175. 湖畔
14日目―――5
シャナの案内で湖畔の道を歩いていくと、村の獣人達が次々と声を掛けてきた。
「シャナ様、おかげさまで、今日も良い魚釣れました。後でお持ちしますね」
「見て下さい、こんなに大きな果物採れました。シャナ様のおかげです」
一方、シャナの方は掛けられる声に、ただニコニコとした笑顔を返すのみ。
どうやら理由は分からないけれど、シャナは、この村では敬意の対象となっているようであった。
歩いて行く内に、僕は見覚えのある看板を見つけた。
僕は先導してくれているシャナに声を掛けた。
「あそこって、ひょっとして雑貨屋かな?」
書かれている文字は分からないけれど、看板の意匠が、あのセイマさんの雑貨屋に掲げられていた物とそっくりだ。
シャナがこちらを振り返り、言葉を返してきた。
「そう。村唯一の雑貨屋。寄ってみたい?」
「お願いしようかな」
僕は今更ながら、懐に入れてあった魔結晶の事を思い出した。
因みに、今日捕らえたイノシシを入れた袋は、シャナを助けるどさくさで、ジャングルの中に置いてきてしまっていた。
扉を開けると、年配の男性の獣人が出迎えてくれた。
「いらっしゃい……って、シャナ様! この前は助かりました。お連れ様は、外の世界の方ですか?」
「そう。外でモンスターに襲われたところを助けてもらった」
店主が驚いたような顔になった、
「モンスターに!? お怪我は、大丈夫でしたか?」
「大丈夫。怪我もこのお方に治してもらった」
シャナが、優しい視線を僕に向けてきた。
心なしか、『彼女』の機嫌が悪くなる。
店主が僕に近付き、ひれ伏さんばかりに頭を下げてきた。
「シャナ様はわしらにとって、かけがえの無い存在。お救い下さいまして、誠にありがとうございます」
「頭を上げて下さい。色々偶然が重なって、たまたま、ですよ」
「何か御入用の物が御座いましたら、お代は結構ですんで、遠慮なく持ってっちゃって下さい!」
「いやそんな、ちゃんとお金払いますよ」
僕は懐から、魔結晶を取り出した。
「あのう……これって買い取りしてもらえますか?」
「是非買わせて頂きましょう! 何なら、相場の10倍で!」
「ホント、普通の取引して頂ければ、それでいいんで」
僕は苦笑した。
結局、魔結晶は銀貨10枚で売れた。
ついでに買いたかった消耗品も、おまけで付けてもらえた。
店を出た僕は、『彼女』に声を掛けた。
「なんか、色々得しちゃったね」
「まあ、カケルの人徳であろう」
僕は少し前にいるシャナに視線を向けながら言葉を返した。
「いやいや、シャナさんのお陰と言うか……」
シャナが微笑みを向けて来た。
「救世主よ、シャナと呼び捨ててもらって構わない」
……僕達のやりとりを聞いている『彼女』の機嫌がさらに悪くなっていく。
『彼女』はシャナを横目で見ながら口を開いた。
「どうもその娘は胡散臭い」
「胡散臭くは無いと思うけど」
「カケルは人が良過ぎる。精霊だの何だの口にしてはいるが、この娘が代行者の命を狙った事実に変わりは無い」
『彼女』はそのまま、シャナに問い掛けた。
「お前は何故、この村でこんなにも慕われているのだ? 精霊とやらは、何か魅了の邪法でも心得ているのか?」
「魅了の邪法を心得ているのは女神の方。私はそのような術、たとえ知っていたとしても決して使わない」
『彼女』が、やや感情を高ぶらせた。
「主が邪法を心得ているだと? 不遜も甚だしい!」
しかしシャナの方は、静かに言葉を返してきた。
「……守護者よ。救世主の為に命を投げ出そうと決意しているあなたにさえ、そう言わせるのがあの女神。女神はこの世界の理を書き換え、人々を魂の牢獄に繋いでいる。それこそ邪法と呼ぶべき力」
「何を根拠に、そのような事を!」
「それも踏まえて、私は世界の真実を語るつもり」
やがて前方に木々に囲まれた小さな小屋が見えてきた。
