184.焦慮
読者の皆様の頭の中からすっかり忘れ去られている気がしないでもない、ナレタニア帝国での物語(第144話及び第145話)の続きで御座います。
第045日―5
―――帝都
メイはハーミルを追跡していた魔力が途切れた後、再び魔力の感知網を展開してみた。
目標地点は、先程ハーミルが入って行った古民家。
すぐに古民家付近の情景を、もう一度とらえる事に成功した。
そしてそのまま、その古民家を詳しく観察しようとした矢先、再びハーミルがその戸口から姿を現した。
その間、僅か1分足らず。
しかし先程勢いよく中に入って行った時と異なり、ハーミルの表情は暗い。
彼女は足取りも重そうに、帰り道を歩き始めた。
1分にも満たない短い時間の間に、あの古民家の中で何があったのであろうか?
行きの3倍以上も時間をかけてハーミルが帰宅したのを確認したメイは、待ち切れずに彼女の下へ出向いてみた。
そして廊下で、自室に戻ろうとしていた彼女に声を掛けた。
「ハーミル、どこか出かけていたの?」
何か考え事をしていたらしいハーミルは、メイの声にハッとした様子で顔を上げた。
「あ、メ……アル……」
メイが帝都のハーミルの家で匿われている事は、特に皇帝ガイウスには絶対に知られてはいけない秘匿事項になっていた。
そのため、メイは髪の色を白から黒に変え、“アル”という偽名を使用している。
だからメイの自室はともかく、父のキースと彼の世話係として帝国から派遣されている家政婦達の耳に届く範囲では、ハーミルもメイの事を“アル”と呼んでいる。
ともあれ顔を上げたハーミルは、すっかり意気消沈している風に感じられた。
メイはハーミルに探るような視線を向けた。
「何かあった?」
「その……」
ハーミルは何故か、目を逸らし気味に言葉を返してきた。
「……やっぱり後で話すわ」
彼女らしくない歯切れの悪さに、メイの頭を嫌な予感が掠めた。
しかしハーミルはそんなメイに構う様子も見せず、そのままそそくさと自室へと引っ込んでしまった。
後で……と話していたにも関わらず、夕食が終わっても一向に姿を見せないハーミルに業を煮やしたメイは、自分の方からハーミルの部屋へと出向いてみた。
そして扉をノックしながら、声を掛けた。
「……ハーミル?」
ノックと呼びかけを続ける事数回。
ようやく扉が開かれ、ハーミルが顔を見せた。
彼女の表情は暗いまま。
しかも扉の向こうから、本来あるべき灯りが漏れてこない。
どうやら真っ暗な部屋の中で、呆然と過ごしていたようだ。
なんとか部屋に招き入れてもらったメイは、嫌な予感を振り払いつつ、言葉を掛けた。
「どうしたの? 出かけていたみたいだけど……そこで何かあった?」
部屋の隅に腰を下ろしたメイに対して、ハーミルはなおしばらくの間、逡巡する素振りを見せた後、ようやく口を開いた。
「実は……イクタスさん達と会っていたの。それで……」
イクタス達と会ったハーミルは、その場で自分の考え――カケルを救出するため、『彼方の地』への扉を再び開き、今も霊力を保持した状態で存在するであろう、『彼女』の別人格を頼る――を披露した。
しかし……
話を聞き終えたメイは、強いショックを受けた。
「それじゃあ、『彼方の地』へ赴いても、カケルを助ける事は出来そうにないって事?」
ハーミルは言葉を返す事無く、暗い表情のまま俯いてしまった。
メイはフラフラと立ち上がり、ハーミルの部屋を後にした。
そして自室まで戻って来ると、ベッドに倒れ込むように突っ伏した。
記憶喪失の自分を、なにくれと気にかけてくれたカケル。
彼を拉致した自分を責めずに、記憶が戻った事を喜んでくれたカケル。
邪険に突き放したにもかかわらず、自分を助けようと、始原の地の祭壇に乗り込んできてくれたカケル。
罠と分かっていても、マルドゥクの要塞へやって来て、遂に自分を救い出してくれたカケル。
カケル……カケル、カケル!
カケルに対する想いで、胸がいっぱいになっていく。
「カケルに会いたい……」
少し心が落ち着くのを待ってから、メイは改めて考えてみた。
現時点で考え得るカケルを連れ戻す方法……
1.禁呪で連れ去られたのなら、禁呪で奪い返す。
しかし異世界に影響を及ぼせるほどの禁呪を自分は知らない。
禁呪を知る可能性のある父エンリルを含めて、魔族達にも協力を求める事は当然出来ない。
2.霊力を操れる存在の助けを借りる。
カケル以外で霊力を持ち、操れる存在としてはまず、ナブーのあの“人形”が思い浮かぶ。
しかしナブーの“人形”は、カケルに圧倒される程度の力しか振るえない。
それにそもそも“人形”の力を借りるという事は、魔族達に協力を求める事を意味するので、やはり却下。
では、『彼方の地』にいるかもしれないサツキの別人格はどうだろうか?
彼女は本当にイクタス達の言う通り、弱い存在なのだろうか?
父エンリルは、『彼方の地』への扉を開く事にこだわっていた。
それは勿論、自分を“混沌の鍵”とやらに変える事も含めてだとしても、やはり『彼方の地』には、強力な力を保持した“何者か”――魔神なのか、サツキの別人格なのか、それは分からないけれど――が存在する、と確信していたからでは無いだろうか?
ならばその“何者か”の力を借りる事が出来れば……
父エンリル含めて魔族達を頼る事は出来ない。
ノルン他、ナレタニア帝国を頼る事も出来ない。
そしてもはや、ハーミルやイクタス達さえ頼る事は出来ない。
このまま運命の流れが、カケルを自分の下に連れ戻してくれるのを、ただじっと待ち続ける位なら……
メイはベッドから身を起こすと、直ちに詠唱を開始した。
彼女の足元に、凄まじい勢いで複雑な幾何学模様が描き出されていく。
そして輝きに包まれた彼女の身体は、次の瞬間、部屋の中から忽然と消え去った。
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メイの部屋が見える民家の屋根の上に、レルムスが腰かけていた。
いつも通り、彼女は透明化の加護がかかったローブを着込んでいる。
そのため、カケルのような“特殊能力者”を除いて、何者も彼女の存在に気付く事は出来ない。
彼女は、メイの部屋の窓越しに転移の光を確認すると、“事前の打ち合わせ通り”イクタス達に念話を送った。
「メイが……転移……しました」
『やはりか。恐らくハーミルから話を聞いたのであろう。であれば目的地はただ一つ。急いで向かおうぞ』




