15.帝国
第003日―3
「陛下、ただ今帰還いたしました」
ノルンが片膝をつき、臣礼を取った。
彼女の前に立つのは、長身痩躯の壮年男性――ナレタニア帝国第二十代皇帝ガイウス。
彼は、優しい眼差しを自分の娘に向けながら、声をかけた。
「堅苦しい礼は無用ぞ。ここには予とそなたしかおらぬわ」
声に促され、ノルンは立ち上がった。
ナレタニア帝国の帝都中心部に位置する帝城の一角、皇帝の居室で、一組の親子が対面していた。
約400年前に建国されたこの帝国は、数多の王国、共和国を従え、今やこの大陸の人間達を完全統一するまでに発展していた。
直轄の領域には、あのリュート公もその一人である、多くの知事達が中央より派遣され、主要な都市や施設等に設置された転移の魔法陣と共に、帝国の統一を強固に支えていた。
「宗廟の調査、ご苦労であった。帰途、襲撃にあったと聞き、気を揉んでおったぞ」
「ご心配をおかけして、申し訳ございません」
「よい、そなたが無事なればこそじゃ」
頭を下げる娘を軽く手で制してガイウスは言葉を繋いだ。
「して、あの報告は真実であったのか?」
数日前、ガイウスの元に一つの知らせがもたらされた。
宗廟――帝国代々の皇祖皇族が祀られるその施設――での異変についてである。
何者かが結界を破って宗廟に侵入し、『儀式』を行ったというのだ。
祭壇で『儀式』を行う事自体には特に危険はないはずだ。
元々毎年行われており、宝珠を受け継ぐ皇女が禊を行い、祭壇に宝珠を捧げ、先帝達の遺徳を偲ぶ、といった儀礼的な意味合い以上の意義は無い。
しかし、『儀式』を行うには、宝珠が不可欠であった。
現在のところ、複数の女性皇族の内で、確認されている宝珠の所持者は、ノルンただ一人。
彼女は『儀式』が、行われたとされる日、終日、帝都で政務に当たっていた。
報告が事実とすれば、ノルンではない何者かが、宝珠を祭壇に捧げたという事になる。
一体、誰が何のために?
事態を重く見たガイウスは、その件に関して緘口令を敷き、内密に調査するようノルンに命じていたのである。
「『儀式』は確かに行われた形跡がありました。私の所持する青の宝珠とは違う宝珠の残滓を、祭壇に感じ取りました」
ノルンのもたらした調査結果はガイウスに衝撃を与えた。
第二の宝珠を所持する者が外部にいる!
それは、帝国の根本を揺るがしかねない調査結果であった。
「一応、他の女性皇族達の動向もそれとなく調べさせたが、報告のあった日に、宗廟を訪れておる者はいなかった」
そう語るガイウスの表情は険しかった。
「……父上、もしや私の妹がどこかで生きている……そういう可能性は無いのでしょうか?」
「16年前の出来事か? あの時、そなたの母は難産の末、母子ともに死亡した」
ガイウスは吐き捨てるように答えた。
16年前、ガイウスの妻であり、ノルンの母であり、ナルタニア帝国皇后であったディースは、ノルンの妹を産み落とすことが出来ず、母子ともに死亡した……という事になっていた。
当時まだ3歳であったノルンは、葬儀の際、母の遺骸に縋りついて泣いた微かな記憶が残っている。
が、本当に母と妹は、難産が原因で命を落としたのであろうか?