シャナがその小屋を指差した。
「あれが今の私の家」
午後の柔らかい日差しの中、僕達はシャナの家に到着した。
シャナの家は小さいけれど、丸木を丁寧に組み上げた、ロッジ風の一軒家であった。
「村人達が私の為に建ててくれた。居心地の良い私の場所」
シャナはそう話すと、僕達を家の中に案内してくれた。
内部はベッドが置かれた居間と、炊事等をするのであろう、土間のような場所に分かれていた。
その間取りを見て、僕は心の中に浮かんだ疑問を口にしてみた。
「精霊って、睡眠とか飲食って必須なの?」
シャナは一瞬キョトンとした後、すぐに微笑んだ。
「私は精霊だけど実体化している。実体化している以上、この世界の理に従わないと、この身体を維持出来ない」
「ごめんね、変な事聞いちゃって」
隣で家の中をキョロキョロ見回している『彼女』が、飲食睡眠必須ではない事から、思わず精霊も? と考えてしまったのだが、どうやら守護者が特殊なだけらしい。
「構わない。さあ、座って」
僕と『彼女』が用意された椅子に腰かけると、シャナが紅茶を出してくれた。
僕がそれに口を付けようとすると、『彼女』が声を掛けてきた。
「待て、カケル。得体の知れない精霊の出した飲み物だ。飲まない方が良いのでは無いだろうか?」
『彼女』が警戒心丸出しで、紅茶を見つめている。
「大丈夫だと思うけど……僕達に何かして、シャナさんに得があるとも思えないし」
「救世主、シャナと呼び捨てて構わない」
「私は飲まない。カケルが飲みたいなら、好きにすると良い」
『彼女』は拗ねたように、そっぽを向いてしまった。
僕は苦笑したまま、その紅茶を一口飲んでみて……驚いた。
「美味しい!」
シャナの出してくれた紅茶は、お世辞抜きで美味しかった。
ナレタニア帝国の皇帝ガイウスの居室で飲ませて貰った紅茶も美味しかったけれど、この味はレベルが違う。
シャナも紅茶を飲みながら笑顔を見せた。
「喜んでもらえて良かった。これも精霊達のお陰。それに、この村は女神の影響下に無いから、採れる食材は、全て生命力に満ち溢れている」
「どういう意味?」
「女神に生命力を吸われていないから、紅茶も美味しくなる」
僕とシャナのやりとりを不愉快そうに聞いていた『彼女』が、口を挟んできた。
「さっきから、主が魅了の邪法を使うだの、生命力を吸うだの、妄言を並べ立てるのはよせ」
「妄言ではない。今から説明する」
シャナはそう話すと、居住まいを正した。
そして驚くべき事を語りだした。
原初、この世界には精霊達のみが存在した。
ある時、異界から女神が現れ、この世界を奪ってしまった。
女神は奪ったこの世界の理を書き換えた。
形ある物のみが、世界に干渉できるように。
結果、形無き精霊達は、この世界に一切干渉出来なくなった。
存在するのに、この世界に干渉出来なくなった精霊達は、生きながらにして亡者にされてしまった。
しかしこのままでは、形を持たなかった女神も、この世界に干渉出来なくなる。
手に入れた世界で自在に力を振るうため、女神は実体化した。
代償として、この世界が元々持つ理――女神が書き換える事の出来なかった理――に縛られ、力が著しく制限された。
解決策として、女神は形ある生きとし生ける全ての命を創造した。
人やモンスター、地を這う獣、空を飛ぶ鳥、海を泳ぐ魚……
そしてそれらの持つ生命力を吸い上げる事で、力を維持しようと考えた。
特に人の強い感情や想いは、女神の力――霊力――を高める事に役立った。
女神の影響下、この世界の全ての存在は、日々生命力を奪われ、自身の喜びや悲しみを抑制され、ただ、女神に盲目的な信仰を捧げる事で、女神自身の力の維持に寄与するだけの存在へと貶められている……
「これがこの世界の真実。だから私は、この世界を魂の牢獄と呼んでいる」




