153. 微笑
8日目―――5
夜、僕は獣人達の洞窟の隅で横になっていた。
『彼女』は僕のすぐ傍で、洞窟の壁にもたれかかるように座っている。
不幸中の幸いと言うべきか、何名か怪我人は出たものの、いずれも軽傷で、今日のキマイラ騒ぎで犠牲になった獣人はいなかった。
しかし10mを超える巨大モンスターが暴れ回ったせいで、獣人達の住まいは軒並み壊滅状態になっていた。
守護者である『彼女』が説明してくれたからであろう。
セリエの祖父、ゼラムさん含め、皆、僕達に感謝の言葉を述べてきた。
そして誰一人として、僕達を責めたり非難したりはしてこなかった。
しかしそれが、なおさら僕をいたたまれない気持ちに追い込んだ事は否めない。
僕は夜遅くまで瓦礫の片づけに追われる獣人達を手伝った後、こうしてここで夜を明かす事にしたのだ。
僕は横になったまま、『彼女』に声を掛けた。
「その……セリエやキマイラの事、説明してくれて有り難う」
彼女は少し驚いたような顔になった後、すぐに微笑んだ。
「なんだ、藪から棒に。まあ、お前は感情的になっていたからな。それに、守護者である私が説明した方が、話も通りやすいと思っただけだ」
「それにしても、結構、話を端折っていたよね? キマイラの下りとか」
「別に嘘はついていない。主に命じられた通り、あの空間から脱出しようとしたら、キマイラがいたので戦いになった。そして壁に穴が開いて、その先にこの獣人達の村があった。それだけだ。それに長々と事情を話しても、相手を混乱させるだけだ」
しばらくの沈黙の後、僕は再び『彼女』に声を掛けた。
「あのさ、神都に行くんだよね?」
『彼女』は夕方、ゼラムさんに、セリエを生き返らせて欲しい、と女神に直談判してみると話していた。
「そうなるな」
「その……僕も一緒に行ってもいいかな?」
『彼女』は優しい微笑みのまま、言葉を返してきた。
「それはもちろん。というか、お前が付いてきてくれないと話は始まらないぞ。主がセリエを復活させて下さったら、あの獣人の娘をここへ送り届けるのはお前の役割のはずだ」
「……神都にはどうやって行こうか?」
「お前の今の霊力では、転移の扉を開く事は難しいのだろ? ならば歩いて向かうしかあるまい」
「やっぱりそうなるよね。お互い、キマイラの時みたいに、また霊力を使えるようになったら話は早いかもだけど」
「霊力か……」
『彼女』は少し考える素振りを見せた後、言葉を続けた。
「話は変わるが、キマイラを斃せるだけの霊力が展開出来るようになった時、何かきっかけのようなものに心当たりは無いか?」
「きっかけ?」
問われて僕は、改めてあの不可思議な感覚を思い出した。
「そう言えば、関係あるのかどうかが不明なんだけど、あの時、この村の獣人達の“想い”みたいなのが、僕に流れ込んでくるのを感じたよ。それと同時に、急に強力な霊力を展開出来るようになって、光球が顕現出来たって感じかな」
「そうか……」
『彼女』が何故か難しい顔になり、そのまま押し黙ってしまった。
しばらく待ってから、僕は声を掛けてみた。
「何か気になる事でも?」
『彼女』がハッとしたような顔になった。
「すまない。少し考え事をしていた」
「考え事?」
「霊力の本質についてだ。私が急に霊力を使えるようになった時、主が我等の窮状を憐れんで、一時的に制限を解除して下さったのかも、と話したのを覚えているか?」
僕は黙って頷いた。
「だが、もしそうだとすると、少しおかしな話になると思ってな」
それはそうだろう。
僕の個人的な印象だけど、そんな慈悲の心を持っていれば、セリエを問答無用で殺したりしないはずだ。
しかし『彼女』は僕とは違う切り口で、“おかしな話”と感じた理由を説明してくれた。
「もし主が我等の霊力に制限を掛けているとして、私はともかく、冥府の災厄と呼んでいたはずのお前の霊力に対する制限を、一時的だとしても、解除する理由が分からない」
まあ、それも女神の気まぐれって言葉で片付けられるかもしれないけれど。
そんな事を考えていると、『彼女』が僕を真っすぐに見つめてきている事に気が付いた。
急に気恥ずかしさを覚えた僕は、とりあえず『彼女』に声を掛けた。
「え~と……顔に何か付いている……とか?」
『彼女』が優しい表情になった。
「もしかすると、霊力の本質は強い“想い”にあるのかもな」
「強い“想い”?」
「そうだ。キマイラの攻撃を受けて、お前の半身が吹き飛ばされたのを見た時、私の心の中はお前に対する“想い”で一杯になった。カケルを失いたくない。カケルは必ず救って見せる、と」
ふいに、無意識の内にジャイアントアネモネを斃していた時の事を思い出した。
あの時の僕の心を埋め尽くしていたのも、今、彼女が口にしたのと同じ強い“想い”では無かっただろうか?