その疑問を裏付けるように、直後からまことしやかに囁かれる噂があった。
曰く、ディースの遺体には、背中に大きな切り傷があった、と。
曰く、産み落とされた赤子は死んでおらず、何者かにかどわかされた(※さらわれた)、と。
ガイウスは何故かディースとその死産とされる赤子の話題を以後口にしたがらず、それは少女時代のノルンやその兄テミスにも、暗い影を落としていた。
「現状では情報が少なすぎるな……」
ガイウスは一人呟いた。
「とにかくご苦労であった、予の方でも、もう少し調べてみる故、ノルンもこの件は隠密に調査を続けてくれ」
「かしこまりました」
「ところで襲撃を受けた時、モンスター共は何か申してはおらなんだか?」
「指揮官と思われる高位のモンスターが、私から宝珠を奪おうとしておりました」
「宝珠を? 魔物が宝珠を奪ってなんとする?」
「私にも分かりません。ただ、私を護ってリュート公の付けてくれた護衛達がっ!」
その時の事を思い出したのか、ノルンが唇を噛みしめた。
「彼らの遺族には手厚く報いる故、気に病むな。それと、通りがかりの冒険者達が、そなたを救ってくれたとか?」
「はい、カケルとメイと申す者達です。彼等がいなければ、私とて、今こうして父上とお話し出来ていたかどうか……」
「そうか、ならば厚く報いねばならぬな。恩賞に関しては追って沙汰しよう。今日は疲れたであろう。下がって休むが良いぞ」
ノルンが退出した後、居室で一人になったガイウスは、ゆっくりと窓辺に近づき、眼下の繁栄する帝都の風景に目をやった。
「愚かなディースよ。予を裏切り不義の子を宿し、死してなお、こうして予の心をかき乱すか」
ガイウスの瞳に宿った暗い炎は、いつまでもくすぶり続けていた。
――◇―――◇―――◇――
「よし。これで準備は一応終了だな」
ガスリンさんが、真新しい装備を着用した僕とメイを眺めながら、満足そうに頷いた。
ガスリンさんの見立てで、僕はミスリル銀の軽装鎧に、魔力の付与された長剣といった戦士スタイル、
メイは紺色の、これも魔力の付与されたローブに、先に水晶の付いた杖といった魔法使いスタイルに、
それぞれコーディネートしてもらった。
幸い、昨日手に入れた魔結晶を換金したので、お金にはまだまだ余裕がある。
「あとは、明日の依頼を受けに行くか」
僕達は連れ立って冒険者ギルドに向かった。
日もそろそろ傾く頃だというのに、掲示板の前には相変わらず人だかりが出来ていた。
「討伐系、それも中級位のモンスターが良いな……」
ガスリンさんが熱心に掲示板を眺めている。
中級?
そういや、初日にいきなり襲ってきたあの巨大イノシシも、討伐対象だったような……
まるで僕の嫌な予感を無理矢理的中させるかの如く、ガスリンさんが、依頼の一つを指差した。
「よし、グレートボア5匹討伐で銀貨20枚、これが良いだろう」
僕はとりあえず、確認してみた。
「グレートボアって、もしかして巨大なイノシシですよね?」
「もしかしなくても巨大なイノシシだぞ。肉がまた旨いんだ」
「……僕とメイには、荷が重すぎないですか?」
返ってくる答えはほぼ分かっていたけれど、一応聞いてみた。
「心配するな、わしとイクタスがついているんだ。それにこれ位のモンスターの方が、カケルもメイも一撃では倒せんから、色々練習できるぞ。死なない程度の訓練相手としては、最適だ」
「はぁ。くれぐれも、死ぬ大分手前程度で、宜しくお願いします」
僕達は、受付のミーシアさんに、明日の依頼内容を伝えた。
彼女と軽く談笑した後、ガスリンさんは寄りたい所がある、との事で、僕とメイだけ、先に『宿屋タイクス』に戻ることになった。
冒険者ギルドから宿屋までは、歩いて10分程度。
何気ない会話を交わしながら宿屋に向かう途上、ふとメイの足が止まった。
「メイ?」
彼女は、道端に品物を広げる露天商の前にしゃがみ込んで、食い入るように商品を見つめだした。
どうやら、髪留めを見ているらしい。
やっぱり女の子だし、記憶が無くても、こういうのには関心が向くのだろうか?
「すみません。これ、一つください」
僕はメイが見つめていた髪留めを指して、店主のおじさんに声を掛けた。
おじさんに料金を支払い、受け取った髪留めをメイの髪にさしてあげようとして……
僕はメイの右の側頭部に、髪が薄くなっている部分を発見した。
まるで円形脱毛症のような?
しかし、まさかメイに“10円ハゲみ~つけた”なんて話題を触れるわけもなく……
僕は見なかった事にして、買ったばかりの髪留めを、メイの髪のちょうどその部分に付けてあげた。
「これ欲しかったんでしょ? はい、プレゼント」
メイは驚いたような顔をしていたが、その顔が見る見る赤く染まって行く。
「アリガト」
メイは嬉しそうに自身の頭に手をやって、何度も何度も髪留めを触っていた。




