146. 数字
6日目―――6
「君の神様は、君に死ねって言ってないだろ? 勝手に死んだら、それこそ神様の命令に違反した事になるんじゃないの?」
僕の言葉を聞いた『彼女』の剣を持つ手の力が緩んだ。
代わりに、不安そうな瞳で僕を見上げて来た。
「し、しかし……進退窮まっているでは無いか。どうしろと……」
「出口は無いけど、向こうの突き当りに変なレリーフがあったんだ。もしかしたら、ここを出る手掛かりかも」
『彼女』が落ち着くのを待って、僕は改めて、自分が調べたこの場所の状況について説明した。
「……というわけで、何かの数字を答えろって言われたんだけど、心当たりある?」
しかし『彼女』は首を傾げた。
「数字? この場所に設置されている物である以上、この場所に関連した何かだとは思うが……」
まあ、見せた方が早いかな。
「とにかく、一緒に来て」
僕は『彼女』を案内して、あのレリーフの所に戻った。
そして再度手を触れてみた。
先程と同様、レリーフが口を開いた。
『汝に問う。次の数字は?』
その状態で、『彼女』に視線を向けてみたけれど、『彼女』は相変わらず首を傾げるだけ。
仕方ない。
今のところ、ここから脱出? 出来そうな手掛かりと言えば、このレリーフだけだ。
鬼が出るか蛇が出るか……とりあえず適当に答えてみよう。
「じゃあ、2で」
ここが一つ目の場所なら、次が二つ目では無いだろうか?
そういう単純な発想だったのだけど……
レリーフが突如閃光を発した。
そして、いきなり周囲の情景が切り替わった。
先程まではむき出しの岩肌であった壁や天井に、素焼きのレンガが敷き詰められているのが目に飛び込んできた。
またも別の空間に転移させられた!?
僕は腰の剣を抜いた。
隣りで、『彼女』も剣を抜くのが見えた。
そのまま周囲に視線を向けたけれど、怪しい気配は感じられない。
霊力による感知も試みたけれど、少なくとも周囲50m程の範囲内に、モンスターは存在しないようであった。
僕は『彼女』にそっと声を掛けた。
「正解……だったのかな?」
「まだ油断は出来ぬ」
その時、僕はすぐ足元に、意外な品々が並べられている事に気が付いた。
「水と食料……?」
誰かが事前に用意してあったかのように、水が並々とつがれた水差しと、黒い固焼きパン、そしてフルーツが床に並べられていた。
「え~と、どうなっているんだろ?」
「気をつけろ、何かの罠かもしれぬ」
僕はそおっと屈んで、黒い固焼きパンを手に取ってみた。
長さ30cm位の、何の変哲も無いパンに見える。
見ている内に、今更ながら、お腹が空いている事に気が付いた。
今朝は夜明け前に起きてから、今まで何も口にしていない。
僕は一応、隣から僕の手の中の固焼きパンを覗き込んできている『彼女』に聞いてみた。
「君はお腹、空いてない?」
『彼女』は、やや不貞腐れた感じで言葉を返してきた。
「守護者は飲食不要だ。もし食べたいなら、私に構わず好きにしろ。お前は霊力を持っているのだから、毒が仕込まれていても、死んだりはせんだろう」
僕はふと、400年前の世界で出会った『彼女』の事を思い出した。
目の前の『彼女』と同じ“守護者”の肩書を持つ『彼女』も、“守護者”は飲食不要って話していたっけ?
ただし『彼女』は、目の前の『彼女』とは違い、最初は飲食の概念すら知らなかったけれど。
同じ肩書、同じ顔、同じ声……
知らず知らずのうちに、目の前の『彼女』と『彼女』とを重ね合わせている自分に、思わず苦笑してしまった。
「とりあえず、一休みしよう」
『彼女』にそう声を掛けた僕は、少しだけ躊躇した後、その出所不明の飲食物を口にした。
意外と美味しい。
食べ終わると、急に眠くなってきた。
ずっと洞窟の中ばかりだったけれど、今何時頃だろう?
まあとにかく、少し……休んで……
やがて睡魔に負けた僕は、夢の世界へと誘われて行った。
7日目―――1
……
…………
……ぼんやりと目が覚めてきた。
見上げる天井には、素焼きのレンガみたいなブロックが綺麗に嵌め込まれて……
って、あれ?
しまった!