「不思議なものだ。どうやらつい数日前には、倒すべき冥府の災厄と思っていた相手が、今の私にとっては、かけがえのない存在になってしまったらしい」
『彼女』はそう話すと、少し頬を染めてにっこり微笑んだ。
9日目―――1
翌朝、僕と『彼女』は獣人達に別れを告げ、日の出の頃合いには洞窟を出て、神都に向けて出立した。
まず目指すのは、マーバの村。
『彼女』の先導で、道なき道を進んでいくと、否が応でも、6日前、同じ道を一緒に歩いたセリエの事が思い出された。
彼女とは、1週間近く一緒に過ごした。
それが3日前に、あんな事になってしまって……
「あっ!」
急に声を上げたからだろう。
少し先を行く『彼女』が、訝しげな表情でこちらを振り向いた。
「どうした、カケル?」
「セリエの身体……消えたよね?」
僕にとって、思い出したくもないセリエの死。
今の今まで、あの瞬間の出来事から目を背け続けてきたけれど、今思い返すと、不可解な事が起こったはず。
確かあの時、謎の囁き声が聞こえたと同時に、彼女の身体は、いずこかへと消え去った。
「君の神様が持って行った……ってわけじゃ無いよね?」
「セリエの遺体を持ち去ったのは、主ではない。主は、ネズミが持ち去ったとお考えであった」
「ネズミ?」
「実は最近、主の御心を痛めるような不可解な事件が、いくつか起こっていた。それら全てに関与していると思われる正体不明の存在の事を、主はネズミとお呼びであった」
「具体的には、どんな事が起こっていたの?」
「冥府より“獣”が這い出してきたり、いくつかの神器が、所在不明になったりしている。“獣”は、私と他の守護者達とで討伐に向かったのだが、止めを刺す前に逃げられてしまった。神器については、代行者の話によれば、盗み出された可能性があるらしい」
「神器って?」
「主が創造なさった道具の事で、私の腕輪もその一つだ。いずれも奇跡の力が込められている」
「そんな凄そうな道具、あの神様から盗み出せるネズミって何者なんだろう」
「見当もつかぬ。仲間の守護者ガンマが調査を任されていたが、はかばかしい成果は上がっていないと聞いている」
『彼女』の話を聞いて、僕は少し考え込んでしまった。
あの時、急に囁き声が聞こえたかと思った瞬間、セリエの身体が忽然と消え去った。
と言う事は、あの囁き声の主が、女神の言う所のネズミなのだろうか?
今思い返すと、あの囁き声、前の世界でハイエルフのロデラやミーシアさんが使っていた精霊魔法と同じような感じで耳元に届けられていた。
「ねえ、精霊魔法って知っている?」
しかし『彼女』が怪訝そうな顔になった。
「せいれ……? 何だそれは?」
「僕が前いた世界では、一部のハイエルフって呼ばれる人々が使用していたんだけど……」
僕は精霊魔法について、知る限りの事を話してみた。
しかしやはり『彼女』は首を傾げている。
どうやらこの世界には、精霊魔法という言葉以前に、“精霊”という概念そのものが存在しないようだ。
僕はあの時の囁き声を、もう一度詳しく思い出してみた。
―――力を正しく使えば、セリエを助けられる……
そういう内容の話をしてなかったか?
“力”が、霊力を指すとしたら……
僕は『彼女』に聞いてみた。
「霊力って、死んだ人を復活させたり出来るの?」




