽり被り、こちらに背を向けているレルムスの姿も。
歓声を上げ、帰還を祝ってくれる皆に感謝の言葉を返していると、突然誰かが胸の中に飛び込んできた。
「メイ!?」
メイは僕の胸元に顔をうずめたまま、小さな子供のように泣き出した。
僕は彼女を優しく抱きしめ、頭を撫ぜながら、そっと囁いた。
「ごめんね。心細い思いをさせちゃって」
メイは僕を信じてくれたからこそ、父である魔王エンリルの陣営を離れた。
あの時、僕はメイを一生かけても守っていくと誓った。
それなのに、16日間――僕の記憶上では――もこの世界を留守にしてしまった。
メイが顔を上げた。
「いいの。カケルがこうして戻って来てくれた。私はそれだけで……」
彼女の顔は少し上気し、その瞳はまだ潤んでいた。
と、メイがふいに目を閉じて背伸びをした。
自然、メイの顔が僕の顔に近付いて来る。
「えっ? えっ?」
戸惑う僕の唇に、メイの唇が重なる寸前、その間に一本の剣が差し込まれた。
あれ?
これって少し前にも同じような事無かったっけ?
僕の思索を遮るように、鋭い声が飛んだ。
「はい、お二人さん、そこまでよ!」
「ハーミル?」
剣を差し込んできたのはハーミルだった。
彼女はそのまま、手際よく僕からメイを引き離すと、メイの方にずいっと顔を近付けた。
「ちょっと、メイ! 今回は仕方ないなって大目に見ていたら、どさくさまぎれに何してんの?」
「チッ」
「今、舌打ちしたよね? したよね?」
「してない。ハーミルこそ、ここで剣を取り出すなんて、もう少し空気を読んで欲しい」
「空気読んだから、剣が出たんですけど?」
僕は二人の会話に思わず噴き出した。
ハーミルが、僕の方をジロリと睨んだ。
「ちょっと! 笑う所じゃないわよ?」
「ごめんごめん。いや、なんか、ハーミルらしいなって」
「それ、どういう意味?」
「長い間、皆に会えなかったからさ。変わらないハーミル見て、ホッとしたっていうか」
「そ、そう?」
賑やかに盛り上がる集団から少し離れた場所に、ジュノは一人立っていた。
手の中には、先程『彼方の地』で拾った“黒い霊晶石”が握りしめられていた。
その“黒い霊晶石”が、ジュノにそっと囁きかけてきた。
―――力が欲しいのであろう? 全てに勝利し、従える力が。ならば私がその望みをかなえてやろう……