僕はまだ、自分が謎のダンジョンの中にいる事を思い出して飛び起きた。
慌てて周囲に視線を向けてみたけれど、眠る前と状況に変化は見られないようだ。
そして少し離れた壁に、『彼女』がもたれかかっている事に気が付いた。
僕が目を覚ました事に気付いたらしい『彼女』が、こちらに近付いて来た。
僕は少しバツの悪さを感じながら、『彼女』に声を掛けた。
「ごめん。知らない間に眠ってしまっていたみたいだ」
『彼女』は僕を一瞥した後、口を開いた。
「お前が眠っている間に、ここの状況を調べておいた。モンスターの姿は見当たらないが、ここも出口の無い閉鎖空間だ。ただし向こうの壁に、先程の場所にあったのと同じようなレリーフが彫られている」
僕は『彼女』の案内で、そのレリーフが彫られている場所に向かった。
『汝に問う。次の数字は?』
彼女が案内してくれた場所の壁に彫られたレリーフは、また数字を聞いてきた。
さっき、“2”と答えたから……
僕は特に捻ることなく、そのまま素直に答えてみた。
「3」
レリーフが閃光を発し、僕と『彼女』は、今度は板張りの構造物の中へと転移させられていた。
慌てて剣を構え、霊力を展開してみると、先程の空間とは違い、モンスターが1体、接近して来る事に気が付いた。
隣に立ち、僕と同じく剣を構える『彼女』に囁いた。
「巨大な蜘蛛みたいな化け物がこっちに接近してきている」
数秒後、通路の向こうから、モンスターが姿を現した。
その体躯は、最初に戦ったファイアーアントを上回っていた。
「キラースパイダー!」
そう叫んだ『彼女』は剣を構え直し、モンスターに向かって突撃した。
僕も慌てて続いた。
「僕があいつを牽制するから、隙を見て背後から攻撃して」
走りながら『彼女』にそう声をかけ、僕は霊力の盾を展開した。
と、キラースパイダーが、腹部の先端をこちらに向けて、糸を噴きかけてきた。
『彼女』は軽い身のこなしでそれを回避した。
そして僕はそのまま、霊力の盾での防御を試みた。
しかし……
あれ?
なんと僕は、霊力の盾ごと糸に絡め取られてしまった。
纏わりついてくる糸を、懸命に切断しようと試みたけれど、展開出来る霊力が微弱過ぎるのか、僕の剣が糸を断ち切るのに十分な攻撃力を持っていないのか、とにかく全くうまくいかない。
そうこうしている内に、僕はついに身動きが取れなくなってしまった。
キラースパイダーが、滑るように近付いてくるのが見えた。
そしてその牙が大きく開かれ、牙の先端から滴る毒液がはっきり見えて……
やられる!
身構えた僕の視界の中、『彼女』がキラースパイダーの背後からその背中に飛び乗るのが見えた。
そして『彼女』はその胸部に剣を深々と突き刺した。
―――ギィィィィ!
キラースパイダーが絶叫を上げ、やがて崩れ落ちた。
素早く地面に降り立った『彼女』が、キラースパイダーの頭部を斬り落とすのが見えた。
残された胴体はひとしきり痙攣した後、動かなくなった。
キラースパイダーの最後を見届けた後、『彼女』は僕を拘束している糸を斬り払ってくれた。
「ありがとう。まさか霊力の盾ごと、ぐるぐる巻きにされるとは思わなかったよ」
苦笑する僕に、『彼女』が呆れた表情を見せた。
「霊力を持っていても、お前はその使い方を知らないのだな。まあ、牽制位にはなったが」
「いや、本当はもう少し強い霊力を使えるはずなんだ。だけどこの世界に来てから、どうもうまく霊力が展開出来なくてね」
「霊力の強弱では無く、根本的に、霊力の操作に習熟してないように見えるぞ」
それは僕も自覚していた。
思い返すと、『彼女』は400年前の世界で、魔結晶のみ狙い撃ちして、複数のモンスター達を一瞬で斃していた。
今の僕では、例え光球が呼び出せたとしても、同じような戦い方はまだ出来ないだろう。
目の前の『彼女』も、この世界で“守護者”を名乗る存在。
『彼女』からすれば、自身が霊力を使用出来なくなっている分だけ、なおさら僕の霊力の使い方が、歯痒く見えているのかもしれない。
僕は思わず軽口を叩いてしまった。
「それなら君に霊力の操作、教えてもらおうかな」
『彼女』は、一瞬きょとんとした後、噴き出した。
「笑う程の事でも無いと思うけど」
「正体不明の異世界人に、霊力の操作を教える守護者がどこにいる?」
「ここにいるといいな~って」
二人で冗談とも本気ともつかない、そんな会話を交わしながら向かった先に、またも壁に埋め込まれたレリーフが現れた。
『汝に問う。次の数字は?』




