118. 自嘲
第042日―2
すっかり気落ちした僕は、自分に割り当てられた部屋に戻って、ベッドの上に寝転がっていた。
再び勇者ダイスと魔王ラバスの物語を開いてみたけれど、先程までのようには楽しめない。
いつの間にか、“帝国の切り札”的扱いになっているらしい自分の立ち位置。
今はせいぜい、転移門の設置を依頼される程度で済んでいるけれど……
ナブーの作りだしたホムンクルスである【彼女】は、命じられるがままに、自分と同じ霊力を使って、ヴィンダの街を滅ぼした。
少なくとも、自分も同じ事をやろうと思えば出来てしまうかもしれない。
『カケルよ。謀反人どもを、モンスターの軍団もろとも殲滅してもらえないだろうか?』
いつか皇帝ガイウスが必ず口にするであろうセリフと情景が、ありありと脳裏に浮かび上がってくる。
取り留めも無くそんな事を考えていると、自嘲の笑いが込み上げて来た。
確かハーミルは、【彼女】の事をナブーの“道具”と表現していた。
ならばさしずめ、自分は帝国の“道具”と言う事になる。
「カケル?」
「うわっ!?」
ふいに背後から声をかけられて、僕は驚いて跳ね起きた。
見ると、いつの間にかハーミルが、すぐ後ろに立っていた。
「なんだ、ハーミルか。入ってくるならノックしてよ。びっくりするじゃないか」
「ノックしたわよ。だけど返事が無いし、中からカケルの変な笑い声が聞こえてくるし、びっくりしたのは私の方よ」
どうやらハーミルに、一人笑いを聞かれてしまったようだ。
彼女は少しの間、僕に探るような視線を向けてきた後、再び口を開いた。
「ジュノに聞いたんだけど……」
そう前置きして彼女が説明してくれたところによると、彼女は先程所用で外出していたらしい。
戻って来て、ジュノから僕が宗廟に行きたがっていた事、そして自分の立ち位置を理解していなさそうな僕をたしなめた所、思った以上に落ち込ませてしまった事等を聞き、心配してここへ様子を見に来てくれた、という事のようであった。
彼女が僕の手元の本――勇者ダイスが魔王ラバスを打倒する戦記物だ――を覗き込んできた。
「ねえ、さっき変な笑い方していたけど、その本、そんなに面白い事書いてあった?」
ハーミルはどうやら、僕が本の内容に反応して笑っていたと勘違いしているらしい。
何となくバツの悪さを感じた僕は、わざとらしく本を閉じて、枕元に置いた。
「まあ、色々とね」
ハーミルは、再び探るような視線を向けてきた後、問いかけてきた。
「ねえ、どうして急に宗廟に行きたくなったの?」
「もうその話はいいよ。こういう状況で、勝手に僕が気晴らしでどっか行くとか、自分の我儘だって気が付いたし」
「気晴らしは大事だと思うけど」
「だからもういいって」
別にハーミルは何も悪くないのに、勝手にイライラしてしまった僕は、そっぽを向いてしまった。
ハーミルが嘆息した。
「ねえ、なんか、前にも同じような事言ったと思うけど、ホント、もっと自分のしたい事、したいってちゃんと言わないと、胃に穴開くよ?」
「だから前にも同じような事言ったと思うけど、皆に迷惑掛かるって分かっていて我儘言えないよ」
「ほらほら、そういう建前上のいい子ちゃん発言はいいから、急に宗廟に行ってみたくなった理由、素直に話しなさい」
ハーミルはそう言うと、ベッドの上の僕に飛びついて来た。
そして僕を手際よく抑え込むと、足の裏をくすぐりだした。
「ちょ、ちょっと! やめ……」
「さあ、全部白状しなさい!」
白状ってなんだよ、と心の中でツッコみつつ、なんとか逃れようと身を捩ってみたけれど、全く抜け出せない。
「分かった、分かった! 言うから離して!」
ようやく解放してもらえた僕は、枕元の本を手に取った。
「実はこの本を読んでいる内に、400年前の触手騒ぎの事、思い出してね」
「触手騒ぎって、あのミルムって子が、どこかの祭壇で、何かの生け贄にされそうになっていたやつね」
400年前の世界に、僕はハーミルの精神を帯同していた。
彼女もまた、あの触手騒ぎを僕の五感を通してではあるけれど、実際に体験した一人であった。
