133. 洞窟
1日目――2
切なさを感じながら、そのまましばらく歩いて行くと、前方に、崖に開いた洞窟の入り口が見えてきた。
セリエが、にこにこしながら洞窟の入り口を指差した。
「あそこが私達の村だよ」
彼女に手を引かれ、洞窟の入り口からさらに奥に進んでいくと、巨大な空間に辿り着いた。
高さ10mはあろうかと思われる、その天井からは、大小様々な鍾乳石が釣り下がっていた。
意外な事に、天井や鍾乳石、そして壁が仄かな燐光を発しており、薄暗いながらも、行動に不自由は感じなかった。
そして燐光に照らし出されるようにして、十数軒の粗末な家々――というより、殆ど掘っ立て小屋に見えたけれど――が寄り添うように建ち並んでいた。
洞窟内部の湿度が高く、閉鎖空間である事が影響しているのだろう。
じめじめとした嫌な湿気が、蒸し暑さと共に僕の肌に纏わりついてくる。
どこからともなく漂って来る汚水の臭いも相まって、僕は思わず顔を顰めてしまった。
そんな僕を気にする風もなく、セリエはそのまま、僕を掘っ立て小屋の一つに案内した。
「帰ったよ! 木の実いっぱい拾えたから、すぐご飯作るね。あ、それとお客さんも連れてきたんだ」
彼女の声に応じるかのように、老いた獣人の男性が、奥から顔を覗かせた。
彼は僕を見て、驚いたような表情になった。
「おや? 人間のお客人とは珍しいのう」
セリエがその男性に、僕と出会った経緯を簡単に説明した。
そしてそのまま、僕は小屋の中へと招き入れられた。
内部は8畳ほどの広さであろうか。
その狭い空間で、8人程の獣人達が寝起きしている様子であった。
セリエが改めて彼ら彼女らに僕を、そして僕を彼ら彼女らに紹介してくれた。
獣人達は皆、セリエの家族だった。
病を得て床に臥せっている彼女の母親、彼女の幼い兄弟姉妹、家族を甲斐甲斐しく世話している様子の彼女の祖母、さらに最初に顔を覗かせた彼女の祖父。
「……で、お爺ちゃんの名前がゼラムで……」
「ゼラム!?」
僕はその名で紹介された彼女の祖父を、思わず二度見してしまった。
彼は人の良さそうな笑顔を、僕に向けてきている。
しかしゼラムと言えば、獣人族の英雄の名前のはず。
それにこの場所、以前“視た”ヤーウェン地下の翡翠の谷らしき遺跡の入り口があった場所と酷似していないか?
戸惑っていると、セリエが不思議そうな顔になった。
「お爺ちゃんの名前がどうかしたの?」
「どうもしてないんだけど……もしかして、セリエのお爺ちゃんって、すごい大英雄だったりしない?」
セリエが吹き出した。
「大英雄って……ふふふ、お爺ちゃんは只のお爺ちゃんだよ。でもセリエにとっては、大英雄よりも素敵なお爺ちゃんだけどね」
まあ、よく考えたらこの世界が、ナレタニア帝国が存在したあの世界と関係あるかどうかさえ不明な状況だ。
名前が被っているとか、地形が似ているとか、そんな事をいちいち気にしていても仕方ないのかもしれない。
そんな事を考えていた僕は、セリエの次の言葉に再び驚かされた。
「……で、こっちが弟のゼラムで……」
「えっ!? 弟さんもゼラムって名前なの?」
「そうだよ? どうしたの?」
セリエがまた、不思議そうな顔をしている。
僕は苦笑しつつ、言葉を返した。
「お爺ちゃんも弟さんも同じ名前なんだな~って」
「なんだ、そんな事か」
セリエがにっこり微笑んだ。
「全部、神様が決めて下さった事だよ」
セリエが語るところによると、昔、神様に創ってもらったばかりの獣人達は、名前も無く、荒野で風雨に晒されながら生活していたのだという。
やがてそれを哀れんだ神様が、長男は『ゼラム』、長女は『セリエ』……といった感じで、産まれた順につける名前をくれたのだそうだ。
