169. 逃避
12日目―――6
「カケル、ここにはもう守護者はいない」
『彼女』の言葉を受けて、改めて周囲を見渡すと、白く綺麗な砂浜が広がっていた。
十数m先は波打ち際になっており、穏やかな波が打ち寄せていた。
視界の先に広がる海は、夕日に照らされて茜色に染まっていた。
とにかく、どう見てもヨーデの街の郊外とは無関係そうな場所だ。
戸惑っていると、『彼女』が頭を下げてきた。
「すまない。カケルと守護者達とを戦わせるわけにはいかなかったのだ。だから……」
『彼女』は僕が気を失っていた間の出来事について説明し始めた。
話し終えた『彼女』は俯いて、ポツリと呟いた。
「いずれにせよ、これで主が私達の話をお聞き下さる可能性は無くなった」
僕も返す言葉が見つからず、しばらく僕達の間に、重苦しい沈黙が続いた。
先にその沈黙を破ったのは、『彼女』だった。
「ここは神都から南に何千kmも離れている。近くには大きな街も無い」
『彼女』は一旦言葉を切り、僕の反応を窺うような仕草を見せた。
「ここで……二人で暮らさぬか? 神都に近付かなければ、主も或いはお見逃し下さるかも……」
「それは……」
……ごめん、僕には救わないといけない女の子と、帰らなきゃいけない世界があるんだ。
しかし僕は、その言葉を途中で飲み込んだ。
『彼女』が縋るような眼で僕を見つめていた。
『彼女』の顔は、不安で圧し潰されそうになっていた。
『彼女』はあの女神に創造され、女神の意思に従って行動してきた。
僕に出会わなければ、今でも『彼女』は神都で仲間達と共に、何の疑問も抱くこと無く、女神のために職務遂行に励んでいたはずだ。
僕と出会ってしまったがゆえに、『彼女』は僕のためなら、相手が女神であっても戦うと宣言した。
僕と出会ってしまったがゆえに、『彼女』は女神の意思に反して、仲間であるはずの守護者達と戦う事になってしまった。
僕と出会ってしまったがゆえに、『彼女』は……
僕はそっと『彼女』を抱きしめた。
腕の中で、『彼女』は身を固くして、僕の返事を待っていた。
だから僕は、『彼女』の望む言葉を返した。
「そうだね。それも良いかもしれないね」
腕の中の『彼女』の身体から力が抜けた。
夕闇の迫る中、僕達は海岸沿いで、乾いた葉っぱや枝を拾い集めた。
それを少し小高い所に生えているヤシの木の根元に敷き詰めると、即席のベッドが出来上がった。
「今夜はこれで我慢しようか。明日の朝、明るくなったら、後ろの林に入って、もう少し材料集めをしてみよう。もしかしたら、家みたいなの作れるかもしれないし」
「カケルは霊力で家を創造したりは出来ないのか? ほら、マーバの村の時みたいに」
「う~ん、実はさっき試してみたんだけど、やっぱり、何もない場所にぽんって家を創り出しちゃうのは、どうも無理っぽいんだよね。霊力は普通に展開出来るんだけど……」
即席ベッドの脇に、『彼女』と並んで腰を下ろした僕は苦笑した。
「まあ、私は家があっても無くても構わない。カケルが傍にいてくれれば、それが私の幸せだ」
『彼女』は言葉通りの幸せそうな顔でそう話すと、そっと僕の肩に頭を乗せてきた。
僕達は身を寄せ合うようにして、即席ベッドの中に潜り込んだ。
『彼女』の体温を直接肌に感じながら、僕はそっと空を見上げた。
満天の星空が広がっていた。
「そう言えばこの世界に来て、ちゃんと夜空を見上げたのって、これが初めてかもな……」
僕の胸に顔をうずめたままの『彼女』が寝息を立て始めた後も、僕は飽きることなく、その星空を眺め続けていた。
13日目―――1
翌朝、僕は顔にかかる日差しの眩しさに目を覚ました。
ふと隣に視線を移すと、『彼女』の姿が無い。
どうしたんだろう。
僕の為に飲める水とか食材とか探しに行ってくれている、とか?
僕は寝ころんだまま伸びをした後、立ち上がった。
昨日同様、視界の中、砂浜はどこまでも白く美しかった。
さらにその先には、朝日を受けて輝かくコバルトブルーブルーの海が広がっていた。
背後に目を向けると、砂浜は十数m先で終わり、その向こうは熱帯の植物が疎らに茂る林に続いていた。
平和な風景を眺めていると、昨日までの緊張感に満ちた日々が、遠い過去のように思えてきた。
しばらく、ぼーっと周りの景色を眺めていたけれど、『彼女』は戻ってこない。
まさか気が変わって、一人で女神に直談判に行ったとか……
急に心配になってきた僕は霊力を展開して、周囲の感知を試みた。
50m、100m、150m……
徐々に霊力の感知網を広げていくと、背後の林の奥で『彼女』を“発見”し……って、わわっ!?