「そうそう。あの時の祭壇って、もしかしたら宗廟かもしれないなって思ってね。そう言えば、宗廟の祭壇って行った事無かったから、ちょっと見て来ようかな、と」
「いいんじゃないの?」
「えっ?」
すんなり同意されて拍子抜けした僕に、ハーミルが悪戯っぽい笑顔を向けてきた。
「だから、折角だから行って来たらいいのに。どうせカケル、今日は、“将来のお嫁さん候補のお姫様”と遊ぶ以外、用事無さそうだし」
「お嫁さん候補のお姫様って、もしかしてクレア様の事? なんで、ここでクレア様が出てくるんだよ」
「二人して仲良くコイトスで遊んでいたし、皇帝陛下もあんな事言っていたし」
「いや、あれは、陛下が冗談で口にしていただけでしょ。それより宗廟行くなら、やっぱり陛下の許可貰わないといけないだろうけど、暇なんでちょっと見てきますって言えないしね……」
思わぬ方向に脱線しそうになった話を、僕は慌てて軌道修正した。
「じゃあ、魔神の調査に行ってきますって言えばいいじゃない」
「魔神の調査って……あの触手と魔神との関係も分からないのに、調査のしようが無いよ」
「物は言いようでしょ? “霊力で宗廟に魔神の気配を感じます”とか何とか言っちゃえばいいじゃない」
僕は思わず苦笑した。
「そう言うのは、“言いよう”じゃ無くて、“嘘”って言うんだよ」
しかしハーミルは、僕の手を取って来た。
「よし、そうと決まれば、早速皇帝陛下の所に行くわよ?」
そして何がどう決まったのかよく分からないまま、僕はハーミルに引きずられるようにして、一緒に皇帝ガイウスの幕舎へと向かう事になった。
突然訪ねて来た形になった僕達を、皇帝ガイウスは快く幕舎の中に招き入れてくれた。
「二人して、いかがいたした? もしや、ヤーウェン攻略に何か良い案でもあるのか?」
僕達は、戦わずしてボレア獣王国を屈服させた実績があった。
しかし今回、僕達がここへ持ってきたのは、全く無関係な話だ。
皇帝ガイウスの、若干期待に満ちた視線にすっかり委縮してしまった僕に代わって、ハーミルが口を開いた。
「残念ながら、直接ヤーウェン攻略に関るお話では御座いません。ですがもしかすると、それ以上に重要なお話です」
ハーミルの勿体ぶった物言いに、皇帝ガイウスの目が鋭くなった。
「ほう……申してみよ」
「魔神に関する件で御座います」
「魔神に関して、何か新しい知見でもあったのか?」
「四百年前、初代皇后ミルム様が、魔族達の魔神に関する儀式の生け贄にされそうになった場所が、宗廟の祭壇である可能性が御座います。カケルの霊力を用いれば、彼の地で何かしらの知見が得られるかもしれません」
「宗廟の祭壇……」
魔神なるものについて、既にガイウスは、娘のノルンや宮廷魔導士長のジェイスンから報告を受けていた。
初代皇后のミルムや、今まで詳細不明であった宝珠の由来に関るかもしれない存在として、ガイウスもそれなりの関心は持っていた。
しかし魔神に関する文献や伝承等は皆無であり、調査は全く進んでいなかった。
ガイウスは、儀式の為に毎年訪れている宗廟の祭壇を、心に思い描いた。
四百年前、ナレタニア帝国初代皇后ミルムが、初めて宝珠を顕現した時、それを献じた場所。
以来、現在に至るまで――宝珠保持者のいなかった時代、合計十数年間を除いて――毎年、宝珠を継承した皇女達が、欠かさず儀式を行ってきた場所。
もしそこが、ミルム受難の場所であったなら、宝珠を顕現したミルムが、その祭壇にそれを献じる事に何らかの意味があったのかもしれない。
もっとも、今では形骸化した儀式のみが伝わり、ミルムが最初に宝珠をその祭壇に献じた真の意味については失われて久しいのだが。
カケルはヴィンダの街壊滅の際、いち早くその要因を、霊力を使って探り当てた実績があった。
カケルの霊力を用いれば、魔神はともかく、ミルムがそこで最初に儀式を行った真の意味を探る事は可能なように思われた。
「よかろう。宗廟の祭壇に行って、カケルの霊力でそこを調査してくる事を許可しよう。但し調査が上手く行かずとも、今夜中には一旦、ここへ戻って来るように」