そして荒野で寝起きしていた自分達に、今住んでいるような洞窟を割り振って下さったお陰で、雨風を凌いで快適(?)に暮らせるようになったのだ、と。
「じゃあ獣人族は、世界中どこでも、長男はゼラムって名前になるって事?」
「そうだよ。神様って凄いね。私達が名前を付けるのに困らないように、決めて下さったんだよ」
「……もしかして、神都にいるセリエのお父さんの名前も?」
セリエが嬉しそうな顔で、答えてくれた。
「うん。お父さん、長男だからもちろんゼラムって名前だよ」
僕はもう一つの疑問を口にした。
「神様がこの洞窟に住むようにって言ったそうだけど……地上に家作って住んだりしちゃだめなの?」
お世辞にも衛生的と言えないこの場所よりも、地上の方が日当たりや風通しも良くて、快適に過ごせそうだけど。
「え~~? 神様がせっかくくれた洞窟を出て、地上に家を建てたらダメでしょ? そんな事したら、神様に怒られちゃうよ?」
セリエは、ややたしなめるような口調で言葉を返してきた。
そして彼女の祖父、ゼラムさんもまた、彼女の言葉を肯定する言葉を口にした。
「神様が下さったこの洞窟を捨てれば、必ず罰が当たる。こうやってわしらが代々、幸せに暮らしてこられたのも、皆、神様のお言葉に従っておるからこそじゃ」
セリエたちのその様子に、僕は軽い違和感を覚えた。
二人が口にする“神様が~”と言う表現は、多分、彼女達が伝承してきた神話か何かの中で、そう語られているって事だろうけれど……
何だろう?
何かおかしくないか?
しかしこの場所で暮らしている当の本人達が幸せだと感じているのなら、他所から来た僕が、これ以上口出しするのは、そっちの方がおかしな話になってしまう。
ともあれ、この日はセリエとその家族の好意で、夕ご飯も御馳走になった上に、泊めてもらえることになった。
夜、僕は部屋の隅で、貸してもらったゴザの上に横たわり、まんじりともせず物思いにふけっていた。
既にセリエ達は、皆僕と同じようなゴザの上で、静かな寝息を立てている。
時折せき込んでいるのは、セリエの母ソアラであろうか。
元々そんなに体の強くなかった彼女は、セリエの言葉を借りれば、最近とみに寝込む事が多くなっているのだそうだ。
やはりこの場所の劣悪な住環境が、彼女の病状に……
いや、これは彼女達の問題だ。
僕がとやかく口出しすべきではない。
それはさておき、イクタスさんの言葉が正しければ、何者かが僕をこの場所に召還したという事になる。
今のところ、その召喚者と思しき“何者か”からの接触は無い。
その何者かの思惑とは?
やはりここは、神都なる場所に行ってみないといけないな……
取り留めも無い事を色々考えている内に、いつのまにか僕は、眠りに落ちていった。
2日目―――1
翌朝、起床した僕は、セリエの家に泊めてもらったお礼に、水くみと食料調達の手伝いをしたい、と申し出た。
そしてセリエや彼女の幼い兄弟姉妹達と一緒に、昨日この場所に来た道を逆に辿って、地上へと向かった。
洞窟から外に出ると、暖かい日差しが目に沁みた。
僕は横で、同じように眩しそうな感じで目を細めているセリエに声を掛けた。
「今日も良い天気だね。そういやセリエは、昨日、木の実を拾っていたみたいだけど、お肉とかは食べないの?」
「もちろん、お肉食べたいけど、お爺ちゃんとお婆ちゃんはもう足腰弱っているし、私と兄弟達だけだと、なかなか獲物取れないんだ」
ならば……
「じゃあ、僕も手伝うから、ちょっと森で一緒に動物捕まえてみようよ」
しかしセリエは当惑したような顔になった。
「えっ? でも、捕まえるための道具とか持ってきていないよ?」
「ちょっと試したい事があるんだ。だからまかせて」
洞窟の近くの水場で手早く水汲みを行い、それをセリエの兄弟達に集落まで運ぶように頼んだ後、僕はセリエの案内で、近くの森へと向かった。