僕は慌てて霊力の展開を中止した。
林の奥に、小さく綺麗な泉が湧き出していた。
『彼女』はそこで水浴びをしていた。
当然僕は、一糸まとわぬ彼女の美しい身体を、まともに“見て”しまったわけで……
顔が自然と紅潮し、心臓の鼓動が早くなる。
落ち着け、これは不可抗力。
『彼女』にも気付かれていないはず。
そう自分に言い聞かせて、少し落ち着いてきた所で、とりあえず食材集めをする事にした。
服を脱ぎ、目の前の海に入った僕は、霊力を展開した。
周囲を優雅に泳ぐ熱帯魚や、岩陰に潜むタコが“見えた”。
僕は霊力を使用して、“見えた”魚やタコを昏倒させようと試みた。
「よし!」
一瞬にして、失神した魚やタコが数匹、海面に浮かび上がってきた。
僕はそれらを捕らえて、浜辺に戻った。
とりあえず、焼いてみようかな……
僕は砂浜の一角に穴を掘った。
そして昨夜の即席ベッドに敷きつめていた乾いた葉っぱや枝を、その穴の上に並べてみた。
後は火をどうするか、だけど……
当然、道具も無く。魔法も使えない僕が試してみる事とすれば、霊力で火を付ける事。
そしてそれはいとも簡単に成功してしまった。
乾いた葉っぱや枝が、パチパチと音を立てて燃え上がった。
「霊力って凄いな。これなら、どこで遭難しても生きいけそう」
僕が串刺しにした魚やタコを焚火で炙っていると、ふいに後ろから声を掛けられた。
「カケル、おはよう」
振り返ると、いつの間にか『彼女』が戻って来ていた。
『彼女』の濡れた綺麗な髪が、日の光でキラキラ輝いている。
先程、『彼女』の美しい身体を“盗み見”してしまった事が思い出され、自然に顔が赤くなった。
僕は心の中の動揺を出来るだけ押し隠し、努めて冷静な態度で『彼女』に挨拶を返した。
「お、おはよう。どこに行っていたの?」
「? どこって、水浴びをしてきた。さっき“見た”ではないか」
「えっ!?」
僕は絶句してしまった。
もしかして……?
僕の悪い予感を、『彼女』の言葉が的中させてくれた。
「用心に越した事は無いからな。一応、水浴び中も霊力を展開しておいたのだ。そしたらカケルが、霊力で私を“見た”のが感知出来た」
「わわっ!? そ、それは、その、あの……アチッ!」
動揺のあまり、手に持っていた焼き魚を思わず地面に落としてしまった。
しかも慌てて拾い上げようとして、指を軽くやけどするおまけまでついてきた。
「どうしたのだ?」
『彼女』が怪訝そうな顔をした。
観念した僕は、とりあえず土下座した。
「いや、あの……ごめん!」
しかし『彼女』は、当惑した雰囲気になった。
「急に謝られても……私がいない間に、何かしたのか?」
「いや、その……でも、あれは、君が急にいなくなるから……」
完全にしどろもどろになってしまった僕をしばらく観察していた『彼女』が、頬を緩めた。
「ああ、私の水浴びを“見て”しまった事を謝っているのだな?」
「う、うん。悪気は無かったんだ」
「別に構わないのに」
「えっ?」
「前にも話したと思うが、カケルになら見られても構わないぞ?」
悪戯っぽい笑みを浮かべる『彼女』の言葉に、僕はますます赤くなった。
「もしかして、君って、服脱ぐことに抵抗無いとか?」
『彼女』は守護者だ。
一般の人間と価値観が異なっていても不思議ではない。
「そんな事は無い。相手が例え同じ守護者同士であっても、異性の前に肌を晒すなど有り得ぬ」
「そ、そうなんだ」
「しかしカケルは特別だ。それに一緒に暮らすのだから……その……その内きっと……」
「その内きっと……?」
「その先を女の私の口から言わせるのか? カケルは意外と意地悪だな」
『彼女』が、耳まで真っ赤になって、上目遣いで僕を睨んできた。
彼女が言わんとしている事を何となく理解できた僕は、慌てて話題の転換を図った。
「そうだ、お腹空いてない? 魚、いっぱい捕まえたんだ」
「知っての通り、私は飲食不要だ」
「じゃあさ、ちょっと待っていて。これ食べたら、林の中を色々調べてみようよ。家を建てられる場所とか材料、手に入るかもしれないし」




